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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

168. 同胞(はらから)

1975年10月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 山田洋次

岩手県松尾村(現 八幡平市)へ東京の劇団職員 河野秀子(倍賞千恵子)が青年団主催でミュージカル「ふるさと」の開催を持掛け、様々な困難を乗り越え公演開催した実話を元に描く青春映画です。

先ず雪深い 花輪線 岩手松尾(現 松尾八幡平)駅前へ秀子が降り立つ場面から鉄道シーンが有ります。
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この駅では当時 普通列車が下り7本上り8本、現在 上下共8本とほゞ変わりません。(この駅は通過ですが当時は他に急行2往復有り)
次に中盤 青年団の小野佳代子(市毛良枝)が東京へ出ることになり、佳代子を好きな青年団長 斉藤高志(寺尾聰)が盛岡駅で見送るシーンが有ります。
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上野行の始発特急で、5本走っていた特急やまびこ号の何れかと思われます。
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終盤 劇団公演が大成功に終わり、岩手松尾駅から秀子が去るシーンが有ります。見送る青年団より遅れて秀子が駅に到着し、
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ホームへ入ります。「今まで何やってたんだ」と問われ、「ギャラを公民館に忘れちゃって」と皆を笑わせます。
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しかし「なんだかやあね。こういう時は寂しくって。」と続けると、一同 急に湿っぽくなります。
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そしてDC列車が到着し 窓際に乗ると次々に別れの握手し、柳田進(下條アトム)の合図でラジカセから{ふるさと}の歌が流れます。
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やがて列車は動き出し皆が手を振り叫び歌が流れる中、
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加速して去り行き 応える秀子も一息ついた様子です。その時 車のクラクションが聞こえ、秀子が見ると車上で斉藤・木村茂(土谷亨)・菊地健一(笠井一彦)らが手を振っています。
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秀子も精一杯 手を振り、別れを惜しんで「手紙ちょうだいね」と叫びます。そして車は列車から徐々に離れて行きました。

3か月後 斉藤の手紙が秀子の元に届いた頃、秀子は北海道の夕張で公演の勧誘活動をしています。D51形蒸機の初期形(通称 なめくじ)が入換を行う後方の斜面に、地元青年団員に挨拶する秀子の姿が見えます。たぶん D51 70と思われます。
次にD51が石炭を山盛りに積んだセキを牽いて、力強く煙を吹き出し 発進して行く姿が有ります。
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{ふるさと}の歌を口ずさみながら夕張駅へ向かう秀子の肩には、松尾村青年団からプレゼントされたショルダーバックが掛かっています。

ロケ時は夕張線というより国鉄の蒸機の最終末期で、夕張線の蒸機は追分区5両のD51で運行され貨物列車にDD51内燃機が次々侵食している時期でした。蒸機好きの山田監督としてはラストシーンにどうしても登場させたかったのでしょう。
そしてこの映画公開後 間もない 1975年12月24日のクリスマスイブ 夕張 19:10発 6788ㇾ追分行をD51 241が牽き、国鉄の本線走行蒸機最終列車となったのでした。

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167. 風船

1956年2月 日活 製作 公開   監督 川島雄三

幼い頃 小児麻痺を患った影響が残る 村上珠子(芦川いづみ)は母や兄 村上圭吉(三橋達也)から疎まれている様に感じ、圭吉の愛人 山名久美子(新珠三千代)を慕うも自殺され 家族崩壊の中 自立を目指し成長する姿を追う映画です。

