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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 109. 首

1968年6月 東宝 製作 公開   監督 森谷司郎

戦時中 警察での取り調べ中起こった不審死事件に挑む正木弁護士(小林桂樹)の姿を追うサスペンスドラマです。

1943年 茨城県青倉村の滝田炭鉱の先山[現場主任] 奥村登(宇留木康二)
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が賭博容疑で取り調べ中に病死した。不審に思った炭鉱主の滝田静江(南風洋子)が正木弁護士に調査依頼したことから話は始まる。
先ず滝田炭鉱の様子が映し出される。小規模鉱らしく坑口から木製炭車を手押しで出し、
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木造高架線路の端まで移動すると留め金を外して石炭を排出させます。

次に C58と思われる機関車が牽引する列車の走行シーンの後、茨城へ向かう正木と静江が乗る車内シーンへと続きます。静江は前夜「奥村の解剖は既に終わった」との電報が届いたことを告げます。
帰京した正木は解剖学の権威 南教授に相談すると「遺体の首があればよい」との言葉。そこで正木は帝大の雇員 中原(大久保正信)を紹介してもらい、静江と三人で再度茨城へ行くことにします。

強風の中を走る C5813牽引の列車の姿が続いて映ります。
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煙突には回転噴火止めが取り付けられたこの C58は、ロケ時 佐倉機関区の所属ですから総武本線での走行姿を撮影したのでしょうか。
警察と検察の共同阻止行動をかわして奥村の首を手に入れ 蓋付のバケツに入れて風呂敷に包んで正木らは水戸駅へ向いますが、車がパンクしたので汽車に間に合う様 上野に近い赤塚駅へ行きました。
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大雨の中 ギリギリで赤塚駅に到着した一行は、D51781が牽いてデッキからハミ出す程混んだ上野行列車に乗り込みました。
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しかし持ち込んだ荷物が荷物だけに満員の車内では苦労します。
そして当局の目も気にしながら漸く汽車は上野に到着します。ホームから階段を降りると、ヤハリ警察が張り込んでいました。しかし荷物は一駅前の日暮里で中原が持って降りたのでした。

ロケ当時 常磐線も水戸線も既に全線電化されていますので、この赤塚駅でのシーンは何処で行われたのでしょうか。D51781は当時 木曽福島機関区にいましたので、中央西線の何処かでしょうか。
画面では架線の下を D51が走っています。中央西線では 1968年8月に瑞浪~中津川が電化完成していますので、この区間の駅でロケが行われたと思われます。
 しかし戦時中の時代設定なのに監督は何故架線が張ってある駅でロケしたのでしょうか?中央西線ならば中津川~塩尻でロケに向いた駅がありそうですが・・・近場でも川越線とか何処かあったと思うのですが。

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  108. 青春の鐘

1969年1月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 鍛冶昇

長岡出身の学生 村瀬正吉(舟木一夫)が家庭教師として招かれた依田家で、教え子の姉とその婚約者を交えた三角関係となる青春映画です。

村瀬が田園調布にある依田家を訪ねる場面で、東急 東横線 田園調布駅から出て来ます。この駅舎は 1923年の開業時からあったドイツの民家風の造りです。
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東横線・目黒線の地下化工事に伴い1990年9月より解体工事が始まりましたが、旧駅舎を愛する声もあって2000年1月復元されました。

依田春夫(吉田次昭)の家庭教師を始めた村瀬の型破りなやり方に周囲は批判的ですが、春夫が明るくなったこともあって姉の久美子(松原智恵子)は村瀬に惹かれてゆきます。
正月休みに村瀬は長岡に帰省する折、春夫と久美子をスキーに誘います。久美子と父親の秘書である合田(藤竜也)の縁談を願う依田家は、お目付け役として合田を同行させました。

新清水トンネルでしょうか汽笛と共にトンネルを抜け、長岡駅舎をバックに村瀬・依田姉 弟・合田の4人が村瀬の故郷へ降り立つ場面へ続きます。
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この駅舎は 1926年に建てられ、戦災にも会わずに 50年近く長岡の玄関口として存在していましたが、上越新幹線工事もあって解体後 1980年に現在の駅舎が完成しています。

村瀬を残して依田姉 弟・合田の3人は一足早く帰京するので、特別急行とき号に乗る一行を長岡駅ホームで見送るシーンがあります。
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挨拶の後一行は 9号車のデッキから乗りますが、久美子はデッキで立ち止まり村瀬と話を続けています。ドア上のボードには東京⇔新潟とありますから東京駅乗り入れ列車の様です。
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撮影時のダイヤでは(とき号)は一日5往復あり、4本が上野⇔新潟の基本走路。下り とき5号と上り とき1号の1往復だけが東京駅まで乗り入れていました。
したがってこの列車は 2001M 上り とき1号 長岡 8:50発~東京 12:07着 ですが、話の筋と合わないのかアフレコと思われる構内放送では小声で 13:50発の とき3号と言っています。

