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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

56. 銀心中(しろがねしんじゅう)

 1956年2月 日活 配給 公開     監督 新藤兼人

 夫 石川喜一(宇野重吉)と理髪店を経営する石川佐喜枝(乙羽信子)の運命が戦争によって翻弄される末路までを描いたドラマです。

 石川夫婦の店に佐喜枝の従弟 珠太郎(長門裕之)が弟子入りしたが、夫の召集以後 佐喜枝と珠太郎はお互いを意識する様になります。
 その珠太郎にも召集令が来て出征する場面が最初の鉄道シーンです。華々しく大勢の人に見送られる珠太郎に列車が動き出しても心配顔で寄り添うとする佐喜枝です。

 珠太郎の乗る車両はオハフ61 高ミヤ 戦後鋼体化改造された三等緩急車で高崎鉄道管理局所管で宇都宮区所属なのでしょう。
 東北本線の列車で撮影が上野で行われたとすると大宮以北が非電化だった当時、架線の下 蒸機牽引列車で撮れたのでしょう。第二次大戦中も架線の状況は同じだと思われます。

 その後夫 喜一の戦死公報が届き復員した珠太郎と暮らす佐喜枝ですが、三年後 戦死した筈の喜一が帰宅。珠太郎は家出し、行方不明となりました。
 しばらくして佐喜枝の耳に珠太郎が東北の しろがね温泉にいるという噂が入り、会いに出掛けます。C57牽引の列車がまず映ります。

 続いて花巻電鉄の馬面電車 デハ4が雪が積もる併用軌道を行き登り坂を走る姿が映ります。56-1.jpg
車内はかなりの乗客で佐喜枝も乗っています。停留所で停車したデハ1電車から4人降り、佐喜枝は白髭旅館へ向かいます。
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 次は坂を下る馬面電車が映り、空いてる車内に座る佐喜枝がいます。56-3.jpg
車体巾1600㎜ 車内巾1360㎜という驚異的巾の狭さがよくわかります。座っている人の腰の真上にあるつり革は使えるのでしょうか?

 次の鉄道シーンでは佐喜枝が止めるのを聞かず珠太郎は宿から飛び出し、後方から来たデハ4に停留所でもない所で飛び乗り 行ってしまいます。ドアは手動開閉なのでしょう。佐喜枝は雪道に置いて行かれてしまいます。
 そして次の電車に乗ったのでしょう大沢温泉駅で降り、56-4.jpg
左手にある旅館 山水閣へ入って行きます。この宿は昔から花巻 大沢温泉を代表する名旅館で現存しています。

 撮影は花巻電鉄 鉛線(軌道線)で行われ、当時 一般的な巾の電車も運行されていたが特徴のある有名な馬面電車のみを登場させています。車内の様子も良く分かり、今となっては貴重なシーンであります。
 しかもあえて雪の時期に撮影され、もの悲しさが増しています。その後使い勝手の悪い馬面電車は予備車となり更に足の速いバスに押され 1969年9月鉛線は廃止となりました。

 

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55. 堂堂たる人生

 1961年10月 日活 配給 公開    カラー作品    監督 牛原陽一

 老田玩具の社員 中部周平(石原裕次郎)が傾いた会社を立ち直すべく仲間と奮闘する源氏鶏太原作のサラリーマンもの映画です。

 タイトル部分で裕次郎が座っている周りを模型の貨物列車が走り回っています。期待させますが、鉄道シーンは少ないです。

 中部と同僚の紺屋小助(長門裕之)は会社の金策に興和玩具本社の大阪へ出張に行くことになります。
 夜の東京駅 ホームの時計は 21:10です。 15番線に 151系電車が停車し、階段を上ってくる人が続いています。でも車内には3人程しかいません。
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 続いて電車にグッと寄ったシーンに切り替わり、進行方向席に紺屋 回転させた向い合せ側の席に中部が座り窓から肘を突出しホームを見ています。
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 車内は半分程の乗車率です。ホームでは移動販売の車が週刊誌なんぞを売っています。向かいのホームには急行列車らしき列車が発車待ちの様子です。

