
1959年5月 日活 製作 公開 監督 井上梅次
プロ野球投手 猿丸真二郎(小林旭)と強打者 黒柳平介(宍戸錠)が、大貫登世子(芦川いづみ)を廻ってライバルとして切磋琢磨する青春映画です。
毎朝ディッパーズの新人テストを受ける為、猿丸が伊東へ向かうところから始まります。先ず 東海道本線 白糸川橋梁を渡る、一次型の80系湘南電車が映ります。

車内検札が始まりましたが、猿丸は掏られたのか切符も財布も有りません。猿丸が「伊東までプロ野球の試験を受けに行く」と言うと、後席の登世子がディッパーズの大ファンなのでと言って 切符代を払ってくれます。

ディッパーズ監督 大貫哲也(大坂志郎)の妻 薫(月岡夢路)と登世子・猿丸の三人は、伊東駅から降りて来ました。

そして新人テストを受けた猿丸ですが、黒柳に特大ホームランを打たれ 自信喪失で帰途に就きます。
同じく帰ろうとする黒柳に金を借り 同席した車内で猿丸が、「僕は打たれて自信が無くなった」と言うと「俺は契約金を吊り上げる為、逃げ出してきたんだ」と黒柳が言うので「うまく考えたね」と呆れてしまいます。

大貫監督は二人を入団させたかったので捜していると、登世子がテレビでボクシング試合に出ている猿丸を発見します。そこで大貫と登世子は 72系国電が前を走る、昭栄ボクシングクラブへ猿丸を訪ねます。

ところが試合に負けた猿丸は、こちらも辞めて博多の実家へ帰ったそうです。まだ間に合うかと東京駅へ向かうと、連絡通路隅にある案内板で 21:30発博多行の急行筑紫は15番線と分かります。しかし猿丸は既に前の列車乗った様で、会えませんでした。

黒柳が仲介を頼んだ記者 野々宮(西村晃)の暗躍によって黒柳はディッパーズへ、猿丸は慕っている大貫監督のディッパーズではなくライバル球団 ウェーブスへ入ることになってしまいます。
入団した二人はライバルとして共に大活躍を続け、各地へ遠征に出掛けます。そんな移動の一場面としてC62形らしき蒸機に牽かれた、誕生間もない 特別急行はつかり号の走行シーンがあります。

車内では特ロシートで、大貫監督始めディッパーズの選手達が寛いでいます。

続いて後楽園球場で対戦する様子が入ります。夜行列車の走行シーンの後 特ロ車内で寝ている猿丸らウェーブス選手が映り、

最後は煙突横に小さなデフを取り付けたC60形蒸機牽引列車の走行場面で鉄道シーンは終了です。

PS.
湘南電車と言えば前面2枚窓のスマートな形が象徴ですが、この作品で現れるのは前面3枚窓の一次型クハ86形を先頭にした80系電車です。
猿丸が伊東へ向かう車内で登世子に助けられた場面は、様子からセット撮影と思われます。 駅前でロケが行われた伊東駅は伊豆急開通前なので、当時は行き止まり駅でした。駅舎は小改造のみで、当時と変わず現存しています。
大貫と登世子が猿丸を追って東京駅へ駆けつける場面は、終電後の深夜にエキストラを動員して行われたと思われます。と言うのも 14・15番線のある第 7ホームの案内板が、15番線の急行筑紫は合ってますが 14番線で筑紫に近いのは 21:45発大阪行急行月光です。
22:00発大阪行急行彗星は、10番線から 22:00の出発でした。少なくとも 1958年 11月~ 1959年 11月の間この状態だったので、案内板の誤設置など有り得ない当時の状況からしてロケでは直接関係のない14番線の案内板に彗星の看板を掛けてしまったと推察します。
最後のC60形蒸機は、東北型と呼ばれた煙突横に小さなデフを付けた特徴ある蒸機です。盛岡機関区にも配置されていたので、盛岡~青森で前補機として特別急行はつかり号の先頭でも活躍したことでしょう。
プロ野球投手 猿丸真二郎(小林旭)と強打者 黒柳平介(宍戸錠)が、大貫登世子(芦川いづみ)を廻ってライバルとして切磋琢磨する青春映画です。
毎朝ディッパーズの新人テストを受ける為、猿丸が伊東へ向かうところから始まります。先ず 東海道本線 白糸川橋梁を渡る、一次型の80系湘南電車が映ります。