特別急行とき号は、1962年6月 長岡~新潟が電化された時 東北上信越方面では初の電車特急として誕生しました。
勾配に強い 161系を使い、上野~新潟を 4:40で結び 1967年10月から1本が東京駅まで乗り入れました。

終盤 再び長岡へ向かう場面では、高速で走り来る とき号の走行シーンが・・・でもよく見ると 特別急行あさま号ですね。撮影の都合なのでしょうか・・・
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そしてまた趣ある長岡駅舎が映り、外にある公衆電話に向かう二人の姿があります。

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 107. 山と谷と雲

1959年5月 日活 製作 公開   監督 牛原陽一

流行作家 牧戸一郎(金子信雄)と有馬寿々子(北原三枝)が結婚したことから、弟の山岳写真家 牧戸次郎(石原裕次郎)が絡む三角関係の様になるドラマです。

この映画は 北信濃の地でロケが行われたことから、近代化される直前の貴重な大糸線の姿が映像の中に残されています。
大きな角型集煙装置を付けた C56113蒸機が牽引する混合列車が、大糸線 信濃大町駅へ到着する場面からこの映画の鉄道シーンは始まります。
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前から2両の有蓋車に続く3両目の二三等合造車から、牧戸一郎と作家仲間で友人の古田(清水将夫)が降りてきます。
二三等合造車は二重屋根にリベット打ちの外壁、二等車の窓は狭窓2枚×4組・中央にトイレが配置といった外観から オロハ30形ではないでしょうか。
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次は一郎が青木湖の畔に家を建て移り住んだので、東京から出版社の面々が訪ねて来る場面です。姫川に架かる鉄橋でしょうか? C56蒸機が牽く混合列車が渡るカットが先ず映ります。
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信濃大町駅でのシーンと同じく角型の集煙装置を付けた C56が、有蓋車2両の後ろにオロハ30形二三等合造車らしきを牽いて北アルプスをバックに橋を渡っています。

続いて 神城駅へ C56蒸機が牽く列車が到着し、タブレットを機関助士が渡します。
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ホームでは牧戸が二等車から降りてきた東京からの客を出迎えます。
「新女性」の編集長 村松(大森義夫)と部下2名に加えて、随筆家の咲田啓子(宮城千賀子)更にバー「コンドル」のママ 登見子(白木マリ)まで付いて来たのでした。

一郎の家は青木湖畔なので、最寄駅は簗場駅と思われるが何故 神城駅なのでしょう。そのカギは電化工事ではないでしょうか。
国鉄では観光客増加を目的に、この映画公開から二か月足らずの 1959年7月 信濃大町~信濃四谷(現 白馬)までを一気に電化しました。

想像するに この映画のロケ時 簗場では既に電化工事が進んでいたので、北信濃の鄙びた感を求めて電化工事が未だの神城駅で撮影したのでは・・・。
東京からの一団は当時の時刻表で、新宿8:00-(準急 穂高)-13:48松本14:22--15:06信濃大町15:20--16:04神城着という乗り継ぎでやって来た設定と思われます。

その後の大糸線は翌 1960年7月に信濃森上まで電化され松本から直通の電車が走り、1961年3月には北部の混合列車を廃止し無煙化 信濃森上~糸魚川の旅客列車は全てDC化されました。
それに合わせてか、上記の混合列車に連結されていたオロハ30形二三等合造車も全て廃車されました。

混合列車時代には信濃大町~糸魚川の直通列車は一日3本で 所用 187分~236分でしたが、一日7本になり 乗換を含め所用 120分程に短縮 近代化されました。ちなみに現在でも7本です。
1961年10月の全国時刻大改正では、遂に[準急第二白馬号]が新宿~信濃森上を走り抜ける東京直通列車が誕生(新宿~松本は急行列車)。翌年には新宿~糸魚川の全線通し運転も行われました。


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 106. 仲間たち

1964年3月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 柳瀬観

山形出身のトラック運転手 松本光弘(浜田光夫)とバスの車掌 木村節子(松原智恵子)が、ふとしたことから知り合い仲間に助けられ励まされながら成長してゆく日活得意の青春映画です。

