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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

112. 君に幸福を

1967年12月 東京映画 製作 東宝 配給 公開  カラー作品   監督 丸山誠治

能登出身の二ノ谷史郎(舟木一夫)が働く東京で同郷の真浦十紀(内藤洋子)と知り合うが、相手が郷里で屈指の大旅館の娘と知り腰が引けてしまう展開の青春映画です。

最初の鉄道シーンは、二ノ谷が帰省する道中でDC列車に乗っている車内シーンがあります。先頭はキユニ 17郵便荷物車 続いてキハ 25形の様です。
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展開から七尾線に乗り換えて、いよいよ故郷へ近付いた様子です。
続いて二ノ谷と十紀が会っている近くで C56154 蒸機が短笛一つ鳴らした後移動して行きます。
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このカマはロケ当時 七尾区所属でしたが、映画公開の三か月後には第一種休車となり そのまま廃車へとなりました。

二人が会っているこの場所は石炭山がある貨物駅の様なので、今では消滅してしまった七尾港貨物駅なのでしょうか? 二人は扉の開いている無蓋車(トラ?)の床をイス代わりに座って話を続けています。
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十紀は今では全国的に有名な高級旅館 加賀屋の娘という設定なので、それを知った二ノ谷は引け目を感じて付き合いがギクシャクしてしまいます。

芸者をしている二ノ谷の母 まつ(山岡久乃)は十紀の実家である加賀屋でも働いていることも嫌って、二ノ谷は東京で定住しようと家を飛び出します。
金沢行普通列車が到着しかけている七尾駅の改札を、足早に駆け抜ける二ノ谷の後ろから母 まつ が駆け寄ります。
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更に和服姿の十紀も加賀屋の玄関から飛び出し、七尾駅ホームへと駆け付けます。加賀屋の最寄駅は和倉温泉ですが、映画の中の設定です。

二ノ谷の母 まつ は東京での定住を考え直す様説得し十紀も加勢しますが、
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二ノ谷は将来戻ることを伝え DC 列車に乗り込みます。
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座席の窓を開け、話す内 十紀は「来月 横浜からアメリカ行きの船に乗るので見送りに来て」と告げます。
やがて発車時刻となり、列車はゆるやかに七尾駅を離れて行きます。二ノ谷は窓から身を乗り出して手を振り、ホームに残る まつ と十紀も別れを惜しみ 見えなくなるまで手と振り返しています。
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この列車 発車ベルが鳴り出した時、ホームの時計は 10:43でした。ロケ当時の時刻表によると、蛸島 7:51発の 426D列車で、10:35七尾着 10:39発の4分停車 終着の金沢には 12:30到着ですから七尾で5分程遅れている様ですね。
しかし二ノ谷が乗車したキハ20形がホームを離れる時ホームの時計は 9:35ですから、和倉 9:22発の 336Dで 9:28七尾着 9:34発の列車が該当し金沢には 11:28の到着です。ロケの都合か、ホーム上での場面が撮り直しになったのでしょうか。

故郷に別れを告げ 東京へ向かう二ノ谷ですが、336Dだとすると上野へ向かう接続列車は無く426Dだとすると金沢 13:00始発の全席指定特急はくたか号で上野には 21:00の到着です。しかし当時の若者に特急は敷居が高いと思われます。
当時金沢と東京の行き来には夜行急行を使うのが主で、19:10発の急行黒部・19:45急行越前・20:00急行北陸と3本ありました。当日着を考えるなら、七尾 7:31発332Dで 9:08津幡着。9:42発の急行白山に乗り換え 19:31上野着というスジで行動したでしょう。

七尾線での蒸機は 1974年に姿を消し 1991年には和倉温泉(1970年和倉から改称)以北がのと鉄道に移管され、JR西日本の津幡~和倉温泉が電化され大阪から直通特急が乗り入れるようになりました。
しかし 2001年穴水~輪島が廃止となったのに続いて 2005年には穴水~蛸島ののと鉄道 能登線全線が廃止となり、のと鉄道は和倉温泉~穴水のみで能登半島の鉄道は寂しくなってしまいました。


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111. 異母兄弟

1957年6月 独立映画 製作 公開   監督 家城巳代治

戦前戦中の封建的 家長制度での権威主義の塊の様な陸軍軍人 鬼頭範太郎(三國連太郎)が4人の子供を先妻の子か否かの理不尽な理由で極端に差別し虐げたが、戦後頼るべき当ても無くなり権威が崩壊する様までを描いた映画です。

