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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 134. ザ・ゴキブリ

1973年12月 東宝 配給 公開  製作 石原プロ・東宝  カラー作品   監督 小谷承靖

暴力団をゴキブリとして、その一掃を使命と自任するハミダシ刑事 鳴神涼(渡哲也)が公害の街を舞台に大暴れするシリーズ第二弾・アクション映画です。

鳴神が赴任したのは、公害で有名な某市。原因企業と街のワルと警察までが裏では繋がっている腐った街を命がけの活躍で一掃します。
大掃除の代償にこの街の警察からも追われ、鳴神は次の赴任地へ移動するラストシーンにこの映画の鉄道シーンがあります。

朝七時半、人けの無い駅の改札口に鳴神が現れます 日曜日なのでしょうか。窓口上の列車案内時刻表(縦書き!)を一瞥すると、
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無人の改札を抜けて構内に入ります。
どうやら関西本線 四日市駅の様です。それまでも話の端々にこの街が四日市市と思える部分が有りましたが、普通は悪党が支配していた某市の某駅で通すところを大胆ですね。
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鳴神は多数の貨物列車留置線を越える長~い跨線橋を渡って、改札からは遠いホームへ現れました。亀山・松坂方面の1番線側ベンチに座っていると、DD51形内燃機に牽かれた列車が到着します。
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各停列車ですが、かなり長い編成の旧客車両を牽いています。先頭の郵便荷物車に積み込みが行われる中 鳴神が乗ろうとすると
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橋本刑事(沖雅也)が「鳴神さん」と一言声を掛け、懐の拳銃を鳴神に見せます。

橋本は鳴神と組んで捜査する過程で刑事の仕事を悩み辞めようとしていました。しかし橋本は鳴神が街を去る日に唯一人見送りに現れ、刑事を続ける決意を鳴神に無言で伝えたのでした。
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鳴神は無言でしたが、安心した様な顔で去り行く列車のデッキから身を乗り出して橋本を見つめて街を去って行きました。そしてエンドロールです。
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この列車は朝なので名古屋 5:55発 和歌山市行で、7:01四日市着 7:06発車の 921ㇾと推察しましたがサボを見ると亀山行の様です。しかし朝は該当する列車が有りません。
とすると名古屋 10:13発 亀山行で四日市は、11:28着 11:31発車の 221ㇾと思われます。到着した時の「お疲れ様でした 四日市です お早うございます」との構内放送も、行先を告げず不自然でアフレコと思われます。

この時代は 921ㇾの様に紀伊半島を一周する客ㇾが残っていたんですね。この列車は 15時間07分の所要時間を掛けてのんびり紀伊半島を一周して終着 和歌山市には 21:02の到着でした。

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 133. 第五福竜丸

1959年2月 大映 配給 公開   近代映画協会+新世紀映画 製作   監督 新藤兼人

1954年3月 アメリカがビキニ環礁で行ったキャッスル作戦(水爆実験)に因り起きた{ 第五福竜丸事件 }を追うドキュメンタリータッチの映画です。監督は反核をテーマの作品を数多く撮った故・新藤兼人氏です。

第五福竜丸はアメリカが設定した立入禁止区域外にいましたが、爆発の威力が予想外に大きかった為被ばくしてしまいました。焼津に帰還後 乗組員は症状が出て、東京で治療を受けることになります。
中でも無線長の久保山愛吉(宇野重吉)は症状が重く、半年後 遂に妻と三人の女の子を残して亡くなってしまいました。東京で荼毘に付され、家族と共に焼津へ向かう終盤の場面に鉄道シーンがあります。

東海道本線 下り急行らしき編成の列車が、有楽町~新橋を EF58形電機に牽かれて走行する姿が先ずあります。
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左手に東宝本社ビル 右手には完成間近の東京高速道路があり、公開当時の街並みであえて撮影されています。
続いて車内は各停三等車らしく、背ずりは板張のクロスシートです。進行左側前向き通路側に遺骨を抱えた妻 久保山しず(乙羽信子)窓側に母 きぬ(毛利菊枝)が座り、対面に女の子三人が遺影と共に座っています。
そして車内各所から事情を知っている一般の乗客が交代交代で、久保山一家の座席を訪れ黙礼してゆきます。

やがて列車は小田原駅のホームへ EF58140電機を先頭に到着します。ホームには大勢の女子高生達が整列して出迎え、代表三人が停車中に車内へ入り花を手向けました。
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続いて白糸川橋梁を渡る列車の遠景が映り、静岡県へと向かいます。
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その後も続々と久保山家の席に弔問に訪れる人々が続きます。

列車は大勢の人々が待ち受ける静岡駅へ浜松区の EF58155を先頭に到着します。
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花を手向けるのは静岡県知事(小沢栄太郎)で、車内で迎える人々の様子も違います。
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次にトンネルを抜けた列車が大きな左カーブを抜けて行きます。作中では焼津 手前の設定ですが、金谷~菊川の神谷城にある大カーブでしょうか。昔から名撮影地なのですね。傍らに立つのは、215km.ポストでしょうか。
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こうして沿線での弔問を受けながら走ってきた列車は、これまた大勢の出迎えの人々が待つ故郷 焼津駅へ到着しました。
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カメラマンが撮影する中、久保山一家が写真を持つ子供を先頭にお骨を抱えた しずも降りて来ました。
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どの駅でも時計が映らないので特定できませんが、撮影時なら東京 8:20発 京都行 125ㇾで焼津 12:59着 事件時でも東京 8:30発 京都行 127ㇾで焼津 13:03着の列車が想定されます。
焼津駅頭には数百人の市民が久保山一家を出迎え、手を合わせています。
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 132. 清水の暴れん坊

