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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

337.風ふたゝび

1952年2月 東宝 製作 公開   監督 豊田四郎

大学時代 恩師の娘に魅かれながらも 戦争の嵐で離れ離れになった二人が再会しますが、お互いに自身の現状から 言い出すことが出来ない 女性好みの 典型的なメロドラマ映画です。

序盤 セットらしき夜行列車の並ロ客車内で 資産家の道原敬良(山村 聰)は、財布を洗面所に置き忘れたまま 席に戻る途中 知り合いの書店主 川並陽子(浜田百合子)と通路で偶然すれ違い 挨拶します。
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席に戻ると 同行の友人達から「どこへ行っても女に不自由しないな」などと 冷かされますが、
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直ぐに置き忘れた財布に気付いて 男とすれ違いながら戻りますが
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既に財布の中身は抜き取られていました。
友人に話すと あの男は仙台大学の教授だと教えられますが、確証もないので公安官を呼ぶのを断りました。一人で乗る男は、仙台大学教授の久松精二郎(三津田健)でした。
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やがて汽車は都内を進行し、
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上野駅へ ゆっくりと到着しました。
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久松はホームを歩いて進みましたが
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下り階段で転倒し、持参していた手紙を伝手に教え子の宮下孝(池部良)の家に運ばれます。

戦後 某家へ嫁いだ 久松の娘 香菜子(原節子)は離縁して、渋谷の叔父(龍岡晋)の家に 居候していましたが、この件で二人は再会し 互いに意識が再燃する様になります。

宮下の家で父の看病をする間、夜勤となった宮下の働く市場へ 外套と腕時計を届ける場面があります。ここで二人が歩く前を、小型蒸機が4輌程の貨車を牽いて通過して行くシーンもあります。
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その後道原の口利きで 東京放送に就職した香菜子は、明るく溌剌と仕事に打ち込みます。一方北海道に出張していた宮下が、年明けに帰京する時 車中で隣席の女性にリンゴをあげるカットもあります。
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1月5日に帰京した宮下は 道原の家に向かう様に 伝えられて向かうと、そこで立ち働く香菜子の姿を見て 北海道の友人の元で働く決意をします。その後道原は香菜子に、後妻に入ってほしいと願い出ます。

道原の亡妻7回忌の 手伝いを頼まれて働く日、宮下は陽子に「今夜の北斗で立つ」と告げて香菜子への手紙を託して去ります。

7回忌後の会席に到着した陽子は 香菜子に手紙を渡し、「宮下さんは今夜の北斗で立つのよ もう帰って来ないのよ!」と告げると、香菜子は慌てて和装を着替えます。

陽子から経緯を聞いた道原は 香菜子の行動を察知して 自分の車を用意させると、 玄関で香菜子を待ち受け「車を使いなさい」と便宜を図り 穏やかに見送るのでした。

急いで走る香菜子を乗せた道原の車が 上野駅へ到着すると、C57形蒸機101号機に牽かれた列車が
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汽笛と共に荷物車を最後に出発して行きます。
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デッキから車内へ入った香菜子は、通路を進んで宮下を捜しますがいません。
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次の車輌でも 次の車輌でも見つからず その先のデッキへ行くと、漸く宮下に会うことが叶い お互い万事了解した笑顔で 見つめ合うのでした。
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PS.
  車内シーンは 全てセット撮影と思われますが、車内の細かい造り様から 二等車シーンは 実車を借りての撮影かもしれませんね。

  6枚目の画像は 日暮里駅方向から上野へ向かう C57形蒸機47号機牽引列車で、当時水戸区所属であることから常磐線を上って来た列車と思われます。

  7枚目の画像は上野駅高架 7番ホームへ到着する C5756号機牽引列車の方は、当時高崎第一区所属であることから 高崎線を上って来た列車と思われます。
  続く画像で 久松精二郎が下車して ホームを歩く時 時計は9:18頃を指しています。高崎 6:20発 738レが 8:58に上野へ到着した後 エキストラと共に ロケを行ったと推理しましたが 7枚目画像とは別の所【両国駅?】でのロケの様です。

  青果市場で二人が歩く前を 2120形らしき小型蒸機が通りますが、当時の青果市場と言うと 秋葉原にあった神田青果市場を思い出します。しかし隣接した 秋葉原貨物駅は高架線上にあり、当時地平線路は存在しなかった筈です。
  築地市場にも 汐留貨物駅から 貨物線が延びていました。魚市場の印象が強かった築地でしたが 青果市場部門も大きく、品川区のB6が働いていた映像(ごちそう列車)からも ロケ地は築地市場の様です。

