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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 104. 若親分 乗り込む

1966年5月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 井上昭

時代は明治末期 元海軍士官の若親分 南条武(市川雷蔵)シリーズ第4作です。ワルの郷田組と結託して利権を漁る陸軍憲兵隊の不正を南条が暴く、痛快任侠映画です。

鉄道シーンは冒頭部分にあります。小型の蒸機が4両の大きさが凸凹の木造客車を牽いて築堤を登り、
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甲高い汽笛を鳴らして鉄橋を渡ります。
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C型のこの小型蒸機は何処の?と考えましたが、一目では分かりません。しかし後ろに牽いている客車はオープンデッキあり、ダブルルーフありで4両全てがバラバラで特徴があります。

続いて デッキから憲兵が引き戸を開けて車内へ入ります。乗客を一瞥し 一人の男と目が合うと、「磯田」と呼ぶより早く男は列車の後方へ走りだしました。
デッキのドアを開け次々と車両の通路を走って逃げるのを、憲兵二人が追いかけて行きます。各車に乗る明治末期の扮装をした乗客が、驚いた顔でこの走る一団を見ています。

そして4両目のオープンデッキから車内へ入ると、両壁側のロングシートに座る人の間を抜けると、後ろ半分は荷物室になっていて行き止まりの様です。
男は左手の壁にある引き戸を開け、車外へ飛び降ります。追ってきた二人の憲兵は一瞬躊躇しますが、外側のステップを使って飛び降りることができました。
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飛び降りた三人を追ってスジモンの一団が後ろから押しかけ、荷物室の最後部から線路上を駆けて行く三人の姿を見ています。どうやらただの野次馬の様です。
その中に南条がいて「何かあったんですか?」と寺井三次郎(本郷功次郎)に問いかけると、「脱走兵らしいですね」と答えます。この二人はこの後因縁の仲となるのですが・・・
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この最後部に連結されている特徴ある荷物合造車らしき車両にヒントがありました。これは 1889年ドイツ製で、当時 加悦鉄道で使われていたハブ3 荷物室付緩急車です。
とすると先頭の蒸機は 1261と思われますが、C160 かもしれません。続く客車も ハフ2+ハ21+ハ10+ハブ3 と当時加悦鉄道にあった古典客車の勢揃いです。

各車両共 外観に特徴があり 車内も背刷りが板張のクロスシートあり・ダブルルーフありと明治の香り漂う雰囲気で、これが当時現役車両だったとは信じられません。
この映画公開の翌年には蒸機が休車となりDL化され、木造古典客車たちも翌々年から相次いで休車されました。正にギリギリのタイミングでロケに使われた訳です。 

現在ではセット撮影でしか出来ないことを現役の実車を使って、撮影用の列車を走らせ撮ったので迫力あるアクションシーンが今に残ったのであります。
加悦鉄道ではこれら車両の価値を認め構内に保存しておいたので、現在では綺麗にレストアされて4両の付随車全てが加悦SL広場で見ることができるのは幸いです。

本編ではその後 津の崎(架空駅)の駅前で、お勤めの終わった寺井が組員の出迎えを受けるシーンへと続きます。
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鉄道シーンとしては短い この映画ですが、加悦鉄道の蒸機だけでなく現役の古典客車の車内までを使ってカラー作品として撮影されたこの映画の価値は高いものと思われます。

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 103. 密会

1959年 11月 日活 製作 公開   監督 中平康

大学教授の妻 宮原紀久子(桂木洋子)は夫の教え子である川島郁夫(伊藤孝雄)と不倫関係ですが、密会中に偶然 殺人事件を目撃したことから破滅への道を辿るサスペンスドラマです。

宮原教授(宮口精二)の家は小田急沿線に在る様で、2100形らしき急行列車が何故かミュージックホーンと共に高速で走り抜けるシーンが先ずあります。
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小田急のミュージックホーンは 1957年登場した 3000形SE車から搭載された特急用の補助警報機なので、アフレコとはいえ一般車両に付け加えたのでは不自然な感じがしますね。

