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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

400.天国と地獄

1963年3月 東宝・黒沢プロ製作  東宝 配給公開   監督 黒澤明

 製靴会社の常務 権藤金吾(三船敏郎)が 自分の息子と運転手の息子を 間違えた誘拐犯に 苦悩の末に3千万円を渡した後、知能犯の男を追う 警察の 息詰まる捜査過程を描いた サスペンス映画です。

 権藤は 自宅を抵当に入れてまでして 工面した金で 自社株を買い集め、株主総会で 会社の実権を握ろうと 計画していた矢先に 専属運転手の息子 青木進一(島津雅彦)誘拐事件に巻き込まれます。
 権藤は一晩苦悩した末に 秘書の裏切りもあって 身代金要求に従う決心した後 犯人からの電話で、「3千万円を 厚さ7㎝のカバン2個に詰めて、明日の 特急第二こだま号に乗れ」と指令されるまで 55分弱が本作の前半部です。

そして 画面が切り替わり いきなり画面左から 151系電車 特別急行こだま号先頭車の、クロ151形パーラーカーが 飛び出すように登場します。
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4号車の一等車内では、権藤がカバンを抱えて 緊張した顔で座っています。後ろの方の席には、捜査を指揮する 神奈川県警の戸倉警部(仲代達也)も 座って権藤を見ています。
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後ろの車両から 中尾刑事が歩いてきて 戸倉の足にぶつかった ふりをして、謝ったタイミングで 戸倉にそっとメモを渡して去ります。メモには(子供は乗っていない)と 書かれてありました。
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暫くすると チャイムに続いて「ナショナルシューズの権藤様 お電話ですので ビュッフェの電話室まで お越しください」と車内放送が流れ、権藤初め 刑事達が色めき立ちます。
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権藤が6号車の ビュッフェへ向かうと、戸倉はとりあえず ボースンこと 田口部長刑事(石山健二郎)に「コーヒーでも飲んで来い」と命じました。
権藤は電話担当者に ことわって 電話室の受話器を取ると、「あと2,3分で 酒匂川の鉄橋なので、子どもは鉄橋の 畔で見せる。子どもを見たら 鉄橋を渡りきった所で カバンを窓から投げろ」と告げられます。
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電話が切れると権藤は二人に目配せして、7号車へ向かいます。
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権藤は急いで 戸倉・田口と共に 7号車の洗面所に行くと、
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二人に犯人からの 話を伝えます。
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特急の窓は開かないと 思い込んでいた田口が、換気窓を開けて確認すると「畜生それで7㎝か!」と思わず吠えました。

戸倉は 子どもの安全を考え 緊急停車を諦め、刑事達を 各所に配置させて 8ミリ撮影と 写真撮影を命じます。
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田口は先頭の運転室へ パーラーカー担当給仕に 案内されると、前方斜め左に向けて 8ミリ撮影機をセットします。
 運転室で 石山が頭を低くして 8ミリ撮影機を 橋の手前から始動させた後、
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僅か7㎝しか開かない 換気窓に顔を押し付けた権藤は 進一を確認すると 鉄橋を過ぎた地点で 2つのカバンを窓から投げました。
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そしてこだま号の 次の停車駅熱海で 降りた一行は警察車両で 酒匂川の横浜側の土手道へ急行し、見つけた権藤は 駆け寄って泣いている 進一を抱きしめたのでした。背後に貨物列車が映っています。

それからは 公開捜査とした 捜査本部では、多方面の手掛りから 手分けして 捜査した状況を 捜査会議で報告します。犯人が走行中の こだま号に電話を掛けたのは 神田の赤電話と判明した場面で、山手線の 101系電車の 走行場面があります。
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こだま号の 構造に詳しい点から 国鉄職員ではとの疑いから 田町電車区に 聞き込みに行った場面では、庫内に停まる 151系電車の前方で 153系電車らしきが移動しています。
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その後 犯人からの電話音声を 繰り返し聞いていた荒井刑事(木村功)は バックに電車らしき音が 入っているのに気付き、横浜駅の乗務員室で 聞いてもらうと ポール集電の特徴から 江ノ島鎌倉観光電鉄の 走行音と判明します。

翌日 田口と荒井は 進一を連れて沿線の捜査を 計画しますが不在で、腰越の魚市場から 犯人のアジトへ向かう時 江ノ電のポール集電式電車が 後ろから迫っています。
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その頃 監禁された場所を探す為 進一を乗せて車で走る 父親の青木(佐田豊)は、「ここ通ったよ」と 進一の言葉で停めたのは 江ノ電がトンネルに入るのが 見える地点でした。
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そして二人の刑事と 青木親子は合流し 進一の案内で 監禁された家が分かりますが、共犯者らしき二人は 既に死亡していました。しかし敷地の下には ポール集電特有の音で、江ノ電が走っているのを 確認します。
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PS.

