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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

180.ノサップの銃(ガン)

1961年9月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 松尾昭典

ノサップ村へやって来た流れ者 ライフル使いの銃{ガン}(宍戸錠)が、悪玉網元 仙田剛造(富田仲次郎)と善玉網元 浅川進吉(稲葉義男)の対立を治めるアクション映画です。

冒頭 根室本線末端(現 花咲線)を走るC58 蒸機牽引の混合列車を空撮で捉えています。
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続く車内シーンでは 根室へ向かう君塚はる(南田洋子)をはじめ、季節労働者の男女で賑やかです。
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突然 列車が急停車し、驚いた乗客が一斉に窓から前方を見ると機関車の前に牛がいます。
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そこへ牛をどかせようと牧童が馬に乗って駆け付けましたが、蒸機の汽笛に馬が驚き暴れて振り落とされてしまいます。
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その時運悪く手綱が牧童の足に絡まり、走り出した馬に引きずられてしまいます。見ている乗客は最悪の事態を想像して、何とかならないかと固唾を呑んで見守っています。
そこへガンが銃を取り出し、窓から狙いを定めて馬と繋がる手綱を撃ち切りました。乗客達は一斉にガンを称えますが、本人は大した事はないとばかりに帽子を深く被って居眠りを演じています。
ここで漸くタイトルが現れ、バックには落石付近の海岸段丘上を行く混合列車の空撮が映ります。続いてノサップ村(架空)へ向かう一行は、ロケ当時 根室交通へ吸収された根室拓殖鉄道バスらしきに乗っています。

終盤 浅川の息子 進次(葉山良二)は浅川の元で働くベテランの源造(浜村純)から羽幌炭礦の社長をしている古い知り合いに借金の依頼をする様頼まれ、札幌の羽幌炭礦鉄道本社へと向かいます。
社長は進次の手を見て金を用立ててくれました。進次からの電報で浅川派は元気づきますが、聞きつけた仙田は漁場を独占出来なくなるのでワルの風森(神山繁)達に進次が持ち帰る金の強奪を依頼します。

進次は羽幌炭礦鉄道本社で掃除婦をしていた すえ(田中筆子)と共に、現金の入ったバックを傍らに置いて煙草を吹かして根室へ向かう列車に乗っています。大仕事を終えて安堵の笑顔です。
その頃 行く手の線路上には、風森の手下二人が接近する列車を待ち構えています。やがて 遥か彼方から煙と共に汽笛が聞こえてきました。二人は線路際に潜んで、列車を待ちます。

やがて C58127 蒸機牽引の混合列車が接近して来ました。
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二人は立ち上がって列車に近付くと、走りながら客車のデッキの手すりに飛び付き低い線路際からデッキへ乗り込みました。
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列車は時速 20km.位でしょうが、難しく危険で珍しいアクションシーンです。駅のホームからの飛び乗りシーンは数々ありますが、砕石のある低い線路際からの飛び乗りは難しいと思われます。

二人は進次を襲い 拳銃で脅して金の入ったバックを強奪すると、
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列車の後ろから馬に乗って近付いた仲間に渡して
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更に先の踏切でジープに乗って待つ風森へリレーしました。強盗の二人は、デッキから飛び降りて逃げます。
殴られた進次も遅れてデッキから線路際に飛び降りますが、
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風森はジープで他の3人は馬に乗って道路を逃走して行きます。そこへ知らせを聞いたガンが馬で追い付き、進次から話を聞いて一味を追い掛けて行きます。

当時も根室本線は釧路で分断されたダイヤでした。釧路~根室 直通は普通列車が一日5本、気動車準急が1本ありました。普通列車は3時間半強掛かっていましたが、1本だけあった普通気動車は3時間10分と現在より30分遅い程度です。
その内 根室 16:31 発の 428ㇾは一等車付で、釧路から函館行 8ㇾ急行まりも に連結されて北海道最長の 816.4km.を走り抜けて根室と中央を直通で結んでいました。



PS. 羽幌炭礦鉄道が実名で出てきたのは唐突ですが、この頃は気動車の新車を導入して自社路線から国鉄羽幌線に乗り入れ運転するなど羽振りが良くタイアップでしょうか。

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179.素晴らしき日曜日

1947年7月 東宝製作公開   監督 黒澤明

戦後黎明期の東京で若い貧乏なカップル雄造(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)の日曜日一日を、ドキュメンタリータッチで描いた青春映画です。