川島は良心の呵責に耐えかねて、事件を目撃したことを警察へ告白しに行く決意を紀久子に伝えます。だがそれは紀久子にとって、川島との不倫関係が公になり身の破滅に繋がります。
二人は話し合いますが遂に川島は警察へ向かうべく紀久子を振り切り、小田急線 梅ヶ丘駅の改札を入ります。和服姿の紀久子も後を追い、入場券を買って改札を入る姿を高位置から撮影しています。

この頃の梅ヶ丘駅は2面4線を構内踏切で繋ぐ構造で、二人は構内踏切を渡って上り線ホームへと上がります。一足早くホームへ上がった川島は紀久子が近付いても視線を変えず、前方を凝視しています。
紀久子も語り掛けず、この後川島の告白によって世間の好奇の目にさらされる自分の姿をを想像します。紀久子の視線を感じてか 川島の首筋には汗が光っていますが、微動だにしません。

「3番線を新宿行 急行電車が通過します」と構内放送があり、豪徳寺方面からあのミュージックホーンと共に小さく上り電車が見えてきました。二人共変わらず、思い込んでいる表情でいます。
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急行電車がなおも近付いた時、紀久子はチラと電車の方を見て川島の背をポンと押してしまいます。川島は一瞬 紀久子の方を振り向いた様子ですが、線路に転落 非常制動音と共に轢断されてしまいます。
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急行電車は非常制動なれど、最後部が構内踏切の中程の位置で漸く停止します。ホームにいた客が一斉に川島の転落場所に集まり、「飛び込みだ」「自殺だ」などと話しながら覗き込んでいます。
新宿行上り急行は当時新型の2200形で、突然の非常停止に乗客は皆窓を開けて後方を見ています。構内踏切は閉まったままですが、駅員が次々に駆け付け野次馬も遮断機を潜って集まってきます。
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そんな騒ぎの中、紀久子は平然と落ち着いた顔で遮断機を潜り無人の改札を抜けて現場を去って行きます。
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こうして紀久子の思い切った行動は、成功したかにみえました。
小田急電鉄の全面協力の元、休日の早朝にロケが行われたと思われます。しかし下り電車のことを考えていないのか、降りている構内踏切の遮断棒を指差呼称もせずに駅員が潜って現場に駆け付ける行動には?

当時 小田急電鉄のイメージリーダーである 3000形SE車は作中で登場しませんが、象徴であるミュージックホーンをあえて急行電車にアフレコで加えたのは撮影協力への御礼なのでしょうか?
小生 昔の梅ヶ丘駅を知らないので ここまで書いてきましたが、3枚目の画像に映っている広い構内配線には引っかかるものがあります。 2枚目の画像をよく見れば、相模大野駅へ進入して来る下り列車の構図では?

そうなんです。梅ヶ丘の駅名板に惑わされましたがロケは相模大野駅で番線表示板まで交換し、下り線の電車に上り新宿行の標示までして撮影したと思われます。
2枚目の画像を見ると電車の後方でオーバークロスしているのは、相模大野駅 新宿方にある国道16号線です。3枚目の画像で左方向へ離れていく線路は、この先で本線をオーバークロスする江ノ島線の上り線であります。

相模大野駅の小田原方に留置線があったので、そこで撮影用の列車を仕立て 構内でロケが行われたのでしょう。でも何故ここまで手の込んだ演出をして、相模大野駅を使って梅ヶ丘駅に仕立てて撮影したのか小生には思いつきません。1996年に現在地に移転した現状からは想像できない 1959年の相模大野駅の姿は価値あるものですね。

