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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

369.朝の波紋

1952年5月 スタヂオ8プロ 製作   新東宝 配給 公開   監督 五所平之助

小さな貿易会社で 英語が堪能な上 事務処理能力の高い 瀧本篤子(高峰秀子)が、独断で取引を進めた契約が 突然難渋しますが 邪魔をされたと思われた 同業の男に助けられる 会社員系青春映画です。

序盤 篤子の家では 父親が戦死した親類の 賀川健一(岡本克政)を預かっていますが、健一を親友扱いしてくれる 伊能田二平太(池部良)と篤子は 飼い犬の件で知り合いとなります。
ある日 伊能田が音楽会の切符を持って 篤子が勤める三光商事へ訪ねて来ましたが、箱根に滞在している社長から 呼び出しの電話があって 音楽会を辞退して 箱根へ向かう場面があります。
小田急電鉄の 2連電車が橋梁を渡るシーンに続いて
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1700形特急電車らしき車内で、飲み終わったティーカップを ウエイトレスに渡した篤子は
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記念に伊能田から貰った 音楽会のチケットを にこやかに見直しています。
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中盤 篤子が社長不在の折に 独断で話を進めて契約した 取引品の製造会社の制作進行具合が 突然難渋し、引き渡し期限に 間に合わなくなる事態となりました。
電話では 埒が明かないので、篤子は神戸の製造会社に 直談判に向かいます。一方伊能田は 上司から瀬戸物の買い付けで 名古屋への出張を頼まれ、偶然 同じ列車に乗り合わせます。
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並ロ車内で 伊能田の隣席女性の 鏡に篤子の姿が映り、伊能田は歩いて 後部席に座る篤子に声を掛けましたが
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警戒顔の篤子です。

篤子がブラッドフォード商会と契約した取引は 元々富士商事の伊能田が 商談日を間違えて流れた件で、大会社の富士商事が 製品卸売会社の 南海商事に 横槍を入れたのだと 篤子は思っていました。 それ故 伊能田に会っても 微笑を浮かべる程度で、篤子は 至って不愛想な態度です。
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その時 食堂車のウエイトレス嬢が現れ、「只今よりお茶の時間となりましたので、お気軽にご利用下さいませ」と 呼び込み案内をしながら歩いて行き
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 そのタイミングで 篤子は「失礼」と告げて、食堂車へ向かうのか デッキの方へ 行ってしまいました。
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旅先で偶然再会したのに 話が弾まず 名古屋駅で 降車した伊能田は、
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同僚 浅間(稲葉義男)の さしがねと直感し 浮かない顔で列車を見送っています。
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篤子は 神戸の南海商事へ 社長を訪ねますが不在で 下請けの富神モール店の製造所へ行きますが、社長の松島(中村是好)は 富士商事の圧力を認めて 製品の出荷を頑として断るのでした。
ところが翌日 篤子が東京から呼んだ 同僚の梶五郎(岡田英次)と共に 再び松島の元へ出向くと、最初は渋る様子だった松島が イロを付けると言うと 5日で出荷すると 手のひら返しです。

その後帰京すると 篤子の母 綾子(瀧花久子)から 飼い犬のペケを棄てる様言われた健一が 家出していました。伊能田と浅草界隈を探していて、東武鉄道 隅田川橋梁の端で話す場面があります。
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翌朝 上京した松島が 三光商事を訪れ、実は伊能田から松島へ 浅間の指図を撤回するとの 電話があった 裏事情を 皆の前で話したのです。
そこへ伊能田から「品川児童相談所で保護した 犬連れの男の子を、今朝 国分寺のサレジオ学園で 引き取ってもらったそうです」と電話が有り、早速 篤子は伊能田と駆け付けます。

中央線の 63系らしき電車の走行シーンが映り、
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サレジオ学園へ行くと シスター(香川京子)から案内されて 無事 健一と再会することが出来ました。







PS.  
  2・3枚目の画像は、走行中の 1700形特急電車らしき車内で 撮影されています。3輌編成の中間車サハ1750形の 非常出口のある車端部席に座る高峰秀子を、隣車輌の車端部から 撮影している様です。

