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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

309.山鳩

1957年5月 東宝 製作 公開   監督 丸山誠治

高原鉄道 落葉松沢(からまつざわ)駅長の多木弁造(森繁久彌)が、自殺未遂の末に住み付いた 鶴江(岡田茉莉子)と 年の差婚生活に至るヒューマンドラマです。

タイトルバックから 草軽電鉄の電機+客車が、浅間山をバックに高原を走る姿が映っています。
続いて 多木駅長と 地元温泉旅館 蓬莱館の番頭(田中春男)が、将棋を指しながら 終電車を待つ場面から この物語は始まります。

21:00 少し前頃でしょうか 警笛が聞こえたので、夜霧が立ち込める中 二人はホームへ出ます。ところが 駅近くの踏切付近で、警笛連呼に続いて 列車は急停止しました。
二人が駆け付けると 運転手は「若い娘を轢いた様だが 見つからない」と言いながら、車掌と共に 車輛の下回りを捜しています。
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乗客が騒ぎ出したので 運行再開することにし、番頭と駅長も駅まで便乗します。結局 草津温泉行の終電車から 降車客は無く、予約のあった客は 一つ手前の(鶴留)で下車したので 番頭は無駄足となってしまいました。
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自殺しようと 終電車を急停止させたのは、坂本の飲み屋から逃げて来た 酌婦の鶴江でした。行く当てのない鶴江は、多木が独り身なので 隣接の社宅に住み着いたのでした。

中盤 デキ19号機牽引の列車が到着し、
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蓬莱館の主人達三人で 昼食休憩の為 途中下車した団体を迎えます。
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一同は草津まで未だ、三時間少々と聞いて 驚いています。ところがこの団体は、鶴江が逃げ出して来た 坂本の飲み屋一行でした。
借金を残して逃げたので 主人(上田吉二郎)は怒り顔ですが、蓬莱館主人(左卜全)の仲裁で 話を付けてもらいます。多木が貯金を叩いて 蓬莱館主人に頼む様子を、舞い戻って来た鶴江は
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駅舎の外から聞いて涙するのでした。

その後 雪景色の浅間山をバックに 雪原を走る列車が映り、雪の降り積もった落葉松沢駅に 上り新軽井沢行列車が到着し タブレット交換します。
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駆け込んで来た 蓬莱館女中の千代(須賀京子)は、「鶴ちゃんに会いたかった」と 意味ありげに言うのでした。
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車掌(佐田豊)が「いいかね」と急かしたので 駅長が同意すると、車掌が笛を吹き 雪路を出発して行きました。この列車からは 鶴江を捨てて男と逃げた、母親もと(清川虹子)が 下車して鶴江に会いに来たのです。

もとは鶴江に謝りますが、鶴江は頑として 謝罪を受け付けません。多木は帰り際 もとに切符を進呈します。到着した下り列車から309-12.jpg
花嫁さん一行が降車します。
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下り列車に乗ったもとを見送ると、「あの娘はおめでたですだ」と告げられ 狼狽します。運転手(大村千吉)に「駅長さんまだかね」と急かされ、
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我に返り了解して見送る 多木です。
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松林をバックに 去り行く列車を、鶴江は社宅の窓から 寂しく見送るのでした。
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その年の夏 油虫の発生による 転覆事故後の視察に、運輸省の技師(千秋実)と 本社の運輸課長(東野英治郎)達一行が来る日 鶴江の出産も迫っています。産婆が新軽井沢を乗ったか、電話で聞いても不明でした。
6人の陽気な若者がホームで騒ぐので 多木がヤキモキする中、
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視察団一行が乗る 下り列車が到着します。
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騒ぐ若者を 前方入口へ誘導し、後方扉から降車した 視察団を丁重に案内する多木駅長です。
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それから後 視察団が乗る 臨時16レ試運転列車が栗平駅を出発した連絡があります。多木駅長は 転轍器を操作する途中で 生まれた知らせを聞き、喜びに舞い上がって そのまま 社宅の方へ駆けつけてしまいます。
一方 試運転列車では 運輸省の技師が「良い眺めだねー」などと車窓を楽しんでいます。そして上り列車が 接近して来た姿が映り、
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切り替え途中の中途半端な状態のポイントで 脱線に至ったのでした。