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 102. 夜の牙

1958年1月 日活 製作 公開   監督 井上梅次

医師の杉浦健吉(石原裕次郎)は知らぬ間に自分の死亡届が行方不明の弟 忠夫によって出されていたことから、その謎を探り 事の真相に迫るサスペンスアクション映画です。

杉浦は自分の墓がある奥伊豆へ三太(岡田眞澄)と向かいます。先ず EF58 電機が長い編成の客車を牽引する列車が映ります。
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この場面は2か月後に公開された(79.錆びたナイフ)のシーンと似ていますね。
奥伊豆にいる杉浦の叔父は亡くなっていて、その遺産は杉浦と弟の忠夫が受け取ることになっていたことを知ります。叔父の家は執事の加納(西村晃)が受け取っているが、忠夫の居所は知らないと言われてしまいます。

東京へ帰るべく奥伊豆駅(架空駅)へ来た二人は、
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発車し始めた東京行列車に飛び乗ります。
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二等車に座ると、一番奥の席に杉浦の墓の近くで見かけた女が乗っているのに気づきます。
「東京の女だね」と三太が言えば、杉浦は「銀座の女だ」と返します。その列車の三等車には、加納も乗っていました。やがて品川駅7番ホームへ EF53?らしき電機に牽かれて到着します。
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ここであの女 花岡真理(月丘夢路)が降りたので、杉浦達も降ります。こげ茶の車体に鮮やかな青い帯の二等車である7号車の横を真理が歩き、その後ろを二人が付いて後方へ向かいます。
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続く6号車も二等車オロ35で その次の三等車である5号車との連結部へ近付いた時、5号車のデッキから加納が降りて来ました。そこで杉浦は三太に、加納の後をつける様指示します。

この列車は2両連続で二等車が連結されているので、当然急行列車では?と思われます。6,7号車に二等車が連結されているのは東海道本線では珍しく、急行大和くらいしか該当しないのではと思います。
しかしこの列車には急行の札が付いていません。また7号車の端から降車して歩き、6号車を過ぎて5号車の端まで来ても発車ベルが鳴らないのも不思議です。おそらく撮影用に用意された車両なのではと思われます。

また架空の奥伊豆駅が何処なのかは不明ですが、杉浦達が乗ろうとしたホームの上部には奥伊豆の駅名板の横に方面案内板が有り(国府津・沼津)とローマ字で書いてあります。
ここから想像すると、東京方面の上り列車に乗ったのではなく下り列車に乗る所を撮影したのではないでしょうか。そう考えると国府津の手前 平塚辺りの駅を奥伊豆駅として撮影したとも考えられます。

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 101. 女の園

1954年3月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

京都の正倫女子大に入学した姫路出身の出石芳江(高峰秀子)は学生寮に入るが、封建的な厳しい規則と寮母の五條真弓(高峰三枝子)らによる干渉を受けて学校側と対立 闘争に至る学園ドラマです。

芳江が厳格な父に隠れてつきあう同郷の大学生 下田参吉(田村高廣)は、苦学生で東京で学びながらバイトをして生活費を稼いでいます。
中盤 最初の鉄道シーンは内堀通りの半蔵門付近です。自転車で配達のバイトをしている下田を同級生が呼び止め、その横を都電が走る姿が映っています。10か11系統ですが、判然としません。
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続いて京都 四条通りを大丸百貨店をバックに走る京都市電1号系統の 600型 678の姿が映ります。1941年日車製の 678はまだWポールで走っています。
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車内では芳江が同室の行動的な滝岡富子(岸恵子)に下田への手紙を検閲されたことを話しています。京都のメインストリートを走る四条線は、その後 1971年1月に廃止されてしまいました。

共に正月休みで帰郷している二人が舞子で束の間のデートをする場面があります。待ち合わせの舞子駅でしょうか?ホームで待つ芳子の前をC50型蒸機?らしきが牽く下り貨物列車が轟音と共に通過して行きます。
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待ちわびる芳江の前に上り大阪方面行の国電が到着し、続いて舞子の海岸を歩く二人のシーンへ飛びます。上下列車共に逆光状態で撮影されていて、細部は判然としないのが残念です。

