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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

318.無警察

1959年4月  新東宝 製作 公開   監督 小森白

東海地方の 某市会議長の事故死に 疑問を感じた 東都日報記者の 北村浩一(天地茂)が、原田常雄刑事(大原譲二)の協力の元 暴力で街を牛耳る 松崎組の陰謀を暴く アクション映画です。

冒頭の タイトルバックから 夜行列車内の通路を人探しする 鋭い目つきの二人組が映り、
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胸ポケットに白い花を刺した 男を見付けるや 前の席に座ります。
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そして「旭南商会の方ですね 浜商会の者です 駿河で公安官が乗り込んだので 次の駅で降りて下さい」と信用させて、浜辺で自殺に見せかけて殺し 取引途中の麻薬横取りに 成功するのでした。
続いて その自殺記事を 車内で読んでいた北村が 煙草を一本銜えると、向かいの席に座る 清川はるみ(小畠絹子)が ライターを差し出すので火を借ります。
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駿河駅(架空駅名)ホームにある待合室に入って来た 松崎組の二人は、学生を椅子から追い出し 先に座っていた市会議長の娘 今泉玲子(朝倉彩子)を冷やかすなど 我が物顔の振舞いです。
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そこへ「2番線に 14:30発 京都行普通列車が到着します」と放送が入ったので、玲子をはじめ 一同が外へ出たところへ EF58形電機牽引の 列車が入って来ました。
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停車した三等車の デッキから北村が降りると、後ろにはるみが続いています。
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玲子に気付いて 北村が声を掛けると、久しぶりに会った様に 挨拶しています。
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昔世話になった 玲子の父 今泉信藏(九重京司)を待っている頃、ゴルフ場建設の為の 土地譲渡を断った今泉は 帰路に印鑑を奪われ 事故死に見せ掛けて 運転手共に貨物列車へ転落死させられます。
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その後 旭南商会幹部の寺田(鮎川浩)が 又も「次は大阪7:45発の東京行で 運んで来るので午後2時頃この辺を通る」と取引情報を松崎に教えます。

大阪の警察から 旭南商会の動きを 聞いた原田は、清水駅前から「これから 東京行の列車に乗り込む」と北村に電話してきました。その途中松崎組の二人が駅の中へ入って行くのを見て、身を隠す仕草をします。
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次に EF15形らしき電機が映り 松崎組の二人が列車内を捜していて、
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それを原田刑事が 尾行しています。
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やがて 白いカーネーションの花を 胸ポケットに刺した男を見付けると、男の前に座り「旭南商会の方ですね お迎えに来ました ヤバいので次の駅で降りてください」と告げます。
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続いて 古風な木造駅舎から三人の男が出てくると、
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派手な外車に乗せて拉致します。原田刑事は タクシーで後を追いますが、踏切で振り切られてしまいました。

そして とある小さな駅で駅員が ジョウロで水を撒いていると、
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ベンチに座っている男の カバンが落ちたので渡すと 死んでいる男が崩れ落ちました。
駅員が「ひぇ~」と奇声を上げて 逃げた後に
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横たわる男は、松崎組によって 薬物で殺された 旭南商会の運び屋でした。







PS.
  有名作品ではありませんが、明快なストーリー・スピーディーな展開・鉄道シーンと 三拍子揃った佳作です。

  冒頭の列車内シーンは 新東宝独特のセットではないので、客車区で車輌を借りて 撮影したのでしょうか。(旭南商会、浜商会 共に漢字は推測です)

  EF58形電機牽引の列車が 到着する駿河駅は、拙ブログ(113.善魔)でも舞台となる 東海道本線 清水駅の様です。構内放送はアフレコと思われますが、当時 東京発京都行 127レ普通列車が清水 14:40発でした。

  線路へ転落事故死した様に 見せ掛けられた場面で登場した電機は、不鮮明ですが すぎたま様によると小田急電鉄のデキ1040形ED1041だそうです。EF10形電機なら納得ですが、何故あの電機を映したのか想像がつきません。

  原田刑事が電話してきたのは状況から、清水駅前に入口が映る様にセットの電話ボックスを置いて ロケしたと思われます。本物の電話ボックスは 9枚目画像の 駅舎左壁沿いの 枠外にありました。

  車内シーンも すぎたま様の助言で 二重屋根の スハ32形だそうです。 準急列車内で ロケを行った様にも見えるので、東海道本線ではない ローカル線でのロケと思われます。

  運び屋が 大阪から乗った列車を 当時の時刻表から想像すると、鹿児島発 38レ急行霧島が 大阪7:56発で 静岡を14:17に発車して 次の停車駅は 沼津であり清水には停まりません。

  古風な木造駅舎から 三人の男が出てくるシーンと、運び屋の男が 棄て置かれた駅は 共に東海道本線由比駅と思われます。(15枚目の画像で、2文字の駅名板 右側が「い」・背後に海が見える点から推測)

  ところが拉致された運び屋が 乗せられた外車を追跡するタクシーが 振り切られた踏切で 通過する電車は、不鮮明ですが 車体に丸形の社紋と OERの文字が・・・(小田急電鉄が思い浮かびますが謎です?)


