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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

230. 雪国

1965年4月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 大庭秀雄

東宝映画製作から8年後にリメークされた作品で、原作を時系列通りに追って描かれています。美しい雪国の姿を野沢温泉に追い求め、カラー映像で表現した逸品です。

原作は二度目に駒子の元を訪れる鉄道シーンから始まりますが、この作品では24分後からです。並ロ座席に島村(木村功)が乗る列車が
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長いトンネルを抜けると、そこは晴れ渡った雪国です。
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独特な形のツララ切を装着した蒸機は C56 形でしょうか。続いて初期形の D51 蒸機が牽引する列車が
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白煙を引きながら雪原を走り抜けて行きます。雪山が美しい遠景は別列車です。
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やがて夕刻 8620形らしき蒸機に牽かれた列車が とある駅に停車すると
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東宝版と同様に葉子(加賀まりこ)が窓を開け、駅長(明石潮)に「弟を宜しくお願いします」と挨拶する場面があります。
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島村は窓ガラスに写る葉子をチラチラ見ていると、列車は下車する 越後湯村駅(架空駅)に到着します。
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跨線橋で駒子(岩下志麻)にバッタリ会うと、島村は「君に会いに来たんだ」などと言うのでした。

中盤 越後湯村駅舎が映って、
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待合室で帰京する島村が見送る駒子と汽車を待っています。「鳥追い祭にはいらっしゃいよ」と再会を望む駒子の元に、葉子が駆け込んで来ました。
危篤の行雄が駒子を呼んでいると告げますが、駒子は行こうとしません。汽車が来ると旅館の番頭が島村の荷物を持って同行し、
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半車二等に乗った島村をホームから見送るのでした。駒子は待合室で寂しく固まったままです。
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帰宅した島村が新聞を広げると、「裏日本に猛吹雪・ラッセル車」の見出しがあります。続いてC12 形蒸機らしきがラッセル車を押す様子が東宝版と同様に有ります。
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鳥追い祭の日 馴染客の見送りに駅へ来た駒子は、見送った後も改札口で島村が降りてくるのを待ちますが現れません。壁には(金沢方面行の方は橋を渡って下さい)と掲示されています。

その後 雪の無い時期に島村が来た折り、駒子は一緒に行雄の墓へ行こうと言います。続いて長野工場式集煙装置を付けた D51 172 蒸機を先頭に、D51 重連の列車が力強く 走り抜けて行きます。
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先頭を走るD51 の機関助手になったと思われる葉子の弟 佐一郎が「姉さ~ん」と叫びながら手を振ると、線路端に走り寄った葉子が手を振り「佐一郎」と叫んで応えています。
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最後 火事で大火傷を負った葉子に付き添う駒子を置いて、島村は帰京します。その折 また雪晴れの中 行きと逆方向に進む汽車が映り、
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雪国に別れを告げるトンネルに入るやエンドマークとなります。
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 PS.

原作に沿って描かれた東宝作品と違って、架空の越後湯村温泉を舞台に製作されています。大庭監督は戦前の雰囲気を求めて、野沢温泉でロケを行ったのでしょう。

架空の温泉地ですから戦前の時代設定に似合う蒸機牽引列車を登場させ、国鉄の協力の元 赤帯・青帯を装着した客車で行った撮影は戦前らしい良い雰囲気が出ています。

島村と駒子の再会や別れの場面で重要な舞台となる越後湯村駅は飯山線の飯山駅では?と推測します。それは2枚目の画像で、飯山線のC56 が冬季に装着していたツララ切に似ている点・野沢温泉から近い点です。
また飯山線はC56形・C12形・8620形の蒸機が走っていました。

