日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

172. 土佐の一本釣り

1980年12月 松竹 配給・公開  製作 松竹・キティ  カラー作品   監督 前田陽一

高知県の漁師町 土佐久礼で中学校卒業後即 カツオ船に乗り込んだ小松純平(加藤純平)と幼馴染で二歳年上の吉村八千代(田中好子)のカップルをメインに、カツオ漁と久礼の生活を描いた純愛映画です。今年 35年ぶりに新作が公開されるそうです。

幼いころからお互い意識し合った二人ですが、年下だが男の俺がリードするんだと いつも突っ張る小松に反発する八千代の二人。遂に 久礼八幡祭りの夜、小松は「明日お前を抱いちゃるから駅で待っとれ」と一方的に宣言します。
翌朝 八千代は高校の仲間達に混じって土讃本線 土佐久礼駅へいつもの様に自転車で乗り付けます。
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そして改札口からホームの方を見ると、
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小松が名所案内板に寄りかかり 通り過ぎる高校生の中から八千代を捜している様子です。
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そこへ上り高知方面 普通列車が、キハ 55系気動車を先頭に3連で到着しました。
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発車ベルが鳴り始めたので、八千代は意を決して小松の横を走り抜け 列車に飛び乗りました。これを見た小松もギリギリで飛び乗ります。
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直後 ドアが閉まり、反対ホームに停まる窪川方面の下り列車を残して土佐久礼駅から去り行きました。
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乗車後座った八千代ですが、遅れて乗ったと思われる吉村のことが気が気ではありません。

やがてデッキに吉村の姿が見えたので反対側のデッキへ逃げる八千代ですが、追い付かれ捕まってしまいます。そして大き目の駅に着き 皆に続いて降りようとする八千代ですが、吉村に鞄を取上げられ車内を追い掛けごっこです。
「 7:51分発 各駅停車高知行です」と構内放送していますので、この列車は中村 5:53始発の 736D 高知行で土佐久礼 7:30発 到着したこの駅は須崎で 7:48着で3分停車です。土佐久礼ですれ違ったのは、高知 5:56発 733D 中村行です。
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結局 須崎では降りられず 終点である高知駅で降りてきた吉村と八千代の背後には、現在の様な高架になる前の二代目高知駅舎(完成9年後でまだ新しい)が映っています。
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余談ですが 須崎駅で降りようとした八千代ですから県立須崎高校の学生かな?と考えますが、高知駅前でお巡りさん(山谷初男)に捕まり土佐西高生(架空ですが高知西高校を示唆?)と分かります。
お巡りさんから吉村のことを貶(ケナ)された八千代は、ムクレて歩道橋の上でお巡りさんが言ったワルの見本通りの行動をする決意をします。歩道橋の下には、土佐電鉄(現 とさでん交通)桟橋線の 700形らしきが走っています。
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171.絞首台の下

1959年5月 日活 製作 公開   監督 西河克己

北海道 十勝で酪農を手伝う佐伯千早(稲垣美穂子)は音信不通の許婚 柳本憲(赤木圭一郎)からの葉書で千葉へ訪ねると、彼は殺人罪で投獄されていた。その後 脱獄してしまい、関係者が次々に殺されるサスペンス推理映画です。

千早は兄の友人で通信社を営む乾保日出(長門裕之)を頼り、乾も冤罪と思われる柳本の事件の裏側のスクープを狙って調べを進めます。乾の事務所を映す場面で、新橋付近の横須賀線 70系と山手線 72系電車の走行シーンが有ります。
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乾が柳本の行方を追いますが なかなか分らないので、ひとまず千早は帰宅することにします。上野駅 11番ホーム 次の発車は 401ㇾ 21:30発 青森行 二・三等 急行津軽号の標示が出ています。
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ホームの売店で千早の見送りに来た小山久美子(渡辺美佐子)が雑誌を買って、デッキに居る千早に渡します。蒸機の汽笛が鳴り、別れの挨拶を交わす中 静かに列車は加速して行きました。千早は二等並ロザ車に乗車した様です。
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しかしこの列車は上信越方面行の 14番線から青森行のサボを架けて発車しました。ハテこの列車は?小生の妄想では、上野に 23:06に到着した長岡発の 742ㇾが尾久へ回送される時 青森行のサボを架けてロケに使ったのではと思われます。
またロケ当時上野発の列車は常磐線 成田線方面以外は電化され、EL牽引で出発していましたのでアフレコと思われる蒸機の汽笛はイメージ先行の勇み足と思われます。

