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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

367.若者はゆく 【続若者たち】

1969年5月 公開  制作 俳優座映画放送  配給 松竹   監督 森川時久(フジテレビ)

東北の寒村で育った間崎ミツ(木村夏江)が 東京で 兄妹で暮らす佐藤家に転がり込み、懸命に生きる若者たちの 苦悩や生き様を 淡々と描いた青春映画です。

父親が出稼ぎに出たまま失踪し 母親と深い仲となった辰夫(福田豊土)を ミツは憎み、辰夫に包丁を突き付けた後 一人で東京へと向かう汽車に乗りました。
 先ず D51形蒸機に牽かれた列車が雪原を走る姿が映ります。
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車内は満席で トランプに興じるグループで
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席の無い男が騒ぎながら ミツの席の肘掛に座って来たので、
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ミツが男の尻を 抓り上げると 奇声を上げて離れたのでした。
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その後も夜汽車は淡々と、東京を目指して走ります。
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東京の製靴工場で働き出したミツですが 同僚を庇って退職となったので、仲間の佐藤オリエ(佐藤オリエ)の家に低額で移り 住まわせてもらうことになりました。
佐藤家の次男で トラック運転手の次郎(橋本功)と付き合う 町子(夏圭子)は、労組時代からの腐れ縁である 塚本(塚本信夫)の就職手伝いの為 次郎とのデートを断り その後に山手線日暮里駅で 別れるシーンがあります。
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佐藤家の三男で 大学生の三郎(山本圭)は 学生運動に熱中し、10.21国際反戦デーで 倒れた仲間を助け様として 機動隊に叩かれ負傷してしまいます。
この場面では全学連デモ隊が 新宿駅構内へなだれ込み 駅施設や電車への投石・破壊活動・放火を行い 規制しようとした機動隊と対決して、後に{新宿騒乱}と呼ばれた事件の 記録フィルムが始めに使われています。

9枚目の画像は 全学連のメンバーが線路のバラストを ホーム上の機動隊に向かって投げている様子で、
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続いての画像は機動隊に向かって 隣のホームから投石するシーンで 駅名板は既に破壊されています。
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11枚目の画像では 115系電車らしきの屋根に上った男が 発煙筒らしきを焚いていますが、
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当日は騒ぎに便乗した 大勢の野次馬が混在していて 全学連のメンバーでは無い可能性があります。

帰宅した三郎が オリエとミツから 傷の手当をしてもらいますが、長男太郎(田中邦衛)・次郎から 学生運動を批判され ミツからも気楽な身分だと非難されているところへ 辰夫が来訪します。
ミツは家を飛び出しますが 佐藤兄弟は、ミツが毎月仕送りをしていることや 4年も戻らない父親に代わって 間崎家を支える辰夫の話を聞いて 好意を持ちます。

続いて 上野駅 地平17番ホームには(常磐線経由 青森行)のサボを架けた 急行列車が停まっています。
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時間帯から 12:10発 201レ急行十和田1号と思われます。
ホームのベンチでは ミツと辰夫が無言のまま 並んで座っていましたが、
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「おかあちゃんとのこと ミッちゃんがどうしても イヤなら、北海道の兄貴の所で働いて 月に一万円程送るよ」と辰夫が切り出します。

すると ミツは取り出した お土産を辰夫に渡し、「頼むな!ウチ」と実家を託す様に 伝えます。辰夫は微笑みを浮かべ「元気でやれや」と答えるや、
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動き出した 急行列車のデッキに飛び乗りました。
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去る行く列車のデッキから
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辰夫はミツに向かって ずっと手を振り続けるますが、
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ミツは固い表情のままで 辰夫を見送るのでした。






PS.
  ミツが乗った列車を牽く蒸気はD51型の762号機でロケ当時は青森区所属でしたので、ヨンサントオ後の奥羽本線を走る姿を捉えた映像ではと想像します。

  6枚目の画像は妙にリアルな車内シーンですが、客車区で車輌を借りてエキストラを乗せての撮影かと思われます。

  7・8枚目の画像に映る山手線・京浜東北線・常磐線の日暮里駅舎は、1974年頃迄あった歴史ある西口の駅舎と思われます。

  急行十和田1号は当時上野~青森を走り通す、唯一の昼行急行列車でした。先頭で牽引するのは、交直両用のEF80形電機です。

  特別急行列車は未だ敷居が高い時代なのか、12枚目の画像では修学旅行の高校生らしきの一団が先頭車両に乗っています。

  失踪した父親に代わって乗り込んできた辰夫を憎んでいたミツでしたが、急行列車の発車ベルが鳴りだすと実家を支えてくれてる事実もあって母親との仲を認め・許します。

  ミツの顔に笑顔こそありませんが、急に流れ出したBGMと共に新しい父親を見送る場面は印象深いものがあります。

  本作には 山本圭とは考えが違う全学連のまとめ役小川に江守徹・就職試験場で全学連寄りの意見を言う本間に原田芳雄の様に、その後に有名俳優となった人が数多く出演しています。 特に学生服姿の原田芳雄は、貴重な映像でしょう。

  

