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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

311.高原の駅よ さようなら

1951年10月 新東宝 製作 公開   監督 中川信夫

恩師の娘との 結婚話から逃避する為 浅間山麓の友人の元へ来た 植物学者 野村俊雄(水島道太郎)が、療養所の看護婦 泉ユキ(香川京子)と愛し合うも 義理で悩む様を描いた青春映画です。

序盤 野村が浅間山麓にある 光ヶ丘高原療養所へ向かう場面や 恩師の娘 伊福部啓子(南條秋子)が 野村の負傷を聞いて 駆け付ける場面でも、期待に反して 長閑に浅間山麓を行く 馬車は映っても 鉄道は出てきません。

野村と恋仲となったユキは 野村の友人でもある 医師 池島良寛(柳永二郎)や 女医の三神梢(相馬千恵子)から、恩師の婿養子となる 野村の為 身を引く様に説得され 思い余って 入水しかかり 皆の同情を呼びます。
幼い頃からユキを好いていた 戸田直吉(田崎潤)も 梢にユキと野村の仲を応援する様 懇願しますが、野村は恩師の病状悪化を 啓子から告げられ 一緒に上京することになりました。

終盤 療養所の皆から見送られ、啓子は野村と馬車に乗ります。別れを決意して 二階の窓越しに 涙顔で見送るユキの方向を、野村は未練が残りながらも 半ば諦め顔で見ています。
馬車が去った後 泣き暮れるユキを 梢が説得し、戸田が乗る馬にユキを乗せて 全力で馬車を追い駆けます。(ここからバックにテーマ曲「高原の駅よさようなら」が、ラストまで流れ 観客の涙を誘う!)

それでも 一足早く 駅に着いた野村と啓子は、信越本線 信濃追分駅の 駅名板付近で 汽車を待っています。
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野村は心残りな表情で 駅名板の前を行ったり来たり、ラセン形の通票受柱を触ったりして 落ち着かない様子です。
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やがて 汽車が駅に近付くと、戸田とユキが乗る馬も 駅が見えてきました。
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汽車が減速して構内へ入って行くと、遂に追い付きます。
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発車の汽笛が鳴る時
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改札口手前でユキは降り、ラッチを外してホームへ入ります。
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D50 形蒸機らしきの 動輪が動き始め、
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ユキは野村の姿を捜して ホーム前方へ進みます。
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その姿に気付いた野村は 向かい側の席に移動して、窓から顔を出して「泉クン」と呼びかけ
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ユキも「野村さん」と返します。
ユキは駆け寄り 野村と握手を交わし
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野村の「泉クン待っててくれ」の言葉を聞くと、ホーム端まで来たので「さようなら~」と今度は笑顔で手を振り 見送るのでした。
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PS.
 鉄道シーンとしては 最後の信濃追分駅での見送りシーンのみですが、バックに流れる 小畑実が歌う「高原の駅よさようなら」が実に印象深い作品に仕立てています。
 戸田がユキを乗せて 馬で馬車を追い駆け、汽車が信濃追分駅に近付いた時に 漸く駅が見えてきました。豪快な性格の 役どころが多い田崎潤さんですが、本作では珍しく爽やかな青年役を演じてますね。

 この当時の信濃追分駅舎は 無人駅の様に簡素で、馬で乗りつけても 直ぐに改札口からホームへ段差無しで入れるので ロケに選ばれたのでしょうね。
 当ブログ【243.あの丘越えて】でも同時期の信濃追分駅が登場していますが、どちらも1枚目の画像で駅名板の左に人物が立っています。本作の画像では後方に白樺の木がありますが、【243】では反対の下り線ホーム側に白樺の木があります。
 
 また本作では 駅名板の前に通票受柱がありますが、【243】では通票授柱が駅名板の前にあります。故に【243】は上りホームの前方の駅名板横であり、本作は後方の駅名板横でロケが行なわれたのです。
 3枚目の画像の様に D50形蒸機牽引列車の2輌目に 二等車が連結されていて、この二人なら当然 二等車に乗ると思われます。しかしそれでは 発進して直ぐに 車輛がホームから外れてしまい、感動的な ユキと野村の別離シーンにならないのです。

 
 
 最初は野村に「ここでは恋愛的感情は一切禁物」と宣言していた 三神梢女医が、戸田に頼まれると あっさりユキに「弱虫!幸せを自分から捨ててもいいの?女が一度逃した幸福は、二度と戻ってこないのよ 私が一番よく知っているわ」と説得する 見事な変身振りですね。
 1951年6月に発売された小畑実が歌う「高原の駅よさようなら」が大ヒットし、新東宝が同年10月に公開した歌謡映画です。 低予算で いささか安直な筋立てですが、短期間に撮影・編集せねば ならない事情から 片目を閉じましょう。

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310.どぶろくの辰

1962年4月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 稲垣浩

工事現場のタコ部屋へ来た 脱走の名人 やだむら(矢田村)辰五郎 通称 : どぶろくの辰(三船敏郎)と、管理役の舎熊(三橋達也)との対立を描いた 男くさいアクション映画です。

