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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

407.湖畔の人

1961年11月  ニュー東映 製作 公開   監督 佐伯清

12歳の時に 父親が情婦と駆落ちした 家庭に育った 深井三七子(佐久間良子)が 父の件で 婚約を破棄され、どん底の心境から 湖畔の様な やすらぎと落ち着ける相手を求め 流浪する姿を描いた 青春映画です。

序盤 ふしだらな父親の件で 親族に反対された 円山正吉(北山達也)は 三七子に婚約解消を宣告し、憔悴した三七子は 上司の緒方課長(鶴田浩二)に 励まされ 好意を持ち始めました。

翌日 スッキリした三七子が 通勤途上で 帝都高速度交通営団 銀座線に 渋谷駅から乗った様子を、
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車内で見ている 同僚の矢代孝雄(江原真二郎)の姿が 映りますが 出社すると 緒方が交通事故に遭って 入院していました。

矢代は三七子に 好意を伝えますが 叶わず、一方で 三七子の同僚 谷沢洋子(新井茂子)は 矢代が好きで 三七子は応援します。また緒方を バー鏡のマダム 宏子(久保菜穂子)が 狙っていて、三七子に 宣戦布告します。

その後 2号さんになって 深井家を支えている 三七子の姉 比佐子(故里やよい)が 本妻と揉めている さなかに、大阪に住む 出奔したままの父親が 危篤との電報が 届けられますが 三七子は断固拒絶します。

行く筈だった 姉の比佐子が行けなくなり、迷う三七子に チャンスと 矢代が強引に同行します。大阪行きの 夜行急行電車らしきに、後から同席した矢代は
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ビュッフェに三七子を誘いました。
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大阪に着くや
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タクシーで大阪城と 運河に近い下町風の 住居を訪ねると、既に父親は 前夜遅くに 亡くなっていました。背後を 4連の私鉄電車らしきが 通って行きます。
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矢代に背中を押され 亡き父親に 再会できた三七子は、妹関係になる 小さなアイコにも会うと、父を許す気持ちに 変わってゆくのでした。

遅れて葬儀に加わった 比佐子と共に 遺骨を抱いた三七子は、
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大阪駅から帰る電車の前で
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達子(利根はる恵)とアイコから 見送りを受けています。
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終始同行した矢代は 既に車内にいて、電車が動き出すと 皆で手を振り合うのでした。
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やがて夕刻 電車は東京駅 7番ホームに到着しました。
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その後 緒方は病室で 前に「三七子とは 結婚する可能性は無い」と宣言したことを 撤回すると話すと、退院して 山奥の温泉に 静養の旅に出かけました。

宏子から 裏磐梯の温泉に向かった 緒方の行き先を聞いた三七子は、東北本線の 急行列車らしき 電機の次位に暖房車+9連の 客車を連ねた列車で 郡山へ向かいます。
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続いて 磐越西線に乗り換えた様で
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裏磐梯温泉への下車駅 猪苗代へ向かうべく、
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蒸機が牽く列車は 中山宿辺りの 上り勾配を走っているのでしょうか。
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こうして 遥々緒方の所へ 飛び込んで行った 三七子でしたが、決心がつかないのか 緒方の態度は素っ気なく 布団も別部屋にされてしまいました。

翌朝 三七子は宿から 一人で散歩に出かけ、湖の畔で ハイヒールを脱ぐと・・・・と悪い結末を予感させる BGMが流れますが・・・





PS.
  最初の画像は 渋谷の東横百貨店西館(旧玉電ビル)から出発した 銀座線電車を、1956年完成の 東急文化会館の屋上から 撮影しているのでしょうか。

  2・3枚目の画像は セット撮影ですが、当時の夜行急行電車では 23時頃までビュッフェの営業をしていた様です。
  行程を想像すると 東京 21:20 ―(115レ急行第2なにわ)― 7:50 大阪 と思われ 一等車を挟んで4・7号車は、二等車とビュッフェ合造の サハシ153が2輌も連結されていました。

5枚目の画像に映る 私鉄電車らしきは 分かりませんね。京成電鉄車輌の様な 色合ですが 4枚目の画像の後で、阪急百貨店をバックに タクシーに乗るシーンがあるので 大阪ロケは実在したと思います。N.NIc33100様によると、南海電車だそうです。

  6枚目からの 大阪駅での見送りシーンは、大阪駅で行われたか 怪しいですね。更に11枚目の画像に映るのは(東海号)の様に見えます。東海号は準急で、東京~大垣で 運行されていました?!

