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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

371.特急にっぽん

1961年4月  東宝 製作 公開   監督 川島雄三

東海道本線の 特別急行列車内を舞台に、食堂車従業員と 乗り合わせた ひと癖ある乗客達との やり取りを描いたコメディ映画です。

冒頭 タイトルクレジットの最後に、当時の田町電車区~品川客車区を 一望するシーンがあります。
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日本食堂品川で 食堂車コックの矢板喜一(フランキー堺)は、各種食材の上に パーラーカー専用材の入った箱を載せて リヤカーを牽いて 電車区へ向かいます。
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途中で 食堂車会計の藤倉サヨ子(団令子)から、前日伝えた「結婚して大阪で食堂しましょ」の返事を 今日大阪に着く迄に してと言われます。二人の上を、EF58形電機牽引貨物列車が走っています。
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田町電車区に留置中の 151系こだま号の食堂車搬入扉から 矢板が食材を積み込んでいると、先頭車乗務員扉から 乗り込もうとしている スチュワーデスから「踏み台を貸して~」と声が掛かります。
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食堂車クルー全員で ブランチを食べている頃、
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一等車座席では今出川有女子(白川由美)達4人の スチュワーデスがお化粧の仕上中です。
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やがて回送列車として 電車区を出発すると、
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12時15分 東京駅15番ホームへ入線します。某宗教団体客は、乗車前から ホームで大騒ぎの様子です。
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一等乗客は スチュワーデスが出迎えますが、菓子会社社長の岸和田太市(小沢栄太郎)は 旅館の女将達の見送りを受けながらも 有女子に目を付けています。
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発車時刻が迫ったので 降車した女将(塩沢とき)は、
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1号車に警官が警備する中 乗り込む政治家と 目つきの鋭い警護員達を見て「ヤクザの親分じゃないの」と呟きます。
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12時30分 1号車パーラーカーを先頭に出発した 特別急行こだま号は、
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専務車掌 影山(石田茂樹)が 案内放送に続いて 有女子と組んで検札を行います。

一方 7号車ビュッフェから出発した 車内販売担当の、谷村ケイ子(柳川慶子)と宮川セツ子(紅美恵子)は カートを押して5号車へ行きます。
検札中の有女子から 行く手を阻まれると 前方客から声が掛かったので 強引に突破し、押された有女子は 岸和田の膝の上に乗っかってしまいました。
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食堂車開店の放送があると 甲賀げん(沢村貞子)康雄(滝田裕介)親子は 直ぐに向かいますが、案内された席の向かいには 酔いどれの老人(田武謙三)が 独り言を吹いていて落ち着きません。
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列車が熱海駅へ近づき
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2番線へ停まると、チャイナドレスを着た 伊藤ヤエ子(中島そのみ)が乗り込み、
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岸和田の隣席に座り 色仕掛けで篭絡しようとするつもりの様です。

有女子は岸和田から 店を出してやると言われ、矢板に ここを辞めて一緒に店をやろうと、食堂車の調理室内まで 押しかけて口説いています。

四時半からの 予約制夕定食 第一回目が始まると 16:43名古屋に到着し、
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3分停車の間に 食堂車の給水・資材搬入時に矢板達3人は些細な事からケンカを始めてしまいます。
一方 一等車のビジネスデスクでは、女流作家が原稿を 下書きする姿もあります。
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その後 ひょんなことから車内に 爆弾が仕掛けられたとの噂が広まっているところで 列車は なんと最高速度138キロに!
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 その時 踏切でエンコしている ダンプのせいで、列車は突然緊急停車します。
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そして 矢板とサヨ子がお互いの話を 閉店となった食堂車でしている所へ、公安官の青木(堺千左夫)に追われた スリの下谷(平凡太郎)と上野(谷村昌彦)が現れ ドタバタの乱闘の末に逮捕されます。
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やがて 京都へ9分遅れで到着すると
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有女子とつきあっている佐川英二(太刀川寛)が ホームで有女子を待ち構えていましたが、岸和田の話を聞くと怒って帰ってしまいました。
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終着大阪へ着く時には
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ヤエ子が有名な女スリの(風船のヤエ)であると分かって 皆の財布や青木の手帖も戻り、矢板とサヨ子の誤解も解けてハッピーエンドなのでした。





PS.
  獅子文禄が 1960年1月から 週刊新潮に連載した「七時間半」を原作にした作品ですが、原作は 連載開始当時運転されていた 客車特急はとに乗務する(はとガール)と食堂車乗務員との間の軋轢を ひと癖ある乗客達とのやり取りと共に 描いています。

