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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 73. 風と樹と空と

1964年7月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 松尾昭典

石坂洋二郎の同名小説が原作で、集団就職の一員として同級生と上京した沢田多喜子( 吉永小百合 )がお手伝いさんとして成長する姿や仲間との交流 別れを描いた青春映画です。

鉄道シーンは冒頭 津軽太田駅(架空駅)73-1.jpg
から両親に見送られ、発車寸前の汽車に乗り込むシーンがあります。切符も買わず強引に改札を抜け、最後部がスユニ60 郵便荷物合造車なので73-2.jpg
仲間のいる先頭の客車に乗り込みます。73-3.jpg

サボは大館行の標示です。多喜子の同級生達は先頭車両の前方に乗っていて見送りを受けています。次のカットでは D51 機関車の上部がアップで映ります。砂箱と蒸気溜を覆うドームがカマボコ形の戦時型ですね。73-4.jpg


その後車内でのシーンがありますが、背ずりがクッション無しの木製なので古いオハ61形あたりの様です。大館行といえば奥羽本線と花輪線下り列車がありますが、花輪線大館行客車列車は早朝2本のみで津軽地区でもないので圏外ですね。
話しの後半で仲間の手塚新二郎( 浜田光夫 )が帰郷時に東北本線経由青森行を使ったので、多喜子らが乗車した津軽太田駅(架空駅)は奥羽本線青森~弘前の設定であろうと思われます。

津軽地区から上京する際、当時は上野直行の急行津軽を使うのが定番でした。多喜子らは大館行に乗り、急行に乗り換えた様なので当時の時刻表を見ると上り大館行普通列車は青森 17:32 発の 626ㇾだけです。
この列車に途中駅から乗ると、18:32 に弘前到着です。ここで 18:49 発の急行津軽に乗り換え、翌朝 9:29 上野に着きます。この様な設定をしたのでしょうが、時間帯が合わないのとロケ地の関係から架空駅としたのでしょう。

EF級電気機関車に牽かれる走行シーンの後、上野駅に到着直前のシーンがあります。73-6.jpg
近くの両大師橋からの撮影と思われますが、キハ58系DCなどが停車する当時の上野駅地平ホームの様子がわかります。
続いて上野駅ホームでの下車シーンがあり、アフレコと思われる「青森からの急行列車津軽号 11番線に到着しました」と聞こえます。多喜子は4号車から降り、隣の3号車も2等車です。

この頃の上野駅発着客車急行は殆ど3号車がロザか寝台車であり、津軽も3号車が自由席1等車 4号車が2等寝台車でした。混雑度の高い急行津軽で撮影すれば混乱するので他で代用したと思われます。
それに該当するのが、上野 11:25 発の1401ㇾ臨時急行第2ざおう・ばんだいです。この列車は第1,3が定期 DC急行なのに臨時PC急行と人気薄で11番線入線が 10:57 と早く、エキストラと共に入線時に手早く撮影したのではと思われます。

仲間の手塚が帰郷する知らせを聞いた多喜子が、上野駅へ駆け付けるシーンが後半にあります。広小路口の方から駆け込んだ多喜子は中央改札の駅員に「青森行の北斗出ましたか」と聞き、「出ちゃった」の答えにガッカリします。
改札上に発車案内板がズラリと並ぶ様子を更に上から撮影しています。73-7.jpg
22:00発上越線回り普通列車秋田行(到着は翌日15:43) 22:30発急行越後 新潟行・・・案内板自体が懐かしいですね。

多喜子は列車のいないホームを涙顔でトボトボ歩き、手塚に詫びている様子です。傍らには積み終わったのか空の台車を押す赤帽さんがいます。隣の線には湘南カラーの 115系電車が留置されています。73-8.jpg

次に急行北斗ハザに乗る手塚の車内シーンがありますが、セット撮影です。急行北斗は1950年登場以来上野~青森を結ぶ夜行急行の代表格で、撮影時には全車寝台の急行となり2等車は連結されていませんでした。
脚本家の方には夜行青森行といえば、急行北斗 夜行列車といえばハザとの思い入れが強かったのだと思われます。もちろん映画の中で1964年の話とは出てきません。

