
1961年8月 東京映画 製作 東宝 配給 公開 カラー作品 監督 久松静児
東京近郊の団地造成地に新しい駅が予定され、そこへ病院を建てようとする女医と地元の開業医とのやり取りを喜劇仕立てで描いた映画です。
タイトルバックで東京駅・代々木付近の国電・多摩川を渡る小田急電鉄が映った他、小田急 2200形らしき正面二枚窓の電車の走行場面があります。

冒頭 小田急電鉄 西生田(現 読売ランド前)駅近くの第三種踏切で、洗濯屋の九作(坂本九)が鳴っている警報を無視して渡ったのを山上巡査(千葉信男)に説諭されます。
呼び止められた久作に山上が話す背後を、小田急電鉄 1600形らしき電車が走り抜けて行きます。当時は茶色塗装と濃黄・紺色のツートンカラー塗装が混在していました。

九作は山上の御機嫌を取りつつ何とか誤魔化して、その場から逃げて行きます。この場面で西生田駅の駅舎が映り、左側には「日本住宅公団 百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板があります。

それ故 1960年3月に百合丘第一団地用に開業した百合ヶ丘駅は開業前の時代設定ながら、百合ヶ丘団地は存在して 西生田が最寄り駅であるとのアピール看板の様です。
中盤 不動産屋の桜井平太(フランキー堺)が地元の土地ブローカー(田辺元)に案内されて、車で新駅予定地へやって来ました。線路端へ到着すると、小田急 2400形らしき電車が通ります。

終盤 数々の騒動が収まった頃 新設された百合ヶ丘駅を、小田急電鉄のフラッグシップ 3000形 SE車がミュージックホーンを響かせながら走り抜けて行くシーンがあります。

そして百合ヶ丘駅前に「バー・ベーロ」を開店させた桜井は、妻 君江(淡路恵子)の具合が悪く戸倉病院へ往診願いの電話をします。背後は開業間もない設定の、百合ヶ丘駅舎です。

PS.
小田急電鉄 西生田駅は( 147.胎動期 私たちは天使じゃない )でも登場しましたが、趣ある駅舎も 1995年8月に現在の駅舎へ改築されています。当時は駅前でも遮断棒の無い 第三種踏切が主流だった様です。
西生田駅は 1964年3月に現在の読売ランド前に改称され、同時に隣の東生田駅は生田へ改称されました。
百合ヶ丘駅を颯爽と走り抜ける 3000形特急ロマンスカーは 1957年10月から運用された車輛で、特徴ある外観は車体と車体の間に台車を配置して重量軽減や低重心化に繋がっています。
当ブログ( 72.南郷次郎探偵帖 影なき殺人者 )で登場し、( 75.100発100中 黄金の眼 )では改造後の姿が映っています。
一枚目の画像に記された久保賢とは後に日活映画でスターとなる山内賢です。実の兄が久保明の名で活躍していたので、久保賢の名で東宝映画に出演した様です。その後 日活と契約して芸名を山内賢と変えたのでした。
東京近郊の団地造成地に新しい駅が予定され、そこへ病院を建てようとする女医と地元の開業医とのやり取りを喜劇仕立てで描いた映画です。
タイトルバックで東京駅・代々木付近の国電・多摩川を渡る小田急電鉄が映った他、小田急 2200形らしき正面二枚窓の電車の走行場面があります。

冒頭 小田急電鉄 西生田(現 読売ランド前)駅近くの第三種踏切で、洗濯屋の九作(坂本九)が鳴っている警報を無視して渡ったのを山上巡査(千葉信男)に説諭されます。
呼び止められた久作に山上が話す背後を、小田急電鉄 1600形らしき電車が走り抜けて行きます。当時は茶色塗装と濃黄・紺色のツートンカラー塗装が混在していました。

九作は山上の御機嫌を取りつつ何とか誤魔化して、その場から逃げて行きます。この場面で西生田駅の駅舎が映り、左側には「日本住宅公団 百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板があります。

それ故 1960年3月に百合丘第一団地用に開業した百合ヶ丘駅は開業前の時代設定ながら、百合ヶ丘団地は存在して 西生田が最寄り駅であるとのアピール看板の様です。
中盤 不動産屋の桜井平太(フランキー堺)が地元の土地ブローカー(田辺元)に案内されて、車で新駅予定地へやって来ました。線路端へ到着すると、小田急 2400形らしき電車が通ります。

終盤 数々の騒動が収まった頃 新設された百合ヶ丘駅を、小田急電鉄のフラッグシップ 3000形 SE車がミュージックホーンを響かせながら走り抜けて行くシーンがあります。

そして百合ヶ丘駅前に「バー・ベーロ」を開店させた桜井は、妻 君江(淡路恵子)の具合が悪く戸倉病院へ往診願いの電話をします。背後は開業間もない設定の、百合ヶ丘駅舎です。

PS.
小田急電鉄 西生田駅は( 147.胎動期 私たちは天使じゃない )でも登場しましたが、趣ある駅舎も 1995年8月に現在の駅舎へ改築されています。当時は駅前でも遮断棒の無い 第三種踏切が主流だった様です。
西生田駅は 1964年3月に現在の読売ランド前に改称され、同時に隣の東生田駅は生田へ改称されました。
百合ヶ丘駅を颯爽と走り抜ける 3000形特急ロマンスカーは 1957年10月から運用された車輛で、特徴ある外観は車体と車体の間に台車を配置して重量軽減や低重心化に繋がっています。
当ブログ( 72.南郷次郎探偵帖 影なき殺人者 )で登場し、( 75.100発100中 黄金の眼 )では改造後の姿が映っています。
一枚目の画像に記された久保賢とは後に日活映画でスターとなる山内賢です。実の兄が久保明の名で活躍していたので、久保賢の名で東宝映画に出演した様です。その後 日活と契約して芸名を山内賢と変えたのでした。