  ところが本作公開の前年 1960年6月から 東海道本線昼行特急は 全て151系で電車化され、つばめ・はとガールは 廃止されてしまいます。
  そこで現実には無い 東京12:30発大阪行の 特別急行こだま号を設定し、一等車のアテンダントとして スチュワーデス4名が乗り込むという 架空の設定にしての 脚本となっています。

  発車時刻は 旧はと号と同じに合わせていますが 151系電車なので、名古屋到着は 40分早く・大阪到着は 1時間早くなります。

  日本食堂での食堂車女性クルーの点呼では、会計係の藤倉サヨ子以下食堂車5名・車内販売2名・ビュッフェ2名・パーラー担当1名・電話担当1名の合計11名が乗り込んでいます。
  男性は食堂長森山(丘寵児)・チーフコック渡瀬政吉(森川信)・矢板・他2名・ビュッフェ担当2名の合計7名体制だった様です。

  田町電車区で乗り込むシーン以外に、出演者が現場でロケしたのは 東京駅での11番目画像の塩沢とき達と、12番目画像の 1号車乗り込み場面位でしょう。
  9番目の入線時画像の宗教団体客は エキストラで撮影し、驚くことに 東京・京都のホーム場面 車内シーンは全てセット撮影でした。

  16番目の画像は ミニチュアで 熱海到着前シーンを撮り、熱海を出ると 新幹線用の新丹那トンネル工事現場を横に
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丹那トンネルへと入って行きます。
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  東宝のステージに 一・二等車・食堂車・ビュッフェ・パーラーカー後ろ部分の、全長80mに及ぶ 同スケールのセットを製作して 撮影したそうです。
  美術スタッフが サンロクトオに向けて 製造中の工場(たぶん汽車会社東京)へ13日間通って、見学・写真撮影・採寸して シート等は模作の上に 持ち込み比較するなど 苦労の末に作ったセットだとか。

  食堂車の座席と調理室の境に 会計台が右側にあり、その前に「枯れ木」と称した 斜めの飾り木があり、透明のパーテーションで 会計台と仕切られています。(調理室を含め、忠実に再現されています)
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  6枚目の画像で 架空のスチュワーデスが 一等席で化粧や髪を梳かしています。昔の はとガールも 乗務する一等席(当時は二等席)で 化粧直していましたが、大きな白布を 首から膝下まで掛けた上で行っていました。
  清掃の終わっている 一等席で髪を梳かすなど、いくらコメディ映画としても あんまりですね。(はとガールOGが 本作を観たらガッカリでは)

  18枚目の画像は 名古屋駅で 101レ大阪行の第一こだま号と 104レ東京行の第一つばめ号が、共に11:13着・11:16発の同時発着で 両列車がダイヤ通りならではのシーンですね。

  パーラーカー登場場面は 謎の酔いどれ老人が 間違えて乗ろうとして 警護員に排除される場面と、
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爆弾騒ぎの時 公安官が警護員の所へ来た場面程度で 室内シーンが無いのが残念です。
  この時パーラー係の 藤本マサ子が、酒類が並ぶ サービスコーナーを背に立っています。
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この部分は通路を挟んで 反対側に 冷蔵庫と冷水器があったそうです。(画像では警護員が冷蔵庫に 寄りかかって座っていました)
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  日食の点呼場面では 食堂車クルーの内マサ子が パーラーカーアテンダントとして 乗務していた様です。 しかし広岡友紀氏の記述では「飲み物のシートサービスは スチュワードさんが・・」とあるので、列車給仕の方が 行った時もあったのでしょう。
  パーラーカーでは 区分室と開放室の間に 幅700㎜の乗降口があり、入ると大きな荷物置場の隣に 給仕室がありました。

7号車の半室ビュッフェで 右端に電話室があり、電話係の橘高カズ子が 乗客に取り次ぐシーンがありました。
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外部からの電話も係が取り、呼び出し放送をしました。

  パーラーカーの乗客だけは 外部へ電話する場合、席横の給仕ボタンを押して 給仕に頼みます。すると給仕室から ビュッフェの電話室に内線電話し、外部へ無線電話で取り次いでもらい、給仕は携帯受話器を客席に持参して 席のジャックに差し込み通話したそうです。
  また1960年6月から運行開始した パーラーカーですが、泉屋・ユーハイム・コロンバン何れかの 袋入りクッキーと コーヒー・紅茶のシートサービスは 8月10日から開始だったそうです。(2枚目の画像で、箱の中身はこれでしょうか)


  ラストシーンで3分程 BGMだけで パントマイムの様に ジェスチャーで、仲間が心配する中 矢板とサヨ子の誤解が解けて ハッピーエンドとなる迄を 描いているのが珍しいですね。


