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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

270.喜劇 駅前団地

1961年8月 東京映画 製作  東宝 配給 公開  カラー作品   監督 久松静児

東京近郊の団地造成地に新しい駅が予定され、そこへ病院を建てようとする女医と地元の開業医とのやり取りを喜劇仕立てで描いた映画です。

タイトルバックで東京駅・代々木付近の国電・多摩川を渡る小田急電鉄が映った他、小田急 2200形らしき正面二枚窓の電車の走行場面があります。
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冒頭 小田急電鉄 西生田(現 読売ランド前)駅近くの第三種踏切で、洗濯屋の九作(坂本九)が鳴っている警報を無視して渡ったのを山上巡査(千葉信男)に説諭されます。

呼び止められた久作に山上が話す背後を、小田急電鉄 1600形らしき電車が走り抜けて行きます。当時は茶色塗装と濃黄・紺色のツートンカラー塗装が混在していました。
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九作は山上の御機嫌を取りつつ何とか誤魔化して、その場から逃げて行きます。この場面で西生田駅の駅舎が映り、左側には「日本住宅公団 百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板があります。
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それ故 1960年3月に百合丘第一団地用に開業した百合ヶ丘駅は開業前の時代設定ながら、百合ヶ丘団地は存在して 西生田が最寄り駅であるとのアピール看板の様です。

中盤 不動産屋の桜井平太(フランキー堺)が地元の土地ブローカー(田辺元)に案内されて、車で新駅予定地へやって来ました。線路端へ到着すると、小田急 2400形らしき電車が通ります。
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終盤 数々の騒動が収まった頃 新設された百合ヶ丘駅を、小田急電鉄のフラッグシップ 3000形 SE車がミュージックホーンを響かせながら走り抜けて行くシーンがあります。
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そして百合ヶ丘駅前に「バー・ベーロ」を開店させた桜井は、妻 君江(淡路恵子)の具合が悪く戸倉病院へ往診願いの電話をします。背後は開業間もない設定の、百合ヶ丘駅舎です。
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 PS.
   小田急電鉄 西生田駅は( 147.胎動期 私たちは天使じゃない )でも登場しましたが、趣ある駅舎も 1995年8月に現在の駅舎へ改築されています。当時は駅前でも遮断棒の無い 第三種踏切が主流だった様です。
   西生田駅は 1964年3月に現在の読売ランド前に改称され、同時に隣の東生田駅は生田へ改称されました。

   百合ヶ丘駅を颯爽と走り抜ける 3000形特急ロマンスカーは 1957年10月から運用された車輛で、特徴ある外観は車体と車体の間に台車を配置して重量軽減や低重心化に繋がっています。
   当ブログ( 72.南郷次郎探偵帖 影なき殺人者 )で登場し、( 75.100発100中 黄金の眼 )では改造後の姿が映っています。

   一枚目の画像に記された久保賢とは後に日活映画でスターとなる山内賢です。実の兄が久保明の名で活躍していたので、久保賢の名で東宝映画に出演した様です。その後 日活と契約して芸名を山内賢と変えたのでした。



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269.サムライの子

1963年2月 日活 製作 公開   監督 若杉光夫

北海道 紋別から小樽の貧乏部落へ移った田島ユミ(田中鈴子)が、周囲の応援もあって困難な生活にも負けずに家族と共に成長する姿を描いた映画です。

紋別の祖母 松下すぎ(武智豊子)に預けられていたユミは、迎えに来た父 田島太一(小沢昭一)と共に小樽の市営住宅へ引越すことになりました。
名寄本線 元紋別駅で 祖母・先生・同級生達の見送りを、キハ07形らしき気動車の窓を開けて受けています。
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別れを惜しみながら列車が動き出すと、先生から忘れていた転校先へ出す書類を渡されました。
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やがて C57形蒸機らしきに牽かれた列車が、小樽駅3番線へ到着します。
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この列車は小樽止まりで、2両目は一・二等合造車のスロハ32形の様です。
田島は列車の最後部からホームを出口とは反対方向へと、ユミを誘導して小走りで急ぎます。
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そしてホームから線路へ降りると、斜めに横断しながら「早く早く!」とユミを急かして走ります。ユミは疑問に感じながらも後を追います。
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その時 車掌が二人に気付き、「あんたら何してんだ、待て~」と言いながら追い駆けて来ました。
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ユミは小さいながら、必死で父親の後を追い掛け 走るのでした。
続いて 小樽の街中を蒸機牽引列車が走り、
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踏切で田島親子が開くのを待っています。ユミが「切符買わなかったのか父ちゃん」と聞けば、
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「買ったさ!」「じゃ何故改札から出なかったの?」「近道したんだ」ユミは「ふ~ん」と訳知り顔で微笑みます。





PS.
   元紋別駅は1989年4月末をもって廃線となった名寄本線に存在した駅です。ロケ当時は札幌への直通急行列車 紋別号も1往復走っていました。

   二人が乗車したのは車体中央部にも出入り口があるので、戦前製のキハ07形の様です。九州鉄道記念館にも同型が保存されていますが、丸形の先頭部が映っていないのが残念です。

   二人の行程を推察すると、元紋別 7:24 --(622D)-- 10:01 名寄 10:16--(326D)-- 12:21 旭川 12:27--(142レ)-- 17:23 小樽  二人がホームから 逃げる場面の陽の明るさと合いませんが、そこは大人の事情ということで・・・

   当時 日中に上り小樽終着の蒸機牽引列車は、10:45着の富良野始発 424レと 12:55着の名寄始発 316レの2本が他にあるだけです。 このうち一等車(半室ですが)を連結しているのは 316レだけなので、ロケはこの列車で行われたと思われます。


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