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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 100. 大いなる驀進

1960年11月 東映 製作 公開   カラー作品    監督 関川秀雄

お蔭様で 100回目を迎え記念に今回は(大いなる驀進)を取り上げます。この作品 冒頭から最後まで劇映画としては驚きの 99%鉄道シーンだけで作られているので、全ては語れません。
国鉄の列車給仕である矢島敏夫(中村嘉津雄)は安月給ゆえに次のさくら号乗務を最後に国鉄を辞めようとし、恋人の望月君枝(佐久間良子)がさくらに乗り込んで考え直させようとする青春映画です。

5ㇾ特急さくら号乗務員の仕事を東京での出発点呼から始まり、終着 長崎駅到着 推進運転による引き上げまで 20系ブルートレインの内外 各牽引機関車の勇姿を余すところなく捉えています。


東京駅丸の内駅舎をバックに矢島と君枝が話している場面から始まり、出発点呼 品川客車区での出発準備と続きます。
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この時食堂車では、日食チームが今と違って早くも開店準備をしているのですね。
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そして東京駅 14番線へ入線。盛大な見送りを受ける政治家 新婚客 駆け落ち組 危篤の母の元へ急ぐ娘 スリの名人 裏世界の人等々多彩な人々が乗ります。
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16:35 EF5897が牽引し、
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発進直後 君枝が駆け寄り飛び乗りました。
横浜を出た辺りでしょうか3号車の食堂車では日食の松本芳子(中原ひとみ)が営業開始の放送し、日車製食堂車には続々とお客が前後の車両から入って来ます。ビーフステーキ定食は350円でした。
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その間にも専務車掌の松崎義人(三國連太郎)は矢島と組んで、検札 電報打ち 車内放送 ドア扱いと次々仕事をこなしてゆく様子が映されています。その折矢島は君枝と会い、デッキで話すも平行線です。
18:59静岡着 機関車乗務員は交代し EF58154先頭で出発して行きます。
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21:18名古屋着 憲政党幹部の坂ノ上坂次郎(上田吉次郎)はホームで待ち構えていた名古屋支部の一団から見送りを受けます。
その後 営業の終わった食堂車では、松崎と矢島が夜食のカレーを注文して芳子と揉めています。
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23:49大阪着 台風による暴風雨警報が発令されており、前途に暗雲が・・ ここから明日の午後2時までに長崎大へ血清を届ける役目の大阪大病院の森原数子(久保菜穂子)が鞄を持って3等車へ乗ります。 機関士達の交代もここで行われます。
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2:08岡山着 既に風雨はかなり強くなっています。
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自殺を図った2等寝台の客へここから医者が乗ります。5分停車の間 先頭がC62型蒸機に交換され、機関士と機関助手は風雨に厳しい顔で出発合図を待っています。
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2:13駅長(明石潮)が合図を出し、豪快な汽笛と共に大動輪が動き出しました。駅舎へ医者の鞄を取に走った矢島はギリギリのところでデッキに飛び乗ります。この様子を君枝は勿論、食堂車から芳子も見ています。

