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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 48. 網走番外地

 1965年4月  東映 配給 公開     監督 石井輝男

 期待されず低予算で製作されたが公開すると予想外の大ヒットとなり、(13.新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬 )をはじめ合計18本製作されたシリーズの第一作がこの「網走番外地」です。

 冒頭 C58牽引の混合列車が冬の網走駅に到着します。
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懲役3年で網走刑務所へ送られる橘真一(高倉健)ら一団が腰縄で連なり木造の小さな駅舎から出てきます。
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 周囲は何も無い雪原だけの様で、最果ての雰囲気を出す為 釧網本線の藻琴駅を使って撮影したそうです。本当の網走駅は 1912年の開設当時でもここまで寂れてはいなかったでしょう。

 その後 保護司の妻木の尽力で仮釈放直前となっていた橘ですが、権田権三(南原宏治)の脱走に巻き込まれ手錠が繋がっていたことから一緒に脱走したことになってしまいました。
 雪山を逃げる内 森林鉄道のトロッコを発見した二人はそれに乗って山を下ります。妻木(丹波哲郎)ら追跡団の連れている犬がその音に反応して吠えた為トロッコが見つかり、妻木が単身でトロッコに乗り追いかけます。
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 雪山を惰性で走りだしたトロッコですが、下り坂で次第にスピードが上がりカーブも恐ろしい速さで抜けて行きます。後から追いかける妻木は姿が見えると威嚇に発砲までします。
 動力車を後ろに連結しての撮影でしょうが、単独のトロッコに妻木が乗り鉄橋を渡るシーンもあります。スピードが上がり危険を感じた二人はカーブのところで飛び降り、更に逃走します。

 このアクションシーンが何処で撮影されたか定かではありませんが、軌道上をロータリー除雪車で除雪した様な跡があり冬季でも稼動していた林鉄と思われます。
 陸別 斗満森林鉄道や十勝 上川森林鉄道がこの当時廃止直前で道内では最後まで残った森林鉄道ですが、案外まだ勢いがあった秋田 仁別森林鉄道か青森 津軽森林鉄道で撮影されたのかも知れません。

 そしてクライマックスの手錠切り離しのシーンです。鉄道線路に辿り着いた二人は線路の内側と外側に各々が伏せて、繋がっている鎖をレールの上に乗せ走って来る列車に切断させようとします。
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 どちらが線路の外側に伏せるかを決めるのに、来る機関車の番号の末尾が丁か半かで決めることを権田が提案し自分は丁だと言います。やがてC58牽引の貨物列車がやってきます。

 はたして機関車のナンバーは? C58392 ニヤリと権田は線路の外側に伏せます。仕方なく橘は内側に伏せます。迫り来る貨物列車 焦る橘 ニヤつく権田。
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 C58貨物列車は何故か二人に気付かず、接近 轟音と共に橘の頭上を通過。響く橘の叫び声 しかし鎖が切れた反動で権田は斜面を落下、重症を負ってしまい橘の助けを受けることとなります。

 映画史に残るこのアクションシーン C58392 機関車は当時 北見機関区に所属 石北本線で客貨列車を牽いていましたので、女満別~呼人で撮影したのでしょうか?
 珍しく生涯を北見区で過したこの機関車は 1974年10月に廃車となりました。

当時の撮影関係者の回想話で、この部分の撮影は根室本線 厚岸~糸魚沢の別寒辺牛湿原沿いで行われたそうです。
すると別撮りした C58392 のアップ部分を繋げたのでしょうか?

 

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 47. 大幹部 無頼

 1968年4月 日活 配給 公開   カラー作品     監督 小沢啓一

 (10.「無頼」より大幹部 )の続編でヤクザ社会にイヤ気がさした藤川五郎(渡哲也)が、図らずも元の世界に戻ってしまう任侠アクション映画です。


 冒頭 暗フィルターを掛けた夜汽車らしきが登場、18688らしきが牽引しています。車内(セット)で藤川は寝ている幼い兄妹を見て、自身の幼少期を思い出す。次に 58669機関車が牽引する列車が雪降る津軽板崎(架空駅)47-1.jpg
に到着し、藤川が降りてくる。
 青森県弘前の辺りという話だが、藤川が降りてきた津軽板崎駅は何処なのか駅舎の看板も替えられています。弘前近郊ということで、五能線の実在する板柳と隣の林崎駅を足して二つ割した様な駅名ですね。

 駅前で旅芸人の一座が地廻りのヤクザに絡まれているところを藤川が助け、一座の一人鈴村菊絵(芦川いづみ)は感激し自分のスカーフを渡します。菊絵達は無事汽車に乗れ、デッキから外を見ていると雪原を歩く藤川がいました。
 菊絵は必死で手を振りますが、藤川は気づきません。菊絵の乗るハチロク牽引の列車は煙と汽笛を残し、美しい青味がかった雪原の彼方に消えていくのでした。
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 藤川は恩義ある杉山の妻 夢子(松尾嘉代)の病が悪化、金を工面する為仕方なく横浜の木内組に加わることに決めます。美しく力強いハチロクのスポーク動輪が映り、藤川が乗る列車は雪解けが始まった中を突き進んで行きます。47-3.jpg

