
1981年10月 東宝 配給 公開 キネマ東京・シバタフィルムプロ 製作 カラー作品 監督 松山善三
サリドマイド児として生まれた松原典子(辻典子・現 白井のり子)が 母親 春江(渡辺美佐子)と共に 試練を乗り越え公務員となり、社会人としての独り立ちを目指す 苦難の青春期迄を描いたセミ・ドキュメンタリータッチの映画です。
冒頭 鹿児島本線熊本駅へ到着する、481系特急有明号らしきの姿が映ります。

続いて典子の通う高校のクラスでは スピーチ会が行われ、下校時 熊本市電らしきに学友と乗って 進路について話す皆の姿が映るシーンへと続きます。

母親と将来について話した次の朝でしょうか、雨が激しく降る中 熊本電鉄のモハ122 藤崎宮行が駅に到着します。

ここ黒髪町駅で大勢の高校生に混じって、典子は学友の傘に入れてもらいながら 降りて来ました。

当初 大学進学を希望していた典子ですが 年老いて行く母親の姿に公務員を目指す様になり、先生が家庭訪問して 熊本市役所受験の説明をしてくれます。翌朝から一人で早起きして 決意を示す姿が映る時、早朝に熊本市電 2系統1350形 1354の走行シーンが映ります。

その後 皆の協力もあって、校長先生から市役所合格の電話が 典子の元にありました。典子は大喜びで母親に知らせるべく、熊本市電の専用線区間らしきを 近道して1200形1205とすれ違いながら蓮根工場へと走ります。

熊本市役所ではそつなく仕事をこなす典子でしたが、どうしても他人の世話になる場面を経験します。この辛い経験を予期する様に、雷が鳴る薄暗い空の下を熊本電鉄の電車が走ります。
典子はこの経験から 自立することを目指して、広島の阿多田島にいる 文通相手の所への一人旅を思い立ちます。
反対する母親を説得し、バックを肩から下げて熊本駅へ向かいます。出札口に並ぶ人に「すみません、広島の大竹まで切符を買って下さい」と頼み、「博多まで特急で徳山まで新幹線に乗って在来線で大竹まで」と説明して 切符購入を代行してもらいます。
熊本駅を出発し 身を捩る様に転線を重ねて走る、481系特急有明の姿を超望遠レンズで追い駆ける様に捉えるシーンへと続きます。

車内では車掌さんの検札が始まり、典子は緊張顔です。

やがて列車は博多駅4番ホームへ到着し、


降車する乗客に混じって典子も降りて来ました。

続いて新幹線の進行逆向き3列シートの真ん中に典子は座っています。これは丁度公開年から投入された 新造の0系新幹線2000番台から採用された 集団離反型シートです。母親から「どうやって弁当を買って食べるの!」と言われていましたが、窓側席の男性にサンドウィッチと缶ジュース購入を代行してもらい 更に食べさせてもらいます。