そしてこの映画のクライマックス 深夜の崖崩れが、三原駅より2km先で起こります。緊急停止して機関助士が現場を確認すると、
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列車防護 保線区への連絡 障害物撤去と乗務員 保線員 食堂車社員も奮闘 更に君枝 数子まで手伝います。
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トンネルの反対側からはD52形蒸機牽引の貨物列車が接近し、発煙筒を焚いて緊急停止させ
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事情を説明します。
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復旧作業が終わると、車内へも戻った給仕が乗客へ状況を説明しています。
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38分遅れで運転再開した さくら号の食堂車で着替えた君枝の元へ泥だらけの矢島が戻りました。
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広島を出て寝台の解体が始まり
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食堂車の営業も開始されました。
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天気も回復し由字~大畠の瀬戸内沿いでしょうか、美しい朝の海岸線を走るSL特急の姿が有ります。
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徳山駅では店の金を娘と持ち逃げした男が待ち構えた兄に殴られ、松崎が仲裁する場面もあります。
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晴天の下関には7分回復して31分遅れで、C6235がさくらのヘッドマークも眩しく到着します。
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ここで危機を感じた裏世界の男が急遽下車しますが、ホームで刺客に襲われたところを松崎が助けて負傷してしまいます。
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ここからEF10が門司まで牽き、その先 八幡製鉄所をバックにC59型蒸機が高速で走る場面もあります。
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C59を先頭に博多(1963年移転前の旧博多駅)へ到着すると
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下車する自殺未遂客達を松崎や君枝は見送り
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矢島は危篤の母の元へ急ぐ娘の為 改札まで荷物を運んであげ、動き出している列車に飛び乗りました。
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ここからは軸重の軽いC61型蒸機に替えて長崎を目指します。
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長崎本線 喜々津~大草の大村湾沿いの海辺をC61蒸機を先頭に走る姿を編成後部から撮ったシーンは美しく、カラー作品である喜びを感じます。
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こうして遂に長崎到着となるのですが、列車が長崎駅ホームに掛った所から先頭を牽くC6132に並走して走らせた車両から減速してゆく姿を撮影しているのには国鉄全面協力とはいえ驚きです。
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ホームでは地元選出の議員の派手な出迎えがり、
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長崎医大への血清引き渡しする様子を、食堂車内から芳子が見ています。
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食堂車内では片付け作業が進むなか、
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さくら号は推進運転で留置線へ引き上げて行くのでした。
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PS.
撮影は国鉄全面協力の元 20系の予備編成を使って撮影用列車を走らせ車内シーンや緊急停止の場面などを撮影し、定期の特急さくら号での撮影と合わせて迫力ある映像は貴重な記録としても価値ある作品と思います。
C62形蒸機が牽く さくら号がけ崩れ現場で停車する場面は、常磐線の線路切り替えで旧線となった区間で大掛かりなロケが行われたそうです。
10枚目の画像で謎のC62120が映っています(C62形は49迄) 東映が用意したのでしょうか? ならばがけ崩れ現場で停車するC6219は?謎です
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D52形蒸機が登場する場面は、御殿場線での夜間撮影だそうです。

多様な仕事をこなした列車給仕は2年後には乗客掛となり、更に車掌補と変わって寝台解体などの業務からは離れました。現在では走行中に組立 解体をしていません。
1959年7月5ㇾとして始まった 寝台特急さくら号(この時1ㇾは急行大雪)は、1961年10月の全国大改正で 1ㇾとなり九州行ブルートレインの1番手として 2005年まで東京と長崎を結んでいました。


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 99. 警察日記

1955年2月  日活 製作 公開    監督 久松静児

南東北のとある田舎町にある警察署を舞台に、様々巻き起こる事態を描くドラマです。先に(25.續・警察日記)を取り上げましたが、本作が9か月先に公開された正編です。

鉄道シーンは続編程華やかではありませんが、最後にあります。貧困から捨て子したシズ(坪内美子)が子と別れ、都会へ働きに出るのを吉井巡査(森繁久彌)が駅で見送りするシーンにあります。
横宮駅(架空駅)のホームにいるシズの所へ吉井巡査が駆け付け、奥さんの着物を渡します。ホームには婚礼に向かう花嫁さんやら、自衛隊へ入隊に行く岩太(伊藤雄之助)を見送る一団もいます。

「列車が到着しますので御後へ願います」と駅員の声に続いて、D50型蒸機牽引の列車が来ました。
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しかし次のカットでは水タンクをリベット打ち組立したC10型が、Wルーフ客車を牽引して到着します。
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乗車したシズは吉井と別れの言葉を交わし、岩太はもらった(祝 自衛隊入隊)の旗を向かいの席に置いて下降式の窓を開け一団から見送りを受け 昔の出征の様です。

C105機関車がアップで映ると、汽笛が鳴り発車です。
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元校長で子供を全員戦争で亡くしてオカシクなった林田(東野英治郎)は、列車が去るまで万歳を繰り返し悲しい様子です。
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続いては峠道で自転車を押していた花川巡査(三國連太郎)が、遥か下の方を走るD50牽引列車が峠への上り勾配を走る姿を見ています。
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自分が関わった人間が乗っていることを考えているのでしょうか。
そして最後は会津磐梯山をバックに、力強く煙を吹き上げながら堂々の8両編成で走るD50牽引列車をアップで左から右にパンしながら追い掛け映しながら映画は終わります。
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PS,  この映画は主に磐梯熱海の町でロケが行われたそうです。D50型蒸機が走行するシーンも確かに現地の磐越西線で撮影したと思われます。しかし横宮駅のシーンがちょっと引っかかります。
「列車が到着します」の部分は猪苗代駅で撮影されたのかな?と思えますが、C105が登場する横宮駅(架空)はC105が当時武蔵五日市区にいたことから あるいは西秋留駅(現 秋川駅)で撮影されたのでは?
川桁駅での撮影との文献もありますが、貨物側線が有りませんし駅舎の柱形が違います。当時 会津若松区に5台のC10型機関車が所属していたそうですが、構内入替や会津線・日中線担当で磐越西線はD50が一手に引き受けていたと思われます。
五日市線での撮影だとするとC10が牽引するWルーフの古典的旧客車は珍しく、五日市鉄道時代からの使用車両でしょうか。当時は7割以上の列車が気動車運転で、公開2年後に完全気動車化された五日市線なので古いまま使っていたのかな?

