
1957年5月 東宝 製作 公開 監督 丸山誠治
高原鉄道 落葉松沢(からまつざわ)駅長の多木弁造(森繁久彌)が、自殺未遂の末に住み付いた 鶴江(岡田茉莉子)と 年の差婚生活に至るヒューマンドラマです。
タイトルバックから 草軽電鉄の電機+客車が、浅間山をバックに高原を走る姿が映っています。
続いて 多木駅長と 地元温泉旅館 蓬莱館の番頭(田中春男)が、将棋を指しながら 終電車を待つ場面から この物語は始まります。
21:00 少し前頃でしょうか 警笛が聞こえたので、夜霧が立ち込める中 二人はホームへ出ます。ところが 駅近くの踏切付近で、警笛連呼に続いて 列車は急停止しました。
二人が駆け付けると 運転手は「若い娘を轢いた様だが 見つからない」と言いながら、車掌と共に 車輛の下回りを捜しています。

乗客が騒ぎ出したので 運行再開することにし、番頭と駅長も駅まで便乗します。結局 草津温泉行の終電車から 降車客は無く、予約のあった客は 一つ手前の(鶴留)で下車したので 番頭は無駄足となってしまいました。

自殺しようと 終電車を急停止させたのは、坂本の飲み屋から逃げて来た 酌婦の鶴江でした。行く当てのない鶴江は、多木が独り身なので 隣接の社宅に住み着いたのでした。
中盤 デキ19号機牽引の列車が到着し、

蓬莱館の主人達三人で 昼食休憩の為 途中下車した団体を迎えます。

一同は草津まで未だ、三時間少々と聞いて 驚いています。ところがこの団体は、鶴江が逃げ出して来た 坂本の飲み屋一行でした。
借金を残して逃げたので 主人(上田吉二郎)は怒り顔ですが、蓬莱館主人(左卜全)の仲裁で 話を付けてもらいます。多木が貯金を叩いて 蓬莱館主人に頼む様子を、舞い戻って来た鶴江は

駅舎の外から聞いて涙するのでした。
その後 雪景色の浅間山をバックに 雪原を走る列車が映り、雪の降り積もった落葉松沢駅に 上り新軽井沢行列車が到着し タブレット交換します。

駆け込んで来た 蓬莱館女中の千代(須賀京子)は、「鶴ちゃんに会いたかった」と 意味ありげに言うのでした。

車掌(佐田豊)が「いいかね」と急かしたので 駅長が同意すると、車掌が笛を吹き 雪路を出発して行きました。この列車からは 鶴江を捨てて男と逃げた、母親もと(清川虹子)が 下車して鶴江に会いに来たのです。
もとは鶴江に謝りますが、鶴江は頑として 謝罪を受け付けません。多木は帰り際 もとに切符を進呈します。到着した下り列車から
花嫁さん一行が降車します。

下り列車に乗ったもとを見送ると、「あの娘はおめでたですだ」と告げられ 狼狽します。運転手(大村千吉)に「駅長さんまだかね」と急かされ、

我に返り了解して見送る 多木です。

松林をバックに 去り行く列車を、鶴江は社宅の窓から 寂しく見送るのでした。

その年の夏 油虫の発生による 転覆事故後の視察に、運輸省の技師(千秋実)と 本社の運輸課長(東野英治郎)達一行が来る日 鶴江の出産も迫っています。産婆が新軽井沢を乗ったか、電話で聞いても不明でした。
6人の陽気な若者がホームで騒ぐので 多木がヤキモキする中、

視察団一行が乗る 下り列車が到着します。

騒ぐ若者を 前方入口へ誘導し、後方扉から降車した 視察団を丁重に案内する多木駅長です。

それから後 視察団が乗る 臨時16レ試運転列車が栗平駅を出発した連絡があります。多木駅長は 転轍器を操作する途中で 生まれた知らせを聞き、喜びに舞い上がって そのまま 社宅の方へ駆けつけてしまいます。
一方 試運転列車では 運輸省の技師が「良い眺めだねー」などと車窓を楽しんでいます。そして上り列車が 接近して来た姿が映り、