冒頭 運輸省営鉄道 63系電車が上野駅らしきに到着するシーンがあります。179-1.jpg
前面はまともですが、壊れた窓ガラスに板を貼って修理してあるなど荒廃した終戦後の姿で運行されています。
到着すると超満員の車内から昌子も降りて来ました。階段を降りてくると、壁に8番線の標示が有りますから常磐線沿線に住んでいるのでしょう。
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昌子は外に出て待ち合わせの場所へ行くと、シケモクを拾って吸おうとしている雄造の手を叩いて止めさせます。駅の外の様子は新橋駅の様にも見えますが、上野なのでしょう。
ここから二人の楽しい一日が始まるのですが、所持金が雄造 15円・昌子 20円しか有りません。新築モデルハウスの展示場を見て夢を語る昌子ですが、10万円の価格に溜息の二人です。

ただここで 闇屋の男(菅井一郎)から貸し間が近くにあることを聞き、そこへ向かう道中 遮断棒の無い警報機だけの第三種踏切がありました。複線電化区間の様で、左からの単車に続いて右から2両編成の電車が通過します。
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アップの映像であり、意外に高速で通過したので車両の詳細が分かりません。上野近くとなれば京成電鉄ですが、雰囲気的に東京急行電鉄 井の頭線(当時)の様にも見えますね。

上野公園界隈から動物園へ入ったりした二人は、日比谷公会堂で行われるクラシック演奏会のポスターを見て行くことにします。上野公園からの階段を駆け下り、上野駅へと走る二人を車から併走撮影している様です。
駅前交差点角は石垣だけで、まだ聚楽(現在はUENO3153ビル)も有りません。続いてドアガラスが板張りの 63系電車が疾走する姿の後、車内で座る昌子は「遅いな~この電車 もっと早くもっと早く」などとウキウキしている様子です。
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次に雨が強まる中 有楽町で降りた二人が日劇をバックに晴海通りを横断する時、山手線でしょうか6両編成の 63系電車が高架線を有楽町駅へと向かって行きます。
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ロケ当時 上野~有楽町の運賃は5km.までの最低区間内なので、 50銭でした。しかしインフレが激しいので この映画公開直後(6日後)に2倍の1円に値上げされ、貧乏な二人には一段と厳しい世の中になったのです。

その後ダフ屋に邪魔され演奏会に入れなかった二人は、野外音楽堂で二人だけの空想演奏会を開き 心が満たされます。最後は夜の有楽町駅らしきホームを想定したセット撮影シーンです。
ベンチに二人が座り、駅員が一人が立つホームで電車を待っています。
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やがて電車到着の音が入り、昌子が「またこの次の日曜日」と笑顔で別れを告げて乗車した様です。

この映画は黒澤監督 戦後第二作で、珍しくホームドラマ風の映画です。焼け跡だらけの町と一見まともな都心のビル街、走る電車は板張りのドアや窓と戦後復興黎明期の東京をリアルに映しています。
なお国営鉄道事業が新法人 日本国有鉄道に移管されたのは、二年後の 1949年6月です。

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178. 弾痕

1969年9月 東宝 製作 公開   カラー作品   監督 森谷司郎

アメリカ移民の息子で日米二重国籍でもあるアメリカ諜報機関工作員 滝村憲(加山雄三)の活躍を描く青春アクション映画で、加山雄三 スパイナー4部作の2作目です。

鉄道シーンがあるのは後半 滝村は 中共のスパイ 楊(岸田森)と武器商人 トニー・ローズ(アンディ・シームズ)の取引を阻止する指令を受け、愛車いすゞ117クーペを走らせます。
続いて日本海の海岸に沿って C57形蒸機牽引の客ㇾが走行する姿を、遠距離から望遠で追い駆けるシーンが長々とあります。走行音や汽笛はアフレコなので合ってはいません。
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次に直江津駅に8両程の客車を牽いて到着する D51 247の蒸機列車が映ります。
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ゆっくり入線して客が降り始めるまでに7回も「なおえつ ~ なおえつ ~」と連呼する構内放送も懐かしいですね。
さすがに編集段階で機関車の違いを指摘されたのか、D51 の顔は 0.3秒程しか映りません。「急行よねやま号田口行は橋を渡って4番線です」と放送しているので、直江津 12:19発 302D 急行よねやま1号でしょう。
するとローズらが乗ってきた列車は、北陸本線下り列車となります。しかし小生所有の時刻表 1969年5月号では、該当する接続列車がありません。北陸本線全線電化後なら 11:40着の 521ㇾ長岡行がありますが・・・

カムフラージュの釣竿らしきを担いだ滝村の仲間 野瀬(小沢忠臣→小沢象)が先に降りて来て、後部車両からトニー・ローズがカメラバックと三脚を担いで女連れで降りて来ました。
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二人は改札を抜け、3代目の山小屋風直江津駅旧駅舎から野瀬より先に出てきて駅前からタクシーに乗ります。二人を後ろから監視している野瀬は、駅前のいかや旅館を背に歩き出します。

