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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 26. 男が爆発する

 1959年4月 日活 製作 配給 公開  カラー作品    監督 舛田利雄

 石原裕次郎主演 八ヶ岳山麓の高原を舞台としたアクション映画です。

 鉄道シーンは最初と最後にあり、撮影用に仕立てたと思しき小海線 C56 牽引の混合列車が登場します。

 冒頭 C56 150 牽引の混合列車が前方踏切内の牛を見つけて、汽笛を連声しながら停止します。機関士は牛を連れた室戸謙作(石原裕次郎)に怒鳴るが、牛たちがどうにも動かない。26-1.jpg

 長引くとみた車掌は次の佐久平駅で降りる客は、近いのでここで降りて歩いてくれと言います。駅の改札口では車掌が切符を回収したので無人駅なのでしょうか。26-3.jpg

 駅舎にも [佐久平] とありますがこの当時は架空駅で、清里駅を使って撮影した様です。まさか38年後 同じ小海線に新幹線の接続駅として佐久平駅が誕生するとは思わなかったでしょう。26-2-2.jpg


 ラスト 謙作の牧場の買収騒動も解決し、謙作がまた C56 150 牽引の混合列車で佐久平駅に降り立ちます。26-2.jpg

 ホームには農夫の佐久間紋太(二谷英明)や恋人 古平千恵子(浅岡ルリ子)が出迎え、駅前広場にも牧場の使用人達一団が謙作の帰りを待っていました。



 PS. 

昔の各映画会社では蒸気機関車の汽笛音を同一の効果音からアフレコで付けていた様です。
 東宝といえど C11といった小型機 と D52 , C59など大型機が同一音?といったことが各映画を次々見ているとあります。

 この映画でも踏切内の牛を発見して鳴らす汽笛音は同じ日活の前出「25. 續 警察日記」に出てくる C122 と同一の甲高い音です。
 でも何故か ラスト 謙作が乗ってきた列車が発車するときの汽笛音は同じ C56 150 なのに「8.赤い夕陽の渡り鳥」の D51 と同じ音です。
 この音は日活で昭和30年代中期~40年代の時期かなり使われています。

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 25、 續 警察日記

  1955年11月  日活 製作 配給   監督:久松靜児

 同年2月公開された警察日記の続編で、田舎警察の日常ドラマをコメディタッチで描くが前作とは話に繋がりはありません。

 冒頭 日本硫黄沼尻鉄道のC122蒸機牽引列車が砂利道併用軌道を走って来て、25-1.jpg
牛に進路を妨害され停止するシーンが出てきます。
 街中で普通鉄道が併用軌道というのも凄いことだが、ニブロク軽便の沼尻鉄道には似合っていると思われます。
 続いて列車が畑の中を行くと、
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前方に自殺志願の女 ヨネ(高田敏江)が線路を枕に寝ていて急停車。25-3.jpg
とここまでは至ってコメディタッチ。

 このC122蒸気機関車は1922年独コッペル製で1949年栃尾鉄道から譲受し、DL入線後の1958年廃車となりました。
 前出 「4.太陽が大好き」でも沼尻鉄道が登場しましたが、それよりも11年前の軽便蒸気機関車現役時代の姿を残す貴重なシーンと思います。
 沼尻鉄道はこの映画撮影の13年後 1968年10月全線運行休止となってしまい、正式には翌1969年3月全線廃止となりました。

 中盤 身売りした柴田キサ(新珠三千代)ら一団が沼尻鉄道川桁駅から国鉄川桁駅へ乗り換えようとするシーンがあります。
 沼尻鉄道川桁駅舎は木造ながら、軽便鉄道としては中々立派な始発駅舎です。25-4.jpg
ここと国鉄川桁駅との間は広場になっていて少々距離があります。

 ラスト 横領犯の男を警官が国鉄川桁駅から護送する場面がある。D50牽引の列車に大勢乗り込み発車。
 暫く進むと警官に無実なのに米泥棒だと疑われて自供を強要され自殺した柴田(鶴丸睦彦)の野辺送り行列が、娘キサを先頭として見えてきます。
キサと付き合っていた横領犯の男 坂本(杉 幸彦) 川桁駅で身売りされるところを助けて以来何かとキサの面倒を見てきた若山巡査(三島耕) の二人が汽車の窓から行列を静かに見送ります。
 D50 牽引 7両編成の列車は悲しげに聞こえる汽笛の音を響かせ、磐梯山山麓の上り勾配をゆっくりゆっくり登って行くのでありました。
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 24. 素足の娘

