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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

237. 暴力

1952年8月 東映京都製作 東映配給   監督 吉村公三郎

大阪新世界の怪しげな〔ことぶき旅館〕で養父 山田秀次(菅井一郎)から客引きをさせられている孝子(日高澄子)が、何時しかこの暮らしから抜け出したいと願いもがく姿を描く作品です。

冒頭 朝まだきの鉄路を、8620形蒸機らしきが牽く貨物列車が走り抜けます。その後を二人の男が走って行き、その先にはムシロを被せた遺体の傍らに警官が二人立っています。
顔を見せられた二人から「ことぶき屋のハツ子」と判明して、主人の山田が呼ばれて来ます。山田は大阪市電の線路を渡り、土手を上がって現場へと行きます。
ハツ子の確認をしていると、C57形蒸機が汽笛を連呼しながらやって来ます。
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山田が反対側の線路に避けたところに、C57254 が客レを牽いて通過して行きました。
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後日 東京から来阪した女流作家(夏川静江)を地元の新聞記者らしき男(泉田行夫)が案内して、現場付近の線路に上がります。「この線は関西線 大阪から名古屋へ行きます」
左手を指して飛田遊郭・線路前方が釜ヶ崎・右手が新世界と説明しますので、遥か前方に見える跨線橋らしきが南海電鉄本線でしょうか。この頃は未だ大阪環状線も無く、1964年開業の新今宮駅もありません。

続いて大阪市電が走る道路を渡って新世界へと向かいます。走っているのはこの頃としては良車の 1601形でしょうか、角ばった車体にビューゲル集電器を付けています。
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この場所は大阪市電 1・3・4・11系統が走る、動物園前電停~霞町電停の間と思われます。非電化の関西本線をC57が牽く先程の列車は、湊町(現 JR難波)発上り一番列車 340レ亀山行でしょうか。

中盤 近所の映画館兼・女剣劇兼・ストリップ劇場の社長(進藤英太郎)から頼まれた山田は、非道にも 孝子を金で売って〔きよ元旅館〕へ行かせます。
貨物列車が通過した背後にある〔きよ元旅館〕二階の窓辺には、孝子が座っています。踏切警手が白旗を振る後方からは、C51形蒸機 C51254が牽く対向客レがやって来ました。
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続いて窓辺に座る孝子の後方に大阪市電が映ったと思ったら、C58形蒸機らしきがダブルルーフの客車を牽いて、高速で走り抜けて行きます。当時も C51が牽く客レは少ないのでしょうか。
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C51254・C57148 は共に当時は奈良区 所属で、他に 8620形・C58形・C11形・貨物用の D51形等々合計38両もの蒸機がいたようです。
孝子は頃合いに盲目の妹 静子(若山セツ子)が迎えに来る様に示し合わせていて、うまいこと難を逃れる したたかな一面を見せてくれます。







PS.

関西本線は名古屋~大阪で官営鉄道と乗客獲得競争をして張り合った関西鉄道をルーツとしていますが、国有化後は次第に東海道本線に水をあけられてしまい 現状に至ってます。
ロケ当時でも名古屋~湊町 直通の普通列車が3本・準急列車も3本あり、2年前の 1950年10月から東京~湊町を結ぶ急行大和も走り始めています(東京 23:00⇒9:30 湊町 19:20⇒6:08 東京)

当初は座席急行としてスタートし、その後寝台車を連結 末期には金沢行の能登号との併結運転で 1968年9月末まで走っていました。末期のダイヤでは(東京 22:35⇒9:43 湊町 19:23⇒6:00 東京)
更に関西本線 王寺から1両のB寝台車を切り離して、和歌山線の普通列車に連結しての和歌山市駅行もありました。(東京 22:35⇒8:38 王寺 8:48⇒11:44 和歌山市 17:11⇒19:56 王寺 20:06⇒6:00 東京)
この和歌山市行は 1962年から連結され始めたそうですが、需要はともかく県庁所在地から東京直通列車を望む声が強かった時代背景があったようです。

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236.朝を呼ぶ口笛

1959年3月 松竹 製作 公開   監督 生駒千里

高校進学資金の為 新聞配達のバイトをしている吉井稔(加藤弘)は母親の手術費用の為 進学を諦めようとするが、職場仲間の協力と励ましで 再び夢に向かって進み始める 青春映画です

中盤 吉井の職場仲間で大学の夜間部に通う 須藤隆司(田村高廣)は、交際している京成バス車掌の前川静子(瞳麗子)・その兄 前川一郎(山内明)と上野で待ち合わせます。
先に来ている前川兄妹が見ている先には、中央通りを上野公園電停から上野駅南口電停へ向かう1系統(品川~上野駅南口)24系統(須田町~福神橋)30系統(須田町~寺島町二丁目)何れかの6000形車両らしきが見えます。
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続いて 浅草方面をバックに3人が話す場面では、上野駅高架ホームに到着した列車の機回しでしょうかEF58形電機が浅草の仁丹広告塔と共に映っています。
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須藤は二人に就職試験を受けた本命会社から不採用の通知が来た事を告げ、「静子さんを幸せにする自信が無くなったので秋田の鉱山会社に一人で行く」と話すや注文品を待たずに食堂から飛び出して行くのでした。

次に踏切の警報器が映り 3両編成の京成電車がゆっくりと通過して行きますが、
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まだ踏切上に車体が有る内に 遮断棒は上がっていきます。
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そして元気のない須藤が渡って未舗装の道路を歩いて行きます。
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電車が進んだ右方向には小さな駅舎の京成押上線 荒川駅が隣接しています。この駅は高架化工事中の1994年に現在の八広駅へと改名されています。
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左方向には荒川を渡る低い橋梁があり、1991年にはタンカーが橋桁に衝突して運休となった事故がありました。翌年から橋の架け替え・高架化工事が始まり、1999年9月に現在地に移転しています。
荒川駅は 1963年4月に公開された「下町の太陽・監督 山田洋次」で登場して有名ですが、1978年12月 同じ松竹から公開された「俺は上野のプレスリー・監督 大嶺俊順」でも主役の友人の勤め先として登場しています。

その後 土手下にある新聞販売店に帰った須藤は、進学を諦め 就職の為 店を辞めようとしている吉井を見るや土手上に連れ出して 進学するように説得します。
二人の背後では 京成本線の3連電車が、京成綾瀬川橋梁を渡って京成関屋へと向かっています。
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続いて大きな荒川を渡る京成荒川橋梁は、1931年3月完成以来 86年間京成電車を支えています。
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周辺の土地は地盤沈下が激しく 堤防の嵩上げ工事をするも、両側の線路接点部分が水害の弱点となっています。そして橋の老朽化もあって、現在 架け替え工事が準備段階まで進んで進行中です。
吉井・須藤が働く新聞店は荒川駅近くにあるのですが 二人が座っているこの場所は、葛飾区小谷野町 現在の堀切4丁目1番地付近の荒川・綾瀬川間にある土手の上で 1.8㎞程離れています。しかし風景重視のロケ地故に、詮索は控えさせて頂きます。
この映画で 吉井のことを何かにつけて励まし・応援する女学生 刈谷美和子役を映画初出演の吉永小百合が演じています。日活映画専属契約で大活躍した彼女も、初出演は松竹映画なのでした。








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