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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 60. 妖精は花の匂いがする

 1953年2月 大映京都 製作・公開      監督 久松静児

 題名からは想像できない、病身の姉をかかえる苦学生 小溝田鶴子( 久我美子 )をめぐる青春映画です。

 女子大に通う田鶴子は学費を稼ぐ為 { 人類を滅亡より救え 世界書房 }などと書かれた畳程も大きい看板を持ち街角に立つ看板持ちのバイトをしている時、担当の丹下助教授( 森雅之 )に見られ気付かぬフリをされたのでした。
 丹下と学友共々奈良へ出掛けた時 田鶴子は集合場所の近鉄奈良駅に一人遅れて現れません。
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田鶴子の身の上を知る丹下が一時間も待っていると、丹下に思いを寄せる米川水絵( 木村美津子 )は脹れだします。
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 この待ち合わせの近鉄奈良駅は、1914年大阪電気軌道の奈良駅として開業した近鉄奈良 旧地上駅舎です。趣のある駅舎でしたが、油坂~近鉄奈良の道路併用軌道区間 解消を兼ね1969年12月より地下化されました。

 学費稼ぎに名倉繊維のドラ息子 名倉洋介( 千秋実 )の絵のモデルに応募した田鶴子ですが、洋介に気のある同級生 生田あさ子( 小柳圭子 )が嫉妬から洋介の家に押しかけます。
 この時 阪急今津線の仁川駅から降りてきた あさ子の場面があります。
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駅舎が小さい割に大きな駅名板が目立ちますね。背後で発車して行く電車は形式不明ですが小型車の300形あたりの3連と思われます。
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 あさ子の騒ぎ立てから裸婦モデルになった田鶴子 教授会で庇い続けた丹下 共々大学を去る破目になりました。その後田鶴子は放送局に就職することができました。
 ある仕事帰りの夜 大阪地下鉄御堂筋線 本町駅の入口を入ります。
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西澤様に依ると ここから梅田駅でのロケに切り替わり、田鶴子は木製ラッチの改札を入ります。
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階段を降りたホームのベンチには田鶴子の帰りを待っていたであろう丹下の姿がありました。
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 梅田駅のホームは短いが天井が高く少々薄暗く、当時は 1933年の開業時の姿のままと思われます。丹下はアメリカ留学の為 二三年日本を離れる旨伝えます。
 やがて3両編成の電車が到着、
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丹下は 1933年の開業時に日本車両本店で製造された 100形の 108に乗車します。名残惜しそうに潤んだ瞳で見送る田鶴子。地下鉄駅での別れのシーンは珍しいと思われます。
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 地下鉄 御堂筋線は大阪初にして日本初の公営地下鉄として 1933年5月 梅田(仮)~心斎橋3.1㎞で1号線として開業し、その後両端が延伸し現在では江坂~中百舌鳥24.5㎞で運行しています。

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59. 侠花列伝 襲名賭博

 1969年9月 日活 配給 公開    カラー作品     監督 小沢啓一

 昭和初期 上州鹿沢温泉が舞台  芸者 杉崎志満( 松原智恵子 )と流れ者博徒 柿沢高次( 藤達也 )の任侠系恋愛映画です。

 向田組々長 向田周吉( 江原真二郎 )という許婚がいながら追われる身を助けたことから恋仲になった志満と柿沢。駆け落ちの為地元 鹿澤驛(架空駅)へやって来ます。
 遠く汽笛が聞こえた時 前方の線路上を追っ手の一団がやって来るのが見えます。明年3月15日明け方 浅草観音での再会を約し、志満を守る為柿沢は迫る追っ手へ向かって走り出します。

 オロオロする志満の横にC56 蒸機牽引の混合列車が到着。59-2.jpg
柿沢を慕う小宮山マキ( 梶芽衣子 )も駅に来ると異変を察知、線路に降り柿沢に向かって走り出しました。
 やがて汽笛が鳴り、志満は意を決したかの様に最前部のデッキに乗り込みます。込の文字(中込機関区所属)が入った汽車はゆっくりと発進 客車1両に貨物2両を連ねた混合列車です。

 線路沿いの草原で追っ手の一団と切り遭いになる中、近付く汽車。遠く八ヶ岳連峰の姿をバックに心配顔の志満を乗せ汽車はゆっくりと通り過ぎて行きます。この1対7の戦いを乗り切る柿沢でありました。59-3.jpg


 その後いろいろあり 向田が襲われ瀕死の枕辺に志満は駆け付け、祝言を挙げた。そして向田亡きあと向田組三代目を襲名 柿沢やマキの助けもあって、湯元の権利を守れたのです。
 ラスト近く C56 が牽く混合列車が境川橋梁を渡るシーンの後、59-4.jpg
C56 150 機関車を先頭に鹿澤驛に到着。遺骨を首に提げた志満が後部客車から降り立つ姿があります。