 1957年9月  日活 製作、配給  監督:阿部豊

 尾道の造船所社員食堂で働く桃代(南田洋子)を中心とした青春映画で、鉄道シーンは最初と最後に有ります。

 長らく父(大坂志郎)と別れて育った桃代が父の働く会社の食堂で働くことになり、尾道駅に降り立つ場面が最初の鉄道シーンです。
 先ず千光寺公園辺りからの撮影でしょう。大きく左カーブを曲がりながら尾道駅に向かう列車が遠景で映ります。ここからのシーンは小津監督の東京物語でもあります。
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 続いて C59 177 牽引の列車が到着し、
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桃代が降りてきます。1957年の撮影ですから山陽本線といえどまだまだ蒸機天国で、この時点では未だ西明石までしか電化されていません。
 乗り降りする人々で混雑する中 桃代はホームにいる駅弁売りに造船所への行き方を聞きます。
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 会社の中で最初は嫌った安治(長門裕之)こそが信頼のできる好きな相手だと気付いた桃代ですが、訳あって東京へ働きに出ることにします。
 ラストシーンでは尾道駅ホームで急行列車に乗った桃代を父や安治が見送ります。 12号車に乗っていますので15:13 発の さつま号か、16:23 発の 筑紫号と思われます。
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 糸崎区所属の C59が力強く発進して行き、最後はまたあのカーブを曲がり尾道から去り行くのでした。



  PS   ラストの上京場面 桃代の乗った急行列車は3番線に停車しています。でも跨線橋の案内板には跨線橋を渡った先に出口と岡山・大阪方面の乗り場のある1,2番線があると書いてあります。
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      とすると3,4番線は下り広島・下関方面でしょう? 現在は1番線が下りホームで2番線が上りホームですが、昔は逆でした。

      また発車までは急行列車に乗っていましたが、C59発進のカットの後は急行のプレートがありません。車両もオハ35でスハ43やナハ10ではありません。他の席の乗客も変わっています。次の列車で撮り直しでしょうか。
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 23、 喜劇 爬虫類

 1968年 5月 松竹 製作 配給  カラー作品   監督 渡辺祐介

 関元三郎(渥美清)ら4人の男がメリイ・ハーロー(テリー・エンジェル)と外人ヌード一座を組んでの珍道中コメディー映画です。

 石川県山中温泉での公演を目論み、北陸鉄道 山中線(加南線)で山中へ向かう途上の築堤上を走るクハ1600形+モハ3500形らしきが映っています。
 次のシーンでは終点山中駅に到着したクハ1600形らしきが見られます。モハ3500形は1961年日本車両製 全長15.6m 浅野川線から加南線に移籍して活躍した電車です。

 続いて関たち5人が改札を出てきて山中駅舎 駅前広場でのシーンがあります。広場の真ん中には山中温泉の塔型の看板もあり、全盛期の温泉地らしく活気があります。
 北陸鉄道 山中線(加南線)は馬車鉄道から1913年山中電軌として開業。1943年戦時合併で北陸鉄道となりました。
 山中温泉は活気があってもバスやマイカーに押され、この映画公開の3年後の1971年7月 全線廃止となりました。

 後半 神岡へ向かう為 C58 牽引列車に乗り猪谷駅に降り立つシーンがあります。国鉄神岡線は1966年10月既に開通していますが、迎えのトラックに乗り込みます。

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 22、 逃亡列車

 1966年12月 日活 製作・配給  カラー作品   監督 江崎実生

 戦争末期 朝満国境の陸軍鉄道大隊に転属してきた有坂大作少尉(石原裕次郎)が終戦となり抗日ゲリラと戦いながら避難民を輸送する鉄道を守ろうとする戦争アクション映画です。

 全編国鉄協力の元 小海線で撮影されたそうです。先ずゲリラに襲われ負傷した機関士に代わって有坂がC56 159を運転し、図佳線図佳駅に到着するシーンがある。
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 模様替えも無く、中込駅そのままで撮影された感じです。しかしソ連軍機による駅構内への機銃掃射シーンは迫力あります。
有坂はその駅で戦友に偶然会い、夜間 機関車前で話しています。
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 その後 野辺山近くに作られたと思われる三道溝駅のセットに有坂がC56 159で到着すると,
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傍らにゲリラに襲われ故障したC56 112が置いてある。
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それから日本降伏 終戦の知らせが入った。
 そしてC56 159も襲われ、使えなくなった。 そこでC56 112を娑婆での仕事の特技を生かして修理し、避難民を乗せ帰国の為輸送船の出る清津へ向かおうとした。

 C56 112は蒸気溜のカバーを外し、テンダーなどに錆色ペンキを点々と付け故障を演出しているかの様にも見えます。
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 三道溝駅にいよいよゲリラが迫るなか漸く修理が終わり 板を積み込んで火入れします。
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避難民を乗せた列車は銃撃戦の中多数の死傷者を出しながら 出発して行きます。
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 ラストシーン 前方の鉄橋にゲリラが待ち構え、爆薬を仕掛け点火したのがキャブから見えました。 
 止まればゲリラに襲われ避難民諸共・・・  強硬突破を図って鉄橋通過中に爆発すれば谷底へ・・・  有坂は一瞬悩みますが突撃を決断し、全速力運転します。

 導火線が燃え尽きる直前 列車は爆弾の直上を通過 直後爆発。
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 列車最後部は爆煙に飲み込まれ橋端の橋桁は谷底へ落下しますが、間一髪 列車は無事鉄橋を渡り切り日本への輸送船が待つ清津へと急ぐのであった。
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 撮影は境川橋梁で行われたようで、特撮シーンも織り込み現代の視点で見ても迫力ある戦闘シーンであると思います。 
 出来れば 9600型SLで撮影したかったのでしょうが、大陸的雰囲気が感じられる小海線 沿線でのロケが秀作へと仕上がっています。

 

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