やがて新幹線は徳山駅へゆっくり到着し、7号車から典子が降りてくる姿をレンズは遠くから捉えています。

続いて山陽本線上り3番ホームで、乗換える115系電車らしきを迎える典子をレンズは追いかけています。

そして大時計が16:45を指す頃典子は漸く大竹駅へ到着し、

目的地阿多田島への行き方を尋ねてタクシー乗り場へ向かうのでした。
PS.
本作の序盤と中盤に数々の苦難が続いた 典子の生い立ちの過程が紹介され、何にでも積極的に挑み続けた故に 器用に両足を使って何でもこなす 現在の姿を描いています。特にミシンに糸を通す場面には、鑑賞当時 場内から驚きの声が聞こえたのが想い出です。
さて 雨の熊本電鉄黒髪町駅に モハ121形が到着する場面ですが、この車輛は1931年汽車製造・東京支店製の元 南武鉄道100形で 1956年に国鉄から譲渡され1985年まで走っていました。
熊本市役所合格の知らせを一刻も早く母親に知らせたく 熊本市電の専用線区間の線路内を走るシーンは、現在のB系統(上熊本~健軍町)新町~塩屋町〔現 洗馬橋停留所〕の専用線区間でしょうか。この1200形 1205も前出の1350形 1354も、共に現役で活躍しているそうで嬉しい限りですね。
481系特急有明は当時18往復もあって、典子が乗った4号は3本しかない 熊本~博多ノンストップ特急でした。それが現在では平日の朝に、大牟田~博多の上り片道1本しか存在しかないのです。
典子の行程を当時の時刻表(不正確部分を含む)で再現すると、熊本7:44―(1004M特急有明4号)―9:14博多11:56―(ひかり118号)―13:11徳山14:06―(快速3122M)―・・・(552M)-16:44大竹着
本来なら有明4号で博多に着けば、9:56発のこだま402号に乗り継ぎ11:11に徳山へ着きます。ところがこれだと 車内で昼食と合いませんので 上記の様に2時間後の列車と思われます。
更に徳山14:06発の3122Mに乗ると、15:14に大竹に着きます。どこかで途中下車して552Mに乗り継ぎ 16:44着なのか? これは午後便には間に合わず、夕方の阿多田島への船便(現在なら17:15発⇒17:50着)を考えてのことだと思われます。
作中では 夕方前に阿多田島へ到着しているので 敢えて推理すると、有明4号で博多へ9:14に着くと 9:56発のこだま402号に乗り継ぎ 11:49広島着(車内で早目の昼食)山陽本線下り12:21発―(快速313M)―12:59大竹着 連絡線(現在なら14:40発⇒15:15着)の午後便を利用すれば本編と合致します。
熊本駅から大竹駅を降りるまで 車内以外では本人に録音機を持たせ、離れた位置から撮影して ドキュメンタリー風の仕上がりを 松山監督は狙った様です。(かなり冒険的な撮影ですが・・・)
本作は身体障害者本人に演じてもらうという 思い切った発想で製作されました。助監督として演技指導に当たった 高峰秀子は当時既に女優を引退していましたが、監督の妻でもあり 典子さんと二人三脚で困難な撮影を成功に導いたと思われます。
小生 本作を公開の翌年に 東京の飯田橋佳作座か早稲田松竹で観て感動した記憶があります。同時上映か同時期に観た「震える舌・1980年 監督 野村芳太郎」も強烈な印象に残っていますが、この作品の主演とも言える 昌子を演じた若命真裕子の怪演が印象的でした。今回調べる内に 少女期の典子を演じたのが、同じ若命真裕子と分かって驚きました。
サリドマイド児として生まれた松原典子(辻典子・現 白井のり子)が 母親 春江(渡辺美佐子)と共に 試練を乗り越え公務員となり、社会人としての独り立ちを目指す 苦難の青春期迄を描いたセミ・ドキュメンタリータッチの映画です。
冒頭 鹿児島本線熊本駅へ到着する、481系特急有明号らしきの姿が映ります。

続いて典子の通う高校のクラスでは スピーチ会が行われ、下校時 熊本市電らしきに学友と乗って 進路について話す皆の姿が映るシーンへと続きます。

母親と将来について話した次の朝でしょうか、雨が激しく降る中 熊本電鉄のモハ122 藤崎宮行が駅に到着します。

ここ黒髪町駅で大勢の高校生に混じって、典子は学友の傘に入れてもらいながら 降りて来ました。

当初 大学進学を希望していた典子ですが 年老いて行く母親の姿に公務員を目指す様になり、先生が家庭訪問して 熊本市役所受験の説明をしてくれます。翌朝から一人で早起きして 決意を示す姿が映る時、早朝に熊本市電 2系統1350形 1354の走行シーンが映ります。

その後 皆の協力もあって、校長先生から市役所合格の電話が 典子の元にありました。典子は大喜びで母親に知らせるべく、熊本市電の専用線区間らしきを 近道して1200形1205とすれ違いながら蓮根工場へと走ります。

熊本市役所ではそつなく仕事をこなす典子でしたが、どうしても他人の世話になる場面を経験します。この辛い経験を予期する様に、雷が鳴る薄暗い空の下を熊本電鉄の電車が走ります。

典子はこの経験から 自立することを目指して、広島の阿多田島にいる 文通相手の所への一人旅を思い立ちます。
反対する母親を説得し、バックを肩から下げて熊本駅へ向かいます。出札口に並ぶ人に「すみません、広島の大竹まで切符を買って下さい」と頼み、「博多まで特急で徳山まで新幹線に乗って在来線で大竹まで」と説明して 切符購入を代行してもらいます。
熊本駅を出発し 身を捩る様に転線を重ねて走る、481系特急有明の姿を超望遠レンズで追い駆ける様に捉えるシーンへと続きます。

