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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

244.太陽に突っ走れ

1966年9月 東映 製作 公開   監督 鷹森立一

作曲家を目指して新潟から逃げる様に上京した進藤孝(千葉真一)が、苦難にめげずに大作曲家となるまでを描いた歌謡映画です。

冒頭 踏切際に立つ進藤の横をC56形蒸機が牽引する混合列車が通過して行き、
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タイトルが入ります。タイトルバックの最後で、C56が2両の客車を牽いての走行シーンがあります。
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新潟の田舎で山之家花丸(砂塚秀夫)と組んで歌い歩いていた進藤は、窃盗の疑いを掛けられたことから上京を決意して家出します。

進藤は金が無いのか地元の越後線内野駅裏で、列車に無賃乗車するタイミングを計っています。
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進藤が隠れた駅名板には現在とは違って、左隣が「てらを」右隣が「えちごあかつか」と記されてます。
駅長が出発の合図を送り
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汽笛と共にC56 126蒸機に牽かれた列車が動き出すと、
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ギターを抱えた進藤は駅長に見付からない様に 裏側からデッキに飛び乗ります。
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東京での成功を夢見てデッキで蹲る進藤の姿が映った後、雪原をC56126に牽かれて走り行く列車の走行シーンがあります。
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東京で増田健吉(長門裕之)と組んで流しの演歌師をする進藤は、ファンの高村光枝(十朱幸代)と結婚します。
そしてリヤカーを使って二人で引っ越す場面では、都電32系統(荒川車庫~早稲田)の3000形3178が登場しています。
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光枝の協力で曲を応募した「からたち日記」が大ヒットし 続作も成功しますが、大御所作曲家 天田(菅原謙二)に煙たがられて仕事を続けることが出来なくなります。
失望した進藤は作曲家を諦め、新潟へ帰ろうと上野駅 12番線へ光枝と現れます。
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しかし光枝は進藤が大作曲家となるのを諦めさせない為に、東京に残って帰りを待つことにします。

12番線の案内板は 11:12発の列車を表示していますが、アフレコらしき構内放送は「15:25発 準急第二越後 新潟行」と伝えています。
乗り込んだのは旧形客車の普通列車の様で、光枝から鞄を受け取った進藤は暫しの別れとなります。
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PS.

 新潟県の内野町出身の作曲家 遠藤実の著書「太陽も笑っている」が原作です。 進藤が上京する場面の内野駅は、飯山線の越後岩沢駅でロケが行われたと思われます。
 越後線内野駅も存在していましたが 既に貨物列車以外はDC化されていたので、越後線同様にC56形蒸機牽引列車が残っていて雰囲気の似ていた越後岩沢駅を装飾して撮影した様です。

 上野駅の場面で進藤が乗った列車は、10:50に入線していた 11:12発 125レ 青森行 普通列車の様です。アフレコでの越後号は 1959年当時 夜行準急列車であり、13:30発の急行 越路号 新潟行を想定している様です。
 また アフレコで蒸機の汽笛と発進音を付けている様ですが、新潟へ向かう高崎線の電化が 1952年4月なので 1959年の時代設定としても無理があります。
 どうしても進藤が帰郷する場面には 蒸機が牽く列車が相応しいと考えるなら、ロケ当時 6番線から C57形蒸機が牽いて 10:39発の成田行 825レが存在したのですが・・・

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243.あの丘越えて

1951年11月 松竹 製作 公開   監督 瑞穂春海

母の死去により信州の お婆 山口あや(飯田蝶子)の元で育てられ13歳になった白濱萬里子(美空ひばり)が、東京の父親の元に戻されることで生じる様々なドラマを描いた映画です。

