
1951年3月 新東宝 配給 公開 製作 新東宝・昭映プロ 監督 市川崑
結婚式を翌日に控えた 小田切京子(久慈あさみ)が従兄弟の遠藤誠一(池部良)とデートするも、お互いの気持ちを言い出せないまま経過してゆく 独身最後の一日を描く青春映画です。
結婚式前日なんて案外暇なの。などと遠藤を誘った京子は、父親 小田切恵介(千田是也)から小遣いを調達して待ち合わせの銀座へと出掛けるのです。
水田沿いを小田急電鉄の 1800形2連が走り来ると、

雑木林を横目に第4種踏切を通過して行きました。戦災復興用の国鉄63系そのままの姿で、オデコの通風口が特徴的です。

ロケ地は不明ですが当時 豪徳寺~経堂で これに似た風景の場所があったそうで、あるいはそこかもしれません。何れにしても現在とは隔世の感があります。
また標識だけの簡易的な第4種踏切が経堂付近にあったとすると驚きですが、1955年時点で小田急線内にはこの簡易踏切が390ヶ所もあったそうで不思議ではない様です。
その後の近代化で第4種踏切は 1973年中には全廃されたそうで、今では全て第1種甲踏切です。なお当時は占領下だったので、標識の表面は英語表記と思われます。
意外と思えるのが鋼製の架線柱で、小田急では 1927年の開業時から高価ですが強度と耐久性が高い近代的な鋼製架線柱を使っていたそうです。
小田急 1800形は大東急時代の 1946年 20両導入され、小田急初の20m車として活躍後 1957年から車体更新されて 1981年迄使われました。
2連で運行されているので各停と思われますが、新宿発の2連は 1960年代になっても見られました。
銀座の喫茶店で待ち合わせた二人は映画・スケート・天ぷら屋・ダンスホールと渡り歩き 京子の独身最後の一日を共に楽しむのですが、気が付くと腕時計は止まっており終電車が気になります。
その頃 小田急線新宿駅では 1800形電車が停まっており、次々と駆け込む人が続いています。駅の時計は 24:48を指しており、
構内放送は「まもなく24時50分発経堂行が発車します。この電車は小田急線 本日の最終電車であります」と告げています。

二人は国鉄からの中央地下通路を走って、小田急線乗り場へと急ぎます。しかし小田急線新宿駅11番線からは、ふらふらしている酔っ払いを置いて終電車が警笛を鳴らして出発して行きます。
そこへ遠藤と京子が到着しますが、終電車はホームを離れるところで間に合いませんでした。

その様子を見て笑っていた改札口の駅員は、二人が引き返して来ると顔を正して見送ります。

改札口から出てくると京子が寒いと言い出したので、

再び地下通路へ降りて行きます。京子を残してタクシーを捜しに行った遠藤ですが、見付からずに戻って来ると二人はお互いの気持ちに関して口論となります。
地下通路の壁には小田急線の案内が書いてありますが、代表的な行先が進駐軍基地に関連した相模大塚・相武台前と書いてあるのが時代を反映してます。しかも相模大塚は海老名で相模鉄道に乗り換えた先の駅なのにアバウトです。

1927年の小田急線開業時以来の姿を保つ新宿駅ですが、この映画の4年後に公開された前出 (57.泉へのみち 東宝) でもほぼ同様でした。
その後利用客増加から列車本数増加計画に伴い、1960年から大改造工事にかかり 1964年2月に完成させて現在に至っています。
結婚式を翌日に控えた 小田切京子(久慈あさみ)が従兄弟の遠藤誠一(池部良)とデートするも、お互いの気持ちを言い出せないまま経過してゆく 独身最後の一日を描く青春映画です。
結婚式前日なんて案外暇なの。などと遠藤を誘った京子は、父親 小田切恵介(千田是也)から小遣いを調達して待ち合わせの銀座へと出掛けるのです。
水田沿いを小田急電鉄の 1800形2連が走り来ると、

雑木林を横目に第4種踏切を通過して行きました。戦災復興用の国鉄63系そのままの姿で、オデコの通風口が特徴的です。

ロケ地は不明ですが当時 豪徳寺~経堂で これに似た風景の場所があったそうで、あるいはそこかもしれません。何れにしても現在とは隔世の感があります。
また標識だけの簡易的な第4種踏切が経堂付近にあったとすると驚きですが、1955年時点で小田急線内にはこの簡易踏切が390ヶ所もあったそうで不思議ではない様です。
その後の近代化で第4種踏切は 1973年中には全廃されたそうで、今では全て第1種甲踏切です。なお当時は占領下だったので、標識の表面は英語表記と思われます。
意外と思えるのが鋼製の架線柱で、小田急では 1927年の開業時から高価ですが強度と耐久性が高い近代的な鋼製架線柱を使っていたそうです。
小田急 1800形は大東急時代の 1946年 20両導入され、小田急初の20m車として活躍後 1957年から車体更新されて 1981年迄使われました。
2連で運行されているので各停と思われますが、新宿発の2連は 1960年代になっても見られました。
銀座の喫茶店で待ち合わせた二人は映画・スケート・天ぷら屋・ダンスホールと渡り歩き 京子の独身最後の一日を共に楽しむのですが、気が付くと腕時計は止まっており終電車が気になります。
その頃 小田急線新宿駅では 1800形電車が停まっており、次々と駆け込む人が続いています。駅の時計は 24:48を指しており、
構内放送は「まもなく24時50分発経堂行が発車します。この電車は小田急線 本日の最終電車であります」と告げています。

二人は国鉄からの中央地下通路を走って、小田急線乗り場へと急ぎます。しかし小田急線新宿駅11番線からは、ふらふらしている酔っ払いを置いて終電車が警笛を鳴らして出発して行きます。
そこへ遠藤と京子が到着しますが、終電車はホームを離れるところで間に合いませんでした。

その様子を見て笑っていた改札口の駅員は、二人が引き返して来ると顔を正して見送ります。

改札口から出てくると京子が寒いと言い出したので、

再び地下通路へ降りて行きます。京子を残してタクシーを捜しに行った遠藤ですが、見付からずに戻って来ると二人はお互いの気持ちに関して口論となります。
地下通路の壁には小田急線の案内が書いてありますが、代表的な行先が進駐軍基地に関連した相模大塚・相武台前と書いてあるのが時代を反映してます。しかも相模大塚は海老名で相模鉄道に乗り換えた先の駅なのにアバウトです。

1927年の小田急線開業時以来の姿を保つ新宿駅ですが、この映画の4年後に公開された前出 (57.泉へのみち 東宝) でもほぼ同様でした。
その後利用客増加から列車本数増加計画に伴い、1960年から大改造工事にかかり 1964年2月に完成させて現在に至っています。