舞台は東京オリンピック直前の川崎。冒頭 松本が吉濱運送のトラックで産業道路を品川方面へ走っています。遠方から俯瞰する様にズームアウトすると、川崎市電と塩浜方面へ向かう貨物列車が映ります。
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川崎市電 浜町三丁目電停辺りでしょうか。市電は川崎駅前へ向かっている様です。右手の工場は日本鋼管で、白い煙を吐いて市電の線路に寄って来た蒸機は国鉄の C11形と思われます。

ここから先は市電の線路を三線軌条化して国鉄が間借りし、乗り入れていた珍しい区間でした。しかしこの映画公開の 11日後には、市電はここから池上新田までが単線化されその先は廃止となりました。
なんだか軒を貸して母屋を取られた感じですが、監督はあえてこの珍しい区間を入れたのでしょうか。ならばもう少し分かる様なアップのシーンも入れてほしかったですね。

続いては、松本と節子が待ち合わせるシーンです。京急の線路沿いの道を双方から歩いてくる二人の横を 230系らしき電車が通過して行きます。ロケ地は京急川崎~八丁畷の上並木公園辺りのようです。
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車体更新後の 230系だとすると本線上を走る末期の姿で、この後は大師線等の支線でしか見られなくなり最後は 1978年まで走っていました。

松本が自分のトラックを手に入れようとガムシャラに働く場面にも、短いカットの中に鉄道シーンがあります。次の画像は川崎市電 500系らしき車両とすれ違うシーン。
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その次の画像が分かりません。松本が木炭の包みをトラックから降ろしている背後に、赤い電機がワム90000形の様な有蓋車を連結して停止しています。
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西武鉄道の E11形電機によく似た機関車ですが、川崎周辺の私鉄専用線でこの様な電機が存在したのか? 西武の E11形だとすると多摩川線の是政辺りでしょうが・・それにしては場所が離れすぎています。

最後の画像はヤケを起こして飛び出そうとする松本を節子が止めたつもりが、「見ろ乗り遅れちゃったじゃないか あれ最終だったんだぞ」と勘違いだったことが分かる場面です。
ライトアップして撮影していますが、川崎市電の 700系らしき車両です。場所は市電通りの渡田小前電停の様です。
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 105. 妻と女記者

1950年4月 新東宝・藤本プロ 製作  東宝 配給公開   監督 千葉泰樹

復員し大学の研究室に通う 矢代宏司(伊豆肇)が、妻 孝子(山根寿子)と自分の両親が同居する家に知り合いの妹 吉崎文枝(角梨枝子)を下宿させたことから起る一騒動を描いたホームドラマ風の映画です。

先ず矢代が横須賀線で、鎌倉駅へ帰ってくるシーンがあります。四角錐の尖がり屋根の鎌倉駅が映りますが、この部分は1984年に現在の3代目駅舎に改築された際 西口広場へ保存されています。
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ホームへ 63系の電車が満員の乗客を乗せて到着し、矢代が降りて来ました。そして大きな荷物を持った客とホームから小競合いしながら、改札で待つ妻の元へ出てきました。

次に夜の鎌倉駅ホームで矢代と文枝が話すシーンがあります。文枝が借家から立ち退きを迫られ 矢代が自家への下宿を思いつく場面ですが、背景からセット撮影の様にも見えます。
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ホームの柱には、「躍進する小田急 ニュールックロマンスカー毎日運転」の文字と共に 1910形特急の姿が描かれたポスターが貼ってあります。
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騒動が一件落着し、矢代と妻 孝子はあらためて新婚旅行へ出掛けることになります。そして上記のポスターと同じ多摩川の鉄橋を渡る 1910形(後の 2000形)ロマンスカー3連の姿が映ります。
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続いて車内のシーンがあり、二人が先頭車両最後部にある白布が掛けられたロングシート部分に座っています。セミクロスシート3連なので、画面では続く中間車のクロスシート部分が見えています。
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矢代は足を組んでいますが、ロングシート部分故に足元はゆったりとしています。傍らには床に固定した灰皿が設置してあり、妻が持つライターで煙草を吸って寛いでいる様子です。
この 1910形は初代ロマンスカーとも呼ばれ、戦後初の新車として登場 現在に至る小田急電鉄のシンボルとなりました。また中間車に喫茶スタンドが設置され、飲み物のシートサービスも行われたそうです。

1949年9月17日に毎日運転のノンストップ特急として登場した 1910形ですが、1951年2月1日には二人掛け転換クロスシート装備の本格的ロマンスカー 1700形が投入され短命に終わりました。
その後 特急予備車を経て3扉化され一般車として活躍した 1910形なので、本編に映っている華やかな車内シーンは貴重な記録と言えるでしょう。

ラストシーンでは、鎌倉駅ホームから矢代達が 63系電車に乗って行く場面で終わっています。
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