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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

405.網走番外地 決斗零下30度

1967年4月  東映 製作 公開   監督 石井輝男

橘真一(高倉健)が 汽車の中で出会った幼女の 父親を訪ねて行った炭鉱は 強欲な男に乗っ取られ タコ部屋同然なので、凶悪な一味を倒し 炭鉱を 元の持ち主に 戻す迄を描いた アクション映画です。

序盤 網走刑務所を出所した橘は、汽車の中で
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住所札を付けた 一人旅の幼女チエ(吉野比弓)と出会います。札の裏には 佐我連鉱山にいる 大槻に渡してくれと書いてありました。
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ここで タイトルクレジットが 9600形蒸機 と共に入ります。
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続いて 西条弓子(国景子)が橘に 仕事依頼の話をしていると、
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トランプ手品をしながら 吉岡(吉田輝雄)が現れ
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「その仕事は俺が適任だ」と売り込みます。

更に車掌が走ってきて「大変です パンクしそうなんです 誰か手伝ってください」と呼びかけるので
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橘が行くと、ム所仲間の 百十番(由利徹)が オカマ(吉野寿雄)と 出産詐欺の最中でした。

そこへ車掌の「佐我連~」と 声が聞こえてたので
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橘はチエの席に戻り、既に発車した列車の 窓から強引に降りるや チエを担ぎ下ろしました。
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チエを連れて 佐我連駅から外へ出ると
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鉱山は遠いので 万屋英造(沢彰謙)から 馬そりを借りて、漸く佐我連鉱山に着くと チエは ム所仲間の大槻(田中邦衛)の娘でした。

久しぶりに 娘に会った大槻の代わりに 橘が仕事を代ろうとしますが 坑夫長の蝮(田崎潤)が邪魔し、橘が倒すと 腹いせに 橘が借りてきた馬を撲殺してしまいます。

それで橘は 馬代の代わりに 20ヶ月間 万屋の店で、馬そりの御者として タダ働きすることになったのでした。

橘が 佐我連駅前で客を待つと 到着した列車から
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白木路子(大原麗子)が降りて来て、クラブコタンまで乗せると マスター白木(丹波哲郎)の妹だと分かりました。

その後 西条家の所有だった 佐我連鉱山の権利を 法外な高利で奪い取った関野(安部徹)から 取り戻そうと、弓子は 用心棒の吉岡と共に 事務所に現れ 吉岡が拳銃で脅かし 権利書を取り戻し逃げます。

関野は配下の連中に 追い掛けさせ 捕まったところを、八人殺しの異名をとる 鬼寅(嵐實寿郎)に 二人は救われました。

その頃関野は 損害保険金目当てに 白木に坑道の爆破を命じ、坑夫は既に逃がしたと 白木に偽り 大槻達は 生き埋めにされてしまいます。

懸命な 救助作業も空しく、橘は大槻を 看取ることになりました。大槻の遺体と 対面して泣きじゃくる チエを見た白木は、橘へ事件の真実を伝える様 情婦の朱美(三原葉子)に言伝します。

こうして 怒りに燃える橘は 吉岡・鬼寅と共に 関野一味を馬で追い駆け、大雪原での 銃撃戦の末に退治したのでした。

佐我連駅から 橘が去る日 ホームでは 鬼寅・路子・チエ・弓子・吉岡・万屋父娘が 見送りに来ています。
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この町の診療所で 働くことになった路子が チエを育てると告げます。

やがて汽笛が鳴り響き
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動き出した汽車に 飛び乗った橘は、
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皆の見送りを受けて
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別れを惜しむように 手を振っています。
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赤い反射板を付けた 有蓋車をラストに、
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9600形蒸機に牽かれた 混合列車は去り行きました。
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PS.
  風情ある ダルマストーブを備えた 旧型客車内での 序盤のやり取りは、当時北海道の深名線で使われていた ダルマストーブ付き客車を 借りてのロケの様です。

  怪しい笑顔の吉岡が 引田天功監修の オチのある手品を披露したり、伝説の吉野ママこと 吉野寿雄が由利徹と絡んだりと コメディ調の序盤です。

  橘がチエを連れて降りた 佐我連駅は架空駅で、今は亡き 深名線の添牛内駅を 装飾してロケが行われたそうです。この極寒の駅に降りてから、俄然 アクション映画らしくなります。

  添牛内駅は 1931年9月に 雨龍線の末端駅として開業し、1941年10月に 深川~名寄121.8㎞が全通し 深名線となりました。しかし沿線人口の減少から、1995年9月に 廃線となっています。