 ホームには撮影用に{ 鹿澤温泉郷北壱里 }と縦書きされた木の柱が立っています。撮影は小海線 野辺山近郊の駅を鹿澤驛として行われたと思われます。59-5.jpg

 撮影の頃に混合列車は既に定期では運行しておらず、撮影用に2パターンの混合列車が運行されたと思われます。高原のポニーとして名を馳せたC56 蒸機も1972年秋この地から消えて行きました。

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 58. こだまは呼んでいる

 1959年1月 東宝 配給 公開      監督 本多猪四郎

 田舎の路線バス運転手 鍋山精造( 池部良 )と車掌の 三好タマ子( 雪村いづみ )を巡るドラマです。

 冒頭 昭和33年の中央本線 韮崎駅の紹介があり、
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木造駅舎の駅前からハイキングへ行く人々が近代的なキャブオーバー型のバスに乗り込む様子が映ります。
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 ホーム2面を跨線橋で結ぶ形ですが、現在では廃止されたこの駅の特徴であったスイッチバックの様子が画面からは分りません。

 さて二人が組むのは山梨交通の路線バスで韮崎駅と宿木村(架空)を結んでいます。いつも村人に町での買い物など頼まれ事も引き受けてしまうタマ子なのでした。
 それで発車時刻に遅れ 鍋山をイラつかせ、乗客のハイカー役の加藤春哉たちから囃し立てられるシーンもありますが乗務するとバスガールらしい名調子で案内します。

 そんなタマ子に本屋の平沢健一( 藤木悠 )が好意を寄せますが、二人はお互いが不可欠なパートナーであることに気付くのでありました。
 午後の帰り便でハイカーたちを駅まで運んできた後、線路端で休憩している二人の前を新宿行の上り列車がD51 1025 蒸機に牽かれて行くのでありました。
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 この機関車 当時は上諏訪機関区に所属し、 長野工場式集煙装置と重油併燃装置を搭載し非電化である甲府以西の中央本線で活躍していました。
 夕方であり2等車を連結していないことから、長野 11:15 発の 416ㇾと思われます。韮崎は 16:53 発で終点の新宿には 21:05 の到着です。
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 現在韮崎から 首都圏Suicaエリアですが当時も利用客が多く、長距離列車以外にも非電化区間ながら韮崎~甲府の連絡気動車列車が上下で19本も運転されていました。
 夜行の準急アルプスを除く全列車が停車する主要駅でしたが、現在は特急列車では一部しか停車しません。

 1964年8月甲府~上諏訪が電化され無煙化されました。また韮崎以西から急勾配になることからスイッチバックの駅でしたが1970年複線化された時ホームを移転し、解消されました。
 中央本線はこの他にも今は無い、長坂・穴山・新府・勝沼・笹子・初狩(貨物用は現存)などスイッチバックの駅が特に多い線でした。長野~新宿の各停が9時間50分もかかった訳ですね。

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 57. 林檎の花咲く町

 1963年8月 東宝 配給 公開  カラー作品    監督 岩内克己

 音大を卒業した相馬桂子( 白川由美 )は不本意ながら秋田の本家の養女となり用意された地元高校の教師となりました。その波乱の初年度を描いた映画です。

 先ずは冒頭 音大の卒業謝恩会で「誰が何と言おうと養女になんかならない」と呟く桂子の前には赤坂見附の交差点でしょうか、三角形の交差点が広がり、都電が走っています。57-0.jpg
 
 赤坂見附と思しき交差点を走っていたのは 3系統 9系統 10系統の路線で首都高速4号線建設工事は始まっていますが、外堀通りと青山通りの立体交差も無く空が広いですね。
 とすると謝恩会が行われているこの場所は赤坂プリンスホテルのテラスでしょうか。

 続いてタイトルバックでD51蒸機牽引列車に乗り、本家を目指す桂子の姿が映ります。57-02.jpg
ロケは原作の秋田ではなく長野県中野市で行われたそうです。
 タイトルバック前半では架線の下を走り、後半では北アルプスらしき雪山を臨む非電化路線を走行する様子から信越本線の長野駅前後での撮影と思われます。

 そしてメインの鉄道シーンはラスト近く 卒業生が受験や就職の為 地元の佐竹駅から一斉に旅立つ場面にあります。
 形式は分りませんが煙を上げる先頭の蒸機に繋がる5両程の旧客に鈴なりの卒業生が乗り、ホームには見送りの教師や生徒 親でいっぱいです。57-1.jpg


 これからも教師を続ける決意をした桂子は窓から顔を出している卒業生を激励してまわっています。引率の沢田敏行( 藤木悠 )も乗っています。
 また桂子に手を焼かせた舘岡茂( 峰健二→後年の峰岸徹 )が謝罪しようとするのを制します。その時汽笛が鳴り、汽車はゆっくりと上京して行きました。57-2.jpg


 架空の佐竹駅 ホームの柱の駅名は{ さたけ }としてありますが、飯山線の飯山駅で撮影されたのではないかと思われます。故に先頭の機関車はC56 かな?
 ホームから引き上げる途上 桂子に好意を寄せる五代儀浩一( 中丸忠雄 )に桂子は「もう一年お付き合いして考えましょう」などと期待をもたせエンディングとなります。

 

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