先妻が病死し、不本意ながら女中 お利江(田中絹代)を後妻とした鬼頭は転任となり、夜汽車で移動するシーンがあります。
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二等車で踏ん反り返る鬼頭の対面には先妻の子である長男と次男が座り寝ています。
通路を挟んだ横の対面には、お利江が産んだ三男を抱いて居眠りしています。鬼頭には居眠りしているのが気に入らない様で、持っている杖でお利江の肩を突いて身を正すようさせます。
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1942年冬 三男 良利(南原伸二)は海軍士官となり、転任の為乗る列車が実家近くを通るので停車中に会いたい旨連絡をした。その車内でお利江を鬼頭家に女中として紹介した太田(島田屯)に偶然会い母親の過去を聞かされる。
やがて列車は C50140蒸機が牽いて故郷の駅に停車します。111-2.jpg
ホームでは四男の智秀(中村賀津雄)が待ち構えており、二等車に乗る良利に母親が作った良利の好物を窓越しに渡しました。
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この二等車は東オク スロフ301と表示していますので、尾久客車区所属のスロフ30形二等車です。1929年製 固定シートピッチ1920㎜で700㎜巾の窓が2枚1組で有り、窓越しの会話が狭そうに見えます。
智秀が実家の近況を話す内、汽車は汽笛と共に3番線ホームを発車して行きます。お互い敬礼し合い 最後は良利が窓から身を乗り出して帽子を振り、今生の別れを予感しているかの様です。
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さてこのロケが行われた駅は何処でしょうか? やや離れた向かいの 1.2番線は架線が張ってあり、電化・非電化の2路線の合流点にこの駅が在る様です。智秀の後方の 4.5番ホームには貨車が停めてあり、貨物ホームの様です。
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C50140がロケ時 小山区の所属なので良利の乗る列車は両毛線かな?と思われます。となると電化しているのは東武鉄道として、線路形状から伊勢崎駅か栃木駅?でも先行の国鉄が3番線というのもオカシイですね。
そうなると、当時東北本線宇都宮電化 完成前の小山駅ではないかと考えました。しかし(ぽいんと尺)様からのコメントで、この駅は両毛線 栃木駅であるとのことです。ロケ当時は両毛線内の上下両方向から朝夕に小山・高崎経由で上野へ二等車連結の快速列車が走っていたので、その列車で撮影が行われたのかもしれません。

終盤 智秀は長く鬼頭家で働いたマス(飯田蝶子)に替って働く若い女中ハル(高千穂ひづる)と仲良くなったところを鬼頭に見つかり、勘当されマスの実家が有る高知へ追いやられます。
病み上がりの智秀は船や汽車を乗り継ぎ、C58らしきカマが牽く混合列車でマスが出迎える駅に到着します。
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マスは大歓迎ですが、先に帰っていると思っていたハルが身を売られ南方へ行ったことを聞きガッカリします。

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 110. なにはなくとも 全員集合

1967年8月 芸映プロ製作 松竹配給公開   カラー作品   監督 渡辺祐介

温泉客の輸送をめぐって ローカル私鉄の新任駅長と新興バス会社の営業所長の会社をあげての張り合いを描くコメディ映画で、ザ・ドリフターズの全員集合シリーズ第一作です。

ローカル私鉄 草津高原鉄道(架空)草津駅に
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新任の駅長が来ることになり、駅員たちは緊張して到着を待っています。そこへ電車が近付いたので、一同 整列して待ち受けています。
やがて国鉄 40系電車と思しき2連が到着します。
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前面の行先表示板入れには何も無く、駅員の加藤登(加藤茶)が「くさつ~」「くさつ~」と叫びながら同僚の仲本幸助(仲本工事)と共に駅長の姿を捜しています。

続いては、山間部を走る 40系電車の様子が映った後、草津駅に白坂栄造駅長(三木のり平)の家族が到着します。ホームに降りた家族3人は白坂の後ろ姿を発見します。
白坂の妻 政子(丹阿弥谷津子)・娘 悦子(中尾ミエ)・息子 勇(高塚徹)は後ろから近付き脅かしますが、白坂は動じず去り行く電車の後方確認をしています。

コメディらしい場面としては中盤 酒に酔った大工がホームに寝転んでいるのを白坂駅長が見つけ、
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抱え起こそうと揉み合う内に白坂だけが大工道具を持って電車に乗ってしまい発車してしまったのでした。
騒ぎに気付いた加藤と仲本がホームへ駆け付けた時には、酔った大工が駅長の旗を持って座り込み「駅長~何処へ行くんだ~」などと声をあげています。白坂は窓から困惑した顔を出してホームを見るだけです。
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その後 白坂の娘 悦子とバス会社の運転手 新川が付き合い、双方の反対を乗り越え結婚することになりました。ラストシーンは草津駅から二人が草津高原鉄道で新婚旅行に出発する場面です。
先ず結婚式に参列の人たちと共に、二人は草津駅改札を通ってホームへ入って来ました。そして到着した電車に乗り、窓を開けて挨拶を交わす中 発車して行きました。
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加藤一人が未練がましくホームを走りながら「早く別れて戻ってきてくれ」などと叫ぶ中、白坂駅長は直立不動で敬礼 皆は手を振りながら見送り この映画は終わります。

この作品の撮影は草津温泉にやや近い、国鉄長野原線(現 吾妻線)の群馬原町駅を使って行われたそうです。ローカル私鉄という設定なので、ゲタ電 40系なのでしょうが架線柱がいやに新しいですね。
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それもその筈で、長野原線は 1967年5月末に電化工事完成し7月1日電化開業したばかりなんです。映画公開が8月5日ですから、習熟運転中に行先板を出さないロケ用電車を走らせたのかもしれません。

長野原線は1956年に客車のDC化が行われた後も80系電車をC58が牽く上野直通便を走らせました。また電化直前の6月24日まで上野からの週末準急白根が渋川~長野原をC11蒸機が旧客を牽く9517ㇾが走っていました。
この様にちょっと変わった長野原線ですが、電化当初はいた 40系・70系も165系と近代化されゆく中 1971年3月には大前までの延伸開業と同時に吾妻線と改称され現在に至っています。

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