父 村上春樹(森雅之)は優しく珠子の成長を願っていて、珠子も頼っています。村上はカメラメーカーの社長で毎月の様に関西等への出張が有り、会社から直行でこの夜も東京駅から夜行急行 月光号で出掛けるべくやって来ました。
12番線ホームの売店で夕刊紙を買って前方へ歩き出すと、前から珠子が現れ村上は驚きます。
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「どうしたんだ。わざわざ送りに来てくれたのか、ママは?」珠子は首を振り「新城さんのお呼ばれ」と告げ寂しそうです。
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二人で神戸行のサボが掛る 4号車スロ 54特別二等車の横を歩きながら、
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珠子は学校を辞めたいと父に話します。「自分で無理だと思ったら、辞めたっていいさ」と理解ある村上です。一瞬笑顔になった珠子ですが、「でもママが・・・」と再び沈んだ顔に。
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その時発車ベルが鳴り始めます。3号車後部デッキに乗った村上に、「珠子 家に帰っても一人ぼっちでしょ。で急にパパを見たくなったのよ。」と笑顔で告げて握手を求め 列車は動き出しました。
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珠子は寂しさを隠して、精一杯の笑顔で唯一頼れる父親を見送ります。珠子の身の上を考え 心配顔の村上は、右手に持った新聞を振りながら珠子の見送りに応えながら去り行きました。
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村上が乗った3号車はデッキ上部に2等寝台と表示されていますが、二等寝台のなかでも一番安い 二等寝台C室スロネ 30で定員 32名 寝台巾60㎝・線路直角方向と現在の開放B寝台と同等です。社長ですが、倹約家の村上らしい選択です。

この東京駅での見送りシーンはこの映画の中でも重要な場面ですが、鉄道好きには?な点がいくつか有ります。当時 特急でも8時間掛かる東京~大阪は、9本も走っていた夜行急行列車で移動する人が多かったのです。
村上もその中の、月光号を利用した様です。実際の 17ㇾ急行月光は、東京駅 14番線から 22:15発車の大阪行です。神戸行は 20:30発 13ㇾ急行銀河号のみで、わざわざサボを取り換えたのでしょうか?

更に村上が新聞を買った場面で 頭上に 12番線の札が下がっていますが、12番線から出る急行は 22:00発の 15ㇾ彗星号大阪行だけなのです。月光号をはじめ他の急行は、全て華の第7ホーム 14,15番線からの発車でした。
何故こんな手の込んだ撮影をしたのか謎ですが、発車ベルが鳴り始めた後 二人の会話のバックに聞こえる構内放送からは「お待たせしました 14番線から大阪行 急行月光号の発車です」とハッキリ聞こえます。

尚 銀河・彗星・月光の何れも 3号車は二等寝台C室・4号車は特別二等車と共通です。東京~大阪を二等寝台C室で行くと 運賃 2080円+急行券 720円+寝台券 1560円= 4360円掛かりますが、急行の三等座席で行くと 合計 1170円でした。
それはともかく、乗り込む芸能人らしきを見送るファンや芸能カメラマン・大きな鞄を担いだ赤帽さん・客席の人を窓越しに見送る人々等々 次々と出ていた当時の華やかな東京駅夜行急行発車ホームの様子が映っています。

終盤 兄 圭吉の愛人 山名久美子が兄の裏切りから自殺し、久美子を慕っていた珠子は愕然とします。日暮里駅近くの谷中霊園で珠子が久美子のお墓参りをする場面で、上野から尾久区へバックで戻る回送蒸機三重連が走り行く姿が有ります。
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樹木があって明確に見えませんが、C57+C62+C57の様にも見えます。何故 谷中かと言えば、珠子の背後に この映画公開の翌年 心中放火事件で惜しくも消失した 1791年建立の谷中五重塔が映っているのです。
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幾多の大火事・震災・戦災をくぐり抜けたのに残念な事件で焼失した谷中五重塔ですが、僅かにこの映画の中にその姿を残しています。

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166.バージンブルース

1974年11月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 藤田敏八

東京の予備校に通う岡山出身の畑まみ(秋吉久美子)と小林ちあき(清水理絵)が集団万引に加担して発覚し、借金取りに追われる中年男 平田洋一郎(長門裕之)と逃避行の放浪旅へ向かうロードムービーです。