一方 多木駅長は 安産祈祷の為に呼ばれた 浅間教の教祖(三好栄子)から 御神酒を貰ったりして 手伝いの御婦人達とお祝いの最中です。
そこへ視察団一行が 何とかフラフラしながら 歩いて現れ、人身事故には至らなかったものの 大目玉を喰った駅長は 十五年無事故表彰も吹っ飛んでしまいました。

その後 教祖が帰る下り列車を見送ろうとしていると、
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男を追い駆けて 東京へ行った千代が 憔悴した様子で帰って来ました。
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PS.
 草軽電鉄の小瀬温泉駅を 架空の落葉松沢駅として、老駅長 多木弁造の山あり谷ありの日常と鶴江との ほのぼのとした やりとりを 四季を通じて描いています。
 架空駅とはいえ 両隣駅を鶴留・長日向と 実在の駅名で映し、近くに温泉旅館まで登場させているので 分かり易いです。

全編 季節を問わず登場する車輌は、デキ 12形 19号機+ホハ 10形ホハ 12客車のコンビに限定されています。
 この 19号機はボンネット部分が 抵抗器増設の為 連結器の上まで延長されたタイプで、同様の改造機 5台中天板がフラットなのは この19号機と21号機の2台のみだそうです。
 ホハ12客車は 東武鉄道伊香保軌道線から 譲渡された車輌を、草軽電鉄で電装解除・ボギー台車化して 1956年7月から 1960年4月の部分廃止迄の 4年弱だけの使用だったとか。

小瀬温泉駅と言えばスイス風洋館の様な 変電所が有りましたが、鶴江の母親が去り行く11枚目の画像にチラリと映っています。

 多木駅長は 転轍器操作の途中で 我が子が生まれた知らせを聞いて そのまま駆け付けたので 脱線事故となりましたが、当時の草軽電鉄では ポイント毎に ダルマと呼ばれた 転換器を使っていたそうです。
 また作中で 話の区切り部分で、腕木式信号機が動いていました。これも演出の為で、実際には 赤・青の二灯式信号機を使用していました。16枚目の画像には裏向きですが、左上に二灯式信号機が映っています。

今回も(307.月がとっても青いから)と同様に草軽電鉄の研究家 鉄道青年様の協力を仰ぎ、彼のブログ(草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエロー)の記事を参考にさせて頂きました。


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308.嵐を呼ぶ十八人

1963年9月 松竹 製作 公開    監督 吉田喜重

造船所の臨時工 島崎宗夫(早川保)が 特別手当と引き換えに 寄宿舎々監を引き受け、大阪から手配師に連れられて来た 流れ者18人との 葛藤を描いた 変化球的な青春映画です。

造船所の正社員工が ストライキを起こしたので 臨時工は連日の残業で懐が暖かくなり、一同は島崎を先頭に 嬉々として街へ繰り出しました。
ジャズ喫茶へ入った 清一(生島孝治)とみのる(近藤たかし)は、和夫(平尾昌晃)を頭とする愚連隊と揉めて 清一は6人から袋叩きにされてしまいます。
続いて 派手に大きな広告看板を取り付けた 呉市電 608形の 608号が、四ツ道路電停近くの右カーブらしき地点を 曲がり行くシーンがあり
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みのるの急報で助けに駆け付ける一同の場面に続きます。

この騒ぎの最中に あきら(安川洋一)が 島崎と恋仲のノブ(香山美子)を襲い、ノブは呉の街から 消える様にいなくなってしまいます。
島崎は寄宿舎で皆を詰問し、みのるを自白に追い込みます。そしてノブが 広島に行ったことを聞いた島崎は、ノブを追って 呉線の蒸機牽引列車で広島へ向かいました。
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島崎は失意のノブを 広島市民球場で探し出し、ノブに求婚して同意を得ます。

