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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

283.生きものの記録

1955年11月 東宝 製作 公開   監督 黒澤明

度重なる水爆実験の放射能への被害妄想に取り付かれた中島喜一(三船敏郎)と、彼に翻弄される家族の葛藤を描いた映画です。

タイトルクレジットでは東京 日本橋交差点らしきを行きかう、都電各線の様子がバックに映っています。28系統(錦糸町駅~都庁前)の 3000形 3167には大勢の乗車待ち客が、日本橋停留所から乗ろうとしています。
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また40両だけ製造されて早稲田車庫に配置され、15系統(高田馬場駅~茅場町)で活躍した 800形 821の姿も見ることができます。
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続いて 四谷三丁目行を表示した都電が、歯科医であり家裁の調停委員をしている原田(志村喬)の家の前を走り抜けて行きます。
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四谷三丁目が起終点停留所だったのは、7系統(四谷三丁目~品川駅前)・33系統(四谷三丁目~浜松町一丁目)でした。原田の家は、周囲の雰囲気から左門町辺りでしょうか。

中島は放射能の恐怖から逃れる為 一代で築き上げた資産を使って、一家全員はおろか妾親子まで一緒に南米のブラジルへ移住しようと言い出します。
大反対の息子たちは家庭裁判所に、父親の準禁治産者宣告(現 被保佐人)を申し立てるのです。原田も参加しての協議の結果、準禁治産者となった中島は何も出来なくなりました。

ある日専用線区間の長い都電 32系統に原田が乗っていると、
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車内で呆然とした顔の中島を見掛けます。
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声を掛けても返事は無く、
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無視する様に次の停留所で降車して行きます。
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国鉄大塚駅高架下の大塚駅電停の様です。
原田も続いて降りると、なおも中島に声を掛けます。
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停車していた 7000形 7051が発車して行くと先を歩く中島が振り返り「何の御用ですか!」、原田は「そう仰られると困るんですが」と棒立ちです。
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更に高架下歩道の角まで行った中島は速足で戻って来ると、「放射能が怖いのにアンタ方のお蔭で手も足も出ない。」と大声で言われて呆然と立ち尽くす原田でした。
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PS.

 タイトルクレジットのバックで、賑やかな日本橋交差点らしきを行き交う都電や自動車が映っています。永代通りを行く 28・15系統の都電は映りますが、交差する 1・19・22・40系統の各線は横姿だけでナンバーが分かりません。

 4番目の画像で対向する電車は、王子電気軌道時代(当時:200形)から働く 170形の 173です。1942年に当時の東京市電に合併された王子電気軌道ですが 32・27系統となった内、元々専用線区間が長かった現在の(三ノ輪橋~早稲田)が残された様です。
 当時 35歳の三船敏郎はメーキャップと入念なリハーサルで 60代と設定された中島喜一を演じています。5枚目の画像の表情は見事ですね。

 都電大塚駅電停場面は、有名なセット撮影です。7051の電車後部から壁タイル・レールと石畳・出口のアーチ部分まで、黒澤監督の指示で忠実に再現されています。
 只 この場面にこれ程のセットを作るとは、意見の分かれるところでしょう。一転 最後の画像で犬のマークでお馴染みの小田急バスが登場するのは? 砧から近い狛江車庫から借りたのでしょうか 黒澤監督にしては・・・

 終盤に中島の放火で焼失した鋳鉄工場が映りますがこれは 45日と一千万円を掛けて作ったセットを撮影後に燃やして、更に 20日と三百万円掛けて手を入れたセットで撮影したそうです。前年(七人の侍)を大ヒットさせて、予算を掛け易かったのでしょうか
 タイトルクレジットのスタッフ紹介で、音楽を担当した親友でもある早坂文雄が急死したので単独明記しています。そしてエンドマークの後も約二分間に渡ってテーマ曲を、何も無い黒画面に流し続けて彼への追悼の意を表している様です。
 

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282.ひかげの娘(こ)

