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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 91. 女死刑囚の脱獄

1960年3月  新東宝 製作 公開     監督 中川信夫

冤罪から死刑囚となり、投獄された今井京子(高倉みゆき)が脱獄して真犯人に迫るサスペンス映画です。

脱獄に成功した京子は 島明夫(和田桂之助)の協力の元、東京に戻る決心をします。追う警察も当然京子が上京するものと考え、ここからこの映画の鉄道シーンがあります。
盛岡駅の改札前に刑事達が張り込んでいる中、島と京子は裏をかいてバラバラに並んでいます。アベックを想定している刑事達の前を無事京子は改札を通り、14:45 発 上野行の札のあるホームへ向かいます。

地下通路を後ろを気にしながら歩く京子。次のカットでは C50 154 らしき蒸機牽引の列車が入線してくるシーンが映ります。続いて上野行列車が到着したからか、刑事達が階段からホームへ上がって来ました。
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刑事達は列車の後ろから前の方に車内を見ながら移動し、京子と島の姿を捜しています。そして汽笛が鳴り、普通列車上野行はゆっくりと発車して行きます。ここで先頭機関車は 8620型蒸機 68649になっています。
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それでも刑事達はホーム上で二人の姿を捜しています。その時後方から島が走って列車に飛び乗り、これを見た刑事達も加速する列車のデッキに飛び乗りました。
刑事達は車内の捜索を始めます。二等車ではその内の一人が車内を見て歩きます。中央部へ来たとき赤ちゃんを抱いた女性に「失礼ですが、その赤ちゃんは?」と尋ねると「あたしの子です」と答えると行ってしまいます。

島はデッキで刑事に見つかり「何故発車間際に飛び乗ったりしたんだ」と問い詰められますが、適当に誤魔化します。上野行普通列車は順調に東北路を南下している走行シーンも入っています。
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その後不安になった京子が島を捜してデッキで会えますが、刑事が迫り危険なドアの外に隠れて危機一髪というシーンもあります。そして列車は関東に入り、宇都宮駅に到着しました。
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車内で島は刑事の隣に座らされていましたが、その刑事が仲間の刑事の所へ話し掛けに席を立った隙にまんまと走り始めている列車から飛び降りてしまいます。そして駅前広場で京子とおち合うと、タクシーで東京を目指します。
当時の時刻表を見ると 盛岡発 14:45 上野行 212ㇾがありますが、この列車は常磐線経由で上野着も 5:50 と早すぎます。次の 17:35 発 114ㇾですと東北本線をそのまま走り、翌朝 6:48 宇都宮着と映画のシーンと合います。




PS.  盛岡駅から東京への逃避行。テツ映画ファンとしては心踊りますが、{ 51. 黄線地帯 }と同様低予算故に現地ロケは出来ず 監督の遊び心とも思われるシーンがいくつかあります。
まずは盛岡駅でのシーンから。地下通路から階段を上がってホームのシーンはどこかで見た様な駅かなと思えば、ハチロクの発車シーンで架線があります。背景を見ても、両国駅では?と思われます。

更にハチロクの所属標が(岩)ですから、新小岩機関区所属の 68649 です。ホームの駅名板等を盛岡に替えての撮影は得意技でしたね。ホーム屋根を支える梁は特徴ある形で、宇都宮駅ホームのシーンでも見られます。
京子がホームへの地下通路を歩いている時、C50 154 が入線して来ますが、このシーンでは架線がありませんしホームの雰囲気が違います。当時このカマが小山区にいたことから、水戸線か両毛線での別撮りと思われます。

盛岡まで東北本線が電化されたのが1965年10月ですから、何故架線が映らない様に撮影しなかったのでしょうか。加えて盛岡発車直後、電化区間で 80系電車とのすれ違いシーンをあえて入れた監督の真意は如何に?!
ちなみにその後大分経ってから、本来の C60型らしき蒸機牽引の走行シーンが入っています。それでいて何故か宇都宮での発車シーンでは、D51 型らしき蒸機の動輪が加速してゆくカットを入れています。