それでは雪原を行くD51 牽引列車や佐一郎が乗務するD51 重連は?  172号機が当時 長野区所属なので、信越本線か篠ノ井線でのロケと思われます。

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229. 残雪

1968年3月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 西河克己

雪国の山中で出会った新城高彦(舟木一夫)と今村秋子(松原智恵子)は恋に落ちるが、やがて戦争中に生き別れた兄妹であることが判明し絶望してしまう悲恋 青春映画です。

卒論を出し終わって卒業間近の建築科学生 新城は、都心の建築現場へ実習に出ています。その場面の前に山手線と横須賀線電車に挟まれて、終着東京駅へ向かう 20系ブルートレインの姿があります。
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恩師 八木先生から信州 鹿島槍国際スキー場のロッジにいる神田(本郷淳)の元に、変更になった設計図を至急届けてほしいと頼まれます。続いて 大糸線の松川橋梁らしきを渡る、キハ58系4連が映ります。
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そして信濃大町駅に到着した新城が、
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軒から長い氷柱が垂れ下がる駅舎から出て来ました。ところが道路が雪崩で通行止めとなり、バスは運休との標示が出ています。
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そこで新城は道を聞いて、歩いて鹿島槍国際ロッジを目指します。その道中の山道で背負子を担いで歩く秋子とすれ違いますが、一目惚れと共に何処かで会ったような気がするとの思いがします。

その後 新城が炭の出荷を手伝ったことから二人は恋仲となります。八木先生から急用で東京へ呼び戻されても、徹夜で仕事を片付けて秋子の元へ駆け付けます。
この時 再び雪晴れの松川橋梁らしきを渡る、キハ52形らしき気動車3連が映ります。最後部はキハユニ 26形のようです。
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電化区間であるこの橋を日中にDC普通列車が通るのはロケ当時の時刻表によると、信濃大町 7:15発 123D糸魚川行が唯一です。

秋子の母 今村たみ(千石規子)は働いている鹿島槍国際ロッジの宿帳から、秋子の交際相手が実の兄らしい事を知って東京の新城家へ行くのを反対します。
それでも二人の強い説得で、東京行を許してもらいます。続いて窓側に?新城・通路側に秋子が座った車内シーンが有り、秋子は「どうしておかあさんはあんなに反対したのかしら?」と心配顔です。
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二人が乗ったのは 当時唯一の新宿直通急行だった糸魚川始発の信濃大町 10:47発 1404D 急行第一白馬と思われ、終着 新宿は 16:30なので新城家に夕方着いた本編と合致します。

秋子に会った高彦の父 新城憲一郎(山形勲)は亡くなった前妻に似ているので狼狽え、更に高彦が秋子との結婚を申し出たので興信所で調べさせると出生に疑問点が出ます。
秋子の母 たみは急に引っ越しを願い、陶管工場がある暖かい漁村近くに(愛知県常滑方面か?)転居します。憲一郎は今村たみを探し出し、遂に秋子が空襲で行方不明になった新城露子であると判明するのです。






 PS.

 2枚目の画像は八木先生から今夜にでも出発して図面を至急届けてほしいとの依頼で、信濃大町へ向かう新城が乗った気動車急行を示唆しています。
ロケ当時のダイヤでは新宿 23:00発 1405M 急行穂高 信濃森上行に乗り、5:46 信濃大町で降りたと思われ 165系電車急行です。また松川橋梁は、信濃四谷(現 白馬)~信濃森上に有る橋です。

 しかし本編中 空襲で母親を亡くした時 高彦は4歳なので 1941年生まれと思われ、22歳となった本作の時代設定は 1963年となります。
そこで東京オリンピックが開催される前の時刻表で見ると、新宿 23:00発 2413D 急行第二白馬 糸魚川行に乗って信濃大町へは 5:59の到着です。キハ58系DCが使われていたので納得です。
でもこの列車は松本駅で編成の大半を切り離し、大糸線内は2両運転でした。撮影は大阪 21:25発の 9803D臨時急行くろよん号 信濃森上行を使って行われたと思われます。

 しかし5枚目の画像は徹夜で仕事を仕上げ、朝一番の 7:00新宿発の 401D 急行第一アルプスに乗って 11:50松本着・11:59発 207Mで信濃大町 12:53着と思われる行程の一コマです。
何故監督は電化区間なのにDC普通列車に拘ったのでしょうか。あるいは徹夜仕事ではなく、上野 21:25発 2601ㇾ急行北陸で 5:09糸魚川に着き 5:19発 112Dに乗り継いで 7:14に信濃大町着だったのか?

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