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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

250. ゼロの焦点

1961年3月 松竹 製作 公開   監督 野村芳太郎

新婚一週間で失踪した夫 鵜原憲一(南原宏冶)の行方を追って北陸金沢へ向かった妻 禎子(久我美子)が、現地で知り得た夫の意外な秘密と過去から連なる結末へと至るサスペンス映画です。

冒頭 禎子は上野駅へ、転勤引継ぎの為 金沢へ向かう鵜原の見送りに来ました。同行する本多(穂積隆信)が出札窓口で金沢までの切符二人分と入場券を買うと、出札職員は復唱して「5930円です」と応えます。
上に 21:15発 上越北陸線回り急行北陸 金沢行の、発車案内札が掛かっている改札口を入ります。
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そして混み合う 14番線ホームを進み 鵜原と本多は、指定席一等車の次の自由席一等車に乗り込みます。
白いカバーが掛かった座席の窓側に座った鵜原は「12日に帰るから」と言って、
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列車はゆっくり発車して行きます。ここでサスペンス映画向けのBGMと共に、タイトルバックとなります。

鵜原が予定日を5日過ぎても帰らず行方不明となったので、本社の青木課長に同行して禎子も金沢へ行くことにします。
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17日の夜 急行北陸の一等車に乗ると、
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程なく発車して EF57形電機らしき牽引列車の走行シーンとなります。
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車内で新婚旅行の話となると、窓の大きな一等車に乗る鵜原夫妻の回想場面となります。そこで禎子が「学校にいる時から北陸の地に憧れていた」と話すと、「あそこは一年中暗い空で やがて憂鬱な冬が来る」などと否定的な感想です。
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青木は空気枕をひじ掛けに置いて横向きに寝て、禎子はコートを掛けて真っ直ぐ座って寝ている様です。やがてもの悲しいBGMと共に C57形蒸機らしきに牽かれて、
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夜明けの海岸沿いを走る列車の走行シーンへと続きます。
目覚めた禎子が曇った窓を拭くと、小さな海辺の駅を通過するところです。続いて親不知付近の様に 切り立った斜面と海に挟まれた所を走るC57形蒸機牽引列車が、積もった雪と相まって遠い雪国へ来たことを強調しています。
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禎子は洗面を済ませて席へ戻ると、青木に「おはようございます」と声を掛けます。
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起き上がった青木は車窓を見て、「あゝ あれが能登半島です」と指さします。北陸本線 泊駅付近なのでしょうか。
次に C58形蒸機に牽かれた列車が、金沢駅へと到着します。
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そして新所長 本多のいる金沢出張所へと行って話を聞きますが、11日に高岡へ寄って帰ると言って出たまま行方不明で 更に最近一年半の住み家も分からない始末です。

市内の白山荘に宿をとり 翌朝本多に同行して、 鵜原の得意先である十間町の丸越工業へ向かうことにします。雪景色の兼六園下電停付近を走る、北陸鉄道 金沢市内線の路面電車が映ります。
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車内で本多は鵜原と丸越工業 社長夫妻の親交具合を説明して、仕事抜きでも深い交友関係にあつたと説明します。車掌が「次は寺町三丁目」と案内した後、立っていた本多も座ることが出来ました。

続いて堤町電停で下車したと思われ、 300形らしき2系統の路面電車が前を走る 丸越工業本社へと二人は到着します。
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ここで実地取得した様な英語を喋る受け付女性から社長宅へ来てほしいと告げられ、この女性に二人は強い印象の残る人だと感じるのでした。
社長宅で夫妻と鵜原の思い出話を聞いているところへ警察からの知らせが入り、出向くと 能登半島の富来町で鵜原に特徴の似た身元不明の自殺遺体が発見されたとのことなので現地へ行くことにします。

本多は社用があるので、禎子一人で先ず七尾線の気動車に乗って羽咋へ向かいます。キハ20系らしき5連DCが映り、車内で禎子は社長夫人 室田佐知子(高千穂ひづる)が文化人として活躍する新聞記事を目にします。
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羽咋駅で北陸鉄道 能登線のキハ5001らしきバケット付き気動車に乗り換えです。
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能登高浜付近から海辺の車窓が映った後、寒々とした終点 三明に着いて更にバスに乗り換えて
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富来へいきますが別人でした。
禎子の行動を再現すると、金沢 10:40ー(125レ)ー 11:42 羽咋11:52ー(北陸鉄道能登線)ー 12:48 三明 12:50ー(バス)ー13:20 富来 14:10ー 14:40 三明 14:50ー 15:48 羽咋 16:15ー 17:13 金沢 となって大変な一日です。