  この席は 座席中央から壁までが 反対側では700㎜なのに、非常出口がある為 1090㎜と かなり足元が広い席となっていて 撮影には好都合な席です。

  車輌中央部には喫茶コーナーがあり、日東紅茶(三井農林)のウエイトレスが飲み物類のシートサービスを行っている姿が映っています。

  当時の小田急ロマンスカー箱根湯本行は 平日3本の運行で、時間帯から 16:00新宿発の 乙女号と思われます。途中は小田原のみの停車で、所要1時間31分でした。

  中盤の 神戸・名古屋への出張 車内シーンは 留置中の実車での撮影としても 電車の並ロの様な車内に 該当する車輛が思いつきませんでしたが、73おやぢ様のコメントにより 80系湘南電車のサロ85形の様です。
車内シーンを田町電車区で、実物を借りてロケを行ったと思われます。

  名古屋駅で 池部良が見送る場面は、早朝にロケを行ったのでしょう。1937年に移転高架された 駅ホームで、本作公開の翌年に電化される前の スッキリとした空間が広がっています。

  該当する列車は 東京10:00発の、33レ鹿児島行の急行きりしま号です。名古屋着は16:10で 脚本に合いますが、神戸着は21:24頃となるので 南海商事へ向かうのは翌日となります。



  戦災で荒廃した東京の様子 が随所に映っている作品ですが、冒頭では 小田急のボンネットバスが 六本木停留所(本物?)に停車して 高峰秀子が降りてくるシーンがあります。
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  サレジオ学園のシスター役で 香川京子がチョイ役出演していますが、上原謙も池部良の先輩役で チョイ役出演しています。
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368. めし

1951年11月 東宝 製作 公開   監督 成瀬己喜男

夫から妻への言葉が「めしは?」ばかりの 倦怠期夫婦所帯に 家出して来た奔放な姪が住み付き、心を乱された妻が 離縁も視野に実家へ戻りますが 冷却期間の末に 互いの大切さに気付く迄を描いた ホームドラマです。


冒頭 岡本三千代(原節子)のナレーションによる 岡本夫妻の住む 大阪市南部の説明場面で、「まるで郊外の様な 寂しい小さな停留所」として 南海電鉄阪堺線 天神ノ森停留所が映ります。
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中盤 三千代の姪 里子(島崎雪子)が 東京から家出して来て住み付き、近所の谷口芳太郎(大泉滉)に誘われて 歓楽街のある難波へ 出掛ける場面があります。
天神ノ森停留所で 二人が電車を待っていると、
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阪堺線の モ205形 モ231が到着しました。
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終点 恵美須町で下車した様で、二人で歩く横を 大阪市電の電車らしきが走っています。
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その後 夫 岡本初之輔(上原謙)の言動や 奔放な里子に 心を乱された三千代は、前夜に「私ね 疲れちゃったのよ」と呟くや 帰京する里子の付き添いを口実に 川崎の実家へ帰ることにします。
先ず 三代目の大阪駅舎が映り
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上りホームの出発を待つ列車に、
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三千代と里子が乗り込み 里子は岡本が見送りに来る筈と 窓からホームを見渡していますが現れません。
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発車して暫くすると 上京する親戚の 竹中一夫(二本柳寛)が現れ「座れたのですか」と声を掛けますが、
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三千代が迷惑そうな返事をしたので 前方の車輛へ行ってしまいました。
通路側に座っていた里子は 竹中に興味をもったのか、追い駆ける様に席を離れ
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竹中と三千代の関係を聞き出してきて 三千代を冷やかすのでした。