1958年春には宇都宮まで電化されてますので、宇都宮駅ホームの場面で架線があるのは当然なのですが・・・ 当時東北と東京を結ぶ列車の主流は常磐線経由でしたが、上野口でも1961年6月の勝田電化まで蒸機列車が主流でしたので混同したのでしょうか。
小生が思うには、やはり監督の遊び心から編集段階でもあえてこの様なシーンを入れて作られたと思われます。

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90. 黒い海峡

1964年12月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 江崎実生

ヤクザ組織の幹部 槇明夫(石原裕次郎)は組の為 懸命に働くが、親分の裏切りに遭い ヤクザ社会の嫌なカラクリを思い知らされる映画です。

組織を裏切った兄弟分の大貫哲次(中谷一郎)を追って神戸へ向かった槇は、大貫の女 香山知佐子(吉行和子)をつけて哲次を見付けようとします。
鉄道シーンとしては、先ず開通したばかりの0系新幹線の走行シーンが映り 関西行をアピール。
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続いて神戸市電をバックに、靴磨きを受けながら知佐子を見張る槇の姿が。

阪急神戸駅(現 神戸三宮駅)では知佐子を追い掛け、上りエスカレーターの左側を駆け上がります。関西ではこんな前から右側一列で乗り、左側は駆け上がる人用だったのでしょうか。
ホームへ上がると、知佐子が乗った阪急電車 2000系の2019に発車ギリギリで飛び乗りました。
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そして 1995年の阪神大震災で損壊してしまう駅ビル(神戸阪急ビル東館)から梅田方面へと出発して行く姿が映ります。
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次に知佐子は走行中の車内を前方へと移動し 大貫を見付けると、「槇さんが神戸に来ている」と告げました。つけられてることは分っている割には悠長な言葉の様ですが・・・
そして槇は遂に大貫を見付け 迫りますが、800系電車805を先頭で六甲駅に到着。大貫は一人でホームへ飛び降り、槇も後を追い掛けます。大貫は出口へ向かうと見せかけ向かいのホームを走り、発車寸前の元の電車に飛び乗ります。

追い駆けていた槇も再び元の電車に乗ろうとしますが、寸前でドアが閉まりホームに取り残されてしまいます。加速してゆく車内では大貫と知佐子がチャッカリ寄り添い、槇の前を通り過ぎて行きます。
六甲駅を去り行く電車のカットで、この列車最後部が 1950年製造 800系の 855であることが分かります。
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800系の中でも非貫通型で、この後本線から支線へと活躍の場を移し、1979年まで走りました。

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 89. ホープさん サラリーマン虎の巻

1951年10月 東宝 製作 公開    監督 山本嘉次郎

風間京太(小林桂樹)のサラリーマンとしてスタートをきってからの奮闘する姿を描いた喜劇映画です。

大学野球部出身として昭和鉱業へ入社するこができた風間は、会社対抗試合で活躍したことから注目され 秋庭社長のお供で新潟へ出張することになりました。
ところが風間が弁当を忘れたことから、何も食べることが出来ない社長を苛立たせてしまいます。更に急行列車二等車内で公職追放となった吉川前社長(小川虎之助)に会い、社長は驚き恐縮してしまいます。
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吉川は優雅に釣りをしに来ていて、途中の水上で降ります。社長と共に見送りに風間もホームに降りて挨拶します。左手には乗ってきたスロハ31 二三等合造車が映っています。
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最後にお辞儀している時、後ろから「弁当~ え~弁当」と駅弁売りの声が聞こえてきました。社長はお辞儀をしながら後ろの風間に手で合図を送り、やや遅れて気付いた風間は買いに向かいます。

駅弁を買いに来た風間に駅弁売りは「外食券は?」と聞き
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風間がポケットを探っていると後方へ歩いて行ってしまいます。焦って体中のポケットを探っていると、遂に折り畳んだ外食券が見つかります。
この時後ろの三等車が映り、オハ 60形と読めます。風間は全速で追い掛け、ホームの端で休憩している駅弁屋に追いつきます。お金を渡すと、「細かいの無いの」に対し「つりはいらない」と風間。
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「つりを出さないと駅長さんに営業停止になってしまう」とゆっくりと一枚づつつり銭のお札を渡します。この時 電気機関車の汽笛が鳴り、列車はゆっくりと動き出しました。
その姿を見た風間は駅弁屋から弁当を一つ取ると、「待ってくれー」と叫びながら追い掛けます。そしてもう少しで追い付くというところで、駅員に止められてしまいました。