1959年9月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 松尾昭典

ラジオ放送局のプデューサー 石松俊雄(石原裕次郎)が遭遇した麻薬事件を局の企画として追う内、16年前の事件で助けた姉弟も絡んでくる社会派アクション映画です。

先ず冒頭 清水支局から転勤してきた石松を本社の児島美紀(北原三枝)が、東京駅ホームで出迎えるシーンが有り これが最初の鉄道シーンです。
東京駅8番ホームに各停列車が到着 乗客が降りて来ました。美紀はホームを前後に捜しますが、石松の姿は無く困った様子です。
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後ろから2両目に2等車を連結したこの各停列車。清水を朝乗ったとすると、掛川始発で清水 6:42発の 314ㇾあたりで終着 東京へは 10:55の到着です。
しかし作中では当分行けそうもない穂高登山からの帰りに真っ直ぐ来た設定で、石松は登山用具に登山服姿なので中央本線ではなく東海道本線で上京とは・・・です。
石松がホームに座って社章を付けていたので、漸く石松では?と声を掛けられました。
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次に 16年前 父親が麻薬で狂い 母親を殺したショックで鉄道自殺を計った姉弟を石松が救った時の弟が、麻薬組織の運び屋 戸川健司(赤木圭一郎)と分かります。
その時の回想シーンが有ります。夜の線路を幼い姉弟が歩き、線路を枕に寝て自殺を計ります。
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9600形蒸機牽引の貨物列車が近付いた時、
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石松が二人を抱きかかえて助け出しました。

仕事をしくじった戸川が組織に捕まり、殺されかけたのを石松が助け出す場面に最後の鉄道シーンが有ります。夜の操車場、 9600形蒸機先頭で通過中の貨物列車の横にある階段を一団が上ります。
やがて停車中の貨物列車が、汽笛を鳴らして発進しました。
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組織の4人に囲まれた戸川が
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貨物列車に向けて突き落される寸前、石松が現れ 鞄を振り回して助けに入ります。

この跨線橋は比較的広い跨線橋で新小岩操車場にあった跨線橋か、新鶴見の江ヶ崎跨線橋の様です。9600形がゴロゴロ居るので新鶴見操車場にあった旧江ヶ崎跨線橋と思われます。
列車の先頭の 9600形蒸機が白煙を吹き上げ跨線橋の下を通過した時、
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石松は戸川を後続の貨車に飛び降りさせます。続いて石松もなんとか貨車の荷台に飛び降り成功。
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飛び降りた貨車は空の無蓋車 トラ 35000形です。石松は走行中の貨車から貨車へと乗り移り、前方で戸川とおち合い脱出成功を喜び合います。

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131. 人形の歌

1959年9月 日活 製作 公開   監督 斎藤武市

井関恵子(中原早苗)は4種類の女を演じて4人の男と同時につきあい、その内の一人と結婚後も他の3
人と関係を続け意外な結末を迎える迄を描くドラマです。

冒頭 京都にいる南田喬平(小高雄二)の元に向かう恵子が、夜行の急行列車らしき指定席二等車のシート(前年迄特ロ)に座り口紅を直すシーンから始まります。このシーンはセット撮影の様です。
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やがて列車は京都駅5番ホームへ、EF58 26電機に牽引されて到着します。隣の6番ホームにも先着らしき二等車付列車が停車しています。7:36着 大阪行の急行月光あたりが適当でしょう。
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再び東京行夜行列車に乗った恵子は食堂車で乗り合わせた妻子ある美術写真家の勢津伊之助(金子信雄)と知り合います。この食堂車のシーンもセット撮影の様です。
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京都から乗って食堂車が営業中の上り夜行列車は 21:32発の24ㇾ急行 瀬戸 22:02発 42ㇾ急行 筑紫 22:32発 22ㇾ急行 安芸の3本が該当し、大阪発の急行にはありません。

続いてこの夜行列車が EF58形電機に牽引され東京到着直前の有楽町駅手前を進行し、京浜東北線の72系電車とすれ違うシーンがあります。
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勢津とは東京で付き合い、勢津好みのウブな女を演じて関係を深めます。二人がデートの終わりに、秋葉原駅総武本線ホームで別れるシーンがあります。ここの様子は現在とあまり変りありません。
ホームに半流線型のクモハ41形電車が先頭の総武本線72系電車が到着し、名残惜しそうに恵子は別れて乗り込みました。 その後の車内で恵子は作戦成功といった様子で、今後の展開を考えています。
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それから勢津の家に招かれた恵子が、東急東横線 田園調布駅へ降り立つシーンもあります。
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有名な西口とは違い、地味モダンなTKK 田園調布駅 東口改札から恵子が降りて来ました。
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改札口左手には 勢津の妻(渡辺美佐子)が、乳母車をこれ見よがしに押しながら恵子を出迎え自宅へ案内して行きました。この駅は{ 108.青春の鐘 }や「 おゆきさん 1966年日活 」でも登場しています。

その後 夜の東横線 踏切で考え事しながら、青蛙こと 5000系4連が通過するのを待つ恵子の姿があります。この時代 東横線でも踏切にまだ遮断機は付いていませんね。
最後の鉄道シーンは、京都 京阪電鉄 四條駅( →1963年4月より 四条→2008年10月より現 祇園四条)をバックに四条大橋の歩道をサッパリとした顔で歩く恵子の姿です。
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橋の中央には京都市電7番 四条線(祇園~四条大宮)が走っています。5か月前同じ日活から公開された「 才女気質  監督 中平康 」の中に、この場所でロケが行われたシーンがあります。
その後 1972年1月この四条線は廃止となり、京阪電鉄も1987年5月 地下化され現在ではこの界隈の様子もすっかり変わってしまいました。


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