そこへ老田玩具への入社希望がままならない寿司屋の娘 石岡いさみ(芦川いづみ)が乗って来て、両親に「会社に採用され大阪出張を命ぜられた」と言ってきたので口裏を合わせてほしいと告げます。
 程なく いさみの母 石岡達子(清川虹子)がホームを歩いてきて「父親が心配しているので見に来た。」と言いますが安心した様子で窓越しに挨拶します。
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 そして 151系特別急行つばめ の夜間走行シーンが映ります。
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 次に場面は食堂車。中部と紺屋はツマミ一皿にビール。いさみはバリバリ食事し、「私乗り物に乗ると食欲が出るの」などと言います。
後から入ってきた二人の男が中部達の横を通り過ぎる時、後ろ側の男が中部に気付き話しかけます。彼は中部と大学のラグビー部時代の友人だったのです。
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 PS 
 東京駅 21:10 の 151系とは 14:30 大阪発の特別急行 第2こだま号が 21:00 に到着した後の姿かなと思います。
 その後の中部が窓を開け肘を出しているシーンからはセット撮影でしょうね。いさみの母親との窓越しの会話&見送りのシーンを撮りたいので 151系の窓が開くようなセットを作ったのでしょう。
 いささか強引な作りですが、対面の列車や売店まで作り込んであるのは全盛期の日活映画の実力が見て取れます。

 当時東京から大阪への出張には夜行急行列車が多く使われ、中部たちも 21:00過ぎの出発なのですから普通なら 21:15発の瀬戸・21:30の筑紫・21:45の明星・・・と急行列車だけで6本ほどあります。
 思うに当時の看板列車特急こだま・つばめ の 151系電車を使いたかったのでしょうが、午後9時過ぎに出発してから食堂車営業とは・・・
 

 

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 54.泉へのみち

 1955年3月 東宝 配給 公開     監督 筧正典

 雑誌記者 波多野京子(有馬稲子)は今では母 つね子(高峰三枝子)と平穏に暮らしているが、昔 母娘を捨てた父 笹川欣一(宮口精二)との確執にからむドラマです。

 最初の鉄道シーンは京王帝都電鉄 井の頭線 井の頭公園駅付近で、京子の昔なじみの高倉克磨(藤木悠)と父 笹川が会い 家に寄るように誘う場面があります。二人は共に明和大で教えています。
 二人が歩き出すと、鉄橋上をデハ1700形らしき3連が渋谷方面へ通過して行きます。54-1.jpg
神田川と井の頭線が交差するこの辺りはしばしば映画やTVドラマのロケが行われる場所で、川幅が狭くなった程度で現在とあまり変化はありません。

 次に京子、高倉、京子の同僚の金沢幸三郎(根上淳)が山手線に乗っているシーンがあります。やがて目白駅に到着すると、かなり酔った様子の金沢が降りていきます。
 たぶん72系電車と思われますが、ドアが完全に開いてから閉まりはじめるまで4秒弱とはビックリですね。

 そして小田急電鉄 新宿駅改札前が続いてのシーンです。54-2.jpg
別れの挨拶をして京子が改札へ向かおうとするのを高倉が呼び止め、笹川先生から「京子の写真を手に入れてほしい」と頼まれたことを告げられます。
 京子は父との経緯もありキッパリ断り、足早に 11 番線から発車間際の各停 成城学園前 行に乗ります。54-3.jpg
1954年製の 2100形と思われる電車が遠ざかるのを改札前から高倉はぼんやりと見ています。

 この頃は国鉄、小田急、京王が通しの番線で付けられていました。それで小田急の各停 電車が 11 番線からの発車なのです。地上線だけの旧新宿駅の姿ですが 1951年公開の新東宝映画(恋人) 監督 市川崑 の中でもこの改札が登場します。
 やがて乗降客も増え手狭になったことから小田急デパートの建設とも合わせて大改造工事を行い、1964年2月より現在の地上3線 地下2線の二階建て構造となりました。
 
 そのあと車内で京子は昔 父から捨てられた母が幼い京子の手を引き、線路内を歩いて無理心中を図って未遂に終わったことを思い出し父のことはやはり許せないとの思いを新たにします。
 夜 幼い京子の手を引き思いつめた顔で線路内を歩く母 つね子の姿には鬼気迫るものがあります。やがて前方のトンネルの奥が明るくなり 2100形らしきが現れますが、寸前でつね子は線路外に逃れます。