学生服の能代大助(鶴田浩二)が上高地の大正池を越えて萬里子の元を訪ねて来て、今度 萬里子の家庭教師となったので迎えに来たと告げます。お婆は泣く泣く、親元へ戻る方が幸せだと承諾するのでした。
翌日 信越本線 信濃追分駅のホームに一同が集まり、お婆と萬里子は別れを惜しんでいます。
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やがてD50形蒸機に牽かれた列車が到着し
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能代と萬里子は車内中央部に席を取って窓を開けます。
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そして窓越しに能代が荷物を受け取り あやと萬里子が手を取り合っていると、汽笛が鳴り響き 動輪が力強く動き出します。
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それでも二人は手を繋いでいて、あやは加速する列車に合わせて走り出します。
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高齢のあやにしては危険な程に走り、遂には手が離れて転んでしまいます。窓越しの離別シーンがある映画は数々あれど、ここまで老婆が走ったアクションシーンに近い作品は珍しいと思われます。

次に上野駅 高架第四ホーム らしきへ列車が入線する場面の後、
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到着した列車から続々と乗客が降りる最後の頃に萬里子と能代が現れました。乗って来たのは、二重屋根の普通列車用旧型二等車の様に見えます。
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萬里子と能代が周囲をキョロキョロ見ていると、父 白濱研一郎(新田實)と会うことができました。このシーンで列車が到着したのは、何故か 3番線であることが分かります。
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終盤 萬里子が実の孫ではないことが分かった祖父 倉橋伍平(河村黎吉)は怒り出し、それで家庭内が暗くなった責任を感じた萬里子は家出します。暗い中 上野駅北部にある両大師橋上から、夜汽車を見つめる萬里子の姿が映ります。
翌朝 萬里子が乗ったと思われる列車が、お婆のいる信州を目指して走っています。
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萬里子は知りませんでしたが、実は前日 白濱家に あやの危篤を伝える電報が届いていたのです。

偶然にも萬里子はお婆の臨終に間に合い 、お別れを言うことができました。そして一人 大正池へ向かう萬里子なのでした。一方 朝まだきの信濃追分駅を降りて来た能代は、足早に萬里子の後を追います。
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大好きな大正池へ入水した萬里子は能代に助けられ、元気を取り戻します。そこへ同級生母娘や両親に祖父 倉橋も笑顔で駆けつけて来てENDとなります。




 PS. 

 萬里子は浅間山が近い、北軽井沢の牧場で育った様です。最初と最後に離れた上高地の大正池でロケが行われていますが、信州という大きな括りで大目に見てください。

 萬里子が上京する場面で D50形蒸機らしきが登場しますが、発車する時の足回りはD51形蒸機らしきボックス形動輪です。当時の上田区・長野区では、客貨共D50形・D51形蒸機を使用していた様です。
 想像するに 最初 D50形蒸機牽引列車の客車中央部に乗車し、窓越しに別れを交わすシーンの撮影をします。一旦 降車し 次のD51形蒸機牽引列車で、機関車の足回りとデッキ隣の席で離別シーンのロケが行われたと思われます。
アクションシーンに近い 走るお婆を演じた飯田蝶子は、この時 54歳でした。長年老け役を演じていたので、もっと高齢かと思っていましたが意外ですね。

 当時の時刻表では 信越本線 信濃追分駅から上野行列車は、夜行1本を含んで一日7本設定されています。このうち 7:59発 322レと 9:49発 324レでロケが行われたと思われ、324レの上野着は 15:04なので後の展開に合致しています。
 そして上野駅 高架第四ホームの 7番線らしきに到着する姿を両大師橋から撮っている様です。当時は田端~田町で山手線と京浜線が線路を共用していたので、3番線ホームで長距離列車が到着するシーンのロケが行われた様です。

 お婆のいる故郷へ帰ろうとした萬里子が乗った列車は上野 23:50発の普通 米原行 611レと思われ、信濃追分駅に翌朝 5:35頃に着いて お婆の臨終に間に合ったのでした。
 また 連絡を受けて萬里子を探しに行った能代が使ったのは、翌日 上野 22:50発の普通 直江津行 327レと思われ 早朝 4:03頃の信濃追分着です。

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