東京から鵜原の兄 鵜原宗太郎(西村晃)が捜索に来たので禎子は一旦帰京しますが、義姉宅に宗太郎殺害の電報が届き 急遽義姉(沢村貞子)と共に金沢署へ出向きます。
現地で火葬した遺骨を胸に帰宅する為 急行北陸 一等車に乗った義姉を、金沢駅ホームへ見送りに来た禎子がいます。
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前方で文化人女史を他の婦人たちと見送りに来た佐知子が、禎子に気付いて近寄って挨拶します。
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禎子は母親から鵜原が今の会社に入る前 立川で巡査をしていたことを聞き、丸越工業の受付で見た パンパン英語を喋る女が気になります。ところが女は姿を消し 亡くなった彼女の夫のことを調べると、先日行った富来の人でした。
前と同じく三明から
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バスに乗り換えて富来町へ行くと、姿を消した女 田沼久子(有馬稲子)と自殺した内縁の曽根益三郎が住んでいた家に辿り着きます。
この曽根益三郎と鵜原憲一が同一人物であることを確信した禎子は、一人帰京するべく金沢駅 出札口で切符を求めると「東京まで 930円です」しかし警察から呼び出しがあり、禎子の思いと違う結末を聞かされます。

その後 鵜原の行動に納得がいかないながらも、生活の為 再就職した禎子は一年間丸の内の会社で働きます。そして次の正月休み 再び金沢へ。暗い海沿いの線路を走る、C57形蒸機牽引列車の姿が映ります。
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最後は その後のサスペンスドラマの定石となる、断崖絶壁上での真相追及場面があって謎が解けてゆくのでした。








 PS.

1.上野駅で本多は金沢までの一等乗車券と一等急行券を二人分 それに禎子の入場券を求め、出札係から 5930円と言われます。これは東京ー(東北・高崎・上越の合計 267.6㎞)ー宮内ー(信越 70㎞)ー直江津ー(北陸 179.9㎞)ー金沢 合計 517.5㎞の一等乗車券 2240円+一等急行券(300㎞以上区間)720円で計 2960円 これの二人分で 5920円に入場券 10円を足して合計 5930円という計算なのでしょう。
 急行北陸が上越線経由なので、脚本家はこの様な計算を元に台詞を書いたのでしょう。ゆえに出札窓口部分はセット撮影もしくは、役者が演じての撮影と思われます。1947年6月29日より上野ー(上越線経由)ー金澤・新潟の 605レ606レ夜行急行列車が設定された時より(列車特定区間)として、高崎~直江津の間で途中下車せずにその先まで乗車する場合は距離の短い 信越本線経由として計算する制度がこの区間では始まったそうです。
 ロケが行われた当時 上野駅の出札職員としてこの制度は、急行北陸を念頭に置いて発券する以上 常識であったと思われます。ですから東京ー(東北・高崎・信越 295.8㎞)ー直江津ー(北陸 179.9㎞)ー金沢 合計 475.7㎞に基づき、一等乗車券 2140円+一等急行券 720円で計 2860円 二人分で 5720円+入場券 10円で 5730円となります。

2.最初に鵜原と本多が乗ったのは、3号車の自由席一等車の様ですから当時はスロ60形と思われます。旧特ロ車輌としては乗り心地を含めてやや古いけれども、シートピッチが長く足元がゆったりとして寝やすい車輌です。
 しかし禎子が青木課長と金沢へ向かう場面で乗ったのは、狭窓の転換式クロスシートであるオロ35クラスの並ロ車輌の様です。車内シーンを撮る為に、セットか留置中の車輌を借りての撮影と思われます。

3.禎子が乗った急行北陸がC57形蒸機牽で親不知付近らしきを走行する場面がありますが、実際には 5:20前後の通過で冬場は真っ暗です。ですから泊付近で青木が、「あゝあれが能登半島です」と案内するのは不可能では?(魚津でも 6:13発で、12月18日の日の出は 6:58です) その後は金沢まで海辺を離れ、見えないと思われます。 泊駅手前の市振らしき海辺の寂しげな駅構内が映っているのが印象的ですね。
 犬童一心 監督の 2009年東宝作品では 1957年12月の設定ながら列車の時刻が殆ど同じなので、車掌が「おはようございます 時刻は 6:30を迎えております 次は泊です」と放送して 50分程列車の時刻設定を遅くして辻褄を合わせている様です。

4.急行北陸が金沢駅へ到着する場面では、C58形蒸機が牽いて現れます。当時 北陸本線の直江津~金沢で、旅客列車は殆どC57形蒸機が牽いていた様です。北陸本線上りの津幡手前には、俱利伽羅峠があるのでC58形蒸機ではあまりにも力不足と思われます。
 七尾線からのC58形蒸機が牽く列車が津幡から金沢まで乗り入れていたので、あるいはこの列車の姿かもしれません。(金沢 7:45着の和倉からの 312レがありました)