  最後宮下は「今夜の北斗で立つ」と伝えますが、当時の時刻表では 203レ急行北斗は 18:35に上野を出発し 終着青森には翌 8:47の到着です。
  そして 9:15発の 青函連絡船3便に乗り継ぎ 函館13:45着です。さらに 14:19発の3レ急行まりも号に乗り継げば、翌々日の朝 6:40釧路に 所要36時間5分で着きます。(友人の研究室からは、大雪山系らしき山が見えますが)


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336.東京の恋人

1952年7月 東宝 製作 配給 公開   監督 千葉泰樹

街頭似顔絵 描きの ユキ(原節子)と模造宝石造り人 黒川(三船敏郎)が、都会を舞台に 夜の女と宝石を巡って巻き起こる 出来事を描いた 人情喜劇映画です。

都電の車内で小銭が無くて困っている黒川に、ユキは回数券を差し出して助けます。指輪をはめてキザな身なりの黒川に、ユキは反感を抱くのでした。
ユキと行動を共にする靴磨き三人組の正太郎(小泉博)・忠吉(増渕一夫)・大助(井上大助)は、揃って赤澤工業が入る銀座並木ビル前に通って店開きしています。

黒川は店頭ディスプレイ用の模造宝石指輪を宝山堂店主(十朱久雄)に納品し、店主は飾ってあった50万円の値札の付いた指輪と替えて金庫に仕舞います。
その後赤澤工業社長(森繁久彌)が二号の小夏(藤間紫)に取り違えた模造指輪を買い与えます。しかし赤澤夫人の鶴子(清川虹子)に発覚し、指輪は鶴子の元へ模造と思いこんだ本物は給仕のタマ子が貰います。

一方ユキと同じアパートに住む街娼のハルミ(杉葉子)は肺病が悪化し、ハルミの母親に「ハルミが職工の黒川と結婚して幸せに暮らしている」と仮想文の手紙をユキが代筆しました。
タマ子はハルミの為に指輪を売ろうとしますが、都電乗車中に窓から落としてしまいます。丁度勝鬨橋の中央を通過中で、
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一同は指輪が落ちた方を窓から見ています。
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次の勝鬨橋停留所で皆は正太郎を先頭に下車し、
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橋の真ん中へ向かいますが赤信号で警備員に止められてしまいます。丁度船を通す為橋の中央部分が跳ね上がるので、通行止めになったのでした。
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漸く通行止めが解除されると、皆で橋の中央部分を隈なく探しますが見つかりません。指輪は橋の真ん中部分に落ちたので、跳ね上がった時川の中に落ちてしまったのです。

いよいよハルミは危篤となったので母親に電報を打つと、翌夜上京して来るので上野駅へ迎えに来てほしいとの返電がありました。
前に架空の手紙を代筆したユキは、ハルミの為黒川に夫に扮して母親の出迎えに行ってほしいと頼みます。しかし前日に偽物造りの仕事とユキに軽蔑された黒川は、偽の夫役など御免だと断り泥酔してしまいます。

翌夜上野駅改札口内で、ユキ達は「ハルミさんのお母さんこゝです」と書いた看板を持って待っています。
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やがて4番ホームに8620形蒸機に牽かれた列車が到着します。
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その時改札口から黒川が姿を現し皆を喜ばせ、
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「来るには来たがどうすれば」とユキに聞くと「ニッコリして自己紹介してね」と指南します。

そして二等車の横に立つ母親タケ(岡村文子)にユキが確認すると、
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忠吉と大助が黒川が逃げない様に看板を持たせて近寄せます。黒川が挨拶すると、タケはニッコリして「まああんたがハルミの・・」と出だしは順調です。
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その後黒川はハルミの夫になりきって母娘と同居し炊事・洗濯等をこなしますが、ハルミは隅田川花火の夜に皆に看取られ幸せそうに亡くなります。

タケが帰郷する日上野駅へ皆で見送りに行き、タケは嬉しそうに窓から皆に挨拶しています。
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やがて列車は出発し、皆が見送る中
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ゆっくりと去り行きました。
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PS.
  勝鬨橋を渡っていた都電11系統(新宿駅~月島八丁目)は、1947年12月に勝鬨橋西詰停留所から月島八丁目まで延長開通した区間でした。(開通後に勝鬨橋西詰→勝鬨橋)