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72. 南郷次郎探偵帳 影なき殺人者

1961年4月 新東宝 製作 公開     監督 石川義寛

弁護士ながら私立探偵もどきの捜査で、麻薬事件の黒幕に迫る南郷次郎( 天知茂 )の活躍を描くアクション映画です。

麻薬界の大物 神崎( 晴海勇三 )が殺され、弁護担当の南郷は情婦の東野文江( 吉田昌代 )からの急を告げる電話で駆け付けるも既に殺されていた。
文江が遺した鍵から麻薬の入った鞄と小田急ロマンスカーの切符を手に入れた南郷は、事件の黒幕に迫るべく鞄を持ってその列車に乗ることにします。

ここから鉄道シーンが有り、まず多摩川の鉄橋を渡る 3000形SE ロマンスカーが映ります。続いて車内のシーン 南郷は鞄を網棚へ上げ、座っていると怪しい男が鞄を見ていたが関係無かった。
日東紅茶走る喫茶室の喫茶ガールが白い三角巾を被って飲み物を届ける姿も映っています。72-1.jpg
前から2列目に座るサングラスの女は南郷の方をチラチラ見てこれも怪しい感じです。

その後見知らぬ若い男が隣に座り、南郷が置いた鞄の横に似たような鞄を置いた。文江に鞄を託された様に装った南郷は、事情を承知している風に調子を合わせた。
次に高速でカーブを走り抜ける 3000形SE 8連の場面があります。72-2.jpg
場所は渋沢~新松田でしょうか。

そして終点箱根湯本駅に 3000形SE が到着します。列車名は湯坂とあります。72-8.jpg
この列車は新宿 14:21 発2503ㇾ週末準特急 湯坂で料金は特急が 150円なのに対して 100円です。
所要時間は特急80分に対して98分と急行同等で、停車駅は小田原のみと良く分からない列車です。この当時は特急ごとに名前が付けられていたので、箱根湯本到着時刻は 15:59です。

次の場面では、車内で南郷が持ち込んだ鞄と取り換えた若い男と箱根湯本駅の改札を出る南郷ら二人を先に降りたサングラスの女が見張っている姿があります。72-6.jpg

3000形SE は改装前の初期の姿で映っていて、車内でのカットや喫茶ガールも登場するなど当時のロマンスカーの様子が良く分かる貴重なシーンであると思われます。

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 71. 太平洋のかつぎ屋

1961年1月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 松尾昭典

冤罪によって日新航空パイロットの職を失った立花哲次( 小林旭 )が、パシフィックポーターズ社でパイロットに復帰し冤罪も晴らす迄を描いた航空アクション映画です。

失業した立花を母校 航空大学校長の品田恭太郎(二本木寛)が教官として呼んでくれました。しかし禁を破って空を飛んだ立花はクビとなり、東京へ舞い戻ることになります。
この映画唯一の鉄道シーンが、宮崎駅で一日一本しかない東京直通急行 高千穂号に乗る立花を品田の娘 品田典子(浅丘ルリ子)が見送る場面であります。

まずホームの駅名板が映り、
71-1.jpg
2番線に急行 高千穂号が立花と典子が並んで歩く中を DF50 555を先頭に71-2.jpg
次位に C55 の補機を従えて入線してきました。71-3.jpg

本来は DF50 の単独牽引のはずですが、調子が悪いので C55 を助っ人に繋いでいるのでしょうか? 。高千穂は宮崎で8分停車し、3等車2両を増結します。

別れ際 立花は「もっと悲しそうな顔をするかと思ったぜ」と言うのに典子は「思うことをやれる。こんな幸せな人をどうして悲しい顔で送らなきゃならないの」と笑顔です。71-4.jpg

そして典子が手を振る中、高千穂は加速して行きます。跨線橋の階段下には売店が有り、その横に雑誌や新聞を売る台車が有ります。高架駅となった現状からは想像できません。

急行高千穂は 1951年11月より宮崎県から初の東京直通急行たかちほ として、熊本行の急行と併結列車として東京~都城で運転開始。
1956年11月からは単独列車となり東京~西鹿児島(日豊本線経由)を走破する急行高千穂となり、所要31時間28分の国内最長距離運転列車として新幹線博多開業まで走りました。