下田が上京する日 僅かな時間 姫路城で会った二人ですが、駅で見送るのが辛くなった芳江は天守閣からハンカチを振るので下田も汽車の一番後ろのデッキからハンカチを振ってほしいと告げました。
15:00 米原行き普通列車が C59102に牽かれて姫路を発車します。
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その最後部に立つ下田はハンカチを力強く振っています。姫路駅構内の先に見える姫路城天守閣から芳江も盛んにハンカチを振っています。
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冬休み中の行動を指摘された学生を処分したことから規則の緩和要求する学生側と突っぱねる学校側の学園闘争になり、更に芳江だけ不均衡に軽い処分に変更されたことから皆から妬まれ 神経衰弱状態になります。
そして寮から飛び出したので、補導監の平戸喜平(金子信雄)は芳江の実家のある姫路へ向かいます。姫路駅手前の市川に架かる鉄橋を渡る列車を遠景で捉えるシーンの後、平戸が下車の支度をする車内シーンがあります。
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芳江は思い切って、東京の下田の下宿先へ来たのでした。しかし思い直した芳江は、翌朝 置手紙を残して消えてしまいます。後を追った下田は中央本線緩行線 千駄ヶ谷駅ホームへ上がって捜しますが、既にいません。
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その頃芳江は東京駅から大学へ戻るべく、初期型EF58電機が牽く東海道本線下り列車のデッキにいました。機関車の次位にはマヌ34らしき暖房車が盛んに黒煙を吹き上げています。
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この列車は途中で急行列車とすれ違いますが、これには芳江の父(松本克平)が特別2等車に乗って下田の下宿先を目指しています。これを含めて車内シーンは京都市電以外の全てがセット撮影の様です。
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下田も後を追って京都を目指しますが、気をもんでも追い付く術がありません。芳江が普通列車でなく 9:30東京発の急行阿蘇に乗ったとすると、後続の急行や特急はと号でも追い付けないのです。




PS.  舞子駅は電化されていますが、西明石までの区間なのでこの頃 長距離列車や貨物列車は全区間蒸機牽引でした。姫路まで電化されるのが 1958年なので、姫路駅構内の空がまだスッキリとしていますね。
列車線と緩行線に分離され複々線となるのは 1965年のことです。
2018年刊行された川本三郎氏著(あの映画に、この鉄道)によると、二人が待ち合わせたのは地上時代の明石駅だそうです。
現在とは駅も周囲もまるで違うので、想像すら出来ませんでした。

下田が姫路から上京する時乗った列車を「3時の汽車」と言い、アフレコの放送もそう伝えています。時刻表を見るとこの列車は姫路着 15:00で 15:10発車の414ㇾ米原行で、東京直通ではありません。
この列車に乗ると大阪着が 17:14で、僅か4分前の 17:10に 134ㇾ東京行が発車してしまいます。大阪 17:30発の準急名古屋行 3406ㇾを使えば、彦根で 134ㇾに追いつけますが苦学生の下田がこの手を使うとは思えません。

下田が最後部のデッキからハンカチを振る場面が最初に映った列車は、C5971が牽き 三ノ宮のサボが掛っていました。この列車が 414ㇾの1本前 14:30姫路始発の 926ㇾ三ノ宮行だとすると都合が良いのですが・・・
926ㇾは 15:55三ノ宮に到着するので、京都方面行の近距離国電に乗り継ぐと 16:30頃には大阪に着けます。そうすると大阪 17:10発の 134ㇾ東京行に乗り継ぎ、翌朝 5:28には帰京でき とてもスムーズです。

安く関西から東京へ行く普通列車はこの時代でも意外に少なく、大阪からは3本のみ。更に姫路から東京直通となると、門司始発の 112ㇾ1本しかなく姫路発 20:50で終着東京へは翌日 13:54に到着となります。
しかし 112ㇾを使ったのでは本編の様な別れのシーンとならないので、この様な脚本となったのでしょう。趣味的には電化前の姫路駅構内の様子や C59の勇姿が割と長く有り、Aランクの作品であります。

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