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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

278.あの手この手 PRESENT FROM AKO

1952年12月 大映 製作 公開   監督 市川崑

万年助教授 鳥羽(森雅之)は文化人活動に日々忙しい妻 近子(水戸光子)に頭が上がらず、家出して来た姪のアコ(久我美子)が鳥羽の主権奪還に策を弄するコメディ映画です。

序盤 志摩から家出して来たアコを連れ戻す様鳥羽に頼んで近子は出掛けます。先ず京阪神急行電鉄100系の高速走行シーンがあります。
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続いて先頭部右側のロングシートに座る近子が映ります。
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そこへ向かいの席に座る野呂夫人(望月優子)から声が掛かり
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お尻を振ってシートの隙間を広げ 呼び寄せるのでした。
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そして自身の政治活動や文化活動の事など機関銃の如く喋りまくり、さすがの近子もタジタジです。車内前方には前年の1951年4月に開業した志摩観光ホテルの広告がありますね。
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その後 近子のいる女学校へ公衆電話ボックスの鳥羽から電話が入ります。「アコちゃんと今 阿倍野に居るんだけど、帰りたくないって言うんだ」に対して「ダメダメ絶対ダメ」と近子。
電話を切り「やっぱりダメだアコちゃん」と鳥羽が言うと、アコは「車にひかれてやる」と車道へ飛び出そうと演技します。背後には近鉄南大阪線 大阪阿部野橋駅が入る近鉄百貨店阿倍野店がそびえています。
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1938年大鉄百貨店として開業し 戦災で休業していましてが、1948年4月に全館再開して4年半後の姿です。

鳥羽家にすっかり居候するアコは鳥羽に主権奪還をしてほしく、バー・エトワールのママ 星子と浮気させて近子に焼きもちを焼かせる作戦を天平(堀雄二)にもちかけます。
そして鳥羽・星子・アコ・天平の4人で、生駒山へピクニックに出掛けることになります。先ず 何故か比叡山鉄道(坂本ケーブル)の、初代ケーブルカーらしきが映ります。
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ところが天平は風邪をひいて現れず、ここからの生駒ケーブル山上線車内ではアコが鳥羽と星子の両方へ気遣いして盛り上げようとしているのでした。
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その後 生駒山ろくからアコは姿を消しますが、思惑通りに事は進まないのでした。







PS.
   タイトルクレジットに「協力 近畿日本鉄道」とあったので迷走しましたが、最初の2ドア急行電車は つだ なおき様・すぎたま様のご指摘により京阪神急行電鉄100系と判明しました。

西澤様のコメントにより、最初のケーブルカー画像は比叡山鉄道(坂本ケーブル)の車輌と判明したので修正しました。

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277. 晩春

1949年9月 松竹 製作 公開   監督 小津安二郎

早くに妻を亡くした大学教授 曽宮周吉(笠智衆)が、何かと父の世話を焼く一人娘 紀子(原節子)の結婚を心配して一芝居打つホームドラマです。

冒頭 横須賀線 北鎌倉駅の様子が3カット映ります。
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そして紀子や叔母の田口まさ(杉村春子)が、茶会に参加する場面へと続きます。
その翌日 紀子は病院で検査結果を聞く為、出勤する父に同行して横須賀線で東京へ行くことになります。
先ず 鎌倉駅のホームが映ります。屋根が掛かるのは僅かで、殆どの部分は露天ですね。
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ホームの様子は現在から見ると、隔世の感があります。
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続いて 東京行 63系電車が、軽快なBGMと共に亀ヶ谷トンネルへ向かって行きます。
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久里浜始発らしき電車は混んでいて、二人共立って吊革に掴まっています。
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次に大船から東海道本線へ乗り入れた所でしょうか、複々線区間を走っています。前から2両目は二等車、4両目にはサハ57形らしき太い白帯の進駐軍専用車が連結された10両編成です。
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横須賀線では 1949年1月10日より10両化されました。

その次のカットでは3複線区間から、左方向へ複線が分岐して行く地点が映ります。
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鶴見の先で分岐する品鶴線でしょうか、直進する列車の最後部はモハ32形車輌と思われます。
そして六郷川橋梁を渡るシーンへと続きます。撮影機を窓外へ固定して撮っているので、ポニーワーレントラス橋が続いた後
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プレートガーター橋へと変わる様子が良く分かります。
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横浜に停車した時に席が空いたのでしょうか、紀子も父親の隣に座って本を読んでいます。
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田町駅の先では、右手に大きなガスタンクが現れます。
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浜松町付近では、やや距離を置いて映しています。
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最後は新橋駅南西地点から63系電車を捉えているそうです。
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当時 横須賀線用に配備された 153両の内、63系は 45両で最多でした。
その次のカットは銀座服部時計ビル(この当時はPX)なので、二人は終点 東京駅で降りた様です。






PS.
   前作「276.お茶漬けの味」のコメントへの返信続編でも紹介しましたが、小津監督作品の撮影を担当した厚田雄春氏が(小津安二郎物語 厚田雄春・蓮實 重彦 著 筑摩書房刊)の中で本作についても触れています。

厚田カメラマンは鉄道ファンでもあるので横須賀線に乗って鎌倉~東京で小津監督と共にロケハンすると、好撮影地や見所の助言を行い 小津監督も多くの意見に同意して本編の様な流れとなったそうです。

   車窓からの撮影には張り出し長さを検討した丈夫な台を窓に取り付け、フランス製パルモ撮影機を載せて固定し 駅間でのみ撮影して駅が近づくと中へ収納したそうです。

   また笠智衆と原節子が乗った車内シーンは大船駅から国鉄大船工場までの引込線で、63系電車を借りて行き来してもらい エキストラと共に撮影したそうです。

   小津監督はスクリーン・プロセスが嫌いなので、実車を借りて撮影することが多かったそうです。(225.彼岸花)の特急かもめ号車内ロケも、品川客車区で特ロ車輌を借りて行った様です。

   その究極例が前作のコメントへの返信続編で記した、特急つばめ号の展望車でのロケです。マイテ39形らしきを借りて、急行きりしま号の最後部に沼津まで連結してもらっての撮影でした 予算は?

   

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