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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

281.あいつとの冒険

1965年9月 日活 製作 公開   監督 堀池清

ひょんなことから高校生の男女が二人だけで旅行へ出掛けることになり、行く先々での出来事を二人で乗り越えてゆく青春映画です。

修学旅行へ参加せず その期間葉山光夫(太田博之)と安田明(富松千代志)が気ままな旅をする計画を立てますが、クラス委員の宗片紀子(太田雅子)に知れて3人で行くことになります。
いよいよ出発の朝 先ず東京駅14番線から 8:54に出る、急行第一伊豆号 伊豆急下田・修善寺行の案内板が映ります。
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14番線では葉山と紀子が、未だ来ない安田を不安そうに待っています。
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その時 階段を安田が「オーイ」と、声を掛けながら駆け上がって来ました。
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ほっとした二人が電車に乗ろうとすると、安田が「バイトで行けなくなった 悪いけど二人で行ってくれ」と言います。
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急行第一伊豆号の発車時刻が迫ったので、驚く二人を安田はデッキに押し入れ「元気でな」と気楽に見送ります。
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157系急行第一伊豆号はゆっくりと発進して行きました。
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電車が動き出しても安田は「元気でな」と言いながら手を振っていますが、これは153系の半車ビュッフェ車輛サハシ153形の様で ウエイトレス嬢が整列をしている模様ですね。
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更に次の車輌はサロ152形の様なので、この列車は 8:30 発 101M急行六甲号 大阪行と思われます。この場面は何故か、六甲号で撮影された方が使われた様です。

続いては車内シーンで、車掌(桂小かん)に依る検札が始まりました。
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葉山は紀子とアベック旅行の様な形となったので、落ち着かなくキョロキョロしています。
すかさず紀子が「脱走囚みたいな顔だと怪しまれるわよ」と声を掛けると、「わかってるよ」とイラついた様子です。
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そんな二人の心を前席の大沢夫(大森義夫)妻(小夜福子)が和ませてくれます。
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やがて熱海で分割された急行第一伊豆号の後ろ半分(8号車~13号車)は、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り入れ終点の修善寺駅へ到着します。
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高い位置から駅舎を俯瞰したシーンでは、現在より2代前の木造駅舎と周辺が映っています。
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二人は伊豆半島を周遊する内にケンカ別れしたり、不良に襲われたのを元三(中村是好)に助けられたりします。
ところが元三の娘 カズエ(工藤富子)が紀子の家に手紙を出したことから冒険旅行が親に知れることとなり、紀子の両親と葉山の母親が下田温泉ホテルへ駆け付けますがチェックアウトした後でした。

帰路に就いた二人は又も 157系である下田始発の東京行 急行第一伊豆号らしきに乗車していて、先ずは根府川にある有名な白糸川橋梁を渡る様子が映ります。
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車内では葉山がデッキの方へやって来て
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紀子がいたのを見付けると、「どうしていなくなったんだ」と咎めます。
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PS.
 
 東京駅でのロケは 8:30発の急行六甲号から始まった様で、不安顔で安田を待つ二枚目の画像で横に映っているのは 153系と思われます。
安田が到着した3枚目の画像では、157系の一等車サロ157形3号車のデッキ付近で待っています。しかし1号車~7号車は伊豆急下田行なので、修善寺へ向かうなら8号車以後でなければ・・・
しかも急行伊豆号は当時看板列車なので、全車指定列車でした。当然指定席急行券を持つ葉山達が、3号車付近で安田を待つのが分かりません。

 157系は1959年に特急同等の設備を持つ特別準急日光号としてデビューし、東海道本線大阪行特急ひびき号としても使われ新幹線開業後の1964年11月より急行伊豆号として働きました。
この時下田行・修善寺行共に一等車を2両ずつ連結する豪華編成でした。でも非貫通構造なので3号車デッキから乗ったのでは、発車後では8号車以後の修善寺行へ移動できませんね。

 153系の準急伊豆号から急行伊豆号へ昇格した折に特急同等の車内設備の 157系となり、急行とは思えない豪華車輌となりました。しかし4年半後には 157系は特急あまぎ号へ移行し、伊豆号は元の 153系電車に戻されてしまいました。
157系での車内シーンは二等車を一両貸し切りにして、エキストラを座らせて撮影したと思われます。進行右側の席は前向きで座り、葉山達左側の席は全て向かい合わせに回して座るなど有り得ません。(今回は色々突っ込み過ぎですね!)

