
1957年4月 松竹 製作 公開 監督 小津安二郎
幼き日 夫子を捨て男の元へ走った母に叔母が再会したことから妹が振り回され、悲劇に至って怒る娘 沼田孝子(原節子)に接し 寂しく去る母 相馬喜久子(山田五十鈴)の姿を描くドラマです。
冒頭 杉山周吉(笠智衆)が飲み屋に入る前、全線座の看板が見えるので夕暮れの渋谷界隈らしき百貨店近くを貨物列車が走っています。この映画公開の二年半前に電化された山手貨物線でしょうか。
幼少期から父 杉山に育てられて母親を知らない次女 明子(有馬稲子)が、つきあっている木村憲二(田浦正己)を捜す場面では東急電鉄 池上線の大崎広小路駅が映ります。

午後1時を指すホームの時計後方には、僅か 300mしか離れていない始発 五反田駅に接続する元白木屋百貨店五反田分店の尖塔が見えています。

中盤 木村がよく通う中華屋 珍々軒へ明子が向かう場面で、明子の後方に遮断機付の踏切が在り 更に背後の築堤上にも電化された線路がある模様です。

木村が通うので五反田界隈と思われますが、築堤と踏切の関連から目黒~恵比寿の区間で或いは踏切と中華屋はセット設営した物とも考えられます。
そして孝子の叔母 竹内重子(杉村春子)が偶然 喜久子に会った話しから、孝子は明子が母とは知らずに出入りしている五反田の麻雀店 寿荘へ女将の喜久子を訪ねます。
その折 東急 池上線の五反田駅の高架ホーム端を下から撮影したカットに続き

到着する 3000系らしき3連電車の姿が映ります。

明子が産婦人科医院へ行く場面では、(201.早春)でも映った東急 蒲田駅が登場し

傍らに産婦人科医院の看板を映しています。
その後 明子は幼少期から母親がいなかった経緯を孝子から聞き、喜久子に怒りを叫び 更に木村の態度にも絶望して前記の踏切で事故に遭い死亡します。
東急 五反田駅を出発して行く池上線 3000系電車が映った後、

明子の葬儀を終えた孝子が寿荘へ喜久子を訪ねて行き 怒りをぶつけたのでした。
喜久子は夫 相馬栄(中村伸郎)から頼まれて渋っていた北海道 室蘭への転居に同意し、出発の日 孝子の元へ花を持参しますが孝子は花を供えることを許しません。
「今晩9時半の汽車で北海道へ発つの」と別れの挨拶も兼ねて孝子の元へ来た喜久子ですが、積年の恨みと明子の悲劇からの孝子の行動でしょうか。この間喜久子の挨拶に一言の返事もしません。
上野駅 21:30発 2.3等急行津軽 奥羽線周り青森行の行先板が映り、

構内放送が流れます。「途中主な停車駅は大宮・小山・宇都宮・・・弘前・青森でございます」
客車の下からは蒸気暖房の湯気が上がっている中、続々と乗客が乗り込んで行きます。

相馬と喜久子は早々に席を確保して、酒を飲んで出発を待っています。

ホームでは明治大学の応援団が遠征に行く学生に校歌を歌って励まし見送りをしています。

卓球部等個人的競技の部員でしょうか、応援団は同行せず3人程が響き渡る校歌で見送りを受けています。
喜久子は寒いのに窓を開けて顔を出して、孝子が来るのでは?と捜しますが誰も来ません。相馬は諦めろと窓を閉めますが、曇った窓を拭いて捜す喜久子なのでした。

やがて哀愁を感じる蒸機の汽笛が12番線に鳴り響き、4分間に及ぶ屈指の長き 見送り人無き 悲しい上野駅出発場面が終わります。

これ程印象深く、長い出発場面は見たことがありません。
当時は大宮迄しか電化されていない東北本線なので、C59形蒸機が牽引したのでしょうが音だけで姿は見えません。
見る人の心に響く上野駅旅立ちシーンのロケですが、当時 急行津軽の5号車はスハ43系客車が使われていました。座席の背ずりにモケット、腰部にクッションが付いた急行列車仕様です。
しかし相馬夫妻が座る座席は、急行列車とは思えない板張りの背ずりです。思うに尾久区辺りでオハ61形等の客車を使って、エキストラを乗せて相馬夫妻の旅立ち車内シーンを撮影したのでは?
また二人並んで座る場面では、松竹技術スタッフお得意の座席外しをして撮影したのでは?と思われます。
PS. 相馬は室蘭へ行くのに何故 急行津軽に乗ったのでしょうか?401ㇾ津軽に乗ると、 上野 21:30 → 12:55 青森 17:20 → 21:50 函館 22:10-(419ㇾ)-1:17 長万部 5:02-(231ㇾ)-7:54 室蘭
と乗り継ぐので、青森と長万部で接続が悪く 3日目の朝に漸く到着となり 所要34時間4分も掛かります。
普通なら 上野 16:05 -(203ㇾ急行北上) - 6:03 青森 6:25 -(13便 )- 10:55 函館 11:39 - ( 13ㇾ急行アカシヤ)- 13:56 長万部 14:01-(235ㇾ)-16:47 室蘭と乗るでしょう。所用24時間42分です。
幼き日 夫子を捨て男の元へ走った母に叔母が再会したことから妹が振り回され、悲劇に至って怒る娘 沼田孝子(原節子)に接し 寂しく去る母 相馬喜久子(山田五十鈴)の姿を描くドラマです。
冒頭 杉山周吉(笠智衆)が飲み屋に入る前、全線座の看板が見えるので夕暮れの渋谷界隈らしき百貨店近くを貨物列車が走っています。この映画公開の二年半前に電化された山手貨物線でしょうか。
幼少期から父 杉山に育てられて母親を知らない次女 明子(有馬稲子)が、つきあっている木村憲二(田浦正己)を捜す場面では東急電鉄 池上線の大崎広小路駅が映ります。

