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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

268.東京の孤独

1959年5月 日活 製作 公開   監督 井上梅次

プロ野球投手 猿丸真二郎(小林旭)と強打者 黒柳平介(宍戸錠)が、大貫登世子(芦川いづみ)を廻ってライバルとして切磋琢磨する青春映画です。

毎朝ディッパーズの新人テストを受ける為、猿丸が伊東へ向かうところから始まります。先ず 東海道本線 白糸川橋梁を渡る、一次型の80系湘南電車が映ります。
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車内検札が始まりましたが、猿丸は掏られたのか切符も財布も有りません。猿丸が「伊東までプロ野球の試験を受けに行く」と言うと、後席の登世子がディッパーズの大ファンなのでと言って 切符代を払ってくれます。
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ディッパーズ監督 大貫哲也(大坂志郎)の妻 薫(月岡夢路)と登世子・猿丸の三人は、伊東駅から降りて来ました。
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そして新人テストを受けた猿丸ですが、黒柳に特大ホームランを打たれ 自信喪失で帰途に就きます。
同じく帰ろうとする黒柳に金を借り 同席した車内で猿丸が、「僕は打たれて自信が無くなった」と言うと「俺は契約金を吊り上げる為、逃げ出してきたんだ」と黒柳が言うので「うまく考えたね」と呆れてしまいます。
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大貫監督は二人を入団させたかったので捜していると、登世子がテレビでボクシング試合に出ている猿丸を発見します。そこで大貫と登世子は 72系国電が前を走る、昭栄ボクシングクラブへ猿丸を訪ねます。
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ところが試合に負けた猿丸は、こちらも辞めて博多の実家へ帰ったそうです。まだ間に合うかと東京駅へ向かうと、連絡通路隅にある案内板で 21:30発博多行の急行筑紫は15番線と分かります。しかし猿丸は既に前の列車乗った様で、会えませんでした。
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黒柳が仲介を頼んだ記者 野々宮(西村晃)の暗躍によって黒柳はディッパーズへ、猿丸は慕っている大貫監督のディッパーズではなくライバル球団 ウェーブスへ入ることになってしまいます。
入団した二人はライバルとして共に大活躍を続け、各地へ遠征に出掛けます。そんな移動の一場面としてC62形らしき蒸機に牽かれた、誕生間もない 特別急行はつかり号の走行シーンがあります。
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車内では特ロシートで、大貫監督始めディッパーズの選手達が寛いでいます。
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続いて後楽園球場で対戦する様子が入ります。夜行列車の走行シーンの後 特ロ車内で寝ている猿丸らウェーブス選手が映り、
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最後は煙突横に小さなデフを取り付けたC60形蒸機牽引列車の走行場面で鉄道シーンは終了です。
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PS.
  湘南電車と言えば前面2枚窓のスマートな形が象徴ですが、この作品で現れるのは前面3枚窓の一次型クハ86形を先頭にした80系電車です。

  猿丸が伊東へ向かう車内で登世子に助けられた場面は、様子からセット撮影と思われます。 駅前でロケが行われた伊東駅は伊豆急開通前なので、当時は行き止まり駅でした。駅舎は小改造のみで、当時と変わず現存しています。

  大貫と登世子が猿丸を追って東京駅へ駆けつける場面は、終電後の深夜にエキストラを動員して行われたと思われます。と言うのも 14・15番線のある第 7ホームの案内板が、15番線の急行筑紫は合ってますが 14番線で筑紫に近いのは 21:45発大阪行急行月光です。
  22:00発大阪行急行彗星は、10番線から 22:00の出発でした。少なくとも 1958年 11月~ 1959年 11月の間この状態だったので、案内板の誤設置など有り得ない当時の状況からしてロケでは直接関係のない14番線の案内板に彗星の看板を掛けてしまったと推察します。

  最後のC60形蒸機は、東北型と呼ばれた煙突横に小さなデフを付けた特徴ある蒸機です。盛岡機関区にも配置されていたので、盛岡~青森で前補機として特別急行はつかり号の先頭でも活躍したことでしょう。

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267.牛乳屋フランキー

1956年12月 日活 製作 公開   監督 中平康

経営が傾いた親戚の牛乳店を救うべく上京した堺六平太(フランキー堺)が、顧客獲得の為 奮闘する姿を描いた ドタバタコメディ映画です。

冒頭 堺は地元の大日本鉄道 長州追分駅頭(架空鉄道&駅)で、鼓笛隊付きの盛大な見送りを受けています。
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祖父 堺小五郎(フランキー堺:二役)の長い挨拶の途中 蒸機の汽笛が鳴り響くと、「おぅ陸蒸気の出立じゃ」と時代掛かったことを言います。
続いて万歳の掛け声と共に
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8620形らしき蒸機が牽引する列車が、{ちょうしゅうおいわけ}と駅名板が掛かったホームを出発して行きタイトルとなります。
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親戚の杉香苗(坪内美詠子)が営む杉牛乳店を立て直すべく奮闘し 顧客を増やす堺ですが、杉家の借金返済に窮すると祖父 小五郎も上京して来ます。
頼りにならない祖父でしたが顧客の南郷隆盛(澤村國太郎)と旧知の仲であったことから返済の援助をしてもらい、堺は顧客の映画助監督 松原善吉(宍戸錠)と南郷の娘 英子(南寿美子)との仲を取り持ちます。
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東京駅 8番ホームで発車を待つ鹿児島行急行列車では、新婚旅行へ向かう松原・英子と共に帰宅する祖父 小五郎までが同じボックス席に座って南郷の見送りを受けています。
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列車が動き出したところへ、階段を駆け上がった映画女優の丹下キヨ子(実名)がやって来ます。
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そして列車と並走しながら小五郎に花束を押し付ける様に渡し、松原にケーキの箱を渡すのでした。
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やがて立ち止まると、晴れ晴れとした表情で見送っています。
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続いて田町の札ノ辻橋らしき上では、堺を始め杉牛乳店の面々が列車を待っています。やがて EF58形電機を先頭とした列車が現れ、
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皆が手を振ると英子・小五郎・松原の順で並ぶ3人も手を振り応えます。
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列車が橋の下に差し掛かると皆は橋の反対側へ走り寄り、去り行く3人に向かって叫んでいるのでした。
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PS.

  堺の盛大な見送り場面のロケが行われたのは、御殿場線の谷峨駅の様です。2000年に改築される迄 駅舎は変わることなく存在していた模様です。
  発車して行く蒸機は 8620形の様ですが、時代掛かった見送り場面に見合う様 当時沼津区に5年間だけ在籍したハチロクを使ったのでしょうか。

  東京駅から出る鹿児島行の列車と言えば、12:35発の急行きりしま号と 21:30発の急行 筑紫号の2本です。ですから当該列車は、35レ急行 きりしま号となります。
  しかし 8番線は主に普通列車や臨時列車の発着に使われ、きりしま号は、当時 14番線発車でした。想像するに回送引上げの列車に鹿児島行のサボを取り付け、ロケを行いながら品川客車区迄走らせたと思われます。


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