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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 95. 東京五人男

 1946年1月 東宝 製作 公開     監督 斎藤寅次郎

終戦直後に企画され、秋に製作 暮れに完成 年末に一部で先行公開 翌正月の3日に公開というハイスピードで製作された当時の有名な喜劇俳優を集めた喜劇映画です。

鉄道シーンは冒頭からあります。横山辰五郎(横山エンタツ)ら五人は軍需工場で働いていたが、終戦で解散となり帰京することになります。
道中 富士山をバックに走る蒸機牽引列車が映りますが、これはミニチュアを使った特撮の様なので語りません。車内でのシーンもセット撮影です。

横山と藤木阿茶吉(花菱アチャコ)はそれぞれ元の職場である都電の運転手と車掌に復帰することができ、コンビを組んで乗り込みます。700形の708がビル街を満員の乗客を乗せて走り抜けるシーンがあります。
後ろ扉のステップには5人程の男が体は完全に車外なのに摑まり乗り状態で走っています。コミカルなBGMと共に映るこのシーンを現在見ると喜劇映画だからと納得しますが、当時の厳しい日常ドキュメントなのでしょう。
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横山と藤木が乗る 5000形の5014 でのコミカルな勤務シーンはかなりの長さで有り、バックには焼け跡が一面に広がる終戦直後の東京の姿がリアルに映っています。車内の会話から 11 系統の路線の様です。
半蔵門電停で藤木が料金未納の男から集金している間に発車してしまい、慌てて後から走って追いかけるシーンでは バックに鉄製の火の見やぐらが映っているだけです。これが麹町消防署なのでしょうか?それにしてはあまりに何も無い。
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また 1200形が広い道を走るシーンは、前方の交差点の雰囲気から青山通りを赤坂見附の交差点方向へ向かって走っているのでは?と思われます。
このあたりも建物は殆ど無く、空襲で焼かれた無惨なビル跡など復興前の東京の姿が見て取れます。何より都電の他に車やバスが走っておらず、人々は苦しくても危険でも都電に頼る他無かったのでしょう。
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古川六郎(古川綠波)は桜丘駅(架空駅)で疎開から帰って来た息子に再会します。駅に到着したのは小田急1600形の1603と思われますが、この当時は戦時合併で東急の所属でしたね。
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桜丘駅は駅舎の様子から小田急線梅ヶ丘駅では?と思います。井の頭線の空襲被災救援貸出でこの頃1600形が代田連絡線を使って井の頭線にいたと思われる記録があるので、ロケ地渋谷に近い池ノ上駅あたりでは?と考えましたが違う様です。

1600形はその後特急列車としても活躍し、更新され長きに渡って小田急線を走り続けました。1970年車体のみ西武所沢工場で改造し、晩年は近江鉄道で走り 1990年廃車されました。



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 94. 青春の海

1967年1月  日活 製作 公開     監督 西村昭五郎

左遷されて伊豆下田へやって来た中学教師 三宅杏子(吉永小百合)がヤクザものの山﨑次郎(渡哲也)と知り合い、騒動となる青春映画です。

下田へ向かう杏子が東京駅 10番線に停車中の 80系湘南電車に乗り、発車を待っています。そこへ妹の千加(和泉雅子)が駆け付けるシーンから鉄道シーンが始まります。
千加はホームを歩きながら車内を捜し、
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杏子を見つけると強引に同行します。80系湘南電車の車内は席も壁も木製で落ち着いた感じです。

当時 東京駅発の東海道本線で 80系湘南電車は数少なくなっていて、10番線からの発車となると 10:31 入線 10:54発車の 333ㇾ富士行と思われます。
これに乗ると、13:00熱海着 乗換て 13:48伊東着 更に伊豆急に乗り継ぎ 13:55に発車の電車で 14:52に伊豆急下田へ到着なのですが・・・

説得を諦めた杏子の隣にチャッカリ座る千加のシーンに続いて、クモニ83 らしきを先頭に後ろに 113系が続く列車のカットがあります。
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そして伊東駅ホームで乗換待ちなのか立つ二人のバックに、横須賀線色の 113系電車らしきが走り抜けます。当時はその他 80系70系をはじめ153・155・157・159・165系など雑多な国鉄車両が乗り入れていました。

続いて伊豆急 100系の車内を歩く杏子と千加の二人。
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そして海岸沿いを走る 3両編成の 100系電車のカットもあります。この列車は3連なのに、なんと中間車にサシ190形スコールカーが付いています。
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態度の悪い山﨑次郎と乗り合わせた二人は、憤慨しながら下田へ到着します。改札口の上には(祝 開通五周年)の看板が掛り、ロケが 1966年晩秋に行われたことが想像されます。

徐々に下田の町に馴染んでゆく二人でしたが、京子の教え子が失踪したことから杏子と次郎の関係が町の噂となり 次郎は一人町を出て行くことに決めました。
杏子は次郎に付いて行く決意で妹の説得を振り切って、次郎が乗る伊豆急に乗ります。途中 橋の上では千加が見詰めていますが、手を振る杏子には無言で応えません。
乗車しているのは4連の3両目で、2・3両目が共に1・2等合造のサロハ 180形で2等車部分に乗っています。サロハ 180形は3両しかなく、撮影用に組んだのでしょうか。ちなみに杏子達が下田に着いた時も同じ編成でした。
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車内で次郎から町に残るよう諭された杏子は、次の駅で降りることにします。4連の2両目 サロハ 180 から砂利敷きのホームへ降りると、次郎は窓から明るく「バイバイ先生」と言いながら手を振って去り行きました。
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3両目はあのサシ 190形が連結されており、アップで杏子の横を通り過ぎます。定期列車だとすると一日に2往復しか運行されていないので、下田 10:44発か 13:25発の何れかでロケが行われたと思われます。
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私鉄唯一の食堂車であるサシ 190形は 1963年4月サントリーからの贈呈で1両だけ登場し、伊豆急冷房車第一号でもありました。国鉄の嫌がらせとも思われる方針から、伊東線乗り入れが不可となり自社線内のみの運行でした。
しかも普通列車に組み込む形で一日2往復 片道1時間では夏場以外売上は僅かで、数年で休車となり改造され 1974年 サハ 190形 普通車となってしまいました。残念なことに、この車内での飲食シーンはありません。