  明るいうちに 東京駅に到着していることから 普通なら 大阪 8:30 ―(102レ急行六甲)― 16:00 東京 ですが、無理に東海号で東京に帰るには 大阪 7:30―(402レ準急第1伊吹)― 9:30 岐阜 9:59 ―(306レ準急東海3号)― 15:53 東京 

  12枚目の画像は 東北本線の急行列車 らしき姿ですが、電機の次位にある 暖房車はマヌ34でしょうか? 13・15枚目の画像は セット+スクリーン・プロセス なのでしょうが、本線の新しい客車から 郡山で旧型客車へ 乗り換えた様子を 表現している様です。
  73おやぢ様から 東北本線では暖房車は使われなかったので、中央本線多摩川橋梁での撮影だそうです。

  裏磐梯温泉への下車駅 猪苗代へ行くなら、上野 7:50 ―(2105レ準急ひばら1号)― 12:54 猪苗代と 直通列車があります。しかし遥々訪ねた感を 出すには、上野 8:38 ―(123レ普通列車)― 14:11 郡山 14:24 ―(225レ D50牽引?)― 15:40 猪苗代で 本編の映像に 合致しています。

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406.神様のくれた赤ん坊

Category 筑肥線

1979年12月 松竹 製作 公開   監督 前田陽一

同棲生活を送る 三浦晋作(渡瀬恒彦)と 森崎小夜子(桃井かおり)の所へ 見知らぬ女(樹木希林)が現れ、子供を押し付けられて 父親探しの 旅の道中を描いた ロードムービーです。

序盤 京王帝都電鉄の車内で 三浦は小夜子から、「妊娠した様なので、是非産みたい」と告げられ 慌ててしまいます。
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その夜 突然見知らぬ女(樹木希林)が 子連れで現れ 田中アケミからの「少年を父親の所へ連れて行って」と 5人の候補者を 書いた手紙を渡し、東京在住の三浦に 少年・田中新一(鈴木伊織)を 押し付け去りました。

三浦が5人の一人なので 小夜子は怒り 家出したので、三浦は子連れで 尾道にいる田島啓一郎(曾我廼家明蝶)を目指して 東京駅から博多行き 新幹線ひかり号に乗ります。
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ところが 車内に小夜子もいるので 改心したのかと思ったら、
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小夜子は 亡くなった母親のルーツを 尋ねに行くところで 別席でした。
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 それでも新一のことが気になるのか、アイスクリームを差し入れしてくれます。
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尾道では 田島の秘書(河原崎長一郎)が 該当者でしたが、30万円の養育費で 泣きつかれ了承し 小夜子も次の中津へ同行します。

新幹線で小倉へ行き
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日豊本線の赤電に乗り換え
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中津の福田邦彦(吉幾三)宅へ行くと、今日 これから別府で 結婚式があると聞いて 式場へと行きます。

福田は 5万円しか出さないので 小夜子が友人スピーチに飛び入りし 昔の女の事を匂わせると、慌てて父親が「百万円出す」と伝え 祝儀袋の束を渡すのでした。

小夜子が 母親の出身地である 天草行を望んだので レンタカーで熊本を通って 天草へ行くと、母親が長崎円山の 大野楼で働いていた 情報を聞きました。

市電が頻繁に走る長崎には
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三番目の 元プロ野球選手の 桑野弘(小島三児)も いたので行くと、ライオンズ絡みの ケンカとなり 中西太のサインボールしか 手に入りませんでした。

小夜子は 母が唐津に転居して 小夜子を育てた話を聞いて 訪ねると、幼少期の記憶にあった 風景がそこにありました。

最後の男は 高田組の高田五郎という、若松に住む 川筋者らしいのです。筑肥線らしき 海沿いを走る、タラコ色の 気動車が映ります。
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車内で三浦と小夜子が 仲良く並んで座り、話し込んでいると
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新一がいません。急いで車内を捜すと、
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前の方の車輌に 寂しそうに 一人で座っていました。
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こうして 筑豊本線の起点である 若松駅に着くと、
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終着点の様に 皆で手をつないで笑顔です。
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尋ねた高田は 二年前に事故死していましたが、跡継ぎの 三代目高田まさ(吉行和子)が 快く引き取ってくれました。しかし帰り道で 二人の心中は同じで・・・




PS.
  山陽新幹線全通から 4年目の作品で 未だ新尾道駅は存在していません。車内の座席は 0系初期型の 転換式シートですね。

  12枚目の画像に映るのは タラコ色のキハ30系気動車でしょうか。14:08博多着と放送があるので、東唐津 12:36発の博多行 542Dと思われます。  (米手作市様のコメントで訂正しました)

  なので 国鉄線だけでは 唐津 10:24 → 10:34 山本 12:03 → 12:15 東唐津 12:36 発 542D に乗り継ぎですが、不便なので 地元の人は 唐津~東唐津を 僅か5分でつなぐ 昭和自動車路線バスを 利用していました。

  また本作公開当時は 博多から筑肥線で 伊万里へ行き 松浦線で佐世保を経由し、大村線で 長崎まで行くという 今では考えられない 西九州を大回りする 急行平戸号も 一往復ありました。

  筑肥線は 1983年3月に 博多~姪浜と 虹ノ松原~山本が 廃止となり 唐津~虹ノ松原を開業し、唐津~姪浜を電化して 福岡市地下鉄と 相互直通運転で 画期的に 利便性が良くなりました。


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