
1952年10月 松竹 製作 公開 監督 小津安二郎
育ちも性格も違うが故のすれ違いによる夫婦関係の危機を迎えた倦怠期の二人が、ふとした出来事をきっかけにお互いを見直し関係修復に至るホームドラマです。
冒頭 東京の晴海通りを銀座へ向かうハイヤーに、佐竹茂吉(佐分利信)の妻 妙子(木暮美千代)と姪の山内節子(津島恵子)が乗っています。
三宅坂交差点の先では、ポール集電の1200形らしき都電とすれ違います。

更に日比谷交差点を過ぎると、上下線共に11系統ピューゲル集電 6000形の横を通ります。

悪友 雨宮マヤ(淡路恵子)と修善寺温泉旅行を目論んだ妙子は、友人 黒田高子(上原葉子)や節子を誘って湘南電車に乗ります。

二等車に乗った4人は、女学校時代に戻った様に賑やかです。

当時は未だ座席の白カバーは付いていない様です。

80系湘南電車は好天の元、ハエたたきを張出架設した酒匂川橋梁を渡って快調に東海道本線を下って行きます。

中盤 佐竹は岳父 山内直亮(柳永二郎)から、妙子に大磯へ来る様 伝言を依頼されます。そして妙子は都内 落合にある家から、大磯にある父や長兄の住む実家へ向かいます。
人気のない東海道本線 大磯駅のホームが先ず映り、

何故か大船・横浜・東京と上り線ホームの案内板が映っています。

実家で妙子は、乗り気でない節子の見合いの付き添いを依頼されます。
しかし節子は見合いの席から脱走してしまい、彼女に同情した佐竹は「無理強いしても我々の様な夫婦が一組増えるだけだ」とつい冷え切った夫婦関係の本音を言ってしまいます。
更に家で妙子の嫌いな汁かけご飯を食べているのを見られてしまい、妙子の不機嫌さは増します。妙子と違って「素朴で気楽なものが好きなんだ」と加えたことから、怒って以後の話を聞きません。
そして次の場面では、特別急行列車の一等展望車に一人乗る妙子の姿があります。

後部展望室の窓越しに、停車中の電機が牽く旅客列車を追い越して行きます。神戸の友人を訪ねて行く様です。

「間もなく浜松 12:20着 あと5分程で到着します」と車内放送があり、妙子は周りの誰とも話さず座っているだけです。

続いて天竜川らしき長い鉄橋を渡る様子を、生花が活けてある展望室越しに長々と映しています。

PS.
冒頭 1枚目の画像で左端に制限速度 25マイルの標識があり、日劇辺りで妙子が「PX(占領下に服部時計が接収され進駐軍の購買部となっていた)の手前を右に」と指示するなど占領下の様子です。
本作の公開は対日講和条約が発効された 1952年4月28日から5か月以上先ですが、台本執筆・撮影はかなり前から始まっていたので占領下の設定の様です。
夫を欺いて悪友達と温泉旅行へ向かう電車内の場面は、サロ85形を使って回送車で撮影の様です。 窓から車外の走行場面を映している車輛は、モハ80形かサハ87形と思われます。
妙子が実家へ行く時 大磯駅から実家の場面へ移りますが、この間蒸機の走行音が響いています。姿は映りませんが、茅ヶ崎区のC11が貨車の入換に出張して来ているのでしょうか。
車内放送から妙子が乗っているのは、東京 9:00発 1レ特別急行列車つばめ号大阪行です。そして乗車したのは最後部の一等展望車で、マイテ39形と思われます。
当時 東京~大阪の三等運賃が790円 一等運賃は4倍なので3160円 一等特別急行料金が1500円なので合計4660円です。
佐竹が三等車が好みなので、当て付けで高額な一等車に乗ったのでしょうか。当時 かけそば一杯 17円・米 10㎏ 620円でしたから、実父からの援助もあって妙子はかなり余裕のある生活の様ですね。
この一等展望車でのロケでカメラの位置は一か所だけで、レンズの切り替えと向き変えだけの様に思えます。これは実営業車で国鉄・乗客の協力を得て、20分間限定・台詞無し等の条件でロケしたのでは?
それ故 ロケは最後尾の展望室の先端部分だけで、鉄橋の轟音が続き不機嫌そうな妙子の心情を表している様です。テツファンには内装も一等車に付き物のベテラン給仕さんも映らず物足りない感じがします。
その後 真相が判明したので、コメント欄をご覧ください。
育ちも性格も違うが故のすれ違いによる夫婦関係の危機を迎えた倦怠期の二人が、ふとした出来事をきっかけにお互いを見直し関係修復に至るホームドラマです。
冒頭 東京の晴海通りを銀座へ向かうハイヤーに、佐竹茂吉(佐分利信)の妻 妙子(木暮美千代)と姪の山内節子(津島恵子)が乗っています。
三宅坂交差点の先では、ポール集電の1200形らしき都電とすれ違います。