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70. 非行少女

1963年3月 日活 製作 公開    監督 浦山桐郎

東京で仕事がうまくいかず 故郷 金沢に戻った21歳の沢田三郎( 浜田光夫 )と生き方が不器用で、少々グレた15歳の北若枝( 和泉雅子 )の純愛映画です。

鉄道シーンとしてまず北陸鉄道金沢市内線3番の電車で、沢田が職安へ行くシーンがあります。映っているのはモハ2200形でしょうか。次に幼馴染の若枝に偶然会った沢田は共に北陸鉄道浅野川線に乗り河北潟(架空)駅で降りました。
この駅は粟ヶ崎駅かと思われます。この電車は1961年に新製された、内灘行き単行のモハ3501 です。またこの車内では案内が車掌の肉声で行われています。なお河北潟とはこの地にある大きな湖です。

若枝は失火事件を起こしたことから更生施設に入り、父親が行方不明になる。その父親が山梨県の勤務先でケガをした知らせが施設に入り、若枝は先生に連れられ行くことになります。
北陸本線複線非電化区間でしょうか、C57牽引の列車が映った後2両編成の電車が映ります。山梨といえば富士急ですが、もしや7030系かな と思われます。帰り道の列車内のシーンはセット撮影と思われます。

やがて若枝は沢田に告げずに大阪へ働きに行くことにします。旅立ちの日 河北潟駅(粟ヶ崎駅)で父親に見送られるシーンがあります。到着したのは1962年製の最新型モハ3551です。
涙も無く父親と別れた若枝は、大野川橋梁の真ん中で因縁の赤いハイヒールを窓から川へ捨ててしまいます。70-1.jpg
一方 人伝に若枝の大阪行を聞いた沢田は、オート三輪で金沢駅へ送ってもらいます。

金沢駅構内には、14:16発名古屋行 循環準急こがね号と14:24発普通列車 大阪行の案内放送が流れています。循環準急とはその名の通り、名古屋9:30発で米原ー金沢ー富山ー高山ー名古屋と一周して20:10に元に戻る列車です。 こがね号と反対廻りの循環準急 しろがね号もありました。
改札口で若枝に追いついた沢田は、構内食堂で必死に説得しますが若枝の決意が変わらないので大阪行の発車案内放送が流れる中 若枝の手を引き乗り場へ急ぎます。

地下通路を走る中 発車の汽笛が聞こえてきます。階段を上がりホームへ出ますが、動き出した列車の最後尾のオハ61客車の後ろのデッキに飛び乗ることができました。アフレコと思われますが、次の停車駅が加賀笠間と放送しています。
沢田は次の停車駅まで同乗し、3年間の別れを告げます。金沢の隣駅 本当は西金沢ー松任ー加賀笠間と続きます。途中の走行シーンはC5734が牽き、加賀笠間駅ではC5717で共に金沢区の所属です。70-2.jpg


加賀笠間駅で沢田は降り、いよいよ別れのシーンです。固い握手を交わし、汽笛が鳴ると若枝は機関車の方を振り向きます。列車が動き出し、若枝は「三郎さん」と叫ぶのみで言葉が出ません。
汽車が走り去り、沢田は一人加賀笠間駅のホームに残り煙草を吹かし余韻に浸っている様です。一方 涙の別れが終わり若枝は車内の席に座ると、キャラメルを食べ大阪での新生活を夢見てか明るい表情に変わっています。

走行シーンでは全て架線が張られて電化工事完成直前の様子ですが、福井~金沢が電化されたのが1963年4月ですから正に電化直前だったのです。
浦山監督はラストの別れのシーンで是非とも蒸機列車を入れたかった様で、後年 主演の和泉雅子さんの思い出として金沢駅食堂での撮影の後 少なくなった蒸機列車が来るまで待ち時間が大変長かったそうです。

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