次に 乾の所へ情報を売り込みに来た 多田(信欣三)の死体が見つかったと田名網警部(芦田伸介)から連絡があり、乾が出向くと線路際の川に架かる橋のたもとで殺されていました。
そこへ鉄橋を渡って DD13タイプのDLに牽かれた貨物列車が通過して行きました。塗装の具合から あるいは東京都港湾局専用線のDLと思われ、深川線の豊洲運河に架かる鉄橋のたもとでロケが行われたのではと妄想しました。

北海道へ帰った筈の千早が三日たっても帰って来ないとの連絡があり、乾や見送りに行った久美子を心配させます。その後 千早から謎の女(楠侑子)に列車から降ろされたが、遅れて無事実家に着いたとの連絡がありました。
そこで乾は助手の山野圭子(清水まゆみ)を千早の元に派遣し、事情の聴きとりをさせます。謎の女は上野から千早の向かいに座っていたが、宇都宮を過ぎて雨が降り出した頃 急に親しげに「憲さんからの伝言で、会いたいので東山温泉で三日待っててくれ」と言われたので、途中で降りて東山温泉の旅館で三日間待っていた。この並ロザの場面 セット撮影の様です。
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しかし柳本が現れないので、家に帰ったが宿代は先方が先払いしていたと圭子に告げました。

最後は久美子と石川県へ調査に向かった乾は久美子の活躍から重要な証拠を手に入れたが、黒幕の組織に狙われ命からがら事件は解決しました。
帰路の車内 並ロザで事件のスクープ記事の原稿を書く乾と久美子が向い合せで座っているところへ、
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田名網警部と外務省の男が現れます。そして「気の毒だが国際的影響があるので、この事件の記事は差し止めだ」と告げられました。この場面も前出と同じセット撮影です。
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乾と久美子がガックリしているところへ田名網警部は、「我々は次で乗り換えるが、君等はこのまま乗って行くんだろう なにせこの汽車は出雲大社行だからな」とニヤケた顔で言います。
乾は「バカにするなよ」と怒り 書いた原稿をビリビリに破いて、海沿いを走る汽車の窓からバラ撒いたところでエンドマークとなります。
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PS.

千早は北海道へ帰るのに、何故急行津軽号に乗ったのでしょう。上野 21:30発の津軽号は奥羽本線沿線の旅客用列車で、終着 青森(13:08)まで乗っても青函連絡船乗り継ぎは4時間以上待って 17:20発の 19便です。
そして函館着 21:50 ここの乗り継ぎは良く、22:10発 普通列車 419ㇾ釧路行に乗り 池田で降りるとすると3日目の 15:50でトータル所用時間は 42時間20分です。
普通の人は 上野 20:05発の 207ㇾ急行北斗号に乗り、翌朝 9:30青森着 9:50発の連絡線 17便に乗り継ぎ 14:20函館に着き 14:50発の 7ㇾ急行まりも号釧路行に乗り 池田には3日目の 4:42着で所用 32時間37分と 10時間近く早いのです。
   

次に千早は謎の女の言葉で急行津軽から途中下車しますが、東山温泉といえば会津ですから郡山で降りたと思われます。津軽号の郡山着は 1:37ですから磐越西線の接続は4時間以上ありません。
5:44発の 215ㇾに乗っても、会津若松着 7:40です。ここから近いのですが、なんとも半端な時刻となります。上野から夜行に乗ると予想して予約・先払いした組織にしては、何故東山温泉なのか不思議です。青森の浅虫温泉辺りなら適当なのですが・・・といった疑問を感じる人はごく一部でしょう。今見ても面白く、推薦したい映画であることは間違いありません。