参考 : 鉄道ピクトリアル №109・809・815   国鉄 特急電車物語 福原俊一  

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370. あらくれ

1969年 6月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 長谷部安春

羽振り良い 弟分の噂を聞いて 小松へやって来た鬼頭善吉(小林旭)が、新興ヤクザと地元組織の 争いに分け入って暴れ回る アクション系 任侠映画です。

冒頭 海沿いの北陸本線らしきを、機関車牽引の客車列車が走っています。
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グリーン車席で居眠りしている鬼頭に、車掌(平塚仁郎)が検札に来ました。
(東京→横浜)の切符を見た車掌は、
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「この切符で、米原行に乗ったんですか」と呆れ顔です。
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車掌が「東京から直江津経由、小松まで」と発券しようとするのを遮り、着駅払いだと言い張って 小松で降車します。

北陸本線 小松駅3番ホームへ、赤いEF70形電機 81号機に牽かれた列車が到着します。
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事務室で駅長(鴨田善由)から 無賃乗車の疑いの眼で聞かれているところへ
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刑事が到着すると、鬼頭は1番ホームへ飛び出し 無謀にも線路へ飛び降ります。
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そして線路を横断し 隣のホームも飛び越して 駅員や刑事に追われながら、隣接する小松製作所内へ 万年塀を乗り越えて逃走しますが
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社員が操縦するブルドーザーに囲まれて降参です。

小松警察署の留置所で 弟分の結城太郎(藤竜也)と再会しますが、結城もストリップ小屋の支配人ながら 特出し興行で捕まっていたのでした。
結城の妹 美樹(和泉雅子)のお陰で 釈放された鬼頭は、関西から進出した すみれ会の先兵として 地元庄田組が取り付く 日華石の石切り場を 手中にする仕事に向かいます。

林の中を走行する 小型蒸機が牽引する 軽便鉄道の列車が映り、
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尾小屋鉄道の 観音下【かながそ】駅に到着した 3輌編成の
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列車最後部から 鬼頭が降車して来ました。
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数人の乗降客がある中 ホハフ7客車を最後部とする列車は、観音下から尾小屋へ向かって発車して行きます。
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静かになった観音下駅横の踏切を 鬼頭の後を追う様に、すみれ会の監視役が乗った車も石切り場へ向かいます。
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その後 幾多のアクドイ すみれ会のやり口に 怒った鬼頭は、庄田組の貝塚鉄五郎(葉山良二)と組んで 尾小屋鉱山跡で すみれ会との壮絶な戦いに挑むのでした。







PS.
  車掌は米原行と 言ってますが、当時の時刻表を読むと 北陸本線上り列車で 米原行は普通列車ばかりです。車内セットの様な 優等列車用のグリーン車はおろか、並グリーン車連結の普通列車は もはや存在していません。

  想定されるのは 上野20:40発 信越本線経由 福井行の603レ急行越前号です。指定・自由席両方ある グリーン車(スロ62)が有り、6:41頃小松に到着します。

  なお グリーン車は本作公開の前月より、従来の1等車から制度が変わってグリーン車となりました。
  したがってグリーン車に乗るには普通乗車券とグリーン券が必要ですが、暫くは古い2等乗車券等が使われていました。

  尾小屋鉄道の蒸機は当時 日本最後の軽便蒸機と呼ばれた、1947年立山重工製の 5号機関車です。当時は除雪用に残され 大雪の時だけ動かされた蒸機で、映画ロケ用に依頼されて 1969年5月18日限定で火が入りました。

  前日 新小松から無火回送され 当日朝早くから火を入れて 尾小屋10:32発新小松行 定期列車が出た後 10:40頃に、バック運転で ホハフ7・8・5を牽いて 観音下へ向けて山を下りたそうです。

  観音下の交換設備を使って ホハフ5の前に 5号を前向きに連結し、先に鬼頭が観音下で下車したシーンを 現地の方の協力で撮影したそうです。ホハフ7・8・5は全て、三重交通から 移籍してきた客車です。

  その後 波佐羅~観音下を 二・三回往復して、軽便蒸機牽引列車の走行シーンを撮影し 13:30頃終了。定期列車が 観音下を出発した後を 追う様に14:25頃出発し、尾小屋到着後に 火を落としたそうです。
しかし これだけの撮影をしたのに 本作を観ると、5号機関車の走行シーンは 真横からの僅か2秒程で とても残念です。機関車正面が映る カットが無いのも・・・

  その2年後 当ブログでも取り上げた『150.キーハンター161・162話』では、橋を渡ったり・正面が映る 力行シーンが存分に映っています。
  それにしても 観音下【かながそ】駅とは、日本有数の難読駅名でしたね。


参考: (季刊 蒸気機関車 1970年秋号) (鉄道ピクトリアル№212) (鉄道ファン№99)

  

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