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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

272.豚と軍艦

1961年1月 日活 製作 公開   監督 今村昌平

横須賀の米軍基地を背景に非合法稼業から養豚業に乗り出した日森組で、恋人 春子(吉村実子)との明るい未来を夢見て もがく欣太(長門裕之)を軸に描いたブラックジョーク調の青春アクション映画です。

中盤 組織の兄貴分 鉄次(丹波哲郎)が胃潰瘍で入院しますが、胃癌と勘違いして前途を悲観して鉄道自殺を図ります。病院からパジャマ姿で、京浜急行電鉄の踏切方向へフラフラと歩いて行くのです。
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夕暮れの第四種踏切の前方から、ライトを光らせ電車がやって来ます。
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鉄次は飛び込もうとしますが、警笛に威嚇され日産生命の看板の足元に抱きついて果たすことはできませんでした。
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終盤 組織の仲間割れから豚の飼育係である欣太は、大八(加藤武)達一派から豚を売り飛ばす計画に誘われます。欣太は仕事が済んだら、川崎へ逃げたい実子と横須賀駅の終電で待ち合わせます。
ところが日森組長(三島雅夫)達に見付かり、カーチェイスの末 横須賀のどぶ板通りで停車します。ここで両派の手打ちとなりますが欣太はブチ切れ、豚を街へ放ち機関銃を連射した末に射殺されてしまいます。

到着する横須賀線の 70系電車が映った後 
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春子の駆け落ちを察知した母 ふみ(菅井きん)が、隣のおばさん(武智豊子)と横須賀駅の改札口で春子を待ち構えています。
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春子は物陰から改札口方向の様子を伺っていますが、欣太はなかなか現れてくれません。その内に折り返し 23時20分発 上り最終電車は、警笛を鳴らして発車して行ってしまいました。
その時 タクシー運転手同士の「おい どぶ板通りはチンピラが機関銃を振り回していて通れないぞ」という会話が聞こえて、春子は現場へ駆けつけ欣太の死を目の当たりにします。

後日 横須賀駅から米空母寄港に沸く街へ向かう女達の群れに対向して、この街を去る決意をした春子は荷物を手に改札口へ向かっています。この駅舎は3代目で、現有駅舎です。
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続いて高台から横須賀駅全体を俯瞰するシーンでは、現在の3番線部分が切り欠き行き止まりホームで2輌編成程の電車が停車しています。
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久里浜方面は何処かと捜すと、切り欠きホームの先に4番線とも見える通り抜けホームが下部に在ります。現在は切り欠きホームは無く、3番線が久里浜方面の上下線です。








PS.
   兄貴分の鉄次が飛び込み自殺に失敗した場面で、通過する京急電車は不鮮明ながら 600形に見えます。協賛する大きな日産生命の看板の足に、鉄次が抱き付く場面はジョークでしょうか。

   横須賀駅は開業当時から階段の無い頭端式ホームのバリアフリー駅で、改札口も1か所なので春子の駆け落ちを見張るには容易い構造です。

   作中では上りの終電が横須賀駅折り返し 23:20と放送していますが、当時の時刻表では夜9時以後の上り列車は全て久里浜始発でした。終電が折り返して発車するまでの間、欣太を待つ春子の心情を表す演出でしょうか。

   横須賀駅の俯瞰シーンでは左端に3列車程の旧型客車が留置されている様に見えます。また2番線から 70系東京方面の上り列車が発車し、3番線に停車しているのは 40系の2連と思われます。

   当時は横須賀~東京の運行が多く、9時半~16時過ぎは久里浜~東京の直通列車はありませんでした。しかし久里浜~横須賀の区間列車が15分毎に運行されていました。

   現在では逗子~東京方面の列車が多く 昼~16時では久里浜~東京方面の直通列車は一時間毎で、久里浜~逗子の利用者は20分毎の区間列車で不便な乗り継ぎとなっていて横須賀の存在感も低下しています。


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271.終わりなき生命を

1967年7月 日活 製作 公開   監督 吉田憲二 

働きながらも明るく洋裁学校に通う小神須美子(和泉雅子)は難病に罹り下半身麻痺となってしまいますが、周囲の励ましで絶望の底から生き抜いていこうと決心するまでの過程を描いた映画です。

冒頭 北海道の樽前山をバックに室蘭本線社台駅付近の社台ファーム横を走り抜ける、C57形蒸機らしき牽引の旅客列車が映ります。
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続いて 室蘭本線 苫小牧近郊の直線区間らしきを走り来る D51形蒸機が映って、タイトルが入った後 昭和39年3月と公開3年前からの話と表示されます。
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岩内に住む須美子が友達と帰って来て、岩内駅から出てくる場面があります。
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1954年9月の岩内大火で全焼し、翌年再建された駅舎です。1985年6月末をもって、岩内線(小沢~岩内)と共に廃止されました。

須美子の中学校の先輩 内村弘二(山内賢)に礼を言いたくて、札幌行列車に乗り換える小沢駅ホームで捜す場面があります。曲線ホームの先からカメラは、超望遠レンズで撮っています。
牽引機関車は C57形でしょうか?発車ベルが鳴る中 須美子は前後に車内を捜しますが、内村が座る席を通り過ぎて後方へ行ってしまいます。内村が気付いて窓を開け、
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呼び掛けると須美子も振り返ります。
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「次は銀山」と放送が聞こえる中、列車は動き出しました。内村の問い掛けに須美子は「昨日はありがとう」と笑顔で叫び、手を振って見送るのでした。
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脚に異常を感じ原因不明のまま下半身麻痺となった須美子は、変形性脊髄症と分かり札幌で手術を受けることになります。
客車のボックス席の窓側に須美子を寝かせ、父 小神修造(日野道夫)と母 はつ(望月優子)それに看護婦さんが付き添って札幌へ向かいます。
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続いての蒸機走行シーンは、銀山~然別の稲穂峠でしょうか。
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PS.
   冒頭のシーンは岩内線や函館本線とも違う室蘭本線で撮影された様ですが、駅構内を除いて日本一の最長直線区間(白老~沼ノ端 28.7㎞)として有名な区間で雄大な北海道らしい場所として選ばれた様です。

   岩内駅は東映作品「飢餓海峡 1965年公開」の冒頭でも、1947年の話として登場しています。ロケ当時 岩内線はDC化されているので、他で撮影された様です。本作の岩内駅舎は現地での撮影です。

   小沢駅での見送り場面は蒸機が牽く列車の方が絵になるので、岩内ではなく小沢で行ったのでしょうか。ところが函館本線もC62形重連で有名な急行ていね(後のニセコ)はありましたが、岩内から札幌直通の準急はDCでした。
   日中に小沢駅からの普通札幌行は 11:12 発の41レが唯一で、16:43 発の137レは夕方過ぎます。放送が本物ならば、長万部始発の 41レ(小樽 12:36 札幌 13:16着)でロケが行われた様です。
   


   

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