日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

226.六條ゆきやま紬

1965年10月 東京映画製作 東宝配給公開   監督 松山善三

北国の旧家 六條家に当主たっての希望で周囲の反対を押し切って嫁いだ芸者 いね(高峰秀子)が、夫の自殺後も姑を中心とするイビリにも負けず 六條家伝統の ゆきやま紬の向上にまい進する生き様を描いた作品です。

当主 六條久右衛門(神山繁)が投資に失敗して自殺すると いねに対する中傷は激しくなりますが、久右衛門に恩義ある三宮治郎(フランキー堺)が片腕となり協力してくれます。
二人の仲を周囲は噂しますが たゆまぬ努力でゆきやま紬が国の無形文化財に指定されると、法要の席での屈辱もあって いねは二人で六條家を去る決意をします。

鉄道シーンは終盤のここから有ります。二人の数少ない理解者である猟師の大崎仁兵衛(小林桂樹)に送られて駅のホームで待つ二人の前に、C11 334 蒸機牽引の汽車が雪原の彼方から汽笛と共にやって来ました。
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二人は無言で先頭客車に乗りますが、何故か寒いデッキに立ち止まって車内に入りません。
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次の駅に着くと、車内から高校生達が続々と降りて行きます。学校の最寄駅に到着したのでしょう。

三宮は何か言いたげな表情で、尚も無言で思い詰めた様子です。やがて停車していた汽車が動き出すと、三宮が「俺やっぱりこの駅で降ります」と言ったので「降りるって?」と いねが聞き返します。
「奥さんのこと一生忘れません さよなら」と言うや三宮はデッキからホームへ飛び降りてしまいます。
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いねはデッキから身を乗り出して「治郎さん」と呼ぶしかできず、悲しい顔でホームの三宮を見ています。
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三宮はこのまま いねと行くと、噂を認めたことになるので六条家に戻ろうと考えた様です。雪のホームに立って、去り行く いねに無言で別れを告げています。
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いねも見える限りデッキから三宮の姿を追います。
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やがて見えなくなると、いねは呆然とした様子で尚もデッキの中央へ移動します。あまりに悲しい結末に、C11 334 蒸機の背中が揺れている様にも見えます。
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この作品は最後の鉄道シーンはもとより 全編に渡って厳しくも美しい 北国の雪景色が描かれ、モノクロ映像と相まって印象深い作品に仕上がっています。






PS.

 日本三大紬の一つである塩沢紬の産地 新潟県の塩沢・小千谷地方でロケが行われたそうで、C11 334 が走るのは只見線です。三宮が飛び降りた5枚目の画像の駅は、当時の終点 大白川駅の手前の柿ノ木仮乗降場では?と思われます。
 しかし6枚目の画像は明らかに別の駅で、同じく仮乗降場の黒又川かもしれません。両乗降場共に廃止され現存していません。
只見線は 1942年11月に小出~大白川が開通して、戦後 末端の入広瀬駅~大白川 6.4km.に柿ノ木・黒又側の仮乗降場が設けられました。画像が不鮮明ですが、ホームの雰囲気と名板から推測したものです。
当時の時刻表では 仮乗降場なので駅間距離が無く、入広瀬ー5分ー黒又川ー4分ー柿ノ木ー7分ー大白川 で一日上下5本の運行です(現在は4本)。
 只見線は 1971年8月に大白川~只見を最後に会津若松~小出(135.2km.)が全通しましたが、2011年7月の豪雨で現在は会津川口~只見が不通となっています。

 なお現在 販売されている六條ゆきやま紬は、映画公開後に塩沢紬を取り扱う 大手呉服問屋 菱一のブランドの一つとして売り出された伝統的工芸品だそうです。

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225. 彼岸花  

1958年9月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 小津安二郎

商社重役の平山渉(佐分利信)は旧友の娘の行動には寛容なのに 自分の娘 節子(有馬稲子)には自説を押し付け孤立しますが、娘の幸せを優先する様に変わっていく姿を描くホームドラマです。