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この旅館の建物は 1908年完成の名建築物であり、1987年ホテルセンチュリーイカヤと改名して建て替えするまで直江津の顔として存在していました。
なお同旅館は 1901年から 2008年まで長年直江津駅で駅弁販売しており、小生も{謙信公お立ち飯}を食べた記憶があります。


ロケ当時は直江津を中心に北陸本線の糸魚川~直江津 信越本線の直江津~長岡が 1969年10月 一気に電化・無煙化される直前でしたので、D51 牽引列車が入線の直江津駅構内は架線が張られています。
その前の海沿いをC57蒸機が走る場面は架線がありません。これは地すべり等の列車災害頻発地帯だったので、複線電化する際に内陸側に別線移転したので電化直前でも旧線はそのままだったのです。
とは言えこの当時直江津付近にC57形蒸機の配置は無く、旅客列車もD51形蒸機が牽いていました。映像は羽越本線の海沿いを走る新津区のC57蒸機の姿とも思えます。

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177. 飢える魂

1956年10月 日活 製作 公開   監督 川島雄三

実業家の若妻 芝令子(南田洋子)と二人の子供のいる未亡人 小河内まゆみ(轟夕起子)を巡る二組の不倫愛を日本各地を舞台に描いた映画で、小林旭のデビュー作でもあります。

建築家 芝直吉(小杉勇)が妻の令子を秘書代わりに伴い倉敷へ向かう道中、瀬戸内海らしき海沿いを走るC59形蒸機牽引の急行列車が映ります。架線があるので、山陽本線 須磨付近でしょうか。
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続いて特ロで深々とシートを倒して高いびきをかいている芝の姿があります。セット撮影の様で、窓越しに見える漁船は合成と思われます。東京 21:30発の 39ㇾ急行筑紫を使ったとすれば、倉敷に 12:37到着です。
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デッキ横の洗面所で洗顔を終えた令子が、カーテン下に見覚えのある靴を見掛けて声を掛けます。京都のお茶会で会った立花烈(三橋達也)で、偶然乗り合わせたと言いますが令子を追って来たのです。
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次に新橋~有楽町と思われるカーブを行く山手線内回り 72系電車が映ります。
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車内シーンでは小河内まゆみの長男 昭(小林旭)と長女 伊勢子(加藤勢津子)が、山手線と表示されたドアの前で話しています。
この映画公開の翌月 山手線と京浜線(現 京浜東北線)は分離運転されたので、ロケ時は同じ線路を共用していた終末期でした。共用ゆえにドア上部に山手線と表示板を貼っていたのでしょう。
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また芝が名古屋での仕事に、令子同伴で特別急行はと号で到着する見事な場面があります。EF58 68電機らしきが、はと号のヘッドマークも誇らしげに名古屋駅4番ホームへ入線して来ました。
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当時 東海道本線は全線電化直前で 電化区間は米原まで進んでいましたが、蒸機牽引区間が短くなっても8時間運転は不変でした。3ㇾ特別急行はと号は 12:30東京を発車して、5時間後の 17:30に名古屋に到着です。

そして7号車スロ 60二等車デッキから芝を先頭に、大きなスーツケースを抱えた令子が降りて来ました。令子はキョロキョロして赤帽を探しますが、芝は冷たく「表まで大した事は無い。自分で持ちなさい」と告げました。
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名古屋駅前に出ると芝は「3か所程仕事で周るから先に宿で休んでいなさい」と令子に伝えます。背後では名鉄百貨店本店が翌年7月の全館完成に向けて建築中です。

それから京阪電鉄 京阪線を走る、鳩の特急マークを付けた 1700系と思われる2扉車両が走り抜けます。
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車内では「次は京都三条終点です」の放送があり、まゆみが網棚から荷物を降ろして降車の用意をします。
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車窓から鴨川沿いの様子らしきが映っていますが、これは合成でセット撮影の様です。シートを見れば前出の特ロ車内場面と同じ様に見え、特急とは言え転換クロスシートの筈が国鉄 特別二等車と同じセットで撮影とは・・・
京阪特急のシンボル 鳩の特急マークはこの映画公開の4年前の 1952年 7月から付け始め、以後 60年以上殆ど変らぬデザインで現在に続いています。なお鴨川沿いのこの区間は 1987年5月から地下化されています。

最後に蒸機牽引列車が映った後、特ロシートに芝夫妻が令子を通路側に座っています。令子は通路を歩く人や車内をキョロキョロして落ち着かない様子です。立花が乗っていないか気になる様です。
横の席に一人座る男の元に食堂車のウエイトレスがメモ帖を片手に現れ、何やら告げると男はウエイトレスに付いて後方へと行きました。予約したランチタイムで、食堂車から お迎えに来たのでしょうか。
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