 安田の見送り場面に映っているサハシ153形でウエイトレスがホームへ向かって立っているのは、食堂車職員の伝統行事に準じた始発駅発車の際の整列してのお辞儀の模様と思われます。


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280.海を渡る波止場の風

1960年5月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 山崎徳次郎

謎の現金輸送セスナ機遭難事件が起き 許婚者であるパイロットを求め鹿児島へ父と向かう塚越尚子(浅丘ルリ子)や、真相を求める野村浩次(小林旭)の活躍を描く「流れ者シリーズ第二弾」のアクション映画です。

冒頭 事故の一部始終が映った後 鹿児島へ向かう列車の二等席に向かい合って座る塚越親子ですが、尚子は事件を報じた新聞を読んでいます。
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父の塚越大作(山内明)は「そんなに思い詰めない方が良い」と諭します。
新聞を置いた尚子が「桜島へ行って光彦さんの墜落現場を見たい」と言うと、塚越は「そんなものを見ても何にもならんよ」とにべもありません。そして最後に蒸機の汽笛音が聞こえて来ます。
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鉄道シーンは最初と最後にしかありませんが、奥山五郎(宍戸錠)に襲われるピンチを尚子は何度も野村に助けられます。
事件が解決した最後に尚子は重傷の光彦(青山恭二)に会えますが、いつしか野村に心が傾いてきた様です。

最後 野村が鹿児島を離れる場面では、先ず今は使われていない鹿児島駅1番ホームに停まる列車に尚子が歩いて行きます。改札口から近いこの辺りでは、現存する2番ホーム側にしか屋根はありません。
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アフレコらしき放送が「まもなく1番線より13:20発 鹿児島本線・山陽線・東海道線周り、上り東京行 急行きりしま号が発車します」と流れる中、尚子は野村を捜してホームを歩きますが見つかりません。
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やがて発車ベルが鳴り響き、助役さんの合図で汽笛が鳴り
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蒸機の動輪が動き出します。
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尚子は小走りで更に野村を捜して、ホームを前方へ移動して行きます。
その時 客車最後部(最後部は荷物車)の、デッキに立つ白いスーツ姿の野村に気付きます。
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尚子は「浩次さん!」と声を掛けますが、野村は無言で手を振るだけです。
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更に尚子は列車を追い駆けながら「浩次さん!」と3回声を掛けますが、
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デッキから身を乗り出して手を振るだけで 最後は尚子に応えるかの様に2度汽笛が鳴って 涙する尚子を残して去り行くのでした。
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続いて 次の竜ヶ水駅との間にあるトンネルを抜けて来た、C556蒸機が牽く列車が映ります。現在の吉野町 花倉・上花倉バス停の中間にある短いトンネルと思われます。
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次に海越しに桜島を臨みながら走る区間で、ドアを開けたままのデッキで物思いにふける野村がいます。
その次には背後に桜島を臨みながら、C55 34蒸機が5両の客車を牽いて走り抜けて行きます。
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涙をハンケチで拭きつつ尚子は左手に鹿児島客車区を臨みながら、吹っ切れたかの様に改札口方向へゆっくり歩いて行きます。
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最後は 遠く桜島を背後に臨む、帖佐~錦江にある別府川橋梁らしきを渡る蒸機列車が映りながらエンドマークとなります。

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PS.

 東京から鹿児島へ塚越社長親子は列車で行くのですから、当時最速の9レ特別急行はやぶさ号(東京19:00発―鹿児島17:50着)に乗ったと思われます。
その二等座席車内シーンはセット撮影の様ですが(本物は肘掛の付いたスロ54かナロ10形)、寝台車から朝食後に9:40着の小郡で二等座席に乗り換えたと想像します。

本作の撮影期間(5月2日~5月21日)ならば鹿児島の日没が19時過ぎなので、是非17:50の特別急行はやぶさ鹿児島駅到着シーンを入れて欲しかったですね。
本作公開後2か月で特別急行はやぶさは旧型客車から20系ブルートレイン化され、それまで通過!していた西鹿児島駅発着と変更され 鹿児島駅まで来なくなっただけに残念です。

 鹿児島駅の1番線から鹿児島本線経由の東京行 急行きりしま号が発車していますが、今は無き1番線は日豊本線側にしか行き来できない行き止まり線の終端ホームでした。
どうやら撮影用に仕立てられた列車の様で急行札に東京行(博多経由)のサボを取り付け荷物車を含めて8両編成ですが、号車番号札は無く 帯付きの 二等車も連結されていません。

 撮影に際して大勢のエキストラを動員し、後部2両の客車に集中して乗せ 撮影した様です。アフレコと思われる構内放送は、1番線の事以外は急行きりしま号の正確な内容です。
1・2番線ホームを閉鎖して多くの駅員を配置して撮影が行われた様で、10枚目の画像で3番線停車中の列車の窓やデッキから多くの人が顔を出して1番線のロケを見ていて ちょっとした騒ぎです。

