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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

255.婦系図より 湯島に散る花

1959年10月 新東宝 製作 公開  カラー作品   監督 土居通芳

恩人 酒井俊蔵(佐々木孝丸)への義理と、お蔦(高倉みゆき)への愛情の間で苦悩する苦学士 早瀬主税(天地茂)の姿を描いた悲恋映画です。
1907年に発表された泉鏡花の長編小説 [婦系図] を原作として、1934年公開の松竹作品から各社で6本製作された映画の内の5本目です。

早瀬の陸軍士官学校講師就任祝いの宴席で酒井から芸者 蔦吉(お蔦)を紹介された早瀬は、その夜から恋仲となって芸者を引退した お蔦と秘かに同棲し始めます。
ところが酒井の娘 妙子(北沢典子)との婚姻を狙うライバル河野英吉(江見俊太郎)の仲介願いを断ったことから、河野の奸計によって お蔦と同棲している件を酒井に知られて 別れる羽目になります。

湯島でお蔦に別れを告げた失意の早瀬は、酒井が託した「世界史の翻訳編纂」を故郷で行うべく九州へ向かうことにします。
東京駅ホームの待合室が映り
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「8番線の列車は(午後)9時40分発 二・三等急行 下関行です」と構内放送が流れる中、三等車内には背広姿の早瀬が既に乗り込んでいます。

そこへ妙子が現れ「私 九州まで早瀬さんに付いて行きます お父様も御承知なの」と言うので、
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「僕はお嬢さんを好きでしたが、運命は僕とお蔦を結んでしまいました 別れたとはいえ今更どうにもなりません」と断り 帰宅する様 妙子を諭す早瀬です。
その時 お蔦が手土産を持ってホームへ現れ早瀬を探しますが、発見したのは急行列車内で話し込む早瀬と妙子の姿です。
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早瀬の説得を承知した妙子は、発車ベルが鳴り始めたのでホームへ降りて見送ります。
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ベルが鳴り終わると早瀬はホームの左右に目をやり、お蔦が来ていないか捜している様子です。汽笛が鳴り響き、機関車の動輪が動き出します。
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汽車の動きに合わせて歩きながら「さようなら お元気で」と伝える妙子ですが、その背後には必死にハンケチを振って存在を伝え様とする お蔦の姿がありました。
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その姿を見付けた早瀬は、「あっお蔦」と呟き 頷くのみです。
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そして悲し気なBGMと共に、汽車はゆっくりと お蔦の視界から遠ざかって行くのでした。
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一年程過ぎたある日 お蔦は「世界史の翻訳 全巻完成 !! 功労者早瀬文学士上京す 在野の名士集め祝賀会開催」と記載された新聞を読み、俄然 早瀬への思いが募り 一目会いたくなるのが人情・・・となります。
先ず「東京~東京~」とナレーションが流れる日中 C58形蒸機が登場します。
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そして下関からの急行列車の到着時刻に合わせたのか、暗くなってから東京駅のホームには早瀬を待つ お蔦の姿があります。しかし到着した列車の中を見ても、ホームを捜しても見当たりません。
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午後八時、九時、十時と過ぎてゆき ホームを行き交う人も次第に少なくなっていきます。列車が到着する度に、必死に早瀬を捜すお蔦ですが会うことが出来ません。
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時計の針が十一時を指す頃 何時しか雪が降りだし、停車している列車の屋根にも積り始めています。冷え切ったベンチに寂しく座る お蔦にも雪が降りかかっている様です。
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かくして悲しい結末へと転がって行くのでした。






PS.
   原作は明治末期の話ですが、本作の時代設定は登場人物の服装や街並みが10年以上先の様に思えます。(上野不忍池の畔で、ひと時の逢瀬を楽しんでいる場面は除く)

   そこで早瀬が乗った列車ですが 東京駅から出発しているので、明治期ではなく東京駅が開業した 1914年(大正3年)12月以後です。(東京駅は予算を掛けて作り込んだセットで、エキストラも多数動員しています)