万引現場からは逃れた二人は、寮へは帰れず郷里 岡山を目指します。平田に旅費を出してもらい、新幹線は使わず鈍行で岡山に向かう様です。
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日中 東海道本線の電車を鈍行乗り継ぎで進む、三人の様子が続きます。
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更に夜は旧客列車内のボックス席で寝ながら西へ進む場面が有りますが、この部分はセット撮影の様です。というのも当時は東海道本線上に旧客各停列車はもう存在していなく、急行銀河2号指定席部分位しか該当しません。
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続いて夜が明け、再び湘南色の電車に途中駅で駅弁を買って乗り込む平田の姿があります。
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どの辺りを走っているのか分かりませんが、朝食であろう駅弁をボックス席で食べる三人の様子も映っています。
そして岡山駅に 581系特急電車が到着し、
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4号車デッキから3人が降りて来ました。構内放送の様子からこの列車は岡山 11:30着の新大阪発 広島行 特急しおじ2号と思われます。最後の区間だけ特急を奮発したのでしょうか。
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映画公開の2年前に岡山まで開通した山陽新幹線ですが、全ての在来線特急が岡山接続となったわけではなく 広島行しおじ・西鹿児島行なは・宮崎行日向 等大阪始発の山陽本線特急が多く残っていました。

次に岡山駅正面口に三人が立ち、
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ちあきが「じゃどうも」と頭を下げると平田は「もういいの?」と聞きますが用済みの感じです。平田はまみに付いて実家へ行きますが、警察の手が廻っていたので倉敷へ行きました。
倉敷駅旧駅舎前で平田は「まぁゆっくり考えよう」と述べ、この先も平田とまみの放浪逃避行は続くのでした。
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165. 本日休診

1952年2月 松竹 製作 公開   監督 渋谷実

戦争の傷跡が残る東京 蒲田を舞台に、人情味溢れるベテラン医師 三雲八春(柳永二郎)の日常を描く喜劇映画です。

冒頭 蒲田の町を走り抜ける横須賀線 70系電車の姿を、遠景で映っています。
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そして車内から蒲田へ向かう車窓を写し、蒲田駅 東側で再開一周年を迎えた三雲病院の紹介へと続きます。
一周年記念に休診とした病院ですが大阪から来た女性 津和野愁子(角梨枝子)が前夜襲われ、松木巡査(十朱久雄)に連れられ三雲病院へ来たので三雲は優しく診てあげます。

前夜の顚末を再現した場面では擬似夜景の中、京浜線 73系桜木町行が登場します。そして診察後 病院を出た松木達の前に線路が有り、6760形 6843蒸機(横浜区)がバックでやって来ました。
この線がかの有名な?進駐軍羽田空港専用線(蒲田~羽田)だそうです。近付いた蒸機の直前を湯川春三(佐田啓二)がふざけて横切って、皆をハラハラさせます。
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終戦直後 進駐軍が羽田空港の拡張を図って資材運搬用に強権を振るって建設した線ですが、この映画公開の直前に役目を終えて廃線となっているので幻の映像と言われているそうです。

愁子を襲った犯人を松木巡査が捕まえ その説明場面では、追跡中に東海道本線を行くD51形蒸機牽引の貨物列車が登場しています。電機が不足しているのか、山手貨物線からの直通かと思われます。
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中盤 夜遅く 電車住宅で御産だと湯川が迎えに来て、リヤカーに乗せられ蒲田電車庫へと到着します。
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そして裏口から車庫の中を抜けた先に、廃車となった電車体を利用した住居が有り往診します。

翌朝 再度往診すべく蒲田電車庫裏へ、三雲は歩いて行きます。
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前日は夜中で電車の動きが有りませんでしたが、今度は線路一本渡る度に右から左からと移動して来る 73系が有りヒヤヒヤします。
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それでもなんとか通り抜け、車庫の端の非電化線路横の電車住宅へ辿り着きました。現在の感覚では考えられない脚本ですが、喜劇タッチの映画であり 63年前の時代ではアリなのでしょう。
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この非電化線路は、鉄道院時代の 1914年に開業した矢口発電所への専用線だそうです。しかし都合で鉄道省時代の 1926年には休止線となったので、ロケ当時でも長らく使っていない模様です。

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