車内では車掌さんの検札が始まり、典子は緊張顔です。

やがて列車は博多駅4番ホームへ到着し、


降車する乗客に混じって典子も降りて来ました。

続いて新幹線の進行逆向き3列シートの真ん中に典子は座っています。これは丁度公開年から投入された 新造の0系新幹線2000番台から採用された 集団離反型シートです。母親から「どうやって弁当を買って食べるの!」と言われていましたが、窓側席の男性にサンドウィッチと缶ジュース購入を代行してもらい 更に食べさせてもらいます。

やがて新幹線は徳山駅へゆっくり到着し、7号車から典子が降りてくる姿をレンズは遠くから捉えています。

続いて山陽本線上り3番ホームで、乗換える115系電車らしきを迎える典子をレンズは追いかけています。

そして大時計が16:45を指す頃典子は漸く大竹駅へ到着し、

目的地阿多田島への行き方を尋ねてタクシー乗り場へ向かうのでした。
PS.
本作の序盤と中盤に数々の苦難が続いた 典子の生い立ちの過程が紹介され、何にでも積極的に挑み続けた故に 器用に両足を使って何でもこなす 現在の姿を描いています。特にミシンに糸を通す場面には、鑑賞当時 場内から驚きの声が聞こえたのが想い出です。
さて 雨の熊本電鉄黒髪町駅に モハ121形が到着する場面ですが、この車輛は1931年汽車製造・東京支店製の元 南武鉄道100形で 1956年に国鉄から譲渡され1985年まで走っていました。
熊本市役所合格の知らせを一刻も早く母親に知らせたく 熊本市電の専用線区間の線路内を走るシーンは、現在のB系統(上熊本~健軍町)新町~塩屋町〔現 洗馬橋停留所〕の専用線区間でしょうか。この1200形 1205も前出の1350形 1354も、共に現役で活躍しているそうで嬉しい限りですね。
481系特急有明は当時18往復もあって、典子が乗った4号は3本しかない 熊本~博多ノンストップ特急でした。それが現在では平日の朝に、大牟田~博多の上り片道1本しか存在しかないのです。
典子の行程を当時の時刻表(不正確部分を含む)で再現すると、熊本7:44―(1004M特急有明4号)―9:14博多11:56―(ひかり118号)―13:11徳山14:06―(快速3122M)―・・・(552M)-16:44大竹着
本来なら有明4号で博多に着けば、9:56発のこだま402号に乗り継ぎ11:11に徳山へ着きます。ところがこれだと 車内で昼食と合いませんので 上記の様に2時間後の列車と思われます。
更に徳山14:06発の3122Mに乗ると、15:14に大竹に着きます。どこかで途中下車して552Mに乗り継ぎ 16:44着なのか? これは午後便には間に合わず、夕方の阿多田島への船便(現在なら17:15発⇒17:50着)を考えてのことだと思われます。
作中では 夕方前に阿多田島へ到着しているので 敢えて推理すると、有明4号で博多へ9:14に着くと 9:56発のこだま402号に乗り継ぎ 11:49広島着(車内で早目の昼食)山陽本線下り12:21発―(快速313M)―12:59大竹着 連絡線(現在なら14:40発⇒15:15着)の午後便を利用すれば本編と合致します。
熊本駅から大竹駅を降りるまで 車内以外では本人に録音機を持たせ、離れた位置から撮影して ドキュメンタリー風の仕上がりを 松山監督は狙った様です。(かなり冒険的な撮影ですが・・・)
本作は身体障害者本人に演じてもらうという 思い切った発想で製作されました。助監督として演技指導に当たった 高峰秀子は当時既に女優を引退していましたが、監督の妻でもあり 典子さんと二人三脚で困難な撮影を成功に導いたと思われます。
小生 本作を公開の翌年に 東京の飯田橋佳作座か早稲田松竹で観て感動した記憶があります。同時上映か同時期に観た「震える舌・1980年 監督 野村芳太郎」も強烈な印象に残っていますが、この作品の主演とも言える 昌子を演じた若命真裕子の怪演が印象的でした。今回調べる内に 少女期の典子を演じたのが、同じ若命真裕子と分かって驚きました。