午後1時を指すホームの時計後方には、僅か 300mしか離れていない始発 五反田駅に接続する元白木屋百貨店五反田分店の尖塔が見えています。

中盤 木村がよく通う中華屋 珍々軒へ明子が向かう場面で、明子の後方に遮断機付の踏切が在り 更に背後の築堤上にも電化された線路がある模様です。

木村が通うので五反田界隈と思われますが、築堤と踏切の関連から目黒~恵比寿の区間で或いは踏切と中華屋はセット設営した物とも考えられます。
そして孝子の叔母 竹内重子(杉村春子)が偶然 喜久子に会った話しから、孝子は明子が母とは知らずに出入りしている五反田の麻雀店 寿荘へ女将の喜久子を訪ねます。
その折 東急 池上線の五反田駅の高架ホーム端を下から撮影したカットに続き

到着する 3000系らしき3連電車の姿が映ります。

明子が産婦人科医院へ行く場面では、(201.早春)でも映った東急 蒲田駅が登場し

傍らに産婦人科医院の看板を映しています。
その後 明子は幼少期から母親がいなかった経緯を孝子から聞き、喜久子に怒りを叫び 更に木村の態度にも絶望して前記の踏切で事故に遭い死亡します。
東急 五反田駅を出発して行く池上線 3000系電車が映った後、

明子の葬儀を終えた孝子が寿荘へ喜久子を訪ねて行き 怒りをぶつけたのでした。
喜久子は夫 相馬栄(中村伸郎)から頼まれて渋っていた北海道 室蘭への転居に同意し、出発の日 孝子の元へ花を持参しますが孝子は花を供えることを許しません。
「今晩9時半の汽車で北海道へ発つの」と別れの挨拶も兼ねて孝子の元へ来た喜久子ですが、積年の恨みと明子の悲劇からの孝子の行動でしょうか。この間喜久子の挨拶に一言の返事もしません。
上野駅 21:30発 2.3等急行津軽 奥羽線周り青森行の行先板が映り、

構内放送が流れます。「途中主な停車駅は大宮・小山・宇都宮・・・弘前・青森でございます」
客車の下からは蒸気暖房の湯気が上がっている中、続々と乗客が乗り込んで行きます。

相馬と喜久子は早々に席を確保して、酒を飲んで出発を待っています。

ホームでは明治大学の応援団が遠征に行く学生に校歌を歌って励まし見送りをしています。

卓球部等個人的競技の部員でしょうか、応援団は同行せず3人程が響き渡る校歌で見送りを受けています。
喜久子は寒いのに窓を開けて顔を出して、孝子が来るのでは?と捜しますが誰も来ません。相馬は諦めろと窓を閉めますが、曇った窓を拭いて捜す喜久子なのでした。

やがて哀愁を感じる蒸機の汽笛が12番線に鳴り響き、4分間に及ぶ屈指の長き 見送り人無き 悲しい上野駅出発場面が終わります。

これ程印象深く、長い出発場面は見たことがありません。
当時は大宮迄しか電化されていない東北本線なので、C59形蒸機が牽引したのでしょうが音だけで姿は見えません。
見る人の心に響く上野駅旅立ちシーンのロケですが、当時 急行津軽の5号車はスハ43系客車が使われていました。座席の背ずりにモケット、腰部にクッションが付いた急行列車仕様です。
しかし相馬夫妻が座る座席は、急行列車とは思えない板張りの背ずりです。思うに尾久区辺りでオハ61形等の客車を使って、エキストラを乗せて相馬夫妻の旅立ち車内シーンを撮影したのでは?
また二人並んで座る場面では、松竹技術スタッフお得意の座席外しをして撮影したのでは?と思われます。
PS. 相馬は室蘭へ行くのに何故 急行津軽に乗ったのでしょうか?401ㇾ津軽に乗ると、 上野 21:30 → 12:55 青森 17:20 → 21:50 函館 22:10-(419ㇾ)-1:17 長万部 5:02-(231ㇾ)-7:54 室蘭
と乗り継ぐので、青森と長万部で接続が悪く 3日目の朝に漸く到着となり 所要34時間4分も掛かります。
普通なら 上野 16:05 -(203ㇾ急行北上) - 6:03 青森 6:25 -(13便 )- 10:55 函館 11:39 - ( 13ㇾ急行アカシヤ)- 13:56 長万部 14:01-(235ㇾ)-16:47 室蘭と乗るでしょう。所用24時間42分です。