 続くカットは遠景から横浜市電が映った後 先代のレンガ造りの重厚な横浜駅東口駅舎が映ります。この駅舎は 1928年完成の3代目駅舎で、撮影の十年後まで残っていました。






 PS. 
 舞台は弘前近郊という話なので、五能線沿線を設定したのでしょう。でも弘前は遠いんです。五能線といえばハチロクこと 8620形蒸機。どこかもう少し近場で雪国の雰囲気があって、ハチロクが走るローカル線は?と考えたのかな。
 最初に登場の 18688 と後の 58669 は共に当時は長野区に所属し、飯山線の飯山 7:00 発の 222ㇾを牽いて長野まで通勤通学客を運んでいました。 58669 はその後 1970年6月25日付で廃車となりました。
 飯山線は( 16. 北国の街 )の様にC56 が有名ですが、この頃は 222ㇾが飯山線唯一の旅客列車で たまにC56が牽く以外通常はハチロクが使われていました。
 それと日活がそれまでの映画の撮影で飯山線沿線に土地勘があったのでロケに使ったのかな。
 また藤川五郎が降りてきた架空駅の津軽板崎駅ですが、飯山駅の様に思われます。ホームでのシーンは駅名板を差し替えて撮影。
また駅舎の屋根にある津軽板崎の看板がヤケに大きく、飯山の文字を覆い隠す形かな?とも見えます。

 
 

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 46. 愛と死のかたみ

 1962年11月  日活 配給 公開      監督 斎藤武市

 福井の損保会社で働くクリスチャンの田辺阿佐子(浅丘ルリ子)と獄中の死刑囚 野崎潔(長門裕之)の悲恋映画であります。

 鉄道シーンの始まりは阿佐子の母 田辺千世(高田由美)が東京から福井の阿佐子を訪ねて来るシーンにあります。9:06 福井駅2番ホームで阿佐子が待ってると、ED 70 8 牽引の普通列車が到着します。46-1.jpg

 泊行きと放送しているので米原発 223ㇾ泊行と思いきや、サボは直江津行となっているので千世が乗って来たのは福井 9:47 着 敦賀発 225ㇾ直江津行と思われます。46-2.jpg


 ED 70 8 は北陸本線 田村~敦賀の交流電化に合わせて 1957年8月製造された国鉄初の幹線用交流電気機関車で、全機敦賀第二機関区所属し 1975年迄北陸本線で活躍しました。
 この映画が撮影された直前 1962年6月北陸トンネルが開通、敦賀~福井が電化され(今庄~福井は3ヶ月早く電化)北陸本線の近代化が福井迄やって来たばかりの時期でした。

 阿佐子は獄中の野崎と二年間に渡る文通でお互いを励まし合い、五日間の休暇を取り九州の博多刑務所にいる野崎に面会しに行くことを決めます。
 海岸線近くを走り抜ける C 59 蒸機らしきが牽引する列車が映ります。46-3.jpg
山陽本線を走る急行列車でしょうか。福井~博多は長距離ですが当時 山陽本線の横川~小郡位しか未電化区間は残っていません。
 
 そして阿佐子は博多駅頭に立ちます。バックには 1909年(明治42年)建築の重厚な博多駅舎が映っています。この映画公開の一年後の 1963年12月には駅そのものが現在地へ移転し今に至っています。46-4.jpg

 その後明治生まれの旧博多駅舎は惜しまれつつも解体されました。この僅かなシーンが貴重な映像として残されたのです。
 この旧博多駅構内の様子が映った映画としては、1958年松竹から公開された「張込み 野村芳太郎 監督」や 1960年東映から公開の「大いなる驀進 関川秀雄 監督」などがあります。

 無事 野崎に面会することができた阿佐子の帰路、トンネルから飛び出して来る C 62 31 が牽引する列車が映っています。この機関車は当時 下関機関区に所属、山陽本線 広島~下関で最後の本線走行を行っていました。46-5.jpg

 

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 45. 今日もまたかくてありなん  

 1959年9月 松竹 配給 公開   カラー作品     監督 木下恵介

 家のローン返済の一助にとひと夏 会社の上司に湘南の家を貸した佐藤正一(高橋貞二)と妻 保子(久我美子)のサラリーマン一家の夏を描いた作品です。

 朝 佐藤が最寄りの東海道本線 辻堂駅から通勤する様子から鉄道シーンが始まります。 7:31 駅に到着します。程なく 80系湘南電車が入線、小田原発東京行上り 828ㇾでしょう。45-0.jpg