   早瀬の記事が一面に載った東都大学新聞も日付は不鮮明で具体的な時期が分からないままでしてが、終盤 危篤のお蔦を見た酒井が早瀬に打った電報に(2.1.22)と日付があるので 昭和 2年(1927年)と思われます。
   そこから考えると早瀬が九州へ向かったのは、1925年末か翌年初め頃と推定します。そして電報の宛名の「タカナベ」から、早瀬の故郷は宮崎県高鍋と思われます。

   1926年発行の時間表(1925年10月改訂版)によると、早瀬が乗ったのは東京 20:10(当時は太字で 8:10)発 三等急行下関行5レと思われます(後続の急行下関行は一・二等専用) この列車は終着駅 下関に翌日の 21:38の到着です。(所要25時間28分)
   続いて 21:58発の関門連絡船に乗り換え、門司に 22:13に到着して宿に泊まります。翌朝 6:40 発 吉松行 241レに乗れば高鍋には 17:15頃の到着となり、大変な長旅です。


鉄道シーンは殆どセット撮影ですが、9枚目の画像は両国駅を去り行く蒸機牽引列車と思われます。カラー作品は当時 夜間撮影は苦手で、仕方なく夕方出発する列車のカットを入れたのでしょう。
   また10枚目の C58形蒸機の登場シーンは、同じく両国駅へC58牽引の列車が到着した時 先頭部分を映したものと思われます。

   

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254. 少女

1961年1月 日活 製作 公開   監督 堀池清

秋田の田舎から小説家になる夢を持って出稼ぎに上京した秋元カネ子(笹森礼子)が、生来の勝気から行く先々で騒動を起こすコメディ風 青春映画です。

冒頭 秋田の蔦谷駅(架空駅)から、母親 お冬(田中筆子)や4人の姉妹に見送られて上京する場面があります。
腕木式信号機が青になり、
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カネ子が汽車のデッキへ急ぎます。
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デッキで皆と話す内 汽笛と共に C11形蒸機に牽かれた列車が動き出します。
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お冬がへそくり三千円カネ子に渡し、
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姉妹が其々別れの言葉を掛けて励まします。
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母と姉妹は話しながら列車の動きに合わせてホームの前方へと走ります。上野行のサボを架けた列車のデッキでは、明るい顔で手を振るカネ子なのでした。
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見送る母と姉妹はホームの端で止まり、いつまでも手を振っています。
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この後タイトルが入り、クレジットのバックに D51形蒸機の各種走行シーンがあります。
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最後は上野駅高架ホームへ到着する、常磐線の C57形らしき蒸機牽引列車の姿があります。
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従兄の八代由造(川地民夫)に上野から佃島の親戚宅へ案内される道中、都電1系統(品川駅~上野駅)に乗ったのか銀座四丁目付近で対向する上野駅行 8000形とすれ違います。
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翌日 カネ子は憧れの同郷小説家 草田次郎(永井智雄)に会う為、東急電鉄 東横線 田園調布駅へやって来ました。
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しかし突然押し掛けたので、ここでも ひと騒動起こすのでした。

その後も住み込みで働いた美容院を喧嘩で辞めることになり、更に由造の紹介でキャバレーで働こうとしますが失敗します。
由造と帰ると秋田の実家から「母倒れる すぐ帰れ」と電報があり、急いで帰る様子を汽車が行き去る姿で表す場面があります。
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PS.