切り替え途中の中途半端な状態のポイントで 脱線に至ったのでした。
一方 多木駅長は 安産祈祷の為に呼ばれた 浅間教の教祖(三好栄子)から 御神酒を貰ったりして 手伝いの御婦人達とお祝いの最中です。
そこへ視察団一行が 何とかフラフラしながら 歩いて現れ、人身事故には至らなかったものの 大目玉を喰った駅長は 十五年無事故表彰も吹っ飛んでしまいました。
その後 教祖が帰る下り列車を見送ろうとしていると、

男を追い駆けて 東京へ行った千代が 憔悴した様子で帰って来ました。

PS.
草軽電鉄の小瀬温泉駅を 架空の落葉松沢駅として、老駅長 多木弁造の山あり谷ありの日常と鶴江との ほのぼのとした やりとりを 四季を通じて描いています。
架空駅とはいえ 両隣駅を鶴留・長日向と 実在の駅名で映し、近くに温泉旅館まで登場させているので 分かり易いです。
全編 季節を問わず登場する車輌は、デキ 12形 19号機+ホハ 10形ホハ 12客車のコンビに限定されています。
この 19号機はボンネット部分が 抵抗器増設の為 連結器の上まで延長されたタイプで、同様の改造機 5台中天板がフラットなのは この19号機と21号機の2台のみだそうです。
ホハ12客車は 東武鉄道伊香保軌道線から 譲渡された車輌を、草軽電鉄で電装解除・ボギー台車化して 1956年7月から 1960年4月の部分廃止迄の 4年弱だけの使用だったとか。
小瀬温泉駅と言えばスイス風洋館の様な 変電所が有りましたが、鶴江の母親が去り行く11枚目の画像にチラリと映っています。
多木駅長は 転轍器操作の途中で 我が子が生まれた知らせを聞いて そのまま駆け付けたので 脱線事故となりましたが、当時の草軽電鉄では ポイント毎に ダルマと呼ばれた 転換器を使っていたそうです。
また作中で 話の区切り部分で、腕木式信号機が動いていました。これも演出の為で、実際には 赤・青の二灯式信号機を使用していました。16枚目の画像には裏向きですが、左上に二灯式信号機が映っています。
今回も(307.月がとっても青いから)と同様に草軽電鉄の研究家 鉄道青年様の協力を仰ぎ、彼のブログ(草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエロー)の記事を参考にさせて頂きました。
高原鉄道 落葉松沢(からまつざわ)駅長の多木弁造(森繁久彌)が、自殺未遂の末に住み付いた 鶴江(岡田茉莉子)と 年の差婚生活に至るヒューマンドラマです。
タイトルバックから 草軽電鉄の電機+客車が、浅間山をバックに高原を走る姿が映っています。
続いて 多木駅長と 地元温泉旅館 蓬莱館の番頭(田中春男)が、将棋を指しながら 終電車を待つ場面から この物語は始まります。
21:00 少し前頃でしょうか 警笛が聞こえたので、夜霧が立ち込める中 二人はホームへ出ます。ところが 駅近くの踏切付近で、警笛連呼に続いて 列車は急停止しました。
二人が駆け付けると 運転手は「若い娘を轢いた様だが 見つからない」と言いながら、車掌と共に 車輛の下回りを捜しています。

乗客が騒ぎ出したので 運行再開することにし、番頭と駅長も駅まで便乗します。結局 草津温泉行の終電車から 降車客は無く、予約のあった客は 一つ手前の(鶴留)で下車したので 番頭は無駄足となってしまいました。

自殺しようと 終電車を急停止させたのは、坂本の飲み屋から逃げて来た 酌婦の鶴江でした。行く当てのない鶴江は、多木が独り身なので 隣接の社宅に住み着いたのでした。
中盤 デキ19号機牽引の列車が到着し、

蓬莱館の主人達三人で 昼食休憩の為 途中下車した団体を迎えます。

一同は草津まで未だ、三時間少々と聞いて 驚いています。ところがこの団体は、鶴江が逃げ出して来た 坂本の飲み屋一行でした。
借金を残して逃げたので 主人(上田吉二郎)は怒り顔ですが、蓬莱館主人(左卜全)の仲裁で 話を付けてもらいます。多木が貯金を叩いて 蓬莱館主人に頼む様子を、舞い戻って来た鶴江は

駅舎の外から聞いて涙するのでした。
その後 雪景色の浅間山をバックに 雪原を走る列車が映り、雪の降り積もった落葉松沢駅に 上り新軽井沢行列車が到着し タブレット交換します。

