日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 69. 男が命を賭ける時

1959年12月 日活 製作 公開    カラー作品    監督 松尾昭典

医者である小室丈太郎( 石原裕次郎 )が殺人事件に巻き込まれながらも、被害者の息子である医大生 谷口雅夫( 川地民夫 )と組んで活躍するアクション映画です。

鉄道シーンの最初はEF13 30 電機がマヌ34 暖房車+3等車+2等車と従えて、颯爽と右から左へ駆け抜けて行きます。69-1.jpg

この電機は当時 甲府機関区所属でしたので、新宿~甲府を準急 穂高か白馬を牽く姿を映したものと思われます。中央本線は戦前に甲府まで電化されたので、SG非搭載の電機が配置され暖房車が活躍していました。

小室の幼馴染である手納順一( 二谷英明 )が湯沢俊二( 神山繁 )に追われ、新潟にいる姉の元へ逃げた。小室と雅夫は手納を助けるべく動いたが、手納が乗るかもしれない新潟行きの準急列車は出た後で間に合わなかった。
30分後に出る新潟行きの急行列車に二人は乗り込み車内を見まわしたが、手納 湯沢の姿は無く「手納は30分前の準急に乗ったんだ。この列車同様混んでる筈だから、湯沢も車内では手を出さないだろう。」と自分に言い聞かせます。

二人は車内が混んでいるので、デッキに居ることにします。そして車掌が周って来たので、新潟への到着時刻を尋ねます。「明朝 10:45 です」「前の準急より先に着きますね」と小室「そうですね」と車掌は言い、行こうとします。69-3.jpg

しかし一歩踏み出した所で立ち止まり、手持ちの時刻表を開きジッと見ると「たいへん失礼しました。準急の方が4分早く着きます」 「こっちは急行なのに追い付けないのか」と雅夫が言い寄ります。
すかさず車掌は「そんなこと言ったって上野発が遅いんだから」と言い、デッキのドアを開けて車内に入って行きました。

続く場面は新潟駅3番ホーム。DF50 540 内燃機に牽かれた急行列車らしきが入ってきます。69-2.jpg
停止を待たずにナハ10 らしき3等車から小室と雅夫が飛び降り、隣の4番ホームに停まってる列車を見て「あれに乗ってきたんだな」
二人は猟銃を担いで跨線橋の階段を駆け上がります。その時駅前からタクシーが発進して行きます。そのあと二人が臨時改札口らしきから急いで出てきた時には、手納の姿は既にありませんでした。

撮影当時 上野~新潟の直通優等列車は4本 普通列車5本です(信越本線経由を含む)。本編にあるような夜行優等列車が間隔30分で続行なんてことがあるのかな? あるんです が・・・
22:30 709ㇾ準急 越後 新潟行(上越線経由) 続く 23:00 309ㇾ準急 妙高 新潟行(信越本線経由)と確かに間隔30分で続行していますが、越後の新潟到着が 5:56 なのに妙高の新潟到着は信越本線経由なので 10:34 です。
本編で小室が乗る急行の新潟到着が 10:35 なのでほぼ準急 妙高と重なります。一方 手納が乗る準急の様に新潟着 10:31 の列車はありません。709ㇾと309ㇾが共に新潟行で間隔30分で出発するのでこの様な脚本を考えたのでしょう。