  

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317.君 死に給うことなかれ

1954年8月 東宝 製作 公開   監督 丸山誠治

戦争末期 藤森亘(池部良)と畑久美子(司葉子)は婚約しますが 藤森の出征と久美子の被爆で 音信不通となり、再会を熱望する藤森と 望まない久美子の苦悩を描いたメロドラマです。

入院する母親の担当看護婦だった久美子に 求愛する藤森は勤務中にも現れるので 立場が悪くなり、約束の時刻に来ないので寮へ行くと 今夜8時の汽車で 故郷へ向かったと聞きます。
藤森は東京駅の改札口をすり抜け317-01.jpg
廣島行列車のホームへ駆け上がると、出征兵士見送りの人々で ホームはごった返しています。
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既に列車は動き出しているので、手近なデッキに飛び乗りました。
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混雑する車内を 前方へ移動しながら久美子を捜すと、藤森に気付いて 移動する久美子を見付けます。317-07.jpg
丁度最初の停車駅新橋へ着いたので「降りよう」と言うと拒むので、「何処までも付いて行くよ」と言う藤森でした。
電機牽引の列車は、
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何時しか蒸機が牽いて 夜路を進んでいます。
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途中 車内を移動していた藤森が戻ると、「広島へ向かう」と電報を家と大学へ 打ってきたと告げました。

翌朝 突然汽笛が連呼され、急停車します。そして車掌らしきが現れ「空襲です落ち着いて退避して下さい」と告げるや、
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乗客は一斉に デッキや窓から飛び降りて逃げます。
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駅間の野原に 緊急停車した列車から、人々はなるべく遠くへと 全力で走って逃げます。
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そこへ艦載機らしきの、機銃掃射が襲ってきました。
藤森は久美子をかばって、盾となって守るのでした。やがて空襲は去り、最寄りの駅まで 皆と共に歩いて行きます。
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時間帯からして 未だ東海道本線の小駅でしょうか、着いた駅には多くの人が 列車を待っています。
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停車している貨車の上に、子連れで乗っている人々もいます。
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二つ隣の有蓋貨車ワム30405が 空いていたので、乗り込んだ藤森は 久美子を引き上げました。
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そこへ駅員か車掌が、「藤森亘さんいますか」と呼びながら 近付いて来ました。
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藤森が名乗り出ると、電報を渡されます。開くと「ショウシュウキタスグ カエレ」チカ と招集の知らせでした。
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それを見た久美子は それまでの迷惑そうな態度を 一変させて泣き付き、二人は帰還後の 結婚を約束するのでした。







PS.
  今でいうストーカーの様に 相手の都合や状況を考えずに付きまとい 求愛する藤森は、結果的に久美子を辞職から辛い人生へと 追い込んでしまったとも思えます。

  作中で東京駅の改札口には 20:25発廣島行の表示板があります。後の電報で時代設定は 1944年6月12日と分かりますが、1944年末の時刻表では 21:00発の7レ急行廣島行があります。

  1942年11月の時刻表では 20:25発の9レ急行下関行があるので、この列車がその後に 行先短縮で廣島行となったのかもしれません。

  藤森が列車のデッキに飛び乗った時、前方の窓からエキストラの女子組が 見送る人々に陽気に応えているのが気になりました。(池部良が飛び乗る位置を間違えたのか?監督としても撮り直しも出来ず仕方なく・・・)

  作中では 朝方に空襲されますが、9レの行程から米原~京都で襲われた様です。史実では B29爆撃機随伴の艦載機 又は硫黄島からのP51による機銃掃射は 1945年春以後と思われますが、意外と終戦から日の浅い当時は 時代考証に重きを置いていない様です。

  駅間に停車した C59形らしき蒸機は、ボイラーを撃ち抜かれたので 動けなくなったのでしょうか。乗客は次の駅まで歩いて、乗り継ぐ列車を待っている時 まさかの招集を知らせる 運命の電報が届きます。

  藤森は途中駅から 我が家と大学に向けて「ヒロシマヘイク」と電報を打っているので、これを受け取った 藤森家の婆や(馬野都留子)がウナ電で 乗っている列車に返信した様です。(受け付けた東京駅から 受け渡し可能な米原駅へ打電した?)
   
