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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

324.終電車の死美人

1955年6月 東映 製作 公開   監督 小林恒夫

終電車内で起こった強盗殺人事件の捜査過程を描いた、「警視庁物語」シリーズの出発点とも言える 刑事ものサスペンス映画です。

身元捜査で現れた恋人が 使い込んだ会社の金の穴埋の為 被害女性が作った金を、横取りする計画で起こった事件と踏んで 捜査する刑事たちの活躍を ドキュメンタリータッチで描いています。

冒頭のタイトルクレジットのバックで、雨の中 終電間近の薄暗い有楽町駅へ 急ぐ人々が映るシーンから事件を予感させています。

途中省略で 東京駅発29Aレ三鷹行終電車は、雨が降りつける中 そこそこの乗車率で坦々と走り吉祥寺駅へ到着します。
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ここで大半の乗客は降車し、最前部の車内は二人だけのガラガラとなりました。
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次の終点三鷹へ向けて発車すると、
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一人の男が 最前部の車輛へと移動して来ました。
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端に座る大工は寝込んでいます。男が中ほどに座る女性の所へ来ると、終電車は三鷹駅構内へ入り ゆっくりと停車します。
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ドアが開くと男は、改札口とは反対方向へ 歩いて行きました。
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車内点検に来た車掌が 殺されている女性を発見し
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警察へ通報すると、直ちに殺人事件担当の 捜査一課の面々が出動して三鷹駅へと向かいます。
真夜中の三鷹駅前に 一行が到着すると、所轄の三鷹警察署員や 国鉄駅員に案内されて 事件車輛が移動されている三鷹電車区へと向かいます。
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現場検証では ハンドバックが奪われた様で、有楽町から三鷹行 №3003の切符と 恋人らしき写真の入ったロケットだけが 身元に繋がりそうな所持品でした。
写真の公開から被害者の恋人 丸山守夫(朝比奈浩)が判明し、自分が使い込みした金の穴埋と 結婚資金にしようと 婚約者の湯浅とし子(大谷怜子)が不動産を売って 作ろうとした金だと分かりました。








PS.
  有楽町駅の出札口付近が映る頃 時計は 0:50 改札口を入って発車ベルが流れる時 時計は0:52で人々は急いで階段を上がって行きます。
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  あたかも有楽町発 三鷹行電車の様に 構内放送や走行映像が映る 29A電車ですが、当時の時刻表では 有楽町 0:54 ―(京浜線上り終電)― 0:56 東京 0:58 ―(中央本線下り終電)― 1:41 三鷹と 東京駅で乗換えたのが実態です。

三鷹行終電車から吉祥寺で 殆どの乗客が下車するとは、当時は未だ三鷹駅の乗降客が 今ほど多くはなかったのでしょうか。(元々住人が少なかったのか 信号場として開設され、1930年に駅として開業しました)

  作中のロケットとは ロケットペンダントのことで、当時はここに 恋人の写真を入れて 所持することが 流行りだった様です。その他 犯人を5尺5・6寸とか、円タクで帰ったとか 若い人には意味不明な言葉が出てきます。

  池袋の周旋屋 早川時次郎(東野英治郎)は有楽町駅で 22時頃三鷹までの切符二枚(№3003と3004)を買い、一枚を湯浅とし子に渡して もう一枚で 終電近くに新宿駅東口から出たことが 新宿駅で依頼した 回収切符の調査で判明しました。
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  新宿駅構内でも ロケが行われていて、界隈の映画館広告は 小生も見覚えがあります。
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構内の喫茶店で腹ごしらえした 長谷川部長刑事(堀雄二)は、女給(中原ひとみ)から 事件当夜 店内で何かの取引で とし子らしき女が 50万円程の札束を受け取っていた との情報を聞きます。
  当時は五千円札(1957年10月発行)も一万円札(1958年12月発行)も無く、千円札が最高額紙幣なので凄い札束だった様です。
本作では 三鷹や
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池袋での街頭ロケシーンが多数あり、再開発中の池袋東口では 西武百貨店の隣に東京丸物百貨店が建設中ですが、西口に建つ東横百貨店から 一歩裏道に入ると泥道ばかりです。
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前年に開業したばかりの 帝都高速度交通営団 丸ノ内線(池袋~御茶ノ水)池袋駅入口が有り、三越池袋店も建設中です。

 

  

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323.アチャコ青春手帖 東京編

1952年8月 吉本プロ・新東宝製作 新東宝配給公開   監督野村浩将

三度目の落第で卒業できなかった 大学生柳アチャコ(花菱アチャコ)は 上京した母みどり(浪花千栄子)に落第したことを誤魔化し、下宿先への借金を バイトして返済しようと 奮闘するコメディ映画です。