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 98. 花咲く乙女たち

1965年1月 日活 製作 公開  カラー作品    監督 柳瀬観

紡績工場の女工を水商売に誘い込む指令を組から受けた山口昌次(山内賢)とサブ(堺正章)が、友人となった仲間達から励まされ更生してゆく青春映画です。

冒頭 尾西の町へ向かうべく岐阜 長良橋をバイクで渡る、山口とサブが映ります。ピューゲルを屋根に付けた前面3枚窓の路面電車とすれ違いますが、不鮮明で廃止直前のモ 70形かもしれません。
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この路線は名鉄 岐阜市内線 長良線(徹明町~長良北町)で、途中に急カーブ部分が有ることから車種が限られ晩年は北陸鉄道金沢市内線から来たモ 550形で運行 1988年廃線となりました。

山口は女工の林田サツキ(西尾三枝子)と知り合い、サツキの父親が田舎から出てきた時 観光案内をかってでます。成田山名古屋別院大聖寺前に来たとき頭上を犬山モノレールが通過して行きます。
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これは 1962年(犬山遊園~動物園 1.2km)開通した名鉄の路線で、2年後開通の東京モノレールのモデルとなりました。その後乗客減少もあり、2008年末廃線となり現在犬山遊園駅付近では跡形もありません。

そしてサツキの父 林田清作(中村是好)が岐阜駅から帰宅するシーンが一番の見どころです。まだ地平駅の岐阜駅1番線高山線ホームで 旧客に乗った父をホームからサツキが窓越しに見送っています。
「かあちゃんに美味しいものでも買って」と3000円の入った封筒を渡すと
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ベルが鳴り汽笛が聞こえると、汽車はゆっくりと黒煙を吹き上げ発車して行きました。最後に父親は「昌次さんにも宜しくな」と一言。
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先頭で牽く機関車は映っていませんが、C58型蒸機と思われます。隣の2番ホームには次列車として 15:50の看板が架かっていますので、この列車は 14:52発 833ㇾ美濃太田行と思われます。
終点 美濃太田で更に飛騨金山行列車に接続しています。高山線岐阜口ではその後 1968年10月旅客列車が無煙化され、更に 1969年1月完全無煙化でサヨナラ列車が運転されました。

ラストシーン 組とは縁を切り、町を去る山口がバイクで名神高速道路をノーヘルで走っています(特撮)。その左手を開通後まだ日の浅い東海道新幹線が追い越して行きます。
0系 12連でひかり号かこだま号かは分かりませんが、前方には雪を被った伊吹山でしょうか?見えています。
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 97. 西城家の饗宴

1951年6月 大映 製作 公開    監督 鈴木英夫

逗子に住む元海軍大佐で求職中の西城晋作(菅井一郎)と妻 銀行員の長男 浩太郎(千秋実)と妻と子供 二男の妻 次女 敦子(若山セツ子)三男 泰三郎(井上大輔)の8人家族が織り成すホームドラマです。

鉄道シーンは朝の逗子駅から三男の見送りを受けながら東京へ向かう父と長男の姿から始まり、朝鮮戦争特需もあり復興期に入った横須賀線電車が随所に登場します。
今は無き二代目木造駅舎の逗子駅ホームへ入る二人。知り合いと挨拶をしているところへこの年新造されたばかりのクハ 76形を先頭に 42系を中間車とした上り東京行が入線 乗車します。

次に足場を組んで修繕工事中の東京駅丸の内駅舎をバックに、街頭新聞売りから夕刊紙を買う為に並んでいる息子に頼んで買ってもらう父の姿があります。
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売り出したばかりの時間帯なので、並んでいるのでしょうか?当時は駅の売店では売っていなかったのでしょうか。丸の内駅舎の復旧工事は三段階工事の最終工程で、天然スレート屋根工事中の姿と思われます。