  戦後生まれの ワム23000形ワム30405 はともかく、扉が開けっ放しのままで 抱き合うシーンは当時の状況から・・・

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316.女ひとり大地を行く

1953年2月 北星映画 配給 公開  キヌタプロ・北炭労組 製作  監督 亀井文夫

貧困から 北海道へ出稼ぎに行ったまま 音信不通となった夫を 二人の子連れで追いかけた、山田サヨ(山田五十鈴)の 苦難に満ちた人生を描いた映画です。

1929年 秋田県横出の農夫 山田喜作(宇野重吉)は、北海道の 北洋炭鉱へ 三十円で売られて行きます。 当時は 世界的不況と不作で 近隣の農家では、娘の身売りが続出していました。
横出駅ホームでは
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家族と娘が 涙の別れを交わす中、
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C11形蒸機に牽かれた 二重屋根の木造客車が到着します。
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上野行のサボが架かった列車は、先頭が二等車 続いて三等車です。
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その時 反対側の側線から子供達が、一斉に客車へ向かって 走り寄りました。
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そして開いた窓から 落とされた弁当の空き箱を拾うと、
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貼り付いて残った 飯粒を各々が食べるのでした。
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北洋炭鉱では 木造鉱車を巻き上げワイヤーで 坑道から運び出したり、馬に牽かせて 鉱車の運び出しを行っています。
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三十円の前借金で 売られた山田は、地獄の様なタコ部屋で こき使われ脱走を考えていました。ある日見張りの男が「自分の運に賭けて逃げてみるか?」と山田を鉱車で脱走させ様としてくれます。
丁度その時 坑内ガス爆発事故が起こり、その騒ぎに乗じて 死亡したとみなされた山田は 逃げることが出来たのでした。
本人は 追われていると思い 蟹工船に乗ったり 大陸を放浪したりで逃げ回り、女房子供のいる実家には 音信不通のままでした。

二年半後 横出のサヨは 借金取りに 遊郭で働いて返済する様に催促され、遂に故郷を捨てて 夫のいる北洋炭鉱へ 二人の子供を連れて 逃げて行くのでした。
ところが現地へ着くと、夫は事故で既に 死亡していたと告げられました。仕方なくサヨは 炭住に住み込み、飯炊きから坑内労働までして 二人の子供を育てます。

1944年 過酷な増産指令に反発する 徴用労働者達と同じ思いで 行動するサヨ達の場面で、夕張本線夕張駅ホームが 左端に映るシーンがあります。
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戦後も労働争議中に 会社側の卑劣な手段で サヨの次男 喜代二(内藤武敏)が不当逮捕されて ストライキとなった場面では、貼り紙がされた セキの右側には 夕張鉄道 鹿ノ谷機関区のクラらしきが見えます。
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PS.
  冒頭の悲しい 娘の身売り場面は 奥羽本線 横手駅でのロケと思ったら横出駅(両側の隣駅は実在と同名) そしてC11形蒸機が 木造客車らしきを牽いて登場します。
 続いて子供たちが 一斉に左手から飛び出して来ますが、その背後の機関庫に 見覚えがあります。当ブログ(187.浮草)の1枚目の画像と同じ 八王子機関区 五日市支区と思われます。

 登場する C11319 蒸機も 当時ここへ所属していました。牽引している 三等車の中央部分に 12582 のナンバーが読めるので、ホハ12000形 客車の様です。二等車と 表示されている車輌も、同じホハ12000形の様です。
 
 馬が坑内から 鉱車を運び出すシーンは、如何にも戦前の 炭鉱施設を思わせます。夕張地区の 小規模炭鉱でのロケでしょうか。 

 夕張駅周辺の遠景で、ホーム前面にある 大きな鉄筋の建物が見えます。小生この建物の庇から 長さ5m以上の巨大な氷柱が 下がっているのを、かつて2月の厳冬期に 訪問した時 見て驚いた記憶があります。

 1952年に炭鉱労働者から 一人33円のカンパで製作費を集め、遠路 夕張炭鉱と釧路の太平洋炭鉱で 長期ロケが行われたそうです。
 ならば当時の北海道には戦前の姿のままの、ローカル私鉄が随所に存在していただけに 残念に思うのは我儘でしょうか。


 

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