更に日比谷交差点を過ぎると、上下線共に11系統ピューゲル集電 6000形の横を通ります。

悪友 雨宮マヤ(淡路恵子)と修善寺温泉旅行を目論んだ妙子は、友人 黒田高子(上原葉子)や節子を誘って湘南電車に乗ります。

二等車に乗った4人は、女学校時代に戻った様に賑やかです。

当時は未だ座席の白カバーは付いていない様です。

80系湘南電車は好天の元、ハエたたきを張出架設した酒匂川橋梁を渡って快調に東海道本線を下って行きます。

中盤 佐竹は岳父 山内直亮(柳永二郎)から、妙子に大磯へ来る様 伝言を依頼されます。そして妙子は都内 落合にある家から、大磯にある父や長兄の住む実家へ向かいます。
人気のない東海道本線 大磯駅のホームが先ず映り、

何故か大船・横浜・東京と上り線ホームの案内板が映っています。

実家で妙子は、乗り気でない節子の見合いの付き添いを依頼されます。
しかし節子は見合いの席から脱走してしまい、彼女に同情した佐竹は「無理強いしても我々の様な夫婦が一組増えるだけだ」とつい冷え切った夫婦関係の本音を言ってしまいます。
更に家で妙子の嫌いな汁かけご飯を食べているのを見られてしまい、妙子の不機嫌さは増します。妙子と違って「素朴で気楽なものが好きなんだ」と加えたことから、怒って以後の話を聞きません。
そして次の場面では、特別急行列車の一等展望車に一人乗る妙子の姿があります。

後部展望室の窓越しに、停車中の電機が牽く旅客列車を追い越して行きます。神戸の友人を訪ねて行く様です。

「間もなく浜松 12:20着 あと5分程で到着します」と車内放送があり、妙子は周りの誰とも話さず座っているだけです。

続いて天竜川らしき長い鉄橋を渡る様子を、生花が活けてある展望室越しに長々と映しています。

PS.
冒頭 1枚目の画像で左端に制限速度 25マイルの標識があり、日劇辺りで妙子が「PX(占領下に服部時計が接収され進駐軍の購買部となっていた)の手前を右に」と指示するなど占領下の様子です。
本作の公開は対日講和条約が発効された 1952年4月28日から5か月以上先ですが、台本執筆・撮影はかなり前から始まっていたので占領下の設定の様です。
夫を欺いて悪友達と温泉旅行へ向かう電車内の場面は、サロ85形を使って回送車で撮影の様です。 窓から車外の走行場面を映している車輛は、モハ80形かサハ87形と思われます。
妙子が実家へ行く時 大磯駅から実家の場面へ移りますが、この間蒸機の走行音が響いています。姿は映りませんが、茅ヶ崎区のC11が貨車の入換に出張して来ているのでしょうか。
車内放送から妙子が乗っているのは、東京 9:00発 1レ特別急行列車つばめ号大阪行です。そして乗車したのは最後部の一等展望車で、マイテ39形と思われます。
当時 東京~大阪の三等運賃が790円 一等運賃は4倍なので3160円 一等特別急行料金が1500円なので合計4660円です。
佐竹が三等車が好みなので、当て付けで高額な一等車に乗ったのでしょうか。当時 かけそば一杯 17円・米 10㎏ 620円でしたから、実父からの援助もあって妙子はかなり余裕のある生活の様ですね。
この一等展望車でのロケでカメラの位置は一か所だけで、レンズの切り替えと向き変えだけの様に思えます。これは実営業車で国鉄・乗客の協力を得て、20分間限定・台詞無し等の条件でロケしたのでは?
それ故 ロケは最後尾の展望室の先端部分だけで、鉄橋の轟音が続き不機嫌そうな妙子の心情を表している様です。テツファンには内装も一等車に付き物のベテラン給仕さんも映らず物足りない感じがします。
その後 真相が判明したので、コメント欄をご覧ください。