  秋田の蔦谷駅としてロケが行われたのは、(99.警察日記) (123.汚れた肉体聖女) (147.胎動期 私たちは天使じゃない)でお馴染みの五日市線 西秋留駅(現 秋川駅)です。

  雰囲気ある地方駅風の駅舎と現役の蒸機が走り、セットでは表現し得ない ローカル線の駅として当時 都内に残された最後の好ロケ地だったと思われます。

  なお 当時旅客列車の多くはDC化されていたのですが、ロケ前年のダイヤでは朝夕上下で 11本の C11が牽引する旅客列車がありました。

  その内 西秋留 8:41発の武蔵五日市行 317レが逆方向なので空いていたと思われ、上野行のサボを架けてもらい ロケ用の列車としたのかもしれません。

  本作公開の3か月後に電化された五日市線ですが 前年の11月頃にロケが行われたと思われるので、未だ工事開始の様子が無く 蔦谷駅としての装飾を施して東北の雰囲気にあふれた撮影が行われた様です。

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253.ラッキーさん

1952年2月 東宝 製作 公開   監督 市川崑

南海鉱業で皆からラッキーさんと呼ばれる若原徳平(小林桂樹)が我儘な秋葉社長(河村惣吉)の秘書となり、恋より仕事第一で奮闘する姿をユーモラスに描いたコメディ映画です。

社長秘書の同僚 町田泰子(島崎雪子)親子と帰宅途上の山手線内で、若原が社長から「君もパーマネントかけたら」と言われたことを泰子から冷やかされます。
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渋谷で若原が降りるところでこの場面は終わりますが、
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車内の様子からセット撮影の様です。でも冬季の設定なのですから、外が明るい内に帰宅途上とは・・・

社長秘書として数々の難題をこなしていく若原の通勤風景を映した場面で、東京駅丸の内南口前を横切る都電31系統(三ノ輪橋~都庁前)らしき電車が映ります
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当時この付近の停留所名は(東京駅)乗車口で、昭和40年代に丸の内南口に変更された様です。形式は6000形か3000形か不鮮明ですが、中央郵便局方向から映しています。

終盤 株主総会が開かれ 会社首脳の人事に皆の関心が集まっているところへ、給仕の井上大助(井上大助)が情報をもたらします。
会社首脳に変動はありませんでしたが、若原は四国第三鉱業所へ所長として転勤することが発表されます。

いよいよ若原が四国へ旅立つ日 東京駅のホームには会社の同僚が大勢見送りに駆けつけてくれて、別れの挨拶をしています。253-5.jpg
ところが見送りに行くと言っていた、社長が未だ来ていません。
そこへ階段から正装の男が現れたので、
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井上が思わず「あっ!」と叫びます。
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ところが駆けつけたのは、日頃 社長の代理として冠婚葬祭に出席している泰子の父 町田です。

そして「社長が参る予定でしたが、所要で不肖私が代理でお見送り致します」などと言うので、
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若原は溜息を吐き「ご丁寧にありがとうございます」
でも井上が「これ つまらないものですけど」と 記念品を差し出したので、元気を取り戻した様子です。
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駅員が客扱終了合図のカンテラを振り、
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汽笛が鳴って広島行の急行列車は発車して行きます。
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並ロ二等車に乗った若原は、おもむろに受け取った記念品の包みを開けます。すると出てきたのは、シガレットケースでした。
そこで向かい席に目をやると、老紳士がパイプをくゆらせながら洋雑誌(LIFE)を読んでいます。
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そこで若原は煙草をケースに入れようとしたのを止め、火を点けて 向かい席の男より更にふんぞり返って吸い始めました。
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PS.
  若原が乗った広島行急行列車は、21:30 発の 39レ急行安芸号の3号車オロ40と思われます。本作公開の前年9月までは宇野行のせと号を併結していたので納得ですが、ロケ時は 3039レ急行せと号は22:00発で、大社行いずも号との併結編成でした。

  四国へ向かうのに何故 広島行に乗ったのかを推理すると、目的地が愛媛県の今治周辺と仮定(妄想)してみます。急行安芸号は翌日 尾道に 13:33頃到着します。尾道港を 14:00に出港する瀬戸内海汽船に乗ると、今治港へ 16:50に到着します。

  一方 急行せと号に乗ると終点 宇野に翌日 13:45到着し、13:58発の宇高連絡船に乗り換え 15:08に高松へ到着です。更に高松 15:21発の5レ準急せと号 宇和島行に乗り継ぎ、今治へは 18:18の到着です。それで急行安芸号に乗ったのかもしれません。

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