
1963年8月 東映 製作 公開 監督 村山新治
海軍好きの親友と 海兵見学の影響から 海軍士官となった谷真人(北大路欣也)と 彼を慕う牟田口エダ(三田佳子)が、時代の運命に翻弄され 葛藤しながらも 懸命に生きる二人の 青春時代を描いた映画です。
谷は鹿児島二中の同級生 牟田口隆夫(千葉真一)・谷に思いを寄せる妹エダと共に 家族ぐるみの親交が 幼少期から続いていました。
そして 中学の見学団として 広島県呉の 海軍兵学校を見学したことで、谷も牟田口と 兵学校を目指すことを決めました。その海兵へ向かう折、海沿いの路線を走る 大型蒸機牽引列車が映ります。

ところが牟田口は 乱視であることが分かり、海兵受験を諦めざるを得なくなります。谷は猛勉強の末に 海兵合格となり、海軍志望の強い牟田口は 海軍経理学校を目指すことになりました。
谷が夏季休暇で帰省した折 牟田口家を二度訪問しますが 最終検査で経理学校を撥ねられた牟田口は 会うことを拒み続け、戻る日に エダは見送ろうか困って 駅への途中まで行きます。
一方谷は 鹿児島駅ホームへ母ワカ(杉村春子)と到着しましたが、

振り向いても牟田口が来ないので 残念な表情です。

汽車の窓からワカと 別れの挨拶をしながらも、牟田口が来るのではと 振り返る谷です。

やがて発車ベルが鳴り響き、汽車は鹿児島駅を去り行くのでした。

自転車で途中の踏切を目指していたエダは、後方から汽車がやって来たのに気付いて急ぎます。

踏切に着いたところで C50形らしき蒸機に牽かれた上り列車が 高速でエダの目の前を通過して行き、「真人さ~ん」と叫ぶエダの声も 汽車の轟音でかき消されています。

二度挫折した牟田口は 父親(加藤嘉)の勧めで 父の友人 市来徳次郎(東野英治郎)画伯の元で 得意な絵画の修行をすることになり、上京して 東京横濱電鐵 東横本線 田園調布駅から降りてきました。

その後 海兵を卒業した谷は 海軍少尉として乗った軍艦が 横須賀へ寄港した折に向かった東京で、偶然牟田口に会い アパートで来月呉に乗艦が帰港した折に 牟田口が訪ねる約束をします。
C59形らしき蒸機に牽かれた列車が 呉線呉駅へ到着し、

スーツ姿の牟田口が デッキから降りると 軍服姿の谷が出迎え 谷の下宿へ向かいました。

ところが下宿へ着くなり 部下の下畑兵曹が来訪し、特務により直ちに帰艦する様に伝えられたので 僅かな再会で二人は 別れざるを得ませんでした。
鹿児島の実家へ帰った牟田口は エダと谷の結婚話を 両親が谷家へ申し入れしたことを聞き、谷の様子から「結婚できないかも・・・」と呟きます。
それを聞いて一途なエダは「もう会えないかもしれないから、谷さんの所へ行く」と無謀にも夜行列車で 一人呉へ向かいました。


そして谷が引き払った下宿で、谷の帰りを ひたすら待つことにしました。
その後 特務の秘密訓練を終えた谷は 部下の下畑兵曹に「明日呉へ戻ったら 一日上陸できるから、奥さんに来る様 電報を打て」と命じます。
呉駅で

連絡地下道から改札口へ移動して来た谷と下畑が 外へ出たところで

奥さんから声が掛かり、谷は「水光社へ寄ってから下宿へ行く」と言って 明朝の再会を約し別れます。
そして 下宿で二ヶ月待ち続けたエダと 感動の再会となり 結婚を迫るエダですが、谷は自分の使命を考え 頑なに拒み続けるのみでした。
翌朝 エダが二階から見送る 下宿から出発した谷中尉は 甲標的を載せる潜水艦の基地へ 下畑兵曹と列車で向かい、

エダは混み合う三等車の 通路に立って鹿児島へ帰るしかありませんでした。

運命の1941年12月8日未明 イ-16 潜水艦から放たれた 谷中尉と下畑兵曹が乗る 特殊潜航艇 甲標的は、ハワイ真珠湾へ突入攻撃を敢行し 二人は戦死したのです。
後日東京で 谷の母と牟田口兄妹も参列した 海軍合同葬が執り行われ、二階級特進した 軍神 谷少佐として弔われました。鹿児島へ戻る二等車内では、遺骨を抱く母親とエダが 沈痛な表情で座っています。

