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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

252.女が階段を上がる時

1960年1月 東宝製作公開   監督 成瀬己喜男

銀座で雇われマダムをしている矢代圭子(高峰秀子)を中心に、水商売の世界で生きる女性の悲哀を描いた映画です。

圭子の店で働く みゆき(横山道代)が馴染み客の松井(藤木悠)と結婚することになり、松井の実家が在る 静岡へ行く二人を圭子が見送るべく東京駅へ来ました。
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松井が売店へ向かうと みゆきが、「こんな時くらい二等に乗ればいいのに」と愚痴ります。圭子は「そこが彼のいいところよ 結婚したら辛抱しなくちゃ」と返します。
すかさず みゆきは「田舎の義父なんか上手く丸め込んじゃうわ、酔っ払いより簡単だから」と笑って話します。
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松井は雑誌を買って戻ると、「静岡から近いですから寄って下さい」と挨拶します。背後に見える丸の内駅舎の台形ドームが、今となっては懐かしいですね。
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銀行支店長の藤崎信彦(森雅之)は妻子ある身なれど圭子の店に通い、いつしか相思相愛らしき関係となります。
しかし圭子の家で一夜を過ごすと「大阪へ転勤することになった」と告げ、まるで手切れ金代わりの様に「売れば十万円位になる」と株券を渡すのでした。

そして転勤の日 東京駅 14番線の大阪行急行列車に乗って知り合いから見送りを受けている藤崎の元へ、圭子は株券と手土産を持って現れます。
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離れて圭子が会釈すると、藤崎は狼狽した様子です。
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窓際に進むと、「奥様ですか この度はご栄転おめでとうございます」と藤崎の妻 志津子(東郷晴子)に挨拶します。

圭子は「これ支店長さんからお借りしたものなので、お返しします」と 株券の入った封筒を志津子に渡します。 
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志津子は「いいんですか あなた」と藤崎に言うと、苦し気に「う・うぅん」と曖昧に返事します。
更に「これ お子さんに」と手土産を志津子に渡します。
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志津子は藤崎に「あなた!」と たたみかけたので、「いや どうも・・」と簡単に謝意を表すのがやっとです。

EF58形電機らしきのホイッスルが響き列車が動き出すと、圭子は満足気な顔で見送るのでした。
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走り出してからのセット撮影らしき車内シーンでは、うつむく藤崎に志津子の尋問が続きます。
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「綺麗な人ね」「う・うぅん」・・・「きちんとして、バーの人じゃないみたい」「う・うぅん」・・・と、藤崎は冷や汗をかいて曖昧な返事をするのがやっとの様子です。
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PS.
   東京駅 15番線で、圭子は松井とみゆきを見送ります。乗る列車はまだ来ない様ですが、16:35発 309レ準急東海3号が推定されます。これに乗ると静岡には 19:33の到着で、三等の切符に 120円の準急券を足すだけです。
この後 15番線からは 17:00発339レ浜松行がありますが、静岡到着が 21:21となってしまいます。

藤崎が転勤する際東京駅 14番線から乗った大阪行の急行列車を推理してみます。暗くなってからの大阪行は夜行列車であり、二等車を連結していているのは 20:15発の 13レ急行明星と 21:45発の 17レ急行月光です。
発進場面で車体中央にスロ5までぼんやりと見えるので、スロ54を連結していた急行月光と思われます。


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251.あの空の果てに星はまたたく

1962年5月 東映 製作 公開   監督 関川秀雄

香川県多度津沖に浮かぶ佐柳島を舞台に、厳しい島の生活に抗して力強く生きる堀本早苗(丘さとみ)を中心に描く青春映画です。

嵐で船を失い借金だけが残った山口小次郎(山村聡)は寝込んでしまい、早苗と付き合う山口三郎(水木襄)は高校を辞めて働く決意をします。
山口が大阪で働くと聞いた早苗は、大阪行の船を見送ろうと多度津港へ先回りして待つところへ山口が到着します。
山口は到着時刻の関係から汽車で行くと言い、多度津駅で見送る為 二人で話しながら駅へと向かいます。

多度津駅の地下連絡道から予算本線 高松方面の1番線へと階段を上がると、二人の後方には多度津区の給水塔が見えています。
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緊張しているのか山口が汗をかいているので、早苗はハンカチを渡してあげます。
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そこへ高松行 内燃機普通列車が到着します。
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降車する親子を待って山口が乗ると、30秒停車かの様にドアが程なく閉まって「気を付けてね」としか言葉をかけることが出来ません。
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去り行く山口を、ただ見送るしかできない早苗なのでした。
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先に神戸へ働きに出ている早苗の兄 堀本義夫(千葉真一)から病に伏せている旨の手紙が届き、早苗は思い切って神戸へ行くことにします。
多度津から船で神戸へ向かい、新開地付近でお巡りさんに道を尋ねます。兄の家は造船所近くの裏通りという設定らしいので、この線路は川崎造船の専用線でしょうか。
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PS.
  小柳ルミ子のヒット曲「瀬戸の花嫁」の様な明るい世界ではなく 苦しい島の生活が描かれていますが、お盆休みに早苗の同級生が集まって登った見晴らしの丘から見た瀬戸内の眺めは素晴らしいの一言に尽きます。

比較的早く無煙化された四国ですが、ロケ当時はC58形蒸機が 12輌程配置されていた多度津区の一角が映っています。 残念ながら蒸機は映っていませんが、土讃本線への分岐駅としての風格を感じる駅です。
三郎が乗ったのはキハ 17 形らしき気動車2連です。現在の車輛に比べて、ドアの閉まるスピードが格段に速い気がします。

大阪へ向かった三郎の行程を推理すると、先ず早苗が船を使うと考えた点が起点となります。当時 関西汽船の大阪・神戸~多度津 航路がありました(途中他に寄港地あり)、昼便は多度津港 10:40 発で大阪港 22:40 着でした。
船の出発時刻を起点に多度津駅から乗った列車を探すと、今治始発の 42レ高松行 普通列車が多度津 10:21 着発同時刻の列車があります。この頃は未だ前後の列車は蒸機牽引か始発列車で、午前中は他にありません。 42レは高松 11:01 着で 11:25 発の宇高連絡船 12便に乗り継ぎ、12:30 宇野に到着して 13:10 発の 304レ準急鷲羽 2号に乗り換えて終着駅 大阪へは 16:36 と明るい内に到着します。

一方 兄の手紙で神戸へ向かった早苗は、多度津港 19:40 発の関西汽船に乗って翌朝 5:00 神戸港へ着いたのでしょう。そして兄の所から大阪に居る山口を訪ねた後、大阪港 21:30 発の関西汽船で翌朝 8:20 多度津港へ戻ったと思われます。
この航路は時間は掛かりますが、多度津~大阪で2等運賃が 500円と格安です。一方 国鉄で大阪へ向かった山口は、多度津~大阪の二等運賃が 670 円+宇高連絡船 70 円+準急料金 100 円で合計 840 円と割高ながら夕刻に到着する方を選んだ様です。

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