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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 87. 姉妹(きょうだい)

 中央映画 製作 1955年4月 独立映画 配給 公開 

優しく落ち着いた性格の姉 近藤圭子(野添ひとみ)と天真爛漫で現実主義の妹 近藤俊子(中原ひとみ)の日常を描いた映画です。

父親が山奥の発電所に勤務しているので、通学の為親元を離れ最寄りの駅へ来たときに最初の鉄道シーンがあります。二人が口喧嘩している小雨の中、列車が近付いて来ました。
先頭で牽引するのは、D51 852蒸機です。ロケ当時 甲府区所属でしたので、中央本線 甲府以西での撮影とおもわれます。
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二人が暮らす伯母さんの家は松林市となっていますが、市内の様子から松本市と思われます。やがて姉が卒業し、俊子は寄宿舎へ入ることになります。
俊子の修学旅行が近付いた頃 父親は首切りにあった従業員の手前 俊子に参加を諦めさせますが、俊子は堪えて受け入れました。

修学旅行の日 長野工場式集煙装置付 D51 708蒸機(松本区)牽引の列車がタブレットの授受をしながら俊子の実家最寄駅へ着き、一人俊子が降りました。
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「コンチが行かなくてはつまらないわ」と窓から一人が声を掛けます。
この声に同意するこえがあちこちから掛り、俊子は笑顔を返します。「コンチお土産待ってらっしゃいね」の声に「行ってらっしゃい」と笑顔で手を振る俊子。

汽笛が鳴り、次のカットでは初期製造のナメクジ型 D51 91蒸機(上諏訪区)が盛大に煙を噴き上げ発進します。
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車窓から皆 ハンカチを振ったり紙吹雪を飛ばしたり、賑やかに去って行きました。
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列車が行ってしまい、静寂に包まれたホームに敏子は残って感慨にふけっている様子です。続いてロングに引いたショットでは、寂しそうに歩き出した俊子の横に(おざわ)の駅名標が有り 遠く去り行く微かな汽笛の音が・・・
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当時国鉄におざわ駅は無く(函館本線の小沢駅は こざわ です)日立電鉄に小沢(おざわ)駅がありましたが勿論違います。架空駅へと駅名標を変えての撮影と思われますが、何処の駅か不明です。
背後の雪を頂く山脈が南アルプスだとすると中央本線 甲府~塩尻の何れかの交換駅と思われ、ご存じの方は教えて頂きたいと願っております。
 

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 86. 夜の流れ

1960年7月  東宝 製作 公開   カラー作品    監督 成瀬巳喜男・川島雄三

料亭の雇われ女将 藤村綾(山田五十鈴)を中心とした三角関係の話と、芸者置屋「七福」の芸妓 一花こと野崎政江(草笛光子)を核とした三角関係を二人の監督が別々に撮った珍しいW監督映画です。

芸妓の政江は呉服屋の店員 滝口速太(宝田明)と付き合うが、若い女と駆け落ちした夫 野崎(北村和夫)が舞い戻って来て付きまとい 嫌がらせをします。そこで滝口は野崎に手切れ金を渡し、離婚届に判を押させました。
鉄道シーンはここからで、南武線 尻手駅1番線からクハ16形らしき川崎行電車が出発して行きます。
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向かいの立川方面行2番線ホームには決着がついた三人が現れ、和やかに立話しをしています。

野崎は「これでボクもサッパリしました」などと言いつつ、滝口に煙草をネダったりします。
野崎は二人に「ここ空いてますよ」とベンチを勧めますが滝口は断り、86-22.jpg

政江を残して夕刊を買いに売店へ向かいました。
滝口はホーム前方の売店へ行くと、2部夕刊紙を手に取り代金を支払います。
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その時川崎方からクハ12形らしきを先頭に立川方面行電車が近付いてきました。後ろはクモハ11形でしょうか。

「あなた~電車来たわよ」と政江が甘い声で滝口を呼ぶと、突然 野崎が近寄り「政江 ボクと死んでくれ」と手を掴みます。「いゃ~!」と政江は振りほどこうとしますが、野崎の力には敵いません。
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電車が近付き警笛を鳴らす中 お釣りの受け取りに手間取った滝口が漸く駆け付けますが、野崎に突き飛ばされます。そして政江の手を掴んで野崎は、遂にホームから飛び込んで無理心中してしまいました。

撮影時の南武線は省電時代からの17m級 旧型国電が活躍、旧型国電の代名詞 72系電車が山手線などから移って来るのはこの 3年後のことです。3番線から出ていた尻手~浜川崎の支線では 1980年まで走っていました。
余談ですが滝口が夕刊を買いに来たホームの売店で 売り手の背後に今は無き週刊読売スポーツの宣伝札が貼ってあり、( 巌流島の対決 )と書いてあります。
これは 1956年から3年連続日本シリーズ( 西鉄対巨人 )で対決し、この年から6年連続最下位大洋の監督となっていきなり優勝した三原修と巨人監督 水原茂の対決再来を指しているものと思います。