PS.
最初の画像は 旧制中学の同級生と共に 海軍兵学校へ向かう時ですが、C59形蒸機が 呉線で急行安芸を牽く姿に似ています。
2~5枚目の画像は 鹿児島駅2番線ホームで、多くのエキストラを動員して ロケが行われた様です。
この当時は 大半の鹿児島本線長距離列車の発着が 西鹿児島駅となったので 利用客が激減し、(280.海を渡る波止場の風)のロケが行われた 3年前より寂しい感じです。
5枚目の画像だけは 別撮りした唯一の 鹿児島駅始発 昼間発車優等列車である、15:55発の 32レ急行霧島号・東京行の姿では?と思われます。
9枚目の画像は 呉駅へC59形蒸機に牽かれた列車が 到着する場面ですが、C59形蒸機は1941年6月が初配置(名古屋区でしたが)なので時代考証的にギリセーフ?!
大型蒸機が数多く走っていたロケ当時の呉線ですが、呉駅でのロケはさぞかし大変だったと思います。(308.嵐を呼ぶ十八人)とは、出演者・時代設定の点で天と地?!
運命を直感して「もう会えないかもしれないから、谷さんの所へ行く」と夜行列車で、母親の反対を押しきって 呉に向かったエダの 思い切った行動を 当時の時間表で妄想すると
午後8:15 -(普通18レ)- 翌朝 8:40 門司 8:55-(関門連絡船 8便)- 9:10 下関 -(急行 8レ東京行)- 午後1:51 呉 と呉線を経由する 8レを使えば早いですね {当時は午前午後表示・関門トンネル未開通なので連絡船経由}
突然思い立って 軽快な洋装で 呉へ向かったエダですが、ひたすら下宿で待って 和服で谷を出迎える姿には エダの決意と気品を感じます。(勿論行かせた父親が 相当の餞別を渡したことでしょう)
前作(362.嫉妬)ではロケ地と車輛に関して、予想外に歴代最多のコメントを頂きありがとうございました。
海軍好きの親友と 海兵見学の影響から 海軍士官となった谷真人(北大路欣也)と 彼を慕う牟田口エダ(三田佳子)が、時代の運命に翻弄され 葛藤しながらも 懸命に生きる二人の 青春時代を描いた映画です。
谷は鹿児島二中の同級生 牟田口隆夫(千葉真一)・谷に思いを寄せる妹エダと共に 家族ぐるみの親交が 幼少期から続いていました。
そして 中学の見学団として 広島県呉の 海軍兵学校を見学したことで、谷も牟田口と 兵学校を目指すことを決めました。その海兵へ向かう折、海沿いの路線を走る 大型蒸機牽引列車が映ります。

ところが牟田口は 乱視であることが分かり、海兵受験を諦めざるを得なくなります。谷は猛勉強の末に 海兵合格となり、海軍志望の強い牟田口は 海軍経理学校を目指すことになりました。
谷が夏季休暇で帰省した折 牟田口家を二度訪問しますが 最終検査で経理学校を撥ねられた牟田口は 会うことを拒み続け、戻る日に エダは見送ろうか困って 駅への途中まで行きます。
一方谷は 鹿児島駅ホームへ母ワカ(杉村春子)と到着しましたが、

振り向いても牟田口が来ないので 残念な表情です。

汽車の窓からワカと 別れの挨拶をしながらも、牟田口が来るのではと 振り返る谷です。

やがて発車ベルが鳴り響き、汽車は鹿児島駅を去り行くのでした。

自転車で途中の踏切を目指していたエダは、後方から汽車がやって来たのに気付いて急ぎます。

踏切に着いたところで C50形らしき蒸機に牽かれた上り列車が 高速でエダの目の前を通過して行き、「真人さ~ん」と叫ぶエダの声も 汽車の轟音でかき消されています。

二度挫折した牟田口は 父親(加藤嘉)の勧めで 父の友人 市来徳次郎(東野英治郎)画伯の元で 得意な絵画の修行をすることになり、上京して 東京横濱電鐵 東横本線 田園調布駅から降りてきました。