車内検札が始まりましたが、猿丸は掏られたのか切符も財布も有りません。猿丸が「伊東までプロ野球の試験を受けに行く」と言うと、後席の登世子がディッパーズの大ファンなのでと言って 切符代を払ってくれます。

ディッパーズ監督 大貫哲也(大坂志郎)の妻 薫(月岡夢路)と登世子・猿丸の三人は、伊東駅から降りて来ました。

そして新人テストを受けた猿丸ですが、黒柳に特大ホームランを打たれ 自信喪失で帰途に就きます。
同じく帰ろうとする黒柳に金を借り 同席した車内で猿丸が、「僕は打たれて自信が無くなった」と言うと「俺は契約金を吊り上げる為、逃げ出してきたんだ」と黒柳が言うので「うまく考えたね」と呆れてしまいます。

大貫監督は二人を入団させたかったので捜していると、登世子がテレビでボクシング試合に出ている猿丸を発見します。そこで大貫と登世子は 72系国電が前を走る、昭栄ボクシングクラブへ猿丸を訪ねます。

ところが試合に負けた猿丸は、こちらも辞めて博多の実家へ帰ったそうです。まだ間に合うかと東京駅へ向かうと、連絡通路隅にある案内板で 21:30発博多行の急行筑紫は15番線と分かります。しかし猿丸は既に前の列車乗った様で、会えませんでした。

黒柳が仲介を頼んだ記者 野々宮(西村晃)の暗躍によって黒柳はディッパーズへ、猿丸は慕っている大貫監督のディッパーズではなくライバル球団 ウェーブスへ入ることになってしまいます。
入団した二人はライバルとして共に大活躍を続け、各地へ遠征に出掛けます。そんな移動の一場面としてC62形らしき蒸機に牽かれた、誕生間もない 特別急行はつかり号の走行シーンがあります。

車内では特ロシートで、大貫監督始めディッパーズの選手達が寛いでいます。

続いて後楽園球場で対戦する様子が入ります。夜行列車の走行シーンの後 特ロ車内で寝ている猿丸らウェーブス選手が映り、

最後は煙突横に小さなデフを取り付けたC60形蒸機牽引列車の走行場面で鉄道シーンは終了です。

PS.
湘南電車と言えば前面2枚窓のスマートな形が象徴ですが、この作品で現れるのは前面3枚窓の一次型クハ86形を先頭にした80系電車です。
猿丸が伊東へ向かう車内で登世子に助けられた場面は、様子からセット撮影と思われます。 駅前でロケが行われた伊東駅は伊豆急開通前なので、当時は行き止まり駅でした。駅舎は小改造のみで、当時と変わず現存しています。
大貫と登世子が猿丸を追って東京駅へ駆けつける場面は、終電後の深夜にエキストラを動員して行われたと思われます。と言うのも 14・15番線のある第 7ホームの案内板が、15番線の急行筑紫は合ってますが 14番線で筑紫に近いのは 21:45発大阪行急行月光です。
22:00発大阪行急行彗星は、10番線から 22:00の出発でした。少なくとも 1958年 11月~ 1959年 11月の間この状態だったので、案内板の誤設置など有り得ない当時の状況からしてロケでは直接関係のない14番線の案内板に彗星の看板を掛けてしまったと推察します。
最後のC60形蒸機は、東北型と呼ばれた煙突横に小さなデフを付けた特徴ある蒸機です。盛岡機関区にも配置されていたので、盛岡~青森で前補機として特別急行はつかり号の先頭でも活躍したことでしょう。