続いては多摩川でしょうか橋を渡る クハ 76形が両端に付いた横須賀線列車のシーンがあります。3両目には2等車が連結され、更に6両目には2等車表示ながら白帯に「ALLIED FORCES SECTION」と記された進駐軍専用車。
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車両は 40系でしょうか、この車両だけは混むこともなくゆったりとしていることでしょう。颯爽と登場した 70系ですが、この様に初期はクハ 76形を多く製造し両端のみ新型 中間車は旧型の形でお茶を濁したそうです。

また北鎌倉付近でしょうか、前にスカ色 70系7連 後ろに増結の 42系旧塗装車という編成の列車が走り行くシーンもあります。
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最後に次女 敦子が逗子駅改札前で
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つれあいになった加取義樹(小林桂樹)から声を掛けられ一瞬立ち止まるが、到着した 70系電車に手を引き乗り込み発車して行くシーンがあります。
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 96. うず潮

 1964年11月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 斎藤武市

林芙美子原作 大正 11年 尾道高等女学校の生徒 林フミ子(吉永小百合)は貧しい家庭の文学少女。懸賞に応募した童話が入賞したことから、東京で身をたてる決意で故郷を離れるまでを描く作品です。

鉄道シーンは終盤 フミ子が尾道駅から東京へ旅立つシーンからあります。朝まだきの尾道駅 和服姿のフミ子は僅かな荷物を持っているだけです。「只今より大阪・東京方面の改札致します」の言葉で改札を通ります。
明るくなったホームへ上がると、C58 254牽引の東京行列車が到着します。
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8~10両編成と長く、フミ子は3両目に乗車します。
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ロケが行われたこの木造駅は当然 尾道駅ではなく、ロケ地の志度駅でしょうか?

座席に座って発車してからも延々と決別の置手紙の文面をフミ子が朗読していく中を列車は進んで行きます。沿線には延々とハエタタキが並ぶ中、機関車のキャブ越に前方を映す お馴染みのカットもあります。
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そして C58 46牽引列車の走行シーンも登場します。前出 254と同様 鷹取式集煙装置と思われる重装備搭載で豪快に走り抜けて行きます。また門デフ装備と思われる C58の走行シーンもあります。

その後もフミ子は延々と東京へ行くことへの希望・あこがれ・期待を込めて東京へ行けば何とかなる 東京へ行けば幸せが待っている などちょっと危ない気もしますが、前途に明るい未来しか考えられない感じです。
ラストシーンは長い鉄橋を渡る列車の姿を後方から映し、いよいよ故郷と決別し東京へ向かうフミ子を乗せた汽車が段々小さくなっていくところで終わります。
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 PS. 上記の様にこの映画は尾道ではなく香川県志度町(現 さぬき市)でロケが行われています。C58 254が牽く列車は高徳本線を走っているのかと考えますが、それにしては長編成です。
C58 254は当時 多度津機関区所属でしたので、予讃本線の列車と思われます。またフミ子が入る駅舎のシーンとホームから乗り込むシーンは別撮りとも考えられます。

該当する長編成列車は有るのかと撮影当時の時刻表を見ると、予讃本線 川之江 5:52発普通 高松行と土讃本線 財田 6:15発普通 高松行が多度津で合体し高松へ向かう通勤通学列車 322ㇾがあります。
初冬の朝 長編成の普通列車が到着するシーンにピッタリだと思われます。そうなるとホームでロケが行われたのは多度津の先 丸亀か坂出ということになりますが、いかんとも小生には分かりません。

大正末期 尾道から朝乗って東京直通の普通列車が有るのか?と時間表(時刻表)を見れば、下関始発の 24ㇾが尾道 7:08発で山陽本線・東海道本線を走り通し翌朝 6:40終点 東京へ到着し映画の内容に合います。
余談ですが、フミ子が歩いて来た尾道駅前には(汽車辡當)の大きな看板があります。しかし意外にも隣の糸崎には駅弁マークが有るのに尾道には戦後まで駅弁は無いのです。その後1949年の時刻表に初登場しています。
( 24. 素足の娘 )は 1957年の作品ですが、上から3・4枚目の画像に駅弁の立売人が映っています。  

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