55分間に及ぶ 殆ど権藤邸内での 静かな動きに続いて いきなり警笛音と共に クロ151形パーラーカーが登場する 迫力ある1枚目の画像シーンは、藤沢郊外の 工場の屋上を借りて ベテラン斎藤孝雄カメラマンが 距離100mで500ミリレンズを使い 一発撮りしたそうです。

黒澤監督は 当初から実物の 電車を借りての撮影を計画し 国鉄に協力を願い出、前代未聞の 151系12両のフル編成で 田町電車区~熱海(小田原までの説もアリ)貸し切りロケが 1962年10月22日に行われました。

因みに国鉄の請求額は 東京~熱海の定員分の片道 運賃・料金(帰りは回送扱い)で、黒澤監督が受けた報告では 撮影に掛かった各種経費と 総合計すると この1日で 2千万円掛かったそうです。

それに先立って10月13日 田町電車区に留置中の 151系電車で、スタッフによる 最初のリハーサルが行われ、翌14日 助監督・カメラマンが 東京駅から実車の 14:30発7レ特別急行第二こだま号に 熱海まで乗りました。

斎藤カメラマンは 特別に運転室に 添乗させてもらい、身代金受け渡しがある 酒匂川橋梁前後を中心に 予備撮影を行います。
この時 事前に国鉄から提供された 151系電車の設計図で 洗面所の通風窓が10㎝開くことを基に 神田の老舗 吉田鞄店で特注して製作されたカバンを持ち込んで 試しますが、現物の窓は 7㎝しか開かず 使えないことに 出目助監督は愕然とし 再度頼んで一週間で作り替えてもらいました。

更に 予備撮影したフィルムから 四切サイズに プリントした写真を 監督に渡すと 中井チーフカメラマンと 根津博製作主任が呼ばれ、写真を見ると 酒匂川橋梁左側 土手直前の家屋の 屋根が邪魔して 人間が映りそうにありません。

黒澤監督から「どうする これじゃあ撮れないよ」と 10月19日になって 言われた根津は 長年黒澤の元で 仕事してきた経験から(言い出したら聞かない)と悟り、明後日21日が 本番撮影日と迫っているので 翌20日に 大道具一個中隊を率いて 現地へ行って 撮影後直ぐに 現状復旧する約束で 許可をもらうと 二階部分を取り外し シートと押さえの角材で整え 土手には砂利山を作って 進一が映り易い様に 細工したそうです。
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昔からこの件は 黒澤監督が「撮影の邪魔だから、あの家をぶっ壊せ」と言ったという 噂話がありますが、長年完全主義者の元で働いたスタッフは 忖度と悟り・想像力を強いられ言われなくても動いた 黒澤組ならではの 苦労話ですね。

おそらくこの家の 二階部分は 子どもの勉強部屋 1室だけなので、高屋根平屋建ての 天井裏を ロフト風に 改造したものと 想像します。
 1日で復旧を想定した 改造工事を終えますが、元に戻す方は 建てた大工さんに 頼んだとか。

翌10月21日は 天候が悪く 22日に延期となりますが、国鉄では 特別ダイヤを組んでいるので 空列車を予定通り 熱海まで往復走らせた様です。
 そしていよいよ 22日朝8時前から スタッフは田町電車区に集合し、借り上げた 予備編成のこだま号で 照明・マイクの取付や最後のリハーサルです。

9時頃には 監督がエキストラとして要望した、成城の ハイクラスの奥様方が バスで到着して 乗り込みます。車内放送を使って 段取りの 確認事項を伝える中 10時過ぎに 特別列車は出発して行きますが、ビュッフェの時計は抜かりなく 14時半過ぎに変えてあります。

この日は 酒匂川橋梁前後の ビュッフェと 7号車洗面所でのやり取りと、各刑事が 犯人撮影の為に 列車内を前後に 走り回って撮影するシーンをメインに 東宝撮影所の他の映画撮影を 全て止めて 8人のカメラマンを動員してロケが行われました。