1957年6月 東京映画 製作  東宝 配給 公開   監督 松林宗恵

母も祖母も芸者上がりの芸者屋で自らを日陰の子と劣等感をもって育った房子(香川京子)が、理想の男性を求めてさまよう長い旅路を描いた映画です。

序盤 房子の回想シーンとして 房子の母である妻に情夫と駆け落ちされた父 繁雄(東野英治郎)が、二人を追い駆けて修善寺駅へ駆け付ける場面があります。
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撮影時点では駿豆鉄道 修善寺駅へ繁雄が駆け込んで行くのですが、この頃の駅前は砂利敷きでボンネットバスが2台程のんびり停車しています。
慌てて降車口からホームを見渡す繁雄ですが、電車は直前に発車した後で遥か先へ過ぎ去って行くところでした。この当時は貨物営業も行われていて、広い構内には貨車の姿もあります。
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その後 父と上京した房子は、伯母 お絹(山田五十鈴)が営む芸者置屋 小浜で帳場を預かる様になります。そしてこの店を通して色々なタイプの男と知り合う房子でした。
ある日 店で働く芸者 政代(淡路恵子)が男と駆け落ちします。お絹は修善寺の綾子(塩沢登代路)の所へ行ったに違いないと、房子に捜し出して連れ帰る様に頼みます。

東海道本線 三島駅まで来た房子は、駿豆線に乗り換える前に駅前から綾子の所へ探りの電話をします。続いて公衆電話から出た房子が、三島駅へ戻る姿が映ります。
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早春の富士山をバックに伊豆箱根鉄道 駿豆線のモハ50形(先頭はモハ54?)らしき2連電車の走行シーンの後、
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車内で座る房子の対面には賑やかに談笑する洋装の芸者らしき3人組がいます。
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政代は修善寺にいませんでしたが、数日後に湯河原の旅館にいる政代から助けてほしい旨の連絡が入ります。そこで再び房子が湯河原へ、政代引き取りの為派遣されるのでした。
房子は湯河原に高校の同級生 高野弘(佐原健二)がいるのを思い出し、序に会おうとして電報を打ちます。80系電車が到着する東海道本線 湯河原駅ホームには、高野が出迎えています。
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房子が何処から降りてくるかとキョロキョロ捜していると、二等車から洋装で降りて高野を捜しています。
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それを見付けた高野が「ふさチャン」と駆け寄れば、房子も「ひろチャン」と笑顔で応えます。
しかし話す内に高野も体目当ての他の男と同類に思えた房子は、政代を連れてさっさと帰ってしまいます。

後日 高野から商用で上京したのでと連絡が入り、苺のお土産をもらいます。お礼に房子が東京駅まで、高野の見送りに行く場面があります。
湘南電車の案内板が映った後 80系電車の窓越しに「未だお嫁さんになってくれる見込みあるね」と高野が笑顔で聞くと、房子はドライな微笑で「ばかね」と一言です。
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電車が動き出し 手を振る高野に「さよなら」と一言呟いた後は、更に手を振る高野にすまし顔で黙礼をするだけの房子です。
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12番線から去り行く 80系電車の最後部が映ると、3枚窓が特徴の初期型でした。
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高野を見送った房子は、八重洲口からタクシーで鶯谷のホテルに泊まる山岸(中村伸郎)の処へ向かうのでした。







PS.

 本作の公開4日前に駿豆鉄道から伊豆箱根鉄道へと改称したので、category は伊豆箱根鉄道 駿豆線としましたが、撮影は駿豆鉄道時代に行われたものです。

 湯河原駅で房子は二等車である 5号車のから降りて来ますが6号車も二等なので、放送はありませんがこの列車は 14:21着の 801レ準急伊豆号 伊東・修善寺行の模様です。

 東京駅での見送り場面は、流れる構内放送で同じく 801レ準急伊豆号の様です。高野は房子と違って、三等車で湯河原まで帰るのですね。
 準急伊豆号は加速の良い電車なので 13:00発の急行霧島号より 5分早く出発しますが、熱海到着は 19分も早く到着します。つまり熱海までの所要時間が 14分も短いのです。停車駅数は同じでも小田原が 30秒停車の様な、発着共に同時刻表示と停車時間も短いのでした。


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