その後 清一は 愚連隊のボス和夫を付け狙い、呉市電の車中で 和夫にナイフで切りつける事件を起こします。
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和夫の取り巻きは 最初は清一をからかいますが 清一がナイフを構えると逃げ出し、緊張感漂う車内には停車ボタンのブザー音だけ鳴り響いているのでした。事件を聞いた島崎は 清一の為にと、一同の反対を押し切って通報するのでした。

呉で島崎とノブの結婚式を挙げる頃、造船所が暇になったことから 島崎がタコ師と呼ぶ 手配師の森山(芦屋雁之助)から 明朝 清一以外 17人の北九州への移動を告げられます。
最初は頑として 結婚式への出席を 拒否した寄宿舎の連中も、雨が降る中 遠巻きに無言で祝福している様でした。

翌日 大阪から貰い下げに来た 清一の母(浪花千栄子)と清一が、堂々とした 呉駅舎の前に現れます。
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駅舎内で 見送りに来た島崎が「他の連中は北九州へ行きよる」と言うと、清一は「家には帰りとおない」と呟きます。
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そこへ慌てて駆け込んで来た森山が、「奴らに逃げられた」と怒ってます。その後 17人が遅れて現れたので、森山は一度は払い戻した 切符を再び買い直して 一同とホームへ急ぎます。

「8:05発の広島行がまいります」と放送が流れる中、跨線橋から一同は 2番線への階段を駆け下ります。
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そこへ C59形蒸機6号機牽引の、広島行列車が到着しました。
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清一は母親が「そっちは違うで~」と止めるのも聞かずに、2番線へ降りて行きます。皆を見送るつもりなのかと、母親もゆっくり後を追いました。

一同と縁のあった 高校生の楽団が演奏する中、島崎は無言のままで 順番に一同の顔を見て歩き 見送る様です。
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発車ベルが鳴り始めると
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突然清一は列車に乗り込み、母親の呼びかけも聞かずに 一同と同席します。
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島崎は「これでいいんや」と母親を説得する様に話すと、汽笛の音と共に列車は発車して行きます。
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森山以外 無言だった連中は、列車がホームの端に来た頃になって 別れの挨拶をしています。
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勿論ホームの高校生は 大声で見送っています。
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車内では 森山が配った酒を飲んで 陽気な連中が映り、
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ヘリに依る空撮で 去り行く列車の姿を捉えて エンドマークとなります。
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PS.
 呉市電は 1909年(私鉄期)~1967年12月迄存在し、登場した 608号は廃止前年に 岡山電気軌道へ譲渡され 2600形として 1983年迄使われたそうです。
 
 作中に登場する呉駅舎は 戦時中に焼失した駅舎を、進駐軍の肝煎りで 1946年5月に完成させた3代目の駅舎です(僅か5か月の突貫工事!)その後1981年7月に、現在の駅舎へ改築されています。

 作中で 8:05発の下り広島行として C59形蒸機牽引列車が映りますが、撮影当時の時刻表が無いので 前後の時刻表を読むと変わらず 7:49発広島経由岩国行の611レが該当します。(驚くことに確認できた1958年~1969年ほゞ同じダイヤ)
 普通に考えると 呉 8:15始発の 401D急行出島 長崎行に乗れば、北九州の小倉に乗り換えなしで 12:25に着きます。あくまでドン行で行くと、611レが 8:41広島着 9:40発の 223レに乗り継ぎ門司で乗り換え 16:00小倉着です。

 ラストの空撮で映る列車には、蒸機+荷物車+一等車+一等車+二等車+・・・なので、呉線を代表する東京始発の 呉12:36発23レ急行安芸号 広島行と思われます。(C59+マニ+オロネ10+スロ53+マシ38+ナハネ10・・・)

 愚連隊の頭として演じる 平尾昌晃は、言わずと知れた日本歌謡界の 代表的作曲家でした。1957年歌手デビューと共に 映画俳優としてもデビューし、1968年迄 通算23本の映画に出演しています。 

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