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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

376.この広い空のどこかに

1954年11月  松竹 製作 公開   監督 小林正樹

森田屋酒店主の 森田良一(佐田啓二)の処へ嫁いだ ひろ子(久我美子)が 姑・小姑と同居する環境で 自分の立ち位置が掴めず 悩む中で、理解ある夫の態度によって 徐々に森田家に馴染んで行く過程を描いた ホームドラマです。

タイトルクレジットの 終わりに、川崎駅らしきの 空撮映像が始めにあります。
序盤 森田家の明るい次男 登(石浜朗)は 京浜線 田端駅近くの高台で 苦学生の三井(田浦正已)と 人生観を語っていると、遥か先の築堤を 東北本線の下り蒸機牽引列車や 上りの気動車列車が走っています。
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また 三井の背後下方には、京浜線田端駅らしきが 映っています。
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森田家の長女 泰子(高峰秀子)は 空襲で足が不自由となり、婚約者にも逃げられ 28歳となって投げやりな性格で ひろ子にも冷たくあたる毎日です。

ある日泰子は 東海道本線らしきと交差する 道路工事現場で働く 旧友の夏子(中北千枝子)と偶然再会し 話していると、背後を 京浜線の電車に続いて
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D51形らしき 蒸機牽引の長い貨物列車が通っています。
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その後 ひろ子の田舎から出て来た 旧知の信吉(内田良平)が 帰郷する晩に ひろ子を訪ねて来て、母しげ(浦辺粂子)と泰子は 疑いの目で噂するので ひろ子は飛び出してしまいます。
後を追った森田は 川崎駅改札口で二人を発見し、
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二つのウイスキー包みを 信吉とひろ子の父親へと託します。改札口で信吉は 爽やかにひろ子と挨拶を交わし、
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更に「お父さんには幸せに暮らしていると伝える」と言って 去りました。
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終盤 抑留先から帰国後 二年間療養していた 元奉公人の俊どん(大木実)が 森田家を訪問しますが、事前に来た手紙に 泰子ことばかり書いてあったことから 泰子は逃げてしまいました。

ところが 俊どんが帰った後に 帰宅した泰子は、皆から「足が無かろうが泰子さんは泰子さんで、今でも好意を持っている」との話を聞いて 俊どんの元へ押し掛ける 決意を固めます。

そして 翌日出先から 電話してきた泰子は、森田に「荷物を東京駅まで持って来て」と頼みます。
先ず 定石通り東京駅丸の内駅舎が映り
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トランクを持った登が 8番線ホームに上がって捜すと、
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列車のデッキ横に立つ 泰子が声を掛けて 登も気付きました。
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登は泰子の胸中を慮って 余計なことは言わずに 明るく簡潔に会話し、
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トランクと土産と小遣いを渡して
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不要な風呂敷包を受け取り別れます。
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やがて泰子を乗せた普通列車は、静かに東京駅から出発して行きました。 
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PS.
  2・3枚目の画像は 非電化時代らしき 東北本線尾久支線を走る列車の様で、宇都宮電化4年前なので 殆どの列車が 蒸機牽引列車だったと思います。

  6枚目の画像は 東海道本線を走る 蒸機牽引の貨物列車ですが、品川区にも まだD51が配置されていて 横浜地区の貨物線が 電化前なこともあって 周辺の貨物列車は 蒸機が担当していた様です。

  最後の 泰子旅立ちシーンは、東京駅8番線ホームで ロケが行われた様です。登は発車前の 14:15に泰子と別れたので 当時の時刻表によると、14:25発の 111レ門司行普通列車が想定され 静岡到着は18:36です。
  しかし実際には 国鉄にお願いして 回送列車にエキストラを乗せた上、品川客車区まで行って 降車したと思われます

  泰子が向かったのは 静岡の山奥で「エンジンの音を響かせて、一日一回 トロッコが材木を乗せて通る」と手紙で知らせたので、赤石山脈南端の 千頭森林鉄道支線沿線等が 俊どん宅と想定されます。


  ひろ子が姑・小姑に いびられ 落ち込んでいる時、森田がスクーターに ひろ子を乗せて快走し 洋服屋へ向かうシーンがあります。
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  これは同年4月に公開されて その年の外国映画№1となった(ローマの休日)の中で、ベスパのスクーターに乗った グレゴリー・ペック と オードリー・ヘプバーンが ローマ市内を快走するシーンを意識した 演出と思われます。
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375. 集金旅行

1957年 10月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 中村登

大家が急死し アパートが転売されるのを防ぐ為に 残した借用書と 未納の部屋代を回収する必要があり、借家人を代表して 旗良平(佐田啓二)が向かった 集金旅の道中を描いた コメディ映画です。