  作中で 9600形蒸機に牽かれた 混合列車が登場していますが、深名線では 1962年に混合列車は廃止され 旅客は気動車化されています。

  しかし冬季には 貨物列車のスジに ダルマストーブ搭載の スハニ62客車を加えた 混合列車を、名寄~朱鞠内で 1974年3月迄運行していた様です。(名寄10:40発9990レと朱鞠内13:52発9993レの1往復のみ)

  添牛内駅は 朱鞠内駅から 10.2㎞の隣駅なので(間に仮乗降場は2つあった)名寄区協力の元に、この列車を 添牛内まで 往復回送運転させて 撮影用特別列車として走らせたのかも?

  9990レの朱鞠内着から 9993レの発車まで 1時間34分程あるので 朱鞠内の転車台で 逆向きにして、バックで添牛内まで行き 撮影後はそのまま 朱鞠内まで回送運転して その後9993レにしたと妄想します。

  添牛内駅舎は廃線後 老朽化していましたが 2022年に クラウドファンディングによって 資金が集まり、同年10月に 修繕工事が完了し 今後も永く保存されるそうです。


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404.新幹線大爆破

1975年7月  東映 製作 公開   監督 佐藤純彌

走行中の新幹線 ひかり109号博多行が 時速80㎞以下になると爆発する 爆弾を仕掛けたと電話があり、時間制約の中で 身代金受取を計る犯人と 事態解決を願う国鉄・犯人逮捕を目指す警察との攻防を描いた アクション映画です。

冒頭 過激派学生崩れの 古賀勝(山本圭)は 深夜夕張駅構内へ忍び込み、
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翌日 追分行の貨物列車に 電磁式速度計と 電気信管起爆式爆弾を仕掛けます。
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翌朝 リーダーの沖田哲男(高倉健)に 報告電話をすると、爆弾入手相手の 藤尾(郷鍈治)が 逮捕されたことを知らされます。

続いて 東京駅新幹線ホームが映り
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 ここで清掃員のバイトをしている 大城浩(織田あきら)は、ホームへの階段途中にある ドアへゴミ籠を入れる時
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博多へ護送される藤尾と目が合い、うらめしそうに藤尾は大城を階段の上までにらんでいます。
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そして 新幹線ひかり109号運転室では 青木運転士(千葉真一)が 列車種別設定を超特急に合わせ
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列車番号設定を109にして、新幹線総合指令所に 電話報告して 定時発車指令を受け 発車しました。

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ひかり109号が 新横浜駅を通過した頃 沖田は国鉄本社へ電話し、鉄道公安本部長の 宮下義典(渡辺文雄)は 沖田の話を聞いて 幹部職員と対処方針を協議します。

そして 青木運転士に状況を伝え 沖田が同じ爆弾を仕掛けた 夕張発貨物5720レ追分行は 夕張~紅葉山が ノンストップなので、途中駅での タブレット交換時に 伝文で退避指令を伝えました。
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タブレットキャリアに添えられていた「速度が 15㎞/hまで下がると 爆弾が爆発する」との伝文を読んだ 機関助士(宮地謙吾)は、直ぐに機関士(畑中猛重)に渡すと「この先の上り坂が危ない 飛び降りろ」と言われました。
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キャブの左右から 二人が飛び降りると 15㎞/hまで下がった列車の 最前部無蓋車の 台車に仕掛けられた 爆弾が爆発し、
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脱線した機関車は 暴走の上に 沿線の小屋に激突し 更に大爆発してしまいました。
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北海道からの報告を聞いた 運転指令長の倉持(宇津井健)は 速度を120㎞/hまで落とす様指令しますが、
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前を行くひかり157号が 故障で停車したので 浜松駅で上り線へ迂回する作戦を伝えます。
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ところがすれ違う筈の 上りひかり20号も 接近しているので、
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回送に種別変換し 速度を90㎞/hまで落とし 手前で一旦120㎞/hまで上げて 浜松駅手前でATCを切って 惰性で分岐点を通過 上り線に入ったら 非常ブレーキが解除されるので 速度を戻す作戦とします。

浜松駅手前の 分岐点には職員が待機し 上りひかり20号が通過直後に
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手動でポイントを切り替え、下りひかり109号は スレスレで 上り線へと転線し
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ひかり157号を回避して 無事 豊橋で元に戻れました。