下宿先の娘 愛子(木匠まゆり)は 柳の恋人で、東京遊覧バスのガイドをしています。柳の友人で共に落第した 金持ちの北村俊夫(大泉滉)は、愛子の乗務する遊覧バスに 毎日の様に乗ってきます。
今日も北村は 執事(堺駿二)と共に 東京駅丸の内口から 愛子の出迎えを受けて 都内遊覧バスに乗り、銀座通りを北に向かって 銀座4丁目交差点に差し掛かると ポール集電の都電とすれ違います。
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下宿先の親爺(小倉繁)から 未払いの下宿代等の 借金返済を迫られたアチャコは、女性下着メーカーの 女社長(清川玉枝)の秘書役として アルバイトを始めます。
ある時は社長の夫 またある時は父親となって、ボディーガードや秘書役で 商売を補佐して活躍します。そして独身社長が結婚する折に、慰労金を多額に頂き退社しました。

伊豆での最後の仕事帰りは、二等車を奢って帰ります。ところが向かいの席の 怪しい女は、居眠りしている アチャコの隣に移動するや 鞄を着物の袖で隠すと
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金を掏り取り逃げて行きました。
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アチャコが気付いて調べると、鞄は切られて中の金は消えています。その様子を見ていた 離れた席の男と 目が合ったアチャコは、323-5.jpg
「私の鞄のお金が、あんさんのポケットにありませんか」と言ったもんだから 殴られてしまいました。   

下宿先の親爺への 返済に充てるつもりだった お金を掏られたので、前にサンドイッチマンのバイトを したことがある店で「一貫目の饅頭を10分で食べたら賞金一万円」というイベントに 挑戦して獲得します。
ところが賞金を渡そうとすると 落第の真相を聞いたアチャコの母親が、既に返済していました。母親は12時半の汽車で帰阪すべく、見送りの愛子と共に 東京駅へ向かったそうです。

丁度そこへ北村が来たので 母親に一言謝りたいアチャコは、事情を話して 東京駅まで車で送ってもらいます。
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しかし東京駅では 見送りを終えた愛子に出くわし、車で列車を追い駆けることとなります。
品川先の八ツ山橋では、早くも EF57形電機牽引の 列車に近付きます。その後 横浜の先でしょうか、複々線区間で 第四種踏切へ入るや 強引に列車の直前を通り抜けて急ぎます。
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線路と並走する区間で アチャコの乗るオープンカーに 気付いた母親は、
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「危ないから無茶しないで」と叫んでいる様に見えます。
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更に先の 郊外区間の道路を飛ばしていると、警察にスピード違反で 捕まってしまいます。ところが「あの汽車に乗っている お母さんに一言伝えたくて 急いでいるのです」と告げると、親孝行の為ならと「我々が先導して時速100キロで走る」と言ってくれました。
そして母みどりが乗った 急行列車が到着する頃
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 猛スピードで車が 熱海駅へ滑り込みます。
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ホームへ駆け上がった 三人の内アチャコは、二等車の窓 毎に「アチャコのお母さんはいますか」と呼びかけて行きます。
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その先の三等車に乗っていた 母みどりは その声に気付いて 皆と別れの挨拶を交わし、323-16.jpg
三人揃って手を振って 見送る内
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 急行列車は加速して去り行くのでした。

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PS.
  銀座四丁目交差点ですれ違った都電は、22系統(南千住~新橋)の6000形と思われます。ピューゲル集電ではなく、ロケ当時は未だポール集電で走っていますね。
  本作のロケが行われている頃の 1952年4月28日まで連合国による 占領政策が行われていたので、接収されていた 銀座四丁目交差点にある 服部時計ビルは解除されて 改修工事の真っ盛りの様です。

  八ツ山橋で EF57形電機牽引の列車が 下を通過する時 橋の上を アチャコ達の車が通過して行き、線路をアンダーパスする道路を車が走る時 丁度上の線路をEF57形電機牽引の列車が通ります。
  そして第四種踏切で 列車の直前を横断するシーン等の 列車追跡部分は、新東宝特殊技術部の活躍で 見事に違和感無く仕上がっています。

  下宿先の親爺から聞いた 東京駅12時半に出発する列車ですが、時刻表では 大阪行3レ特別急行はと号です。しかし母みどりが乗車しているのは 普通急行列車なので、13:00発長崎・佐世保行の35レ急行雲仙号の様ですね。
  熱海駅に特急はと号は停車しますが、停車時間は僅か30秒です。一方雲仙号は14:47到着し 3分停車して14:50発車なので、停車する頃に車が駅に到着して ホームへ行って言葉を交わす 本作の映像に合致します。

  蛇足ですが 占領政策が終了した 1952年5月発行の改正時刻表では、4月1日から進駐軍専用列車(Yankee Limited)が 特殊列車1201レ・1202レとして日本人も乗車可能であると注意事項と共に載っています。
  この列車は 米陸軍第八軍司令部があった横浜を 20:25始発で 東京・上野始め概ね 急行列車と同じ駅に停車しますが、翌日空軍基地のあった 陸奥市川に 10分停車して 青森から青函連絡船で航送し 函館を 18:30発車し 室蘭本線経由でナント 深夜の 2:20札幌着でした。
  一・二等寝台車・食堂車で編成された 豪華編成列車だった様です。青森と函館で 停車時間が各一時間と長いのは、青森でバラして積込 函館で編成し直したからでしょうか。
  

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