  3枚目の画像は3000形と思われますが、すぎたま様のご指摘で5000形と判明しました。1枚目と4枚目の画像は同じ6000形の6073です。何故その間に違う車輛のカットを入れたのか不思議ですね。

  5枚目の画像は上野駅改札内でハルミの母親を出迎える一同ですが、地平ホームらしき頭端式9番線が映っています。不自然に改札口が近く、6枚目の画像で到着する列車は4番線です。

  想像するに、5・9・12枚目の画像はセット撮影と思われます。そして8620形蒸機の18691号機牽引列車が到着する駅は、例によって両国駅4番ホームを貸し切ってのロケでしょう。

  タケが帰郷する10・11枚目の画像場面も、両国駅3番ホームでのロケと思われます。最後の14枚目の画像は上野駅高架ホームを出発して行く姿と書きましたが、73おやぢ様のご指摘で(上野駅地平10番ホームから出発いて行く姿)と訂正させて頂きます。
  
  最後に開いてから51年になる勝鬨橋ですが、「久しぶりに勝鬨橋開く」とのテレビニュースを見た記憶が小生にもありました。

  勝鬨橋は本作の重要な舞台とも言えるでしょう。 ユキと黒川の出会いは、勝鬨橋手前で待たされる都電の車内。 本物の指輪を落として皆で捜すのも、勝鬨橋の中央部分。 ユキと黒川がケンカして、離れ離れになったのも勝鬨橋の上でした。


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335.父ちゃんのポーが聞える

1971年9月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 石田勝心

国鉄の機関士杉本隆(小林桂樹)の次女則子(吉沢京子)が難病を患い、病の進行から転院先で 父親が鳴らす汽笛によって 娘を励ます親子愛を描いた映画です。

国鉄金沢鉄道管理局 全面協力の元、赤ナンバープレートに替えた C56123号機を中心に 全編に渡って鉄道シーンがあります。
冒頭 七尾線七尾駅で出発を待つ C56123号機が映り、
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助役から「わかくら通票」と渡された タブレットキャリアを復唱して受け取った 機関助手の丸山源太郎(藤岡琢也)は、
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「わかくらマル」と言って杉本へ渡します。

杉本は行路表を確認して「わかくらマル」と復唱すると、
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腕木式信号機が青に変わり 汽笛を鳴らして発車します。
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走行中丸山が「帰りにつきあってくれ」と願い、杉本は承諾すると「場内進行」と発声します。
続いて カーブしているホームへ進行してきた機関車の キャブから丸山助手が、通票の入ったタブレットキャリアを 受器に投げ入れ C56123号機に牽かれた客列車はこの駅を通過して行きます。
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妻が病死していた杉本は再婚し 中学生の次女則子との関係も良好でしたが、則子は難病のハンチントン病となり 治療と学習を兼ねた(こまどり学園)へ入ることになります。
冬場 C11形蒸機らしき牽引の客レが 雪原を走り抜ける姿が映り、
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キャブでは丸山が「俺ん所へ預けてくれりぁ女房が付きっきりで面倒みるのに」などと 前に養女にとの願いを断られた件を 蒸し返しています。
やがて桜咲く中を走る D51形蒸機・
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菜の花沿いを走るバック運転の蒸機が映り、秋日和の中を走る D51形蒸機の客レ・再び雪原を行く 蒸機客レと続く頃には、一向に回復しない病状に 面会にきた継母に当たる則子でした。

次の春先 七尾機関区の転車台を旋回する C56形蒸機が映り、背後には DE10形内燃機や キハ20系気動車らしきが休んでいます。
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傍らで杉本は 一本松区長(十朱久雄)から 蒸機廃止が迫っているが 定年まで間の有る君は、管理職登用試験か 名古屋鉄道学園で 気動車転換教育を受ける様 勧められるのでした。