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 85.運ちゃん物語

1956年11月 大映 製作 公開    監督 天野信

大阪で人のいいタクシー運転手として働く、秋田源伍(堺駿二)の素朴な人情劇映画です。

昼番の運転手 秋田(通称 源さん)は同じ車を夜番で使う女運転手 真山波江(春風すみれ)が起こした事故の身代わりに名乗り出たが、ひょんなことから礼金を受け取ることとなったのです。
ある日大阪駅で軍隊時代の司令官 小牧元将軍(見明凡太郎)を乗せ、バレリーナをしている一人娘のことを聞きました。同僚の佐竹(伊達三郎)が熱を入れてるレビューの踊り子ではと捜すと 小牧みどり(浦路洋子)でした。

源さんは小牧元将軍が九州へ帰る前に娘に一目会ってもらおうと波江と計り、みどりをバレリーナに扮装させ大阪駅へ駆け付けたのでした。大阪駅改札前のパタパタに 22:25発 急行きり島 2・3等鹿児島行と表示が出ます。
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小牧元将軍は後ろを振り返りながら改札を入り3番線への通路を歩いて行きます。遅れて源さん達3人が改札を通り、急行きりしまが停車中の3番線へと急ぎ足で向かいます。
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小牧元将軍が3番線への上り階段を数段上がったところで追い付きました。「閣下お嬢さんをお連れしました」と源さん。「おとうさん!」バレリーナ姿のみどりは父親に走り寄り、抱きつきました。
「閣下どうです お嬢さんの晴れ姿 来月はいよいよ東京公演だそうです」と源さんが持ち上げます。そして みどりが閣下へと貯金したお金だと伝えて、礼金の包を小牧に渡しました。

その時 きりしま号の発車のベルが鳴り始め、一同は3番ホームへと急いで上がりました。3等車のデッキに乗った小牧は源さんに「秋田君 これをみどりに渡してほしい」と包を託します。事情を察知していたのでした。
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みどりは父に近寄り「お父様 必ず立派なバレリーナになってお迎えに参ります」と告げました。やがて汽笛が鳴り響き、汽車はゆっくり動き出しました。小牧は頷き 手を振り、遠去かって行ったのでした。
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スハフ42 の最後部にも客があふれ、夜行急行きりしまの混雑ぶりを表しています。ホームには駅員3人が列車の姿が見えなくなるまで見送っているかの様です。
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急行きりしまは 1950年11月より東京~鹿児島で走り始め、撮影時は東京 12:35発の35ㇾで22:16大阪着 22:25発ですから9分停車です。それ故 階段で話をしたり、ホームでゆっくり別れの挨拶が出来たのです。

そして終着 鹿児島(西鹿児島ではなく鹿児島本線の終着駅)には翌日 18:18の到着です。大阪発車時は13両編成で、1,2号車が2等寝台車 3,5号車が特別2等車 4号車が普通2等車6号車は3等寝台車 7号車は食堂車 8~13号車が3等車でした。
つまり きりしま号は食堂車を挟んで前半が特別車両という第一級の急行列車でした。2等寝台車は高嶺の花で大阪~博多で3等車が1320円なのに、1号車2等A室下段が一番高く5920円(運賃+料金)と4倍以上の高額でした。

一番安い2号車2等寝台C室上段でも 4360円です。これでも前年1955年7月より1号車は1等寝台が2等A,B 室へ格下げされ、マイネ40形1等寝台特別室下段 9440円 → マロネ40形 2等寝台A室下段 5920円と値下げされたのでした。
これは航空路線が充実してきて大阪~福岡が1954年 所要2時間で 5520円 1956年 6300円と高級客ではライバルとなったからで、きりしまの乗車率は 1等寝台で25%から値下げ後も35%と微増 2号車ロネは値段変わらず70%程でした。

庶民用3等車は常に満席でしたが、この年待望の3等寝台車が復活。切符さえ手に入れれば指定席の寝台で寝て行け、上段なら同区間が 2040円と2等寝台車最安の C室上段の半値以下でした。
しかし復員直後で懐の寂しい小牧元将軍にとっては普通3等車以外の選択肢はなかったのでしょう。こうして父親との仲を取り持ち、みどりの後ろ盾となった源さんと波江の仲もいつしか近付いたのでした。



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84. 海の情事に賭けろ

1960年9月 日活 製作 公開  カラー作品    監督 野口博志

赤木圭一郎が学生の栗谷剛一とヤクザ組織の幹部 加東勇二の一人二役で演じ、大活躍のサスペンス・アクション映画です。

栗谷は人違いから殺し屋の村川一(深江章喜)に襲われ負傷する。後日新聞に名前は加東勇二と違うが、殺人事件の被害者として自分の写真が載ったことから真相に迫ろうとして新宿の水野組へ近付きました。
加東に成りすまし潜入するも見付かるが、加東の情婦 河村百合子(南田洋子)に人違いだと助けられます。栗谷の下宿先へ百合子を呼びますが、加東から連絡が来ていた百合子は早朝 姿を消したのでした。