その後 海兵を卒業した谷は 海軍少尉として乗った軍艦が 横須賀へ寄港した折に向かった東京で、偶然牟田口に会い アパートで来月呉に乗艦が帰港した折に 牟田口が訪ねる約束をします。
C59形らしき蒸機に牽かれた列車が 呉線呉駅へ到着し、

スーツ姿の牟田口が デッキから降りると 軍服姿の谷が出迎え 谷の下宿へ向かいました。

ところが下宿へ着くなり 部下の下畑兵曹が来訪し、特務により直ちに帰艦する様に伝えられたので 僅かな再会で二人は 別れざるを得ませんでした。
鹿児島の実家へ帰った牟田口は エダと谷の結婚話を 両親が谷家へ申し入れしたことを聞き、谷の様子から「結婚できないかも・・・」と呟きます。
それを聞いて一途なエダは「もう会えないかもしれないから、谷さんの所へ行く」と無謀にも夜行列車で 一人呉へ向かいました。


そして谷が引き払った下宿で、谷の帰りを ひたすら待つことにしました。
その後 特務の秘密訓練を終えた谷は 部下の下畑兵曹に「明日呉へ戻ったら 一日上陸できるから、奥さんに来る様 電報を打て」と命じます。
呉駅で

連絡地下道から改札口へ移動して来た谷と下畑が 外へ出たところで

奥さんから声が掛かり、谷は「水光社へ寄ってから下宿へ行く」と言って 明朝の再会を約し別れます。
そして 下宿で二ヶ月待ち続けたエダと 感動の再会となり 結婚を迫るエダですが、谷は自分の使命を考え 頑なに拒み続けるのみでした。
翌朝 エダが二階から見送る 下宿から出発した谷中尉は 甲標的を載せる潜水艦の基地へ 下畑兵曹と列車で向かい、

エダは混み合う三等車の 通路に立って鹿児島へ帰るしかありませんでした。

運命の1941年12月8日未明 イ-16 潜水艦から放たれた 谷中尉と下畑兵曹が乗る 特殊潜航艇 甲標的は、ハワイ真珠湾へ突入攻撃を敢行し 二人は戦死したのです。
後日東京で 谷の母と牟田口兄妹も参列した 海軍合同葬が執り行われ、二階級特進した 軍神 谷少佐として弔われました。鹿児島へ戻る二等車内では、遺骨を抱く母親とエダが 沈痛な表情で座っています。

PS.
最初の画像は 旧制中学の同級生と共に 海軍兵学校へ向かう時ですが、C59形蒸機が 呉線で急行安芸を牽く姿に似ています。
2~5枚目の画像は 鹿児島駅2番線ホームで、多くのエキストラを動員して ロケが行われた様です。
この当時は 大半の鹿児島本線長距離列車の発着が 西鹿児島駅となったので 利用客が激減し、(280.海を渡る波止場の風)のロケが行われた 3年前より寂しい感じです。
5枚目の画像だけは 別撮りした唯一の 鹿児島駅始発 昼間発車優等列車である、15:55発の 32レ急行霧島号・東京行の姿では?と思われます。
9枚目の画像は 呉駅へC59形蒸機に牽かれた列車が 到着する場面ですが、C59形蒸機は1941年6月が初配置(名古屋区でしたが)なので時代考証的にギリセーフ?!
大型蒸機が数多く走っていたロケ当時の呉線ですが、呉駅でのロケはさぞかし大変だったと思います。(308.嵐を呼ぶ十八人)とは、出演者・時代設定の点で天と地?!
運命を直感して「もう会えないかもしれないから、谷さんの所へ行く」と夜行列車で、母親の反対を押しきって 呉に向かったエダの 思い切った行動を 当時の時間表で妄想すると
午後8:15 -(普通18レ)- 翌朝 8:40 門司 8:55-(関門連絡船 8便)- 9:10 下関 -(急行 8レ東京行)- 午後1:51 呉 と呉線を経由する 8レを使えば早いですね {当時は午前午後表示・関門トンネル未開通なので連絡船経由}
突然思い立って 軽快な洋装で 呉へ向かったエダですが、ひたすら下宿で待って 和服で谷を出迎える姿には エダの決意と気品を感じます。(勿論行かせた父親が 相当の餞別を渡したことでしょう)
前作(362.嫉妬)ではロケ地と車輛に関して、予想外に歴代最多のコメントを頂きありがとうございました。