駆け込んで来た 蓬莱館女中の千代(須賀京子)は、「鶴ちゃんに会いたかった」と 意味ありげに言うのでした。

車掌(佐田豊)が「いいかね」と急かしたので 駅長が同意すると、車掌が笛を吹き 雪路を出発して行きました。この列車からは 鶴江を捨てて男と逃げた、母親もと(清川虹子)が 下車して鶴江に会いに来たのです。
もとは鶴江に謝りますが、鶴江は頑として 謝罪を受け付けません。多木は帰り際 もとに切符を進呈します。到着した下り列車から

花嫁さん一行が降車します。

下り列車に乗ったもとを見送ると、「あの娘はおめでたですだ」と告げられ 狼狽します。運転手(大村千吉)に「駅長さんまだかね」と急かされ、

我に返り了解して見送る 多木です。

松林をバックに 去り行く列車を、鶴江は社宅の窓から 寂しく見送るのでした。

その年の夏 油虫の発生による 転覆事故後の視察に、運輸省の技師(千秋実)と 本社の運輸課長(東野英治郎)達一行が来る日 鶴江の出産も迫っています。産婆が新軽井沢を乗ったか、電話で聞いても不明でした。
6人の陽気な若者がホームで騒ぐので 多木がヤキモキする中、

視察団一行が乗る 下り列車が到着します。

騒ぐ若者を 前方入口へ誘導し、後方扉から降車した 視察団を丁重に案内する多木駅長です。

それから後 視察団が乗る 臨時16レ試運転列車が栗平駅を出発した連絡があります。多木駅長は 転轍器を操作する途中で 生まれた知らせを聞き、喜びに舞い上がって そのまま 社宅の方へ駆けつけてしまいます。
一方 試運転列車では 運輸省の技師が「良い眺めだねー」などと車窓を楽しんでいます。そして上り列車が 接近して来た姿が映り、

切り替え途中の中途半端な状態のポイントで 脱線に至ったのでした。
一方 多木駅長は 安産祈祷の為に呼ばれた 浅間教の教祖(三好栄子)から 御神酒を貰ったりして 手伝いの御婦人達とお祝いの最中です。
そこへ視察団一行が 何とかフラフラしながら 歩いて現れ、人身事故には至らなかったものの 大目玉を喰った駅長は 十五年無事故表彰も吹っ飛んでしまいました。
その後 教祖が帰る下り列車を見送ろうとしていると、

男を追い駆けて 東京へ行った千代が 憔悴した様子で帰って来ました。

PS.
草軽電鉄の小瀬温泉駅を 架空の落葉松沢駅として、老駅長 多木弁造の山あり谷ありの日常と鶴江との ほのぼのとした やりとりを 四季を通じて描いています。
架空駅とはいえ 両隣駅を鶴留・長日向と 実在の駅名で映し、近くに温泉旅館まで登場させているので 分かり易いです。
全編 季節を問わず登場する車輌は、デキ 12形 19号機+ホハ 10形ホハ 12客車のコンビに限定されています。
この 19号機はボンネット部分が 抵抗器増設の為 連結器の上まで延長されたタイプで、同様の改造機 5台中天板がフラットなのは この19号機と21号機の2台のみだそうです。
ホハ12客車は 東武鉄道伊香保軌道線から 譲渡された車輌を、草軽電鉄で電装解除・ボギー台車化して 1956年7月から 1960年4月の部分廃止迄の 4年弱だけの使用だったとか。
小瀬温泉駅と言えばスイス風洋館の様な 変電所が有りましたが、鶴江の母親が去り行く11枚目の画像にチラリと映っています。
多木駅長は 転轍器操作の途中で 我が子が生まれた知らせを聞いて そのまま駆け付けたので 脱線事故となりましたが、当時の草軽電鉄では ポイント毎に ダルマと呼ばれた 転換器を使っていたそうです。
また作中で 話の区切り部分で、腕木式信号機が動いていました。これも演出の為で、実際には 赤・青の二灯式信号機を使用していました。16枚目の画像には裏向きですが、左上に二灯式信号機が映っています。
今回も(307.月がとっても青いから)と同様に草軽電鉄の研究家 鉄道青年様の協力を仰ぎ、彼のブログ(草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエロー)の記事を参考にさせて頂きました。