冒頭 旗は住んでいる望岳荘の大家 山本仙造(中村是好)と 競輪へ行った帰り、京王帝都電鉄 井の頭線 代田二丁目駅(現:新代田駅)付近らしきを走る 電車の横を通って帰宅します。
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ところが 山本は置手紙で 妻の浜子(小林トシ子)が、三号室の阿万克三(北原隆)と 駆け落ちした事を知り ショックで 急死してしまいました。
その後 借家人一同の会議で 目下失業同然の旗が 債券取り立ての代表となり、東京駅ホームに停車している 急行列車のデッキで 皆の見送りを受けています。
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祝集金旅行 などと書かれたのぼり旗を 持つ者までいて、旗はさつま号らしき 鹿児島行の急行列車のデッキで 五番さん(桂小金治)の音頭による 万歳三唱と共に盛大に送り出されました。
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ところが 客席へ向かうと、山本の遺児 勇太(五月女殊久)を連れた 同じ借家人の 小松千代(岡田茉莉子)も 既に乗っています。
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旗にとって苦手な女ですが、勇太に説得されて渋々同席しました。千代は 昔の男から慰謝料の取り立てと、勇太を母親の元へ連れて行くので 乗ったと言ってます。
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やがて夜が明けると京都駅を通り
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非電化区間の山陽本線を快走して、
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C59形蒸機に牽かれた急行列車は 岩国駅へ到着しました。
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荷物を持って ホームを歩く旗は、後方に 勇太を連れた 千代がいるので驚きます。 何でもこの地に、慰謝料の請求相手がいるそうです。
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旗は幸先よく 松平公夫(大泉滉)から 三万円の取り立てに成功し、千代もこの土地で 教育者として知られる 松尾六造(伊藤雄之助)から 十万円をふんだくって 山口へ向かいます。
強い日差しで暑い車内の 山陽本線を進み、
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小郡手前の 椹野川橋梁でしょうか 大きな川を渡ります。
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そして山口線に乗り換えしたらしく、山口駅へと到着しました。
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しかし旗が訪ねた債務者は、北海道へ転勤していて 取り立て不能でした。千代は 市会議員となっている 藤沢庫吉(市村俊幸)宅で、勇太があの時の子だと迫りますが バレそうになり 慌ててバスで萩へ向かいます。

萩では 旗が取り立てに行った当人の、葬儀が行われていて 又しても失敗です。
千代は 藤沢から見合いの相手だと連絡を受けた 産婦人科医の生田完一(トニー谷)が待ち受け、託された 慰謝料十万円を受け取りますが 見合いの方は乗り気になれません。

翌日千代は 生田に予定を聞かれたので、でまかせに「松江に行く」と言います。千代は萩見物の途中で 生田をまいて 萩駅で旗と合流しますが、生田も現れたので 仕方なく松江へ向かう汽車に乗りました。
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道中で生田は千代に 車窓の景色案内をしますが、千代はさっぱり 聞いてない様子です。
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そして松江の旅館から 再度脱走した三人は、雨が降りだした中 阿万の実家のある 瀬戸田へ渡るべく 尾道へ向かいました。
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C59形らしき蒸機に牽かれた列車が 雨の尾道水道をバックに走る中 尾道に到着しますが、
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荒天の為 船は欠航で 旅館で二晩足止めされます。
その後 生口島への連絡線で 瀬戸田へ着いて 阿万の実家へ行き、旗は借用書を渡して 兄の阿万築水(西村晃)から 二万円を受け取り 回収の仕事を終わらせました。

そして説得の末に 勇太を浜子の元に引き取らせ、別れ際に 二人は有り金の大部分を 餞別に渡したのでした。
千代は昔の男 津村順十郎(アチャコ)の居る 徳島へ旗を誘い、C58形蒸機らしきに牽かれて 大河を渡り徳島へと向かい 一騒動が起こります。
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PS.
  1枚目の画像は京王帝都電鉄 井の頭線を走る、1400形か1700形でしょうか。

  本作のロケは 公開1ヵ月半前の 9月11日夜 22:15東京発 25レ急行出雲に ロケ隊50人が乗り込み 松江へ向かいスタートします。
  2枚目画像からの見送り場面は その時30分早い 21:45発43レ急行さつま号出発時に撮影し、佐田は次の品川で降りて 後続の出雲号に 合流したのでは?と思われます。

  ところが米子で 先乗り人から「松江駅に黒山の様に 見物人が待ち構えているので、一つ手前の 安来から車で」と 連絡があったので 佐田と岡田は 17:08着の安来から 松江の皆美旅館へ 直行したそうです。

8枚目の画像は京都駅へ到着する手前の様子らしいのですが、急行さつま号は7:36着で12分間も停車します。

  作中での旅程を妄想すると ① 東京 22:15 ―(43レ急行さつま)― ② 16:32 岩国  ③ 岩国9:30 ―(405レ準急長崎行)― 11:40 小郡 11:53 ―(608レ)― 12:17 山口 14:30 ―(防長バス)― 16:40 萩
  ④ 萩12:14 ―(818レ京都行)― 18:44 松江  ⑤ 松江 9:15 ―(716レ大阪行)― 9:53 米子 10:11 ―(916レ岡山行)― 14:16 倉敷 15:29 ―(235レ小郡行)― 17:00 尾道 
  ⑦ 尾道港 7:30 ―(生口汽船)― 10:30 瀬戸田 15:25 ―(瀬戸内海汽船)― 17:00 今治港  今治 17:21 ―(30レ高松桟橋行)― 21:17 高松  ⑧ 高松 9:22 ―(215レ牟岐行)― 11:21 徳島

ロケは作中と違って、松江 → 萩 → 山口 → 岩国 → 尾道 → 瀬戸田 → 徳島 と逆順で行われた様です。 また山口では原作と同名の医師 箕屋完次氏が実在したので、急きょ生田完次と変更したそうです。

   参照:月刊明星1957年12月号

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