
1959年4月 日活 製作 公開 監督 中平康
京都の表具商 女将である堤登代(轟夕起子)は自分が望んだ次男 令吉(長門裕之)の嫁と合わず、娘は望まぬ男と家を出てしまう展開に至るのソフトコメディ映画です。
登代は令吉の嫁として、西陣「織常」の娘 久子(吉行和子)を選んで奔走します。ある日 四条通りの四条大橋上を、見合いの場所と決めた南座の方へ歩いて行きます。
橋の中央では京都市電四条線の電車が、京阪電鉄京阪本線の踏切で停車しています。やがて三条から淀屋橋方面行の京阪電車が、四条通りを渡って四条駅(現 祇園四条駅)へと到着します。

京都市電と京阪電鉄が平面交差しているこの場所には、当時京都市電1系統・7系統・17系統・21系統の4路線が走っていたそうです。その後 1972年1月には、四条大橋から市電は消えました。
京阪電鉄四条駅は四条通りを挟んで上下線ホームが千鳥配置され、お互い四条通りを渡った先に駅ホームがありました。その後地下化工事中に上り線ホーム側に集約された後、1987年5月に地下化されました。
登代は令吉と久子が結婚したら離れの部屋に住んでいる江川スミ(原ひさ子)に出てもらい、そこへ住まわせようと考えていましたが娘の宏子(中原早苗)は反対します。
登代の夫 堤市松(大阪志郎)も修行時代に恩あるスミの追い出しに反対しているところに、中国から帰還していないスミの息子 一夫(葉山良二)から「明日12時京都へ着く」との電報が届きます。
京都駅 山陰本線発着用の11番線に、宏子がスミに付き添って一夫の出迎えにやって来ました。そこへ列車が到着し、

完全に停止する前からデッキから降りてくる人がいます。

そして列車から続々と降りてくる人の中から二人で一夫を探しますが、なかなか見つかりません。
やがてホームを出口方向へ向かう人々が少なくなった頃スミの眼が止まり、

その先には微笑み佇む一夫の姿がありました。

一夫は中国戦線からシベリアの収容所送りになったわけでないにしては帰還が異様に遅く、1953年に中国の収容所を出た後 現地の製鉄所などで働いていたそうです。それ故 共産思想にどっぷり染まっているのだろうと、皆 少々敬遠気味にでしたが宏子と仲良くなってしまいます。
PS.
京都に12時着くと連絡してきた一夫が乗って来た列車を推測してみます。豊岡始発 宮津線経由 京都行 912レと敦賀始発 小浜線経由 京都行 912レが東舞鶴で併合し、更に綾部で福知山始発の 524レを併結して京都へ 12:02に到着します。
中国から船で舞鶴港へ帰還して中舞鶴 7:49発の 214レで舞鶴支線を東舞鶴まで10分乗り、8:58発の 912レに乗り換えて京都へ向かおうとしたので12時に京都へ着くと電報を打ったのでしょう。
しかし京都駅でスミと宏子が出迎えた列車が到着した時、ホームの時計は 13:00頃を指していました。該当する列車を探すと、米子始発の 806レ準急白兎が 12:55到着予定です。
もしかしたら船が遅れて予定列車に乗り遅れ、東舞鶴 10:38発の 322レに乗って綾部に 11:19着きます。直ぐに 11:20綾部を発車する準急白兎に飛び乗り 京都へ向かったのでは?そして列車は5分遅れで京都に着いた・・・予告した列車より1本遅れて、出迎えるスミと宏子はさぞかし心配したことでしょう。
京都の表具商 女将である堤登代(轟夕起子)は自分が望んだ次男 令吉(長門裕之)の嫁と合わず、娘は望まぬ男と家を出てしまう展開に至るのソフトコメディ映画です。
登代は令吉の嫁として、西陣「織常」の娘 久子(吉行和子)を選んで奔走します。ある日 四条通りの四条大橋上を、見合いの場所と決めた南座の方へ歩いて行きます。
橋の中央では京都市電四条線の電車が、京阪電鉄京阪本線の踏切で停車しています。やがて三条から淀屋橋方面行の京阪電車が、四条通りを渡って四条駅(現 祇園四条駅)へと到着します。

京都市電と京阪電鉄が平面交差しているこの場所には、当時京都市電1系統・7系統・17系統・21系統の4路線が走っていたそうです。その後 1972年1月には、四条大橋から市電は消えました。
京阪電鉄四条駅は四条通りを挟んで上下線ホームが千鳥配置され、お互い四条通りを渡った先に駅ホームがありました。その後地下化工事中に上り線ホーム側に集約された後、1987年5月に地下化されました。
登代は令吉と久子が結婚したら離れの部屋に住んでいる江川スミ(原ひさ子)に出てもらい、そこへ住まわせようと考えていましたが娘の宏子(中原早苗)は反対します。
登代の夫 堤市松(大阪志郎)も修行時代に恩あるスミの追い出しに反対しているところに、中国から帰還していないスミの息子 一夫(葉山良二)から「明日12時京都へ着く」との電報が届きます。
京都駅 山陰本線発着用の11番線に、宏子がスミに付き添って一夫の出迎えにやって来ました。そこへ列車が到着し、

完全に停止する前からデッキから降りてくる人がいます。

そして列車から続々と降りてくる人の中から二人で一夫を探しますが、なかなか見つかりません。
やがてホームを出口方向へ向かう人々が少なくなった頃スミの眼が止まり、

その先には微笑み佇む一夫の姿がありました。

一夫は中国戦線からシベリアの収容所送りになったわけでないにしては帰還が異様に遅く、1953年に中国の収容所を出た後 現地の製鉄所などで働いていたそうです。それ故 共産思想にどっぷり染まっているのだろうと、皆 少々敬遠気味にでしたが宏子と仲良くなってしまいます。
PS.
京都に12時着くと連絡してきた一夫が乗って来た列車を推測してみます。豊岡始発 宮津線経由 京都行 912レと敦賀始発 小浜線経由 京都行 912レが東舞鶴で併合し、更に綾部で福知山始発の 524レを併結して京都へ 12:02に到着します。
中国から船で舞鶴港へ帰還して中舞鶴 7:49発の 214レで舞鶴支線を東舞鶴まで10分乗り、8:58発の 912レに乗り換えて京都へ向かおうとしたので12時に京都へ着くと電報を打ったのでしょう。
しかし京都駅でスミと宏子が出迎えた列車が到着した時、ホームの時計は 13:00頃を指していました。該当する列車を探すと、米子始発の 806レ準急白兎が 12:55到着予定です。
もしかしたら船が遅れて予定列車に乗り遅れ、東舞鶴 10:38発の 322レに乗って綾部に 11:19着きます。直ぐに 11:20綾部を発車する準急白兎に飛び乗り 京都へ向かったのでは?そして列車は5分遅れで京都に着いた・・・予告した列車より1本遅れて、出迎えるスミと宏子はさぞかし心配したことでしょう。