 続いて場面は成城学園前駅出口。
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構内時計から新宿駅 22:42発車らしいので、成城学園前駅には 23:04 頃の到着と思われます。
 木造の階段を降りてきた京子に犬を連れた母 つね子が遅いので迎えに来たよと声を掛けます。 出口横の売店は 23時過ぎなのに開いているのは驚きですが、電話の看板があることから公衆電話の役割を担っていたのでしょう。

 それから暫し 次の鉄道シーンに京子が新宿駅の階段から山手線ホームへ上がる場面があります。 バックにED15 と思しき電機が牽く貨物列車が映っています。
 そしてホーム中程で高倉と母 つね子が会っているのを発見 驚きます。横のホームから 40系国電が走り去って行きます。最後部の行先表示板には 浅川 と読めます。

 ED15 電機だとすると 1924年国産初の本線用電機で、八王子区に所属し中央線で貨物を牽き 1960年頃まで活躍していました。
 また 浅川 とは現在の中央線 高尾のことで、1961年 浅川 → 高尾 に改称されました。最後部はクモハ 41形と思われます。

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 53. 昭和のいのち

 1968年6月 日活 配給 公開   カラー作品    監督 舛田利雄

 時は昭和初期 暗い世相のなかで憂国の士、日下真介(石原裕次郎)をめぐる任侠アクション映画です。

 広い操車場を横断する橋の上に極右集団 七誠会のメンバー四谷隆(中村賀津雄)が佇んでぼんやりと下の線路を見ています。
 やがて汽笛が聞こえてきて轟音を響かせ D51 蒸機牽引の貨物列車が猛烈な黒煙を四谷に吹き上げ通過して行きますが、四谷はピクリともしません。

 そしてシガレットケースからタバコを取り出し銜えケースの蓋を閉めたとき、蓋に近付く人影が映ります。刹那 タバコを捨て四谷は走り出します。
 追いかけているのは特高刑事の郷田竜作(南原宏治)です。D51 が走り去った線路には架線が張られていますが、それ以外の広い操車場は非電化です。
 ロケ地は新小岩操車場のようで、広い構内を横断する長い橋は小松橋かと思われます。

 続いて客車区での追跡のシーンがあり、C57 125 蒸機が映り 汽笛一声 旅客列車が走り出します。53-1.jpg
ホームへ上がった四谷は全速で汽車を追い掛けます。
 ホームを走る四谷に気付いた列車内の日下が見るうち後ろから2両目のデッキへ四谷は飛び乗ります。刑事の郷田もギリギリ追い付き、最後部のデッキへ飛び乗りました。

 四谷が前部へ逃げれば、郷田は追い掛け車内の通路を前へ前への緊迫感ある追跡劇です。当時の乗客に扮装したエキストラや役者で満員の車内での迫力あるアクションシーンです。
 そして遂に最前部の機関車前 何故かテンダーのプレートはC5092 になっています。追い詰めニヤリとする郷田。しかしその時横合いから日下が現れ、郷田と格闘になります。
 お互い走行中のデッキから相手を突き落そうと格闘し、合間にC57の高速走行シーンが入る展開でこのアクションシーンは続きます。
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 撮影時C57 125 機は新小岩機関区に所属し、超早朝 3:58 勝浦を発車 房総東線(現在の外房線)周りで 7:00 両国着と館山発 5:35 房総西線(現・内房線)周りで 9:10 両国着
 日中 新小岩区で待機し、夕刻 17:19 両国発125ㇾ館山行と 17:39 両国発221ㇾ勝浦行などのスジで働いていました。

 なので朝両国到着後の間合いに撮影用臨時列車を牽引して四谷の飛び乗りシーンなどを撮り、デッキでの格闘シーンはセット撮影だったので 1962年廃車のC50 92 のプレートが登場したのかと思われます。
 なお C57 125 機は両国駅からの蒸機牽引列車の最後まで走り、この映画公開の翌年 1969年9月 廃車となりました。

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