5.富来へ向かう禎子が羽咋から乗り換えたのが、北陸鉄道 唯一の非電化路線である能登線です。当ブログ(27.あらかじめ失われた恋人たちよ)でも登場したローカル私鉄で、1972年6月に廃止されています。

6.後半 禎子が帰京するべく金沢駅で切符を求めると、930円ですと言われます。これも不思議で上記の額から二等切符は一等の半分なので、都区内まで 1070円です。930円では高崎線の倉賀野までしか行けないし、窓口氏はドン行列車で延々と東京まで行くと思ったのでしょうか?(なお 1959年7月では 900円でした)


 (238.女のみづうみ)で予告しましたが 皆様のコメント等の応援もあって、250回記念(ゼロの焦点)を小生なりの切り口で発表することができました。 これからも応援宜しくお願い致します。




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249. 乳母車

1956年11月 日活 製作 公開   監督 田坂具隆

赤ちゃんまでいる父の愛人に会った桑原ゆみ子(芦川いづみ)が、崩壊した家庭の修復と赤ちゃんの幸せを願い 愛人の弟と共に奔走する姿を描いた映画です。

友人から愛人の存在を聞いた ゆみ子は 母 桑原たま子(山根寿子)に問うと、住み家まで全て知りながらも静観の様子。そこで ゆみ子は 東急電鉄 大井町線 九品仏駅を降りて、母から聞いた愛人 相沢とも子(新珠三千代)宅を訪ねる場面があります。
1960年に改築される前の九品仏駅舎から ゆみ子が降りてきて、
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踏切で待つ前を 3000系電車が通り過ぎて行きます。
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僅か2連で、先頭は 3450形の 3491らしき車両です。現在同様 上下線の間に駅舎が有り、外へは踏切を必ず渡る構造です。

次に とも子の娘 まり子(森教子)への帽子を手土産に九品仏へ行った時、玄関に父 桑原次郎(宇野重吉)の靴を見付けて 慌てて駅に引き返します。
駅前の踏切で とも子の弟 宗雄(石原裕次郎)に会ったので、「父が来ているので今行くのははダメ」と 姉の家に行こうとしている宗雄に告げて止めます。
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娘のゆみ子まで愛人 とも子の肩を持つ様に感じた たま子は、夜遅く帰宅した桑原を袖にして実家へ帰ってしまいます。更に遅く帰宅した ゆみ子は、鎌倉駅まで母親を追い駆けて 何とか家庭崩壊を押し止め様とするのでした。
鎌倉駅の改札口を走り抜けて
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急ぎ階段を駆け上がると、ホームで電車を待つ母 たま子に追い付きました。たま子を引き戻そうとする ゆみ子ですが、
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硬い決心をした たま子を説得することはできません。
そこへ横須賀線 70系電車が到着し、
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2等車に乗った母を茫然と見送る ゆみ子です。
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セットらしき 2等車内では、呆然とした様子の たま子です。
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改札口へ戻ると遅れて父 次郎が駆けつけ一緒に外へ出ると、終電だったのか構内が消灯されてゆきます。
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桑原との別れを切り出そうとした とも子は、急に仕事帰りの桑原に寄ってもらいます。夜 九品仏駅の改札口で、とも子は桑原を待っていました。
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その後 花屋でバイトする宗雄の背後を、旧塗装の都電 1200形らしきが通過して行く場面もあります。
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桑原家崩壊の責任を感じた とも子は、桑原と別れて弟の下宿先へ引っ越します。ゆみ子と宗雄は協力して まり子の幸せを第一に応援しようと、関係者全員を とも子の移転先へ集めて 善後策を話し合います。
その帰り道 ゆみ子は母 たま子とタクシーに乗って、母の働くバーへ向かいます。タクシーはネオン煌めく銀座界隈の晴海通りを、月島方面に向かう都電11系統(新宿駅前~月島通八丁目)の電車を追い越して走ります。
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PS.

鎌倉駅で ゆみ子は母親が乗った上りの終電車を見送り、改札口を父親と一緒に出ると駅構内は消灯となりました。 鎌倉駅から当時の上り終電は、23:38発の横浜行です。
ところが下り電車はこの後 23:40・0:10発の久里浜行があり、終電は 0:42発 逗子行でした。つまり 上りの終電から一時間以上後まで下り電車があるので、消灯はBGMと共に映画の中での演出でしょう。

それにしても 女性 登場人物の名が、皆( ひらがな表記+子)なので文章にすると分かり難いですね。


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