時代は1950年頃 東北地方のとある道路工事現場は、旧陸軍の演習場だった所で 不発弾が多数埋まっていたのです。発破を掛けると誘爆によって 多数の死傷者が出たことから、手掘り作業となって工事は遅れ気味です。
作業員補充の為 麓の町で前金と 日当を倍額支払うアメで集めた 一癖も二癖もある連中を、現場の最寄り駅まで送る D52形蒸機牽引 5連列車が汽笛の音と共に映ります。
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所々に板張りの窓が残る 三等車の車内では、どぶろくを飲みながら 一同は寛いでいる様ですが、デッキへの出口部分には 見張りの男が二人で 目を光らせています。
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沼尻(田島義文)や穴吹(田崎潤)が先輩風を吹かせて 向かい席の新人に「逃げたら逆さ吊りで火炙りにされる」などと冗談で脅かすと、通路越しに追分(有島一郎)が「そいつぁ古い話だ」と窘めます。
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鉄橋を渡り行く 列車が映った後 
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新人の一人がデッキの方へ行くと、たちまち見張りに 見つかって殴られて捕まります。その騒ぎのスキに 穴吹は反対側のデッキから逃げようとしますが、
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辰が捕まえて 席へ連れ戻します。
監督が戻った辰に「何処へ行った」と聞くと、「屁 ブッこいてきた」などと澄まし顔です。
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続いて上り勾配を進む D52形蒸機牽引列車が映り、
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いよいよ一行は 山奥の工事現場へと向かいます。

黒政組の道路工事現場では、トロッコへ土砂を 手積みして運んでいました。
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辰はあちこちの現場で"とびっちょ"(脱走)の名人と言われていたので、舎熊への対抗心からトロッコでの脱走を企てます。
ある日 馴染みの追分に決行を告げると、トロッコの車輪止を外して飛び乗ります。
加速の付いたトロッコは舎熊に見つかりますが、軽快に現場の中を突き進んで行きます。
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怪しい造りの橋梁を走り抜けて、このまま逃走が成功するかと思えた辰でしたが
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町で知り合った飲み屋の女将 梅子(淡島千景)が 遥々訪ねて来た姿を見て 脱走は取り止め、穴吹の脱走騒ぎに乗じて 何食わぬ顔で戻って仕事に加わるのでした。

飯場には飯炊き・風呂焚き等雑用係の しの(池内淳子)達女がいて、辰は宿舎横で洗濯する しのが気になっていました。何故か宿舎横まで トロッコのレールが敷かれています。
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辰は残土捨場であるトロッコ用のレール端で休憩中 追分に、しのに惚れてしまった様だと話します。
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その後も舎熊と辰は しのをモノにしようと決闘し、しのに辰は「俺とデキタふるをしろ」と告げます。

その後工期が迫るのに 中々工事が進まないので、舎熊は怪しげなレビュー団を招いて一同に恩を売り 危険な長時間労働を強制するのでした。その一方で黒政組親方には、監督の取り分まで 成功報酬として要求する舎熊でした。
黒政組親方は監督に 舎熊の殺害を指示し、暴力団らしきを手配します。一方 しのと現場に現れた亭主 木田(土屋嘉男)を脱走させる為、急きょ"とびっちょ"をした辰は 梅子の店に辿り着きます。梅子から会社の陰謀を聞くと、阻止する為 再び現場へ戻ることにします。

辰は梅子から金を借りると、休憩していたトラック運転手を雇って現場へ向かいます。続いて D52形蒸機牽引列車の力強い走行シーンが映り、
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車内では監督がスジ者連中にドスを配っています。
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次に線路沿いの道を高速で走る小型トラックが映り、辰が盛んに急がせています。
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やがて遥か先の築堤を行く、蒸機が5連の車輌を牽引する列車が見えてきました。
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しかし列車の方が先に最寄り駅へ到着し、下車した連中は黒政組のトラック荷台に続々と乗り込みます。
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遅れて到着した辰は駅員から、連中が車に乗換えて前方に行ったと聞きました。
途中で追いつくと、進路を妨害して先に現場へ行きます。
辰は舎熊に会社の陰謀を話し 組み伏せ、親方と仲裁させて 工事完成へ向けて 土方の筋を通すのでした。






PS.
 D52形蒸機牽引の客車列車が 走った路線は数少なく、単線ながらも沿線に並ぶ ハエたたきが本線規格となれば想像がつきます。
 7枚目の画像の一寸前で 72号機と分かり、4枚目と16枚目の画像で 元複線であった痕跡が見えます。となれば、もう御殿場線以外ありません。14枚目の蒸機も当時 国府津区の 403号機でした。

 ロケ当時でも蒸機牽引の客レは 早朝と夕方・夜が多く、撮影に適しているのは沼津 9:22 → 11:18 国府津の 916レと国府津 12:41 → 14:38 沼津の 915レ の2本だけでした。
 御殿場線はその後 1968年に全線電化と同時に無煙化されますが、それまで4分程度の変化で 同じ状態のままこの2本の列車は 運行されていました。

 御殿場線は元々東海道線の一部分として1889年開業し、1934年12月の丹那トンネル開通によって支線の御殿場線となりました。
 1901年に複線化されましたが、1943年 ~ 1944年にかけて不要路線として 単線化されました。現在でも複線時代の 名残の施設が随所にあります。

車内シーンは全てセット撮影で、妙に座席の背ずりが低い様に思えてなりません。国鉄の協力を仰いだのは、18枚目の松田駅らしき構内での撮影時だけと思われます。

 本作は数多い三船敏郎主演のアクション映画ですが、追分役の有島一郎が 尺八を好み 不発弾処理を得意とする 土方役として 印象深く記憶に残りますね。


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