この作品の鉄道シーンは冒頭と最後に有ります。冒頭 今となっては懐かしい台形頭の東京駅丸の内駅舎が映り、横須賀線 70系電車らしきが停車しています。
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続いて湘南電車発着の 12番線で 15:21発 沼津・伊東行普通二三等列車 15両編成 833ㇾの案内板が映りますが、直ぐにパタパタが動いて白地になり 発車して行った様です。
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ホームには今出た電車で熱海方面へ向かった新婚の二人を見送った披露宴の列席者が残り、余韻に浸った様に話をしています。
そのホームのベンチには二人の清掃担当の職員が休憩なのか座り、新婚旅行に出掛ける花嫁さんの勝手な品定めをしています。
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一人が「風が強くなる様だな」と言って、柱に掲示された強風注意の鉄道気象告知板が映ります。
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平山が節子の見合い話を進めていたある日 勤務先へ谷口正彦(佐田啓二)が訪ねて来て、節子との結婚承認を願い出ます。妻の清子(田中絹代)も初耳で、平山は怒って節子に禁足令を出すしまつ。
谷口に会った清子や次女の久子(桑野みゆき)は賛成派で、平山は家族の中で孤立する一方です。更に京都の知り合いの娘 佐々木幸子(山本富士子)の策略で平山は追い詰められます。

更に先日 結婚式に出た親友の河合利彦(中村伸郎)から、奥さんから頼まれた節子たちの仲人を引き受けたことを聞かされます。
結婚式の前夜 平山が白手袋と靴下を買ってきたのを見た清子は、「明日の結婚式に出てくださるのね」と念を押し 二階にいる節子に報告するのでした。

平山は結婚式の後 暫くして愛知県の蒲郡で同窓会があり その帰りに京都の佐々木家に寄ると、幸子母娘から広島の新居に是非寄る様に説得されて 強引に承諾させられます。
翌朝 特別急行かもめ号の二等車席に
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平山が座っています。8:30 に始発の京都駅を出た直後の様で、車内はガラガラです。デッキから白い上着を着た列車給仕が現れたので、手を挙げて呼び寄せます。
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そして節子宅へ 14:18 広島に着く旨の電報を依頼します。列車給仕(須賀不二夫)が書きとめ
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「大阪でお打ちします」と言って前方へ行くと、「青葉茂れる・・・♪」と小声で歌いだす平山です。
当時の電報料金は市外だと 10字まで 60円で、5字増す毎にプラス 10円なので 80円 至急電報扱いは倍額なので 160円と思われます。列車給仕はこの様に電報代行サービスも行っていました。

続いて EF 58形電機を先頭に淀川らしき大河を渡る 特別急行かもめ号の全景が、鮮やかなテールマークが小さくなる迄映され エンドマークとなります。
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1953年3月より運行開始された山陽特急かもめ号は京都~博多を結び、この年 1958年4月の姫路電化より京都~姫路の牽引機が C59 形等の蒸機から EF58 形電機に変更されました。
   





PS .

 谷口の広島転勤引っ越しの手伝いに行って来た久子は、「明日 谷口さんが 18:30の あさかぜで広島へ行くので、私も見送りに行く」と告げます。
若い谷口が広島へ行くのに当時は敷居の高い特別急行列車を使う? 漠然と不思議に思います。でも会社で転勤の挨拶をしても 18:30発の あさかぜ なら間に合い、同僚の見送りも受けられそうです。

そして広島には翌朝 7時過ぎの到着なので、そのまま着任の挨拶にも出社できて合理的であり ナハ10形三等座席車も連結されている あさかぜ号を利用したと思われます。
この映画公開の翌月に あさかぜ号はオール冷暖房完備の 20系化されたので、暑い時期の転勤で苦労したであろう谷口は後日 悔しい思いをしたことでしょう。
一般的な直通急行列車を使うと あさかぜ号の前は、13:30発長崎行 39ㇾ雲仙号となり 広島到着も朝 5時頃で早過ぎます。更に後続の博多行 41ㇾ急行筑紫号だと、20:30の発車で到着は午後1時半なので納得ですね。

 特急かもめ号は需要見通しから昼行特急列車の象徴である一等展望車は連結されず、特ロ車両のスロ54形二等車を4両連結しました。しかし本編の様にガラガラの日もあり、一年も経たずに3両に減らされます。
1958年の利用調査でも二等車は6割程で、東海道本線の つばめ号の様に高くありません。本編では利用者が多く乗車する前の京都~大阪の車内なので、セット撮影としてもガラガラ状態としたのでしょう。

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