fc2ブログ

日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

246.今日に生きる

1959年3月 日活 製作 公開   監督 舛田利雄

鉱山で栄える町でダンプの運転手として働き出した 城俊次(石原裕次郎)が、社長の死からライバル会社の陰謀を暴き 捜しに来た 従妹 矢代ユミ(北原三枝)と帰京に至るアクション映画です。

山一運送で働く城が鉱石を積んだダンプで線路沿いの道を走ると、半車二等を二両目に繋いだ 蒸機牽引列車と並走して行きます。
246-1.jpg
舞台設定は北関東の鉱山町宇山という架空町ですが、茨城県日立でロケが行われた様です。長い編成からして常磐線の普通旅客列車の様です。

続いて 鉱山の製錬所の門からダンプが次々と出発して行くシーンでは、バックに日立鉱山鉄道の電機が貨車を牽いて来る姿がチラリと映ります。
246-2.jpg
その後もこの専用線沿いの道路をダンプが走るシーンが度々ありますが、残念なことに列車がアップで映っている場面はありません。

城達が運んだ荷を日立セメント日立工場横で国鉄の貨車に積み替えるシーンでは、横をD51形蒸機が牽く貨物列車が黒煙を噴き上げながら通り過ぎて行きます。
246-3.jpg
ここでは山一運送とライバルの三国運輸との間で度々揉め事が起きます。山一の西岡茂(武藤章生)の車が三国のダンプにワザとぶつけられ 喧嘩が始まると、背後をC57形蒸機牽引列車が通ります。

助けに駆け付けた城と三国の頭 安西勇(宍戸錠)が対峙した場面では、背後を当時 東北で唯一の特別急行 はつかり号が高速で走り抜けて行く姿が映っています。
C62形蒸機を先頭に スハニ35・スハ44と続く客車は、一目で特急と分かる青地にクリーム色の二本線が特徴です。上り 2レの様で、平~水戸がノンストップなので通過時刻は 15:00少し前でしょう。
246-4.jpg
246-5.jpg

次に C5744蒸機が牽く急行列車が宇山駅に到着します。アフレコらしき放送で「宇山・宇山」と連呼しますが、北関東地方なのに冒頭「青森行が到着します」と日立駅らしく加えているのは・・・
246-6.jpg
二・三等合造車の二等車側デッキから車内で知り合ったらしい、宇山鉱業総務部長 杉野(清水将夫)と城の従妹 矢代ユミが降りてきました。ユミは杉野の口添えで、鉱山会社の厚生施設で働けることになります。
246-7.jpg

三国運輸に依る運転手の引き抜きや妨害から輸送量の減った山一運送は、宇山鉱業交運課長 佐野(高原駿雄)から遠隔地で地獄谷と呼ばれるセメント山での仕事への変更を命じられます。
山一社長 山田一郎(二谷英明)と城は地獄谷で渋々働きますが、山田は過酷さにキレて夜中に索道を使って町へ行き 三国一派に殺されてしまいます。この索道は大平田鉱山から4㎞あり、専用線に繋がっていました。

城は警察署で殺人事件として捜査を願いますが、単なる事故として処理されてしまいます。署内で佐野課長を見かけたので、迫り来る鉱石列車の前を横切り 追いかけて詰問しますが否定するばかりです。
246-8.jpg
この鉄道は索道終点から日立セメントの工場まで3㎞を結んで、1963年のベルコン化まで働いていた軽便専用鉄道です。加藤製作所の4トン級らしき内燃機が、汽笛を鳴らしながら木造鉱車を牽いて ゆっくり走っています。

その後 城の活躍で事件は解決し、山田の残された家族が安心して暮らせる目途が立ったので城は東京へ帰ることにします。日立駅横の日立鉱山鉄道 助川荷扱所へ至る引込線の踏切を、
246-9.jpg
城が車に山田未亡人と息子を乗せて渡ります。
246-10.jpg
そこで新しくできた宇山運輸のトラックに乗る西岡に会い停車します。背後には国鉄の貨車に比べて明らかに小さい、日立鉱山鉄道の軌間762ミリ軽便鉄道貨車が並んでいます。
246-11.jpg

ラストシーンでは西岡のトラックの荷台に、城とユミが便乗して東京へ向かうのでした。その横をC57形蒸機らしきが、半車二等を含む11両も長々と牽く旅客列車とすれ違いエンドマークとなります。
246-12.jpg








 PS.