 普通の映画であれば、野村が手を振りながら尚子の前から去って行ったところでエンドマークでしょう。
しかしこの映画では、桜島をバックにした撮影名所で蒸機牽引列車のサービスカット?が続きます。鉄道ファンとしては嬉しいのですが、何れも急行きりしま号の走らない日豊本線での撮影です。
C55形蒸機は共に宮崎機関区所属で、西鹿児島(鹿児島)~宮崎の運用にあたっていた普通列車を撮影した模様です。

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279.キューポラのある街

1962年4月 日活 製作 公開   監督 浦山桐郎

鋳物工場の多い川口の街で貧困と向き合う中学三年生 石黒淳(吉永小百合)を中心に、北朝鮮帰還で悩む在日コリアン家庭を並行して描いた社会派映画です。

冒頭 川口の説明をする途中で、京浜東北線の 72系電車が県境の荒川橋梁を渡る走行シーンがあります。
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次に淳の弟 タカユキ(市川好郎)・金山サンキチ(森坂秀樹)・ズク(西田隆昭)の三人が、下校時 荒川河川敷を歩いています。その背後の荒川橋梁を、電機が旧型客車を牽いて渡って行くのでした。
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タカユキが両親とケンカして家を飛び出した夜には、線路端にある公園で横をキハ58系らしきDC急行列車(準急?)が通過して行く姿があります。
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その後 進学費稼ぎの為 パチンコ屋でアルバイトを始めた淳でしたが隣の塚本克己(浜田光夫)に見つかり、土手上を話ながら歩く横を 70系電車らしきが走り抜けて行きます。
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修学旅行に持参する小遣いの金額が千円となったが貧困家庭の淳と金山ヨシエ(鈴木光子)は、土手道を歩きながら「私達には無縁の話だ」と考えが一致します。
そこへ裕福な家庭の中島ノブコ(日吉順子)が淳に話しかけてきたので、ヨシエは自転車に乗って先に行きます。その先には電機が無蓋車を長々と牽いて、荒川橋梁を渡る貨物列車の姿が見えます。
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タカユキが工場へ泥棒に入ったのを見付けた淳が公園で主犯のノッポ(川勝喜久雄)とタカユキを問い詰める場面の背後では、電機がゆっくりと旧型客車を牽いています。4両目には一等車を繋いでいます。
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また教室の窓から自転車に乗るヨシエを見かけた淳は、追い駆けてパチンコ屋を辞める話をします。するとヨシエも北朝鮮へ帰る話を悲し気にする場面で、電機が重連で貨物列車を牽いています。
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失職していた淳の父親がノブコの父親のお蔭で再就職できたのに自ら辞めてしまい、家の中が荒れ放題の最中に修学旅行に出かけた淳です。しかし駅までの途中でノブコの姿を見かけた淳は、引け目から思わず物陰に隠れて修学旅行に行きません。
集合場所の川口駅前では淳が来ないので、野田先生(加藤武)は心配顔です。
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一方 淳は荒川の土手に寝転んでいると、その横を皆が乗ったらしき京浜東北線 72系電車が通り過ぎて行きます。
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続いて川口駅改札前にタカユキが現れ、浦和鑑別所へ行く為自動販売機で切符を買います。
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その後ろから淳が弟に気付かず現れ、窓口で浦和迄の切符を買っています。

終盤 川口駅から北朝鮮へ帰還した在日コリアンの金山サンキチでしたが、翌日タカユキが見かけます。事情を聞けば上野から新潟行きの特別列車に乗ったが途中で残った母親が気になって、大宮駅で降ろしてもらったそうです。
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大宮駅で父と姉と別れ、この駅で在日コリアン人々と共に見送るサンキチでした。
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最後は改めて北朝鮮帰還団の一員として特別列車に乗ったサンキチを見送る場面です。川口陸橋上で手を振る淳とタカユキの前に、EF53形らしき電機が次位にマヌ31形暖房車らしきを繋いだ列車が現れサンキチは窓から手を振って応えています。
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車内から身を乗り出してサンキチが手を振るシーンでは、サッポロビール川口工場専用線と無蓋車が映っていますね。
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PS.
 この映画では荒川の土手と荒川橋梁を中心に16か所以上の鉄道シーンがありますが、明確に映っている場面が少ないのは残念ですね。
 浦山監督は荒川の土手と荒川橋梁が気に入った様で、明らかに列車が人物の背景に入る様にタイミングを合わせて撮影した場面が多いですね。

 大宮駅の次の駅はこの当時土呂・東大宮駅は無く、8.9㎞先(遠い!)の蓮田でした。高崎線の方は、現在と同じ宮原駅ですね。

 淳とタカユキが川口陸橋上からサンキチを見送る場面では、左端のサッポロビール川口工場専用線から東北本線下り線まで一気に跨ぐ片渡り線が見えています。
 末期のサッポロビール川口工場専用線では 1986年に廃止されるまで、日車製 15tDLが日通川口支店に依って製品出荷の為に運営されていました。



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