しかし 極度の緊張感から 運転室担当の石山は チーフ助監督の森谷司郎からの 撮影開始を勘違いして 演技を始めてしまったり、最後部の運転席から 権藤が投げたカバンを 犯人が拾うところを 撮るはずの玉井カメラマンが フィルムを絡ませて 全損となってしまいました。

10月25日に 残る4号車での 最初のやり取りシーンと、最後部からの 身代金受け取り場面の撮影を 撮り直して終わり 前部運転室でのシーンは 黒澤監督が編集で 何とかしたそうです。

10枚目の画像に映っているのは 江ノ電106形(100形)の107であり 寒い時期のロケなのに 暑い9月初旬の設定なので、窓全開で 半袖白シャツの乗客役が 扇子まで使っている点は 完全主義者の 黒澤監督ならではですね。

 当ブログで7年前に取り上げた(209.悪魔の囁き)で、8年も早く 走る列車から 身代金を受け取る作品を 紹介しております。
 本文の検索コーナーに 作品名を入れて 検索し ごらんください。


惜しむらくは せっかくフル編成を借りたのに、1号車パーラーカーの 2m×1mサイズの 大窓を使って 荒井刑事がカメラ撮影を してほしかった!
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また次の画像の様に 田口が給仕に先導されて 区分室を通り抜けて 運転室へ向かう場面で、2Cのソファー席に エキストラの男性が 座っていることから 使用禁止と言われていない様です。
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   参考  :  映画撮影6号(1963年4月刊)  ・ 映画情報(1963年4月号)  ・ 週刊現代(1963年3月28日号)  ・ 黒澤明と「天国と地獄」(都築政昭著) ・ 黒澤明コレクション(キネマ旬報社)


急告 : 定時運転を信条としてきましたが、色々な出来事が重なり次回は計画運休させて頂きます 次回は11月第四週末です








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399.ブルートレインひとり旅

1982年6月 中山映画 製作  配給 映画センター全国連絡会議  カラー作品   監督 中山節夫

優秀な兄・姉の下で 成績がイマイチな 少学6年生 岩田たけし(上野郁巳)が、家出して 熱望する寝台特急はやぶさ号に乗って 西鹿児島を目指す 冒険ミステリータッチの前期青春映画です。

東京機関区を出区する 1000番代のEF65形電機は
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品川客車区へ移動し、
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寝台特急はやぶさ号の 24系25形編成を牽引して 始発駅東京へ向かいます。
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何度もブルートレイン乗車を 願い出た岩田ですが 仕事に忙しい父親は 応じてくれず、遂に貯金で切符を買うと 東京駅9番線へ来ました。

16:17 はやぶさが入線し
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16:30向かいの10番線から ブルトレ一番手 長崎・佐世保行の 1レ特急さくら号が出発して行くと、岩田は家に電話しようと 公衆電話を取りますが 迷った末に止めてしまいます。

そして 3レ特急はやぶさ号の 発車ベルが鳴りだすまで 乗るか迷っていた岩田は
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4号棟に飛び乗り発車です。
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指定された席に行くと 話好きの女性が向かいの席に到着し、後に 鳥栖へ一人で向かう 篠山あずさ(永浜三千子)も現れます。

18:14熱海を通過する頃
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岩田の家では家出が発覚し 19:14静岡で機関士交代の頃、父岩田隆介(川津祐介)と 母美樹(水野久美)は(はやぶさ)に乗ったと確信して 東京駅へ向かいますが 20:12発の最終新大阪行 ひかり185号に乗り遅れ 大阪で追い付く作戦は失敗です。
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車掌長(高城淳一)が 再度あずさの元へ検札に来た時、家出した「6歳の中村まさとし君(星野光司)愛称マー坊を捜している」と皆は聞きます。
20:30頃 岩田は食堂車で ハンバーグ定食を注文した時 ウエイトレス(青木菜々)と知り合いますが、食堂車内は 黒服3人組男も居て 何やら怪しい雰囲気も漂っています。
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そして4号車内では コート姿の男がダイヤを 黒服男に盗まれ、更に男のミスで ダイヤをマー坊の 紙袋に落としてしまいます。その一部を目撃した岩田は あずさに話しますが信じません。しかし下段の女性が「大型トランクが怪しい」と話すので、男の寝台へ二人で行き トランクを開けると マー坊が死んだ様に寝ていました。