杏子が次郎と別れ 降りた駅は、蓮台寺ではなく6番ホームであることから伊豆高原駅と思われます。到着時 ホームの後ろ端では交代の車掌が待機していました。
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ホームの巾の半分は砂利敷きで狭く殺風景な印象で、その後の変わり様からは想像できません。またこの映画に映る開業時からの伊豆急 100系電車も、2002年4月引退となり現在ではクモハ 103が復活し、イベント用に残るのみです。

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93. 風立ちぬ

 1954年5月 東京映画、大雅社 提携製作  東宝 配給 公開    監督 島耕二

堀辰雄 原作を製作時の時代背景で映画化したので、少々話は変わっています。伏見節子(久我美子)と坂井弘(石浜朗)は軽井沢でめぐり会います。
胸の病を抱える節子は迎えに来た、画家の父 伏見荘太郎(山村聡)と東京へ帰ることになり ここでこの映画の鉄道シーンが登場します。

先ず 信越本線 沓掛駅(現 中軽井沢駅)へ入線して来る D51 型蒸機牽引の列車が映りますが、ナンバー・客車共に不鮮明で優等列車かどうかも不明です。
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続いて車が沓掛駅と思われる駅舎前に到着し、鞄を持った伏見と節子が降りました。節子は父親が切符を買ってる間 坂井の姿を捜すかの様に、駅前を見回しています。

次に山の斜面で寝転ぶ坂井の姿があります。やがて遥か下の方を汽笛を鳴らしながら列車が通り過ぎて行きます。立ち上がった坂井は、じっと去り行く列車を見詰めています。
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その後 浅間山をバックに D51 501 蒸機らしきが牽引する列車が走り去るシーンがあります。当時 長野区所属で、長野工場式集煙装置装着前のスッキリとした姿で現れます。
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撮影当時 信越本線 沓掛からの上り上野方面は普通列車のみで、2本ある準急列車の高原と白樺は通過でした。夏場から11月10日までのシーズン中は優等列車も停車するようになり、更に翌年からは通年停車となりました。なお沓掛駅は 1956年4月に現在の中軽井沢に改称されています。

軽井沢~上野の所要時間は普通列車で4時間20分程 準急で3時間10分位掛かり、現在 70分程度で走る長野新幹線とは隔世の感があります。

都電 19 系統 東大赤門前停留所近くに立つ医学生 福山良一(池部良)のバックに到着する都電が映るシーンも僅かですがあります。6000形かなと思われ、緑と白のツートンカラー時代の姿です。
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 92. 花と果実

1967年8月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 森永健次郎

原作は石坂洋次郎  淡路島出身の女子大生 村上のぶ子(和泉雅子)と大学生 中畑五郎(杉良太郎)が織り成す、山あり谷ありの青春映画です。

先ずは京王帝都電鉄 調布駅ホームから上り 5000系通勤快速新宿行に乗る、のぶ子の姿を遠距離からズームアップで捉えるカットがあります。
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隣のホームには各停でしょうか、緑色の 2000系らしき車体が見えます。調布駅は昨年地下化され、現在では様子が一変しています。

続いて中畑がこの電車を追い掛ける様にバイクで走る様子を丹念に数カット入れていますが、
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代田橋近くの井ノ頭通りと並走する所らしきでのカットでは 2000系になっています。
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京王の 5000系は 1963年に登場した名車で、1964年のローレル賞を前年の 3000系に続けて同社が受賞しています。1968年製造車から通勤型電車としては日本初の冷房車となりました。

母親の見舞いに帰省した のぶ子が帰る時、父の村上兵三(有島一郎)が新大阪駅で見送るシーンが中盤にあります。
新大阪駅3番ホーム 16:30発 超特急ひかり36号 東京行の横で、のぶ子は父親の 女道楽を攻めたてチャッカリ小遣いをセシメ6号車に乗り込みます。
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当時 超特急ひかり号は 12両編成で、全車指定席 内1等車が2両 半車ビュッフェが2両付いていました。早朝と昼前後以外は毎正時と半に 30分間隔でひかり号が走り、間にこだま号が1本あるスッキリとしたダイヤでした。
中間停車駅も名古屋と京都のみで超特急にふさわしく、値段も新大阪~東京で運賃 1730円+超特急料金が 1600円で所要3時間10分でした。ちなみに こだま号を使うと特急料金は 1300円(自由席は 1200円)で、所要4時間でした。

中畑が既婚者である田川光子(小山明子)の誘惑のノッテしまった後のある日、のぶ子とデート中に京王線の車内で偶然男の子を連れたに光子に会ってしまいます。
のぶ子が男の子を可愛がると光子も「あなた将来きっといい奥さんになるわよ」などと褒め、傍らで聞いている中畑は光子の方を見るわけにもいかずうつむいたままです。
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走行シーンでは 5000系の様でしたが、車内は板張りの床なので かなり前の旧型車でのロケでしょう。

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