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 68. ここに泉あり

 1955年2月 独立映画ー松竹 配給 公開   中央映画 製作    監督 今井正

群馬交響楽団 創設期の苦闘を描いた音楽映画で、高崎市民オーケストラがプロとして成り立つまでの物語です。

舞台は 1947年の高崎。冒頭 C5097 が牽引する客車4両+有蓋車1両の混合列車が機関車の前部・テンダー・客車の屋根まで人が乗る超満員状態で走る姿が映ります。両毛線での撮影と思われます。
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当時は終戦直後の混乱期で、復員兵・買い出し人で乗車希望者が増えたのに石炭不足から運休列車続出でどの列車も超満員でした。そんな当時の再現ロケで、現在ではとても撮影許可とはならないでしょう。
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続いて木造時代の高崎駅舎が映り、タイトルが出ます。駅入り口には大勢の人が押しかけ、改札を通るにも大変な様子です。そんな改札を工藤( 加藤大介 )が大太鼓を担ぎながら通ろうとして駅員に止められています。
「8:57 分発 小山行発車です」と構内放送が聞こえてきます。そこへ後ろからマネージャーの井田亀夫( 小林桂樹 )が来て駅員に話し掛け、その隙に工藤がホームへ入り列車に近寄ります。
尚も駅員が追い駆けて来ますが、大太鼓はリレーして車内へ。そして動き出した列車のデッキへ最後に井田が飛び乗り、「どうもどうも」と駅員に半分謝る感じで去って行きます。

次に井田が東京から呼んだコンサートマスターの速水明( 岡田英次 )が、練習場の階下の喫茶店に名刺を残し井田に会わずに帰ってしまったことを店員から告げられ井田は駅へ急行します。
高崎駅の3番ホームには既に上野行上り列車が停車中で、発車ベルが鳴り始めます。列車は超満員で速水をどうやって探そうか考えた井田は、「速水さん 急用です。」と叫びながら前方に進みますが汽笛が鳴り響きます。
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その時 半分板貼りの窓の隙間から顔が出て、「何ですか」と声がしました。振り向き動き出した列車に近寄った井田は、窓の外にハコ乗り状態の男の手を引きます。その横の男が「速水は僕です」スカサズ井田は「急用です早く降りて下さ」
速水のバイオリンと荷物を受け取り、窓から足を先にホームへ無理やり降りようとします。すでに列車はかなりスピードが出ているので、後ろから近寄った駅員が「危ない 止めて止めて」と叫んでいます。
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 よく走り出した列車のデッキに飛び乗るシーンは( 1958年 松竹 張込み )など有りますが、この映画のロケほど過酷な超満員列車や無茶な降車シーン( ホームに着地するまでは映っていません )は他では見当たりません。

映画の後半 EF53 電機に牽引された急行白山らしき車内。スロ53 特ロの座席に音楽家 山田耕筰(本人)と立石( 伊沢一郎 )が座っています。通路では車掌が「次は高崎です渋川・伊香保方面乗換」と告げています。
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高崎と聞いた山田は楽団のことが気になり、途中下車します。そして練習を指揮したことから再び合同演奏会が開かれ、苦労した時代の回想シーンで草軽電鉄の無蓋車でメンバーが移動する映像が入ります。
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アメリカ・ジェフリー社製L形EL+無蓋車1両+客車1両の編成です。鉄道青年様のブログ(火山山麓のレモンイエロー:草軽電鉄の記憶)によりますと、23号電機+ホト70か75+ホハ30客車だそうです。
そしてロケ地は草津温泉~谷所の通称一の谷の手前のカーブとのこと。無蓋車の上で日傘をさしているのは紅一点ピアニストの佐川かの子( 岸恵子 )です。勿体ない程短い草軽電鉄登場のシーンであります。

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 67. 早射ち無頼 大平原の男

 1961年12月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 野口博志

宍戸錠主演の和製西部劇風アクション映画第4弾で、赤沢鉱山鉄道開通までを描くスケールの大きな映画です。

いきなりオープニングクレジットの最後に、きたおおの駅(架空駅:越美北線の北大野駅ではない)2番ホームに到着するD51631 蒸機が牽引する列車が映ります。左手の中線にはキハ17形DCらしきが停まっています。
そして客車から川崎錠次( 宍戸錠 )が降り、ホームの洗面台で顔を洗っている姿を柱の陰から青木信二( 青山恭二 )が付け狙っています。ロケ地は横川駅かな?