そこへ怒った顔の 3人組の男達が現れ「紙袋に入ったダイヤはどこだ!」と迫りますが、岩田が男の手に噛み付き逃走し 空いていたA寝台個室に 二人は逃げ込み隠れます。
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しかし刑事風のコート姿の男(常田富士男)は マジシャンで 男達は弟子なのが分かり、騒がせたお詫びの マジックを披露してくれ マー坊も匿ってあげました。

その後 岩田とあずさは 閉店となった食堂車で ウエイトレスから、自作の{ブルートレインひとり旅}という歌を 聞かせてもらいます。
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一方その頃 一人で追いかける父親は 東京21:00発の名古屋行ひかり541号で 23:16に名古屋に到着し、23:20発 9レあさかぜ1号に乗り継ぎました。
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これに乗れば 翌朝6:28着の広島で、6:34発の始発こだま431号に乗り継ぎ 博多にて余裕で 追いつける目論見です。

そしてはやぶさ号は 下関に到着すると
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牽引機関車が EF81形電機に付け替えられますが、
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ここでマー坊は 鉄道公安官に保護されてしまいました。 
関門トンネルを抜けた はやぶさ号は、
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次の門司で更に ヘッドマーク無しの ED76形電機に交代して 九州路を走り出しました。
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博多到着が近付いた頃 あずさに「御言付が届いてますので、乗務員室へお越しください」と放送があります。博多ではマジシャン一行と 下段の女性が下車して、車内は寂しくなりました。
あずさが(門司→3レ)業務連絡書を受け取ると、家を出た母親が 鳥栖駅に 出迎えに行くと書いてあり 一安心です。
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DE10形内燃機に連結された 赤い50系客車が停まる 鳥栖駅に着くと、399-21.jpg
あずさの母親(長内美那子)が出迎え 二人は涙の再会を果たします。でもはやぶさ号が出発して行くと あずさは列車を追い掛け、大きく手を振り 岩田に別れを告げるのでした。
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岩田が席に戻ると、父親が座っていて 驚きます。当然叱られますが「あさかぜ1号から広島で 山陽新幹線こだま431号に乗り継ぐ筈が、寝過ごし徳山で こだま421号に乗り継ぎ 博多9:20着。急いで9:22発の はやぶさ号に、スレスレ乗り込んだ」と父親が話すと 二人の間が和みました。

そして父親は「熊本で降りて 熊本空港から大阪へ飛んで、午後2時からの 会議に間に合わせる」と言って、終着西鹿児島までの乗車を 許してくれました。熊本で切り離した後部編成を 移動する為、DD16形内燃機が 父親を追い抜いて行きます。
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ラストシーンでは 空撮によって、はやぶさ号が海沿い・鉄橋・牛ノ浜駅での 上下はやぶさ号のすれ違いシーンがあって 西鹿児島駅到着でエンドマークとなります。
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PS.
  国鉄のPR的作品でもあり 国鉄・国労・動労・鉄労・全動労の協力を受けて、通常撮影不可能な位置からの 見ごたえある映像が随所に見られます。

  なにより協力の度合いが凄いのは 東京~西鹿児島を実車の 寝台特急はやぶさ号で 連続2往復して、その間4号車を貸し切り スタッフ・俳優の全30人が 不眠不休に近い状態で撮影したそうです。

  途中駅ホームでの撮影も 大手作品の何倍も有り、国鉄挙げての協力の程が 見て取れます。

  食堂車の場面は 営業終了後の午前1時過ぎから借りて 機材セットから始まり リハーサル・本番と進め、NG・予期しない揺れや音で 撮り直しも数々・・朝食準備が始まるまでに 片付け清掃しなければと 忙しかったことでしょう。

  1970年代半ばから 九州内では 寝台特急 ヘッドマーク取付が省略されて、本作内でも 寂しい姿で映っています。本作製作の 2年後に復活しますが はやぶさ号は 1997年11月末から 熊本打切りとなり、最後は富士号との併結運行となって 2009年3月に廃止されました。

   (参照:鉄道ジャーナル1982年7月号)

  




  本作は 学校や公会堂での上映を前提に 教育的シナリオで製作され 一般映画館では 公開されなかったそうですが、1982年7月10日から 3週間に渡って 名古屋ミリオン座で 公開上映された記録があります。(併映作は → さよならは半分だけ)

  次回は 400回記念号なので 皆様からリクエストの多い アレではなく、あの作品を取り上げます。本作で ベテランの味で演じている 常田富士夫氏が、意外な役で出演するも クレジットに 名前が登場していない作品です。


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