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366.二人で歩いた幾春秋

1962年8月  松竹 製作 公開   監督 木下恵介

貧しい道路工夫 野中義男(佐田啓二)と 妻 とら江(高峰秀子)一人息子 利幸(山本豊三)一家の 家族愛を、終戦後から 息子の大学卒業まで 淡々と描いた映画です。

1946年 漸く外地から復員して 家族の元へ戻った野中ですが、就職先が無く 臨時雇いの道路工夫としての 貧しい生活が続きます。
中盤 世話になった先輩工夫 望月(野々村潔)の ダメ息子の就職を 勤め先の係長に頼んだことを とら江に咎められ、怒った野中は 深夜の国鉄身延線富士行に乗ります。
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車内で煙草を吸っていた野中は 通り掛かった車掌(田中勝二)に、「由比に行くんですが乗り継ぎありますか」と問うと「富士で25分待ちで 静岡行の終列車があります」と答えてくれました。
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やがて東海道本線 由比駅へ EF58形電機らしきに牽かれた 列車が到着し、夜中なので 野中は近くの旅館に投宿します。
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翌日 由比に嫁いでいる昔馴染みの千代(久我美子)に来てもらい 会話のシーンらしきが若干有りますが 音声は無く、旅館の部屋と 由比駅のホームから千代に見送られる場面の バックに現れる短歌で 胸中を表しています。
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1957年春 息子利幸から 京大進学が決まったとの報告を受けた 野中夫妻は、身延線自宅最寄りの駅から 夫婦で京都へ旅立つ利幸を 晴れやかな笑顔で見送ります。
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しかし 一年後に利幸から「本当は去年 京大は不合格で、京都で一年勉強して 合格した」との手紙を受け取りガッカリします。
更に1960年夏には「生活の為 バイトで忙しくて 四年生への進級が難しく、大学を中退しようかと 考えている」との手紙を受け取ると、とら江は(迎え頼む 母)の電報を打って 京都へ向かいます。

長旅の列車に揺られ、とら江は近付いた京都の街を 窓越に見ています。
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京都駅11番ホームでは 利幸が、到着する大阪行の 急行なにわ号から降りて来るであろう 母親を探しています。
売店横に停車した列車の デッキから降りて来た とら江を見付けると、
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利幸は駆け寄り 荷物を受け取り下宿へ案内します。
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そして ひとまず実家へ帰り 利幸の今後を 相談することになり、乗換える東海道本線 富士駅に到着します。
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次の身延線列車は 4番線の、15:58発甲府行ですと 案内があります。
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身延線の電車に乗ると、車内でとら江は 千代にバッタリ会います。
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千代は「大変なんです 花火工場が爆発したと 電話があって」と話し、
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2連の身延線電車が 高速で走り去るシーンへと続きます。
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実家で 野中は利幸に「何とか仕送りを増やすから、卒業まで頑張れ」と話しますが 利幸が「荷物を纏めに戻るよ」と呟いたので、とら江は息子の 頬を叩いて「こんな息子 どうなったって知りませんよ あんなに父ちゃんが 言ってくれてるのに!」と言って泣き出します。
母親の意外な行動に 目が覚めたのか「父ちゃん母ちゃん すまない もう一度やってみるよ」と話す利幸は、翌朝 とら江に見送られて身延線の最寄駅から 京都に向けて 再起の旅立ちをするのでした。
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PS.
  低収入で日々の生活にも苦労しているのに、一人息子の高校・大学進学に 夫婦は食費を切り詰めて迄して頑張る姿が 淡々と描かれています。市川大門付近の花火工場が 近い設定の様なので、最寄り駅は身延線の芦川を想定します。

  中盤 野中はとら江と口喧嘩の末に 出征前に手紙を送った千代に会いに 夜中なのに由比へ向かいます。最寄駅を身延線芦川駅として、この無茶な行動を 1955年として妄想すると
  芦川 18:58 ―(636レ)― 21:11 富士 21:57 ―(337レ)― 22:12 由比   由比に停まる終列車は この後富士22:25発 847レがありますが、身延線 636レの次の終電では乗り継げませんし 1954年の時刻表でも 80系らしき電車での運用です。
  また 作中の普通列車には スロフ30形が連結されているので、1955年当時の337レと同様の二等車が映っています。

  折角由比の旅館で千代に会った場面では{向かい合う・窓辺に語る・汝と我・涙流せど・幸せなりき} 由比駅で見送られる場面では{言ひて良き・事すら言はず・帰り来ぬ・夫なき汝と・妻の有る・我れ}と短歌を 野中が朗読して胸中を表現しています。

すぎたま様のコメントにより5枚目の画像で最後尾は、マニ31形荷物車の中でも初期型の二重屋根車だそうです。
  また6枚目の画像の後部車輌はクモハ60形で、利幸が顔を出しているリベットだらけの車輛はクハ47形だそうです。

  とら江が 京都駅へ降りた時 構内放送では急行なにわ号との 案内が流れているので 1960年頃の時刻表から推定すると、芦川 9:14 ―(620レ)― 11:20 富士 12:03 ―(11レ急行なにわ)― 18:03 京都
急行なにわ号は 1961年3月より電車化され ロケ当時は 153系急行電車でしたので、20:06京都着 445レ大阪行の普通列車辺りでロケを行い 構内放送のアフレコを入れたと思われます。

  帰りは富士駅から15:58発甲府行に 乗り継いだシーンしかないので想像すると、京都 10:22 ―(1032レ不定期急行桜島)― 15:28 富士 15:58 ―(631レ)― 18:07 芦川 となって 作中の様に急いで乗換える必要はありません。

  同じくすぎたま様によれば 14枚目の走行シーン画像の手前車輛は、低屋根改造のクモハ14800で 先頭はクハ47だそうです。

  ロケ当時の身延線は 40系等の旧型低屋根電車で運行され、優等列車は無く快速が一往復のみでした。本作公開の二年後の3月より 富士~甲府に80系を使った 準急富士川号が2往復設定され、現在の373系特急ふじかわ号に 繋がっています。
  

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