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170.喜劇 体験旅行 

1970年10月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 瀬川昌治

特急とき号に乗務するベテラン専務車掌の石川大作(フランキー堺)が女子大生3人組にかき回されるドタバタコメディに、踏切事故を体を張って防ぐ事件を織り込む シリーズ第7作目の喜劇映画です。

SLブーム最中に製作された作品だけに、冒頭でストーリーに関係のない各地の蒸機牽引列車が次々と登場します。最初の画像 D6062 は当時 大分運転所 配置なので久大本線走行シーンでしょうか。
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本編では上野駅 地平 17番ホームから 181系特急とき号の発車辺りから鉄道シーンが始まります。このホームから唯一170-5.jpg
発車する 15:05発 新潟行 とき3号と思われます。
当時 上野駅は、東北・上信越方面への発着で 20番線まで有りました。両大師橋を潜るころには 19番線に、常磐線の 455系電車が到着するところです。
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石川が 学士さんとも呼ばれた国鉄本社採用エリートらしき松井英明(森田健作)を特急とき号の乗務に同行させて車掌業務のイロハを教える場面があり、車掌室へ案内し説明した石川はマイクを取って案内放送を始めます。
そして新潟の自宅へ戻ると、女子大の機関車研究クラブの桜直美(奈美悦子)・早房まり(左時枝)・富士早苗(辻由美子)ら3人が石川の行動を研究対象としたい旨 告げ 慌てさせます。

次に石川が自転車で通勤場面するでは、新潟交通 県庁前駅に停車するモハ 10形らしき姿が見えます。新潟交通の始発駅として川の中州の様に道路交差点の真ん中にあった駅で、1985年6月に白山前と改称しています。
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県庁前~東関屋の大半は道路併用軌道の為 嫌われ、1992年3月に一足早く廃止されました。その後も乗客減が続き 月潟~燕の部分廃止を経て、1999年4月に東関屋~月潟の全線廃止となってしまいました。

女子大生3人組は派手な英車 MGBらしきオープンカーで、羽越本線らしきを走行するD51 形蒸機列車を 8ミリか 16ミリ撮影機で併走撮影する場面が有ります。 女子鉄の元祖でしょうか。
一人が運転して 二人が其々三脚に撮影機を載せて、最初はD51牽引の旅客列車を追い 続いてD51牽引の貨物列車を撮ります。D51牽引の客ㇾが残っていた羽越本線の列車と思われます。
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新潟車掌区所属と思われる石川が新津車掌区も在る新津機関区で、C57 1号機の前を歩いていて入換の D511030が鳴らした汽笛に驚いて飛び上がるシーンも有り 現場の協力ぶりが分かります。
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ハイライトは火薬を積んだトラックが踏切でエンコしてしまい、石川が元機関士の父 和三郎(森川信)・女子大生3人組と共に命からがら事故を防ぐ場面です。
夜間 C57 1号機を先頭に問題の踏切に列車は刻々と近付きます。皆でトラックを動かそうとしますがビクともしないので、照明器や旗を振って知らせ ギリギリで衝突事故を防いだのでした。
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最後は石川と松井が乗務する特急とき号で、3人組が東京へ帰る場面です。新潟駅 とき号3号車デッキ前で、3人組は別れの挨拶を石川達と交わします。
まりが「松井と直美が一緒になって、新潟へ戻って来るかも」と言うと 石川が「松井君の新潟勤務もあと少しで東京の本庁勤めになるのでは」と返すので、やはり車掌業務は腰掛けの学士さんの様です。
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そして石川の「この列車は新潟 13:00発 とき3号です」の車内放送の後、とき号の走行シーンが次々に有りエンドマークとなります。
1962年誕生の特急とき号はロケ当時、5往復 東京・上野~新潟を結んでいました(映画公開時には6往復)。その後 最盛期には 14往復にもなり、1982年11月の上越新幹線の開通まで走りました。
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169. にあんちゃん