次に私鉄に乗り換えた様子で、古典的蒸機が小型客車2両+貨車1両を牽いて古びた駅に到着します。67-1.jpg
他の乗客に交じって川崎が降りてくる時、「白坂~」と駅名が聞こえています。
その次のカットでは、大き目の木造駅舎から砂利敷きの駅前広場へ人々が出て来ます。古典的蒸機と駅舎の様子から、東野鉄道の1号蒸機が大田原駅へ到着したところを映したものと思われます。

{ 11. 路傍の石 }で既述の様にこの機関車は 1896年米ボールドウィン社製の1号蒸気機関車で、ロケが行われた頃は既にその年購入したDLの予備機として在籍していました。
ですから撮影依頼によって火を入れ、同じく既に使われていなかった古典木造客車を牽いて走らせたものと思われます。カラーで1号機関車の雄姿を今に残す貴重なシーンでしょう。

映画の終盤 苦労の末 赤沢鉱山鉄道(架空)が完成し、祝賀列車がC12 型蒸機+無蓋車3両+客車の編成で出発します。C12には紅白のモールが取り付けられ、無蓋車にも開通の横断幕が付けられヘルメットを被った作業員が乗ってます。
祝賀列車が進む沿線には、開通を待ち望んだ住民が笑顔で出迎えています。67-2.jpg
その様子を川崎と松本紀子( 松原智恵子 )も馬の上から笑顔で見守っています。

そして祝賀列車は祝賀会場が準備され、関係者が待つ赤沢鉱山に到着します。67-3.jpg

花火が上がり華やいだムードの中 無蓋車から男たちが飛び降り、待ち受けた男たちと抱き合い喜びあいます。
祝賀会場に先回りした川崎と紀子も見る中 殉職者の遺影を抱えた3組の家族が降り立ち、列車の機関士・機関助手に花束が渡されます。

この様子を見ていた紀子が横を見ると、つい今しがた迄横にいた川崎がいません。見回しても主のいない馬が残るだけです。仕事が終わると消えるのは渡り鳥シリーズと同じなんですね。
さてこの赤沢鉱山鉄道開通式のロケが行われた場所は?  C12 が使われている点から足尾線の足尾本山(貨物駅)ではないでしょうか?


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 66. あにいもうと

 1953年8月 大映 製作 公開      監督 成瀬巳喜男

戦前の室生犀星原作々品の再映画化で、戦後の開放的な空気を背景として家族愛をテーマにして成瀬巳喜男 監督の描く映画です。

鉄道シーンは一つしかありませんが、印象的なので取り上げます。多摩川近くに住む 赤座さん( 久我美子 )は豆腐屋で働く鯛一( 堀雄二 )と恋仲で、鯛一は結婚も考えています。
ある日勤務先から鯛一は他の女との縁組を迫られ、さんと駆け落ちを計ります。しかし さんは姉の助けで看護学校へ通う身であり、悩みます。

鯛一は下駄履き姿で さんとバスに乗り、小田急電鉄 菅間駅(架空駅)に到着します。戦前に製造されたと思われる小型のボンネット型バスですが、小田急バスカラーに塗装されています。
駅舎は小田急電鉄の標準的な形ですが、喜多見や西生田(現 読売ランド前)ではなく駅舎右の売店と背後の大型架線柱・線路に直角方向の入口である点から鶴川駅で撮影されたと思われます。66-1.jpg

何れにしても、砂利敷きの駅前といい現在の鶴川駅とは隔世の感があります。

バスから降りた二人が駅へ歩き出すと、同じバスから降りてきた学生に さんは挨拶されます。すかさず鯛一が「知ってる人?」に頷くさん。「誰かに見られるといけないから」と鯛一に隠れるよう指示します。
さんは一人で切符を買いに行き、運送屋のトラックの陰で待つ鯛一のもとに行きます。66-2.jpg
そして二人が勇気を持っていれば駆け落ちまでしなくとも大丈夫とたしなめ、説得し一人で学校へ行くことにします。

そしてデハ1400形の1418を先頭とした新宿行3連が到着します。鯛一が追いすがるのを振り切り、さんは改札を抜け砂利敷きのホームへ駆け上がり最後部のクハ1450形1458へ乗り込みます。
鯛一が改札口で呆然と見送る中、新宿行上り電車はタイフォンを鳴らして出発して行きました。66-3.jpg


デハ1400形は1929年 江ノ島線開通時にクハ501形として製造され、改番されデハ1400形となりました。クハ1450形も同時期クハ551形として川崎車両で製造され、後にクハ1450形となりました。
戦前戦後の長い間 小田急線で活躍し、1968年までに廃車や新潟交通などに譲渡され小田急電鉄線路上から消えてゆきました。


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