加速する列車の二等車部分のデッキには秋庭社長が立って、ホームの風間の方を見ています。先頭の電機に続いて荷物車、その次に秋庭の乗る二三等合造車が連結されています。
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ホームでは今だ両脇を駅員に抑えられた風間が弁当の包みを振りながら、悲しい声で「社長~」と叫んで喜劇らしさを盛り上げています。

さてこの列車は、当時日中唯一走っていた下り急行 701ㇾ新潟行と思われます。上野 10:20発 東北本線・高崎線・上越線・信越本線と走り、終着新潟には 17:10の到着でした。
この急行列車にはまだ名前がついていない時代で、後に急行 越路となりました。なお水上駅は昼食時間帯の 13:32発で、牽引機は判別不能ですがEF 13 電機あたりでしょうか。
また スロハ 31 二三等合造車は 1930年~1932年に23両製造され、定員は二等36人 三等40人でその境目である車両の中程にトイレがある変わった構造でした。

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 88. 喜劇 怪談旅行

1972年6月 松竹 製作 公開   カラー作品    監督 瀬川昌治

大和田信平(フランキー堺)が鯨の町として有名な紀勢本線 太地駅長として赴任してからのドタバタコメディ映画で、旅行シリーズ 10本目として製作されました。

冒頭 南紀の海沿いを走るキハ58系急行列車が数カット映り、有名な撮影地である古座~紀伊田原の海岸沿を走るカットもあります。続いて車掌室のドアをノックする音で、近藤車掌(ケーシー高峰)が出てきます。
しかし誰もいないので戻ると再びノックの音がして出ると、向かいの洗面所のカーテンが開き大和田が現れました。そして「本日付けで太地駅長になります大和田信平です」と挨拶し、近藤に名刺を渡しました。

次に急行列車が高台から太地駅に進入して来ました。
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ホームでは坂口大介(森田健作)駅員と同僚が出迎え、大和田を捜している様子。映っているのはキハ58 219です。
築堤上に一面一線の単式ホームがカーブしている曲線途上にある駅で、停車する急行は下りきのくに号が13本中 定期は朝(6:46)のきのくに2号のみで上りも定期はきのくに11号(21:33)だけです。
映っているのは上り列車ですから時間帯からして、天王寺 7:28発臨時急行列車 きのくに1号(12:01) 新宮行であろうと思われます。他に下り臨時急行きのくに12号が停車で、殆どの優等列車は通過して行きます。

そして堅物の大和田駅長がホームでキハ82系 特急くろしお号の通過確認するシーンがあります。新宮方から下り特急くろしおが現れ、
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50km位の速度で通過した時「後部ヨシ!」と指差呼称しました。
特急くろしお号は 1965年3月より名古屋~天王寺でブルドック顔のキハ80系DCで運転開始し、撮影時はキハ82系で新宮~天王寺を5往復(1本は名古屋~新宮)で全車指定・食堂車付と威厳がありました。

それから下り和歌山方面行の急行列車が通過するシーンがあります。きのくに号の他にしらはま1号・紀州1号もありますから特定はできません。
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更にDF50 37(亀山区)が牽く貨物列車の通過シーンや
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DF50 5が牽く貨物列車の低速走行シーンもあります。
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DF50 ディーゼル機関車は国鉄初の量産型DLで、紀勢本線無煙化の為 SG搭載なので旅客・貨物両用に活躍 この当時は寝台特急紀伊(東京~紀伊勝浦)も牽引していました。
1978年に紀勢本線(和歌山~新宮)が電化されましたが、この映画のロケ地となった太地駅は利用客の減少から 1985年無人化され 現在では下り列車で普通列車 10本・特急くろしお 5本が停車と優等列車はかえって増えています。

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