その後 こまどり学園へ慰問に来た 絵画グループの吉川道夫(佐々木勝彦)から、則子は高岡のデパートで開いた展覧会に招待されます。

北陸本線高岡駅舎の正面右手に 加越能鉄道高岡軌道線 新高岡駅と路面電車が映り、その前を乗用車に続いて 吉川の働く丸高ベーカリーのトラックが走って行きます。
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しかしその吉川も 東京へ修行に行くことになり、更に則子の病は重くなり 転院が決まりました。遠い療養所故に頻繁には見舞いに行けないので、杉本は久しぶりに帰宅した則子を背負い機関庫へ行きます。
中学の制服を上だけ着た則子と 機関車の思い出を語り合いながら、
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庫内で休む C56123号機の横を ゆっくり進んで行く間 則子はずっと機関車をじっくりと見ています。
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次に 山間の橋梁上を走る C56牽引貨物列車が映り、
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運転室内では 助手の前川武(小松英三郎)が「お嬢さん越山療養所へ移ったそうですね 次のトンネルを抜けた辺りですよ」と杉本に告げます。 トンネルを抜けて来たC56123号機が映り、
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続いて 療養所の窓からは右へカーブしながら去り行く列車の姿が見えています。
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次に見舞いに行った折 杉本は次第に悪化してゆく則子に「来月から乗務することになった列車が 木曜日の午前5:50帰りは夕方16:20に下を通る時 、ポーポッポーと3回汽笛を鳴らすから」と約束して励ますのでした。

その客車列車に 前川と組んで乗務する日、トンネルを抜けると汽笛を3度鳴らしました。則子は病室の目覚まし時計で起きて 汽笛を聞き、時計の音で駆け付けた看護婦さんと 共に微笑むのでした。

それから 則子の病状に悩む杉本は イライラして後妻の初江(司葉子)にアタリ、更に寝そびれて 行った飲み屋では 丸山と大ケンカする始末でした。
翌日 いつもの様に前川と組んで 海沿いの区間から
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左カーブを走ると、前方の踏切に停まったままの ダンプカーを発見して
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汽笛を連呼しながら非常ブレーキを掛けますが 衝突してしまいます。
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重症の杉本は 軽傷の前川に「車掌に駅と機関区に連絡を頼んでくれ」と告げ、車外へ降りた前川は 前方の惨状に驚きながらも
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後方の車掌へ連絡に走ります。
翌朝 包帯に病衣のまま 前川は機関区へ行き、乗務する丸山に 杉本の代わりに 汽笛を鳴らしてくれと願い出ます。
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病室でいつもの様に 汽笛の音を聞いた則子は安心しますが、その後に突然絶命してしまいます。

その後 復帰した杉本は、また丸山と組んで 蒸機を運転して 例のトンネルを抜けます。すると丸山は汽笛を3度鳴らします。

杉本は驚いて 丸山の顔を見ると 事情を察し「そうだったのか ありがとう」と告げ、事故後も丸山が 杉本に代わって汽笛を鳴らし 則子を励まし続けてくれていたことを知るのでした。

続くラストシーンは 則子が朗読する詩が流れる中、ロケの中心となった C56123号機が牽引する客レが 青空の元走り抜ける姿が映って エンドマークとなります。
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PS.
 1970年7月に 21才で亡くなった 松本則子さんの詩集を原作とした作品で、笠原良三が担当した脚本では 高岡機関区が舞台となっていました。国鉄のロケ協力の都合等で、撮影は七尾区と七尾線で行われた様です。

全編で駅名板等が映らない様に ロケが行われているので、冒頭の「わかくら」は架空であり 3枚目画像の行路表では 七尾⇒穴水の仕業となっています。

丸山がタブレットキャリアを投げ入れて 通過する駅は能登鹿島駅です。(のと鉄道の駅として現存  愛称:能登さくら駅)

 七尾線では 1971年4月に旅客列車は全てDC化されたので、ロケ用に荷物車を加えた列車を仕立てて 臨時列車を走らせた様です。ふるさと列車おくのと号に 使う予定だったのか、前年にC56123号機とC56124号機は赤ナンバーに交換しています。

加越能鉄道 高岡軌道線・新湊港線は2002年2月に万葉線(株)へ譲渡され、高岡駅停留所~越ノ潟駅の軌道路線・鉄道路線 全線を万葉線として現存しています。

11枚目の画像は廃線となってしまった穴水~能登三井の山岳区間の撮影と思われますが、続く療養所近くのトンネルは山間部ではなく能登鹿島~穴水に現存するトンネルの様です。

 衝突事故場面の ロケに使われた C56123号機ですが、その後 1973年1月本当に 和倉駅付近で事故に遭い そのまま休車⇒廃車となってしまいました。

 また原作者の父親である 松本氏も本作の企画が進んでいた 1971年1月、城端線のDCに乗務中 ダンプカーと衝突事故に遭い 重症を負ってしまいます(同じ1971年1月に娘の詩集が、立風書房から出版されています)

 七尾線の蒸機は 1974年4月に消えて、替わった内燃機による貨物列車も 1984年2月に廃止されました。1987年のJR化後の 1991年9月には和倉温泉~輪島が のと鉄道に経営移管されましたが、2001年4月 穴水~輪島の区間が廃止されています。

 

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