4時15分の時計が映った後、朝まだきの両国駅舎前に現れた百合子の姿があります。
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続いて房総西線(現 内房線)を走るキハ17形を先頭とした3連DC列車が現れます。
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車内では海側の席に百合子が座っています。前方の席には百合子が向かうであろう加東を付け狙う村川が座り、百合子が何処で降りるか様子を窺っています。何故か初秋の割に車両の窓は閉められています。

並走する道路には百合子に出し抜かれた栗谷がタクシーに乗る姿が・・・しかし百合子を追うのではなく、双子の片割れと思われる加東のことを実家の母親へ聞きに行くのでありました。
やがて那古船形駅の改札から百合子が出て来ました。嬉しいことに右側の売店らしきが無い以外現在とあまり変わりない木造駅舎です。バックでは乗って来たDC3連列車が発車して行きます。
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百合子はえらく早朝に両国駅へ来ましたが 当時のダイヤでは両国始発の房総西線直通列車があるのではなく、御茶の水始発の国電に4:42 両国から乗ったと思われ 千葉に 5:31 に着きます。
5:38 千葉発の 117ㇾDC列車に乗り継ぎ、7:53 那古船形に到着します。随分所要時間が掛る様ですが、現在のダイヤでも両国 4:58→5:44千葉5:46→7:58那古船形と電化されたのに殆ど同じなのには驚きです。

これは1954年に早くも1往復以外の全列車がDC化され長く{気動車王国の千葉}と言われロケ時もそれなりに速達化されてた点と、1971年7月の全線電化以後未だに君津以南が単線で昔と同じく待ち合わせが多いからなのです。
この朝の上り館山発 両国行と夕方の下り両国発館山行の名物蒸機牽引列車も、1969年7月の木更津~千倉の電化に合わせて廃止されました。そして1972年房総西線は現在の内房線に改称されました。

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83. わかれ雲

1951年11月 新東宝 配給 公開  スタジオ8 製作    監督 五所平之助

母親の死後 家に継母がきたことから心が捻じ曲がった藤村眞砂子(沢村契恵子)が、家族と離れて暮らすことから世間が見える様になり 成長し 立ち直る姿を見せる映画です。

鉄道シーンは最初と最後にあります。冒頭 D51 蒸機が牽く夜行列車が夜明けを迎える場面から始まります。やがて列車は中央本線 小淵沢駅に到着します
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構内放送が「小淵沢~ 小海線乗換 小海線は時間がありますので駅の待合室でお待ちください」と告げています。眞佐子たち女子大生5人組はホームに降り立ち背伸びなんぞをしています。
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この列車は新宿 23:55 発 419ㇾ長野行普通列車と思われ、小淵沢には翌朝 5:33 の到着です。しかし接続の小海線は始発が 7:12 とかなり待つことになります。
5人は八ヶ岳を眺めて感激する者・ホームの水飲み場で美味しそうに飲んでる者・向かいの小海線ホームに停まっている客車を見て、「まークラシカルな汽車!」と言う者 それぞれです。
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やがて小海線の発車時刻が迫り、駅の外で過ごしていた五人が改札へと急ぎ足で向かっていると、眞佐子が改札前で倒れ込んでしまい一同は小海線の汽車に乗れなくなってしまいました。
眞佐子は軽い肺炎に罹り、駅で世話になった山田館のおせん(川崎弘子)の元で皆と別れ療養します。快方に向かった後も継母の迎えを断り、南医師(沼田曜一)を手伝い おせんの元で暮らします。

そして父親である藤村良平(三津田健)が出張の帰り道に迎えに来た時、眞佐子は見違える程明るく 素直になり 一回り大人の女性に成長した姿を父に見せたのでした。
いよいよ小淵沢を離れる日 別れの場面で後半の鉄道シーンがあります。駅弁の立売がいるホームでは眞佐子と父 おせん 南医師が上り新宿行を待っています。

案内放送の後 D51 蒸気機関車重連牽引の新宿行普通列車が到着します。先頭は上諏訪区のD51 174です。
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眞佐子と父は3両目の2等車に乗車し、窓から顔を出して別れの言葉を交わしています。
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やがて汽笛が鳴り響き、
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列車はゆっくりと動き出し お互い別れを惜しむ中小淵沢駅ホームを離れ加速して行くのでした。知り合いになった町の人々も沿線から見送っています。

当時のダイヤでは昼間の上りは1本準急列車がありますが小淵沢は通過です。新宿直通の普通列車は5本で、この内2等車連結は2本しかありません。
松本 6:00 発の 412ㇾが小淵沢 8:46 塩尻 11:26 発の424ㇾが 13:27 の2本ですが、8:46 の412ㇾに乗車したと思われます。そしてこの列車は 13:36 に新宿到着です。

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