その後 500万弗の 身代金受け渡しは、警察の失態で 大城が死亡して不成功。続いて身元の割れた 古賀は自宅捜査に続いて
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路上で見つかり 都営三田線車庫で 接近する列車の直前を 走り抜けたので 逃げ切ったと思った時
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刑事に撃たれ、足を引きずりながら ホームへ上がり 電車で逃げることができました。
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二度目の受け渡しは成功して 沖田は爆弾の位置と 撤去方法の図面を 預けた喫茶店を知らせますが、刑事が駆け付けると 火事で燃えてしまっていました。

国鉄も台車が怪しいので 橋梁下部から 投光器とハイスピードカメラで 撮影検討の結果、爆弾の位置が判明したので ドア外から除去を試みますが失敗。

デッキ下の ゴミ箱横の鉄板を 切り取れば手が届くので、救援車を並走させて 酸素溶接機を送り渡して 焼き切る作戦を試みます。救援列車が追い付き
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渡り板とロープで、アセチレンボンベと 酸素ボンベを送り成功しました。
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そして ゼロ地点と決めた 山口県小月に無事停車し、待ち構えた消防隊や国鉄職員が 喜び駆け寄る姿があります。
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PS.
  1枚目の画像は 秩父鉄道広瀬川原車両基地で 照明車を持ち込み、社紋等にテープを貼って 撮影したそうです。なので 夕張の設定なのに、セキ等の運炭車がありません。

  3枚目の画像では 当時の東京駅新幹線ホームが 映っていますが、16~19番線の4本しかなく 既に増線工事が始まっています。4枚目の画像は 懐かしの、パタパタ案内板ですね。

  5枚目の画像では ホームまでの階段途中にある ゴミ置き場への通路への 扉を開けた場面で、丁度レールと 同じ高さなのが 分かるシーンです。6枚目の画像の後 レール脇の通路に出て、映像はありませんが この後通路から台車に 爆弾を仕掛けたのでしょう。

  12~15枚目の画像のロケは 北海道炭礦汽船 真谷地炭鉱専用線で行われ、12枚目の画像は 旅客営業時代の 清真台駅跡で 行われた様です。

  16・17枚目の画像のロケは 佐藤監督の拘りで 3か月前に廃線となった 旧夕張鉄道鹿ノ谷~若菜(当時は化成工業所専用線)で 1975年6月8日に行われ、地元新聞夕刊に 爆破シーンの写真と共に 記事が掲載されています。

  爆破された 9600形蒸機は 12~15とは別の 旧夕張鉄道の廃車となっていた 無火の21号機で、+無蓋車3輌+有蓋車をDLで押しての 推進運転で行われました。こちらはスノープロウがあり、テンダーも違いますね。

  専門業者に依頼して 爆薬を使ったロケでしたが 重い96はビクともせず、脱線して 線路わきに立つ枕木をバタバタ倒し 火薬庫に突っ込んで 大爆発した設定に変更し、火薬庫に見立てた 小屋をレールの上に建てての 撮影だったそうです。

  4・9・10枚目の画像は 東京駅での盗み撮りですが、11・19・20枚目の画像は 沿線から撮影した映像です。22枚目の画像は スレスレの すれ違いシーンですが、レンタル代が 一日100万円の シュノーケルカメラを 映画では国内で初めて使って 撮影されました。

  8・18枚目に映るCTC指令所のセットは 国鉄の協力が絶望となったので 無名の外国人役者を ドイツの鉄道当局技師として 見学申請したらOKとなり、美術監督が通訳として同行し 隠しカメラで撮った写真から作ったそうです。しかし公開後に 巨大なパネルが 左右逆になっていると 指摘されています。(分かり易い様に、あえて実在の東京→博多の向きに合わせて右→左としたそうです)

  24枚目の画像は 都営地下鉄三田線志村車両検修場での 6000形ですが、続いての 去り行く電車シーンは 西台駅での撮影です。

  タイトルは 新幹線大爆破で 実際には爆破されませんでしたが、心配する倉持の想像場面で 爆破シーンがごく短時間あります。
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  後に 鉄道ジャーナル誌で、「ポイントの接近鎖錠と 保留鎖錠が無視されている」「新幹線の東京~博多の営業キロは 1176.5㎞だが 実際の距離は 1069㎞なので、営業キロを基に計算していると 1時間以上前に博多に着いてしまう」等々・・・色々指摘されています。

  公開して 営業的には不振でしたが フランス他 海外では好成績で 黒字作品となり、1975年キネ旬7位でしたが キネ旬読者選出では1位となっています。



参考 : キネマ旬報1975年7月上旬号  映画撮影№58  鉄道ジャーナル1975年10月号  週刊現代・・・・・  

  

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