 辻堂を 7:36 に発車し、終着東京には 8:38に着きます。向かいの下りホームからは客車列車が出発して行きます。少々遅れた大阪行 123ㇾと思われます。定時なら大阪着は 19:30 です。

 続いて、有楽町駅を通過して行く様子が映ります。東側から撮影しているので、日劇やその前を走る都電 11 系統も映っています。
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そして東京中央郵便局をバックに東京駅へ到着します。45-3.jpg


 次に家を貸したことから保子は実家に滞在し、最寄りの信越本線 中軽井沢駅へD51牽引の下り列車が到着するシーンがあります。
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当時も今の様にホームが二面ですが、跨線橋など無く端に構内踏切があります。
 その後D51牽引の上り列車が到着します。この列車は7両編成で3両目が二三等合造車となっています。この頃の信越本線は普通列車も長距離列車が多く、11本中 7本に二等車が連結されていました。

 森五郎(小坂一也)が小諸の工場へ勤めているので、中軽井沢から通勤に信越本線を使うシーンがその後にもあります。D51牽引の上り列車で帰ってくるシーンは夏なのでまだ日が高い。45-5.jpg

 この列車は4両目に二三等合造車が連結されています。中軽井沢駅は元は沓掛駅でしたが、撮影の三年前の 1956年4月より中軽井沢と改称し今に至り 1997年10月よりしなの鉄道の駅となっています。

 この頃の中軽井沢を通る信越本線は唯一の急行 白山号(上野~金沢)をはじめ準急 妙高(上野~新潟),高原(上野~長野),白樺(上野~長野) 各停 11本全て蒸機牽引で走っていました。
蒸機天国信越本線もこの映画撮影の4年後 1963年6月 軽井沢~長野が電化 。翌 7月には横川~軽井沢の碓井峠が通常の粘着運転新線として完成、前年の高崎~横川の電化と繋がり近代化が進みました。

 この映画は電化前の長閑な様にも見える夏の軽井沢一帯の賑わいを、 7両編成が満員鈴なりの普通列車から感じとれる作品であります。
 

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 44.愛染かつら

 1954年4月 大映 配給 公開     監督 木村恵吾

 すれ違い恋愛映画の本家で戦前の 1938年から松竹(監督 野村浩将)で三部作製作され、戦後大映で 1948年に続いて 1954年に再度製作されたのがこの映画です。
更にその後 1962年にも松竹(監督 中村登)で二部作製作された人気作品でした。本作は鶴田浩二が松竹を辞め、フリー時代に単巻契約で出演した映画です。その後の東映所属での印象が強い鶴田浩二なので意外と知られていない本作です。

 最初の松竹作品では新橋駅ですれ違いシーンがありましたが、本作では東京駅で医師 津村浩二(鶴田浩二)が待ちますが看護婦 高石かつ枝(京マチ子)は事情があって遅れてしまいます。
 津村は窓口で京都まで二等の急行券を二枚買い、改札口でかつ枝を待ちます。15番線の発車案内パタパタは普通二三等 22:40 大阪行と出ました。そして乗車予定の23:05発大阪行急行(月光か)の改札案内放送が流れます。津村は振り返りながら改札を入ります。

 15番線ホームに上がってもかつ枝の姿はありません。44-1.jpg
そして発車ベルが鳴り始めた頃漸くかつ枝が乗るタクシーが到着します。かつ枝は入場券を買い改札からホームへ急ぎますが、和装故に足早とはいきません。
 遂に列車が動き出したので津村は後ろを振り返りながらデッキへ飛び乗ります。次第に加速してゆく列車 その時漸くかつ枝がホームへ上がる。思わず列車に駆け寄ろうとするかつ枝を「危ない!」と制して駅員が抱えます。

 京都から夜行列車で上京する場面では、津村が二等寝台車に乗り込み列車給仕に案内され8番下段に落ち着きます。
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プルマン式寝台で給仕にチップを渡し、浴衣を手に取ることから形式は不明ながら二等寝台車のセットか日中借りての撮影と思われます。
 その後の走行シーンはフィルターをかけての擬似夜景ですが、山科の上りカーブでの撮影の様にも見えます。

 かつ枝が熱海にいる娘 敏子(小畑よし子)に会いに来るシーンでは、80系3枚窓先頭車が伊豆山トンネルらしきから出てくる場面から始まります。
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そしてホームへ入る場面では 80系2枚窓車に準急伊豆のヘッドマークが付いています。
 二等車から降りてくる かつ枝に敏子が飛びつきます。この様子をホームの端から津村が見ていると、背後をEL牽引の列車が通過して行きます。
 高速での通過故に不鮮明ですが列車の後半に帯付車が連続していることからも、当時熱海駅を唯一通過していた特別急行つばめ号 時間帯からして上り東京行つばめ号と思われます。特別急行はと号は上下共熱海に停車していました。
 

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