当時 常磐線の優等列車は日中 気動車準急ときわ1~3号が主体で、下りの急行列車は 201レみちのく号しかありません。みちのく号は二等車を3両も連結した名列車でしたから、普通列車に急行札を刺してロケが行われたと思われます。
みちのく号は時刻表では盛岡行となっていましたが、殆どの期間 青森までの延長運転をしていた様です。

1958年10月から運行開始した特別急行はつかり号ですから、開始から僅か4か月後の姿です。40分前に通過している下り 1レを入れて映してほしかったですね。(ヘッドマークが映ったので、架空町に拘わって撮り直したか)
常磐線の蒸機が度々登場する作品ですが、映画公開の3年後 1962年10月に勝田~高萩が電化され消えていきました。

日立鉱山鉄道は助川荷扱所から製錬所のある大雄院まで5.35㎞を結んでいました。貨物だけでなく人も途中に芝内・杉本停留場も設けて、明治期より無料で末期でも毎日6500人も運んでいました。
しかしこの映画で描かれている様に 輸送の近代化と施設の老朽化の為、映画公開の翌年 1960年10月をもって廃止されました。人員輸送は5ヶ月早く終了していますが、本編に登場していないのが残念ですね。


PageTop

245.博徒一代 血祭り不動

1969年2月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 安田公義

義理と人情に厚く 任侠道一筋に生きる渡世人 桜田丈吉(市川雷蔵)が、弟分の不始末の肩代りの為 恩人を狙う羽目になる任侠映画です。

時代設定は昭和初期の模様  組の金を持ち逃げした丸谷義介(伊達岳志)を誤って斬った桜田は、家族の窮状を見て丸谷の義妹 お園(亀井光代)に金を全額渡してしまいます。 
その金を賭場で作ろうとしますが、小洗音次郎(近衛十四郎)との大勝負に負けて死を覚悟します。ところが小洗は五百円もの大金を桜田に渡し、命を大事にしろと名乗りもせず 男気を見せるのでした。

自首した桜田は6年後に出所し、弟分 輪島勇一(金田吉男)のいる新津へ向かいます。蒸機の動輪部分の映像の後 深い峡谷に架かる鉄橋を蒸機牽引列車が渡って行きます。山陰本線 保津川橋梁でしょうか?、絵になる風景です。
245-1.jpg
オハ 61系の様な背ずりが板張りの席で 向かいの席の男に煙草の火を貸すと、「兄さん どこまで行かれますんで?」と聞かれ「新津です」と答えると「あゝあそこには長丸一家の泉谷剛造ちゅう北陸きっての大親分がいなさる」と話します。
245-3.jpg

新津で6年ぶりに輪島に会うと、大戸一家の代貸として出世しています。大親分 泉谷が跡目を大戸のライバルの善玉 北松市蔵(金田龍之介)と指名したことから、大戸国五郎(遠藤辰雄)は皆の前で北松を罵倒します。
それで北松の子分 島崎稲三(木村元)は割った盃を懐に大戸一家を襲いますが 返り討ちに会い、輪島の拷問で苦しむ姿に桜田は島崎の男気を感じて止めを刺してあげます。

桜田は新津の町を離れ 恩人探しの旅に出ようと、新津駅ホームで汽車を待っています。その背後には青空をバックにキャブの前に重油タンクを搭載したⅮ51形らしき蒸機が次位に緩急車を繋いで停車しています。
245-5.jpg
その時突然 腰だめに匕首を構えた男が、桜田を刺そうと突進してきました。
245-6.jpg
サラリとかわして睨み合ったところへ、C58 57蒸機が牽引する旅客列車が入線して来ました。
245-7.jpg

予めホームでロケが行われると聞いていたのか、機関士・機関助手共にキャブから身を乗り出してホームを見ながら通過して行きます。男は島崎が桜田に殺されたと聞いて、敵討ちに現れた様です。
桜田が男に構わず乗車しようとすると、デッキから捜している恩人 小洗が現れビックリです。
245-9.jpg
男が小洗に近寄り「代貸 帰ってきてくれたんですね」と言うと小洗は「何をしているんだ 早くそれを仕舞え」と言って連れて行ってしまいます。
245-10.jpg

捜していた恩人が突然現れたのに、あの時の礼も言えず桜田は茫然と立ち尽くすばかりです。やがて 汽車は汽笛を鳴らすと、ゆっくりと桜田の横を走り去って行きました。
245-11.jpg
最後部の客車はオハフ 35の様で、サボは不鮮明ながらも新潟行の様に見えます。桜田が獄中にいる間 お園の面倒を親代わりになってみていたのも小洗と聞いて、益々恩義を感じてしまい苦悩する桜田なのでした。







PS.

新津駅と設定した このロケ地は何処?と考えると、機関車と雰囲気から福知山駅を思い浮かべてしまいます。ロケの行われた頃はヨンサントオもあって、蒸機の活躍場が急速に減っていた時期で 撮影には苦労したことと思います。

昭和初期の時代設定なので、駅名板に(ついに)と右読み表記したのでしょう。しかし隣駅に(ついにしがひ)と書いてありますが、東新津駅は 1952年2月に開業した磐越西線の駅なのです。
たぶん大映京都の美術さんが製作したので、新潟県に馴染みが薄かったのでしょう。

主役の市川雷蔵はこの映画公開の僅か5ヶ月後 37歳の若さで病死し、本作が遺作となってしまいました。

PageTop