1959年10月 日活 製作 公開   監督 今村昌平

佐賀県の小さな炭鉱で働く父親が亡くなり 兄妹4人だけとなって貧困に喘ぐ安本家を、前半は長男長女を中心に 後半は次女の末子(前田曉子)の視点から見た二番目の兄 高一(沖村武)を中心に描く映画です。

時は昭和 28年 佐賀県松浦郡 鶴之鼻炭鉱で、長男 安本喜一(長門裕之)は臨時雇いの身分で働いています。炭鉱から下りてきた来た炭車に喜一達は飛び乗り、ブレーキで減速させながら炭降所へと向かいます。
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その道中 横の道を保健婦の堀かな子(吉行和子)と末子の担任 桐野先生(穂積隆信)が歩いているのを見て、「おいアトイクバイ アトイクバイ」と冷やかし「オナゴをからかうて嬉しいとですか!」と怒鳴り返されました。
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そして勾配が水平近くになった炭降所の手前で石炭列車を一旦停止させ、ワイヤーで最後部を固定させました。小規模鉱山なので線路は 610㎜軌道と思われ、随所で炭車を手押し移動しています。
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次に3人掛かりで連結ピンを外して前から一両ずつ、カーダンパーを使って手動で石炭を降ろします。
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このロケは原作地 大鶴鉱業所が閉山となったので、近くの鯛之鼻炭鉱で行われたそうです。ここは 1969年迄 操業していました。

終盤 高一が慕っていた かな子が婚約者 松岡亮一(二谷英明)の後を追うように東京へ行ったので、アルバイトをして得た金で東京へ仕事を求めに行ってしまいます。
その道中を描くカットでしょうか、右側に海が迫る複線をC59形蒸機が8両編成の客車を牽いて高速で駆け抜けて行きます。山陽本線でしょうか、7両目にロザを挟んだ各停列車と思われます。
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しかし中学生の高一は東京で自転車屋の求人に応募して 主人に警察へ通報され、あっさりと強制送還となるのでした。桐野先生が唐津警察で聞いて、「12時50分ので着くそうです」と引き受けに来た喜一と姉 良子(松尾嘉代)に伝えます。
ディーゼルカーの最前部に警官同伴で乗る高一は筑肥線 東唐津駅に到着すると、半自動ドアなので手動でドアを開け笑顔で降ります。そして喜一と良子を見ると「ハハ 東京も大したことなかね」と話し、良子が「心配しとったのよ」と泣き顔で言うとショゲてしまいます。
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そこで桐野先生が「まあ良か良か」と取り成し、警官に礼を言って高一を貰い受けました。唐津市の入口駅に相応しい東唐津駅舎前で、喜一と良子は仕事があるので高一を桐野先生に託し 二人は平串行のボンネットバスに乗りました。
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当時 東唐津駅は松浦川手前で行き止まりの形で存在し、唐津市内へはバスに乗り換えて行き 事実上の唐津市の入口駅でした。博多方面からの筑肥線はこの駅で方向転換して山本へ向かい そこで唐津線に乗り換えれば唐津駅へ行けますが、それは乗り鉄の話です。
1983年 唐津への新線(虹ノ松原~唐津)が電化開通し、東唐津駅は現在地へ移転して高架・途中駅となりました。同時に筑肥線は従来線の博多~姪浜を移転廃止として、姪浜から地下鉄線に相互乗り入れし 唐津~博多が大幅に便利になりました。(ロケ当時はバス共で約2時間 現在は 75分位)

唐津警察で聞いた12時50分着の筑肥線列車ですが、ロケ当時は 12:15着の博多発 525ㇾがあるだけで架空ダイヤと思われます。原作発表の 1953年当時では、12:58着の 3517ㇾとより近い便が有ります。
キハ 10系気動車と思われるDCで帰って来た高一ですが、筑肥線は九州鉄道時代から列車の内燃化が進み昭和 20年代末の内燃化率 72%でした。


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