やがて列車は 関東エリアに入ったのか、10輌の車輛は 重連の EF53形電機に牽かれて 終着駅へと急いでいます。
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続いて 里子を実家へ送り届けた後か 横浜で別れて乗り換え 川崎から南武線に乗ったのか、夕刻の南武線 矢向駅頭へ 三千代は久しぶりに帰って来ました。
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その後 三千代はもう大阪へは帰らない決意で 就職を考え職安へ行きますが、大勢の行列に圧倒されているところで 子連れの山北けい子(中北千枝子)に再会します。
二人の背後には 櫓の様に角木材を組み上げた、川崎市営トロリーバスの 架線点検車らしきの姿が映っています。
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それから嵐の晩遅く、遊び歩いた里子が 三千代を頼って 泊めて欲しいと現れました。村田信三(小林桂樹)にイヤミを言われますが、三千代が執り成し 翌日付き添い 家へ送ります。
2連の小田急電鉄 1800形らしきが頭上を通る道を、三千代と里子は 世田谷の岡本家へ向かいます。
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三千代は 里子の母親から諭され 大阪へ帰るべきか思案しながら、南武線へ乗り換えるべく 小田急電鉄稲田多摩川駅から 多摩川方向へ歩いて行きます。
多摩川橋梁の端で 小田急線電車に会い、
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土手下の通路から 南部線登戸駅へ向かうと 小田急電鉄1200形らしき2連が 三千代の背後を通ります。
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すると駅前で 生活が苦しいと聞いていた 山北けい子が、新聞売りをしている姿に気付いて 立ち尽くす三千代です。
傍らの柵上には 幼い息子が座らされ 入れ替え作業の2120形蒸機を 見詰めている様子を見るや、
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己の境遇を考え 気まずくなったのか 後戻りする三千代でした。

この2120形蒸機は 73おやぢ様によると 砂箱が増設されていないことと、ランボード下に 配管がある特徴から 新鶴見機関区矢向支区所属の 2341号機と特定されるそうです。 また所有されている 貴重な画像も、提供して頂きました。
2120形


実家へ戻ると、大阪から岡本が迎えに来ていました。翌日 二人で帰る汽車の車中で 三千代は吹っ切れた様な微笑みを浮かべ、夫に書いたまま出さなかった 手紙を破り窓から飛ばします。
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そして 傍らで眠っている夫の顔を見ながら「毎日懸命に生きる夫に、寄り添い暮らす。 女の幸福とは、そんなものではないだろうか」と呟く三千代でした。
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PS.
  1・3枚目の画像に映る 英語表記の踏切標識は、戦後占領下時代では お馴染みでしたね。天神ノ森停留所は 現在でもあまり変わらず、単式ホームが踏切を挟んで 千鳥式に配置されています。

  7~9枚目と最後の車内シーン画像は セット撮影で、17枚目の画像は 上着だけ着たスタッフの女性が 窓から破いた紙を飛ばしていると思われます。

  10枚目の画像は 73おやぢ様・N.N.LC33100様のコメントにより、EF53形重連と判明いたしましたので修正させて頂きました。

  12枚目の画像は 架線下にレールが無いことから、トロリーバス路線と思われます。ロケ当時は 近くの横浜市営・東京都営共に 未だトロリーバスは 開業していないことから 川崎市営トロリーバスと思われます。

三千代と里子が東京へ向かう時 昼行の急行列車を使った様ですが、当時 大阪~東京に 始発の特別急行列車2本はありましたが 何故か急行列車はありませんでした。(北陸本線・上越線経由の上野行を除く)

  大阪始発の 夜行急行列車は 5本あったのですが、昼行は 午前中に大阪に停車する 九州~東京への直通急行列車3本を 利用するしかなかったのです。

  それで大阪発車後に 竹中一夫(二本柳寛)が三千代達の席に現れ、「よく座れましたね」という感じで話したのでしょう。(長時間並んでも 下り列車と違い、座席確保は 至難の業だった?!)

  想定される列車は 熊本18:00 ―(32レ)―9:57 大阪 10:05 ― 19:34 横浜 19:36 ― 19:56 品川
  岡本が勤務中で 見送りに来られないとすると、この列車しか ありえないのですが 夕刻に矢向駅着は不可能です。 長崎始発の36レなら 大阪6:10発で、品川16:11着なので 里子を送っても 夕刻に矢向へ着きます。(夏祭り時期なので)

  



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