日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 4、太陽が大好き

 1966年5月 日活 製作 公開    監督 若杉光夫

  閉山となった鉱山町を舞台に、貧しいながらも明るい未来を夢見て生きる 竹山栄子(太田雅子⇒その後の梶芽衣子)を中心とした青春映画。

 鉄道シーンとしては随所にローカル軽便私鉄 沼尻鉄道の車両が出てくる。冒頭からDC121らしきDLが無蓋貨車セタを挟んでオープンデッキのボハ6+7らしきを引き、そのデッキには栄子が気持ちよさそうに乗っている。
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 谷本さち子(芦川いづみ)が車内で昔の男にからまれるシーンではロングシートの両側に客がいて、軽便鉄道特有の狭さがよく分かる。
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 その後さち子は会津樋ノ口らしき駅で、男を振り切る様に降りていく。その時の停車時間のなんと短いこと!
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 夜の川桁駅でのシーンでは、DLが客車1両を引いて出発して行き、その後ガソ101気動車がセタを引いて到着する。
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 実在の沼尻鉄道も硫黄鉱山の閉山と共に衰退し、この映画の二年後には休止 翌年廃止となってしまった。
 モノクロ映画ではあるが、晩年の沼尻鉄道をこれ程長く映した映画は他に無いと思われる。

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 3、その夜は忘れない

 1962年9月 大映 製作 公開    監督 吉松公三郎                           
                                                                     週刊誌記者の加宮恭介(田宮二郎)と陰有るバーのマダム早島秋子(若尾文子)の悲恋映画。

 鉄道シーンは冒頭 一等寝台車に乗る加宮がC59牽引の列車で広島に降り立つ。3-1.jpg
 終盤 帰京せねばならない加宮は秋子と広島駅で待ち合わせるが、特急あさかぜ の案内が始まっても現れずヤキモキさせられる。

 ようやく来た秋子とホームで話す中、C62牽引の特別急行あさかぜがヘッドマークを掲げて到着する。3-3.jpg
加宮と秋子は束の間別れの言葉を交わします。バックは あさかぜ号の20系車両です。3-6.jpg
 そして機関車をEF58に交換したのかホイッスルが鳴り響き、 満員の食堂車 一等座席車 一等寝台車と続く中 加宮は開いたデッキから別れを惜しみ手を振る。

 この当時 山陽本線の電化は広島まで。 冒頭でC59牽引の列車で広島に到着したのは、糸崎停車の急行列車なので糸崎~下関をC59で通し運転だった為と思われる。

 モノクロ作品である点残念だが、活気ある広島駅など新幹線開通前の在来線全盛期の姿を今に伝える一作である。

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 2、大暴れ風来坊

 1960年11月 日活 製作 公開  カラー作品     監督 山崎徳次郎                                                                            小林旭主演の流れ者シリーズ第4作  最初は敵対する野村浩次(小林旭)と十字架の政(宍戸錠)が手を組み痛快に悪者退治という、おなじみのシリーズ。

 鉄道シーンはラストにある。 松山を去る浩次が松山駅で政たちから見送りを受ける。発車ベルが鳴る中 浩次は盛んに眼を泳がせ玲子(浅丘ルリ子)を捜すが、見当たらない。 そして発車の汽笛が鳴り響く。

 浩次の乗る準急いよ号は快調に走ります。
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何故かデッキに立つ浩次の眼に、並走するタンクローリーの助手席から手を振る玲子の姿が映る。途中立体交差する場所もあります。
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 そして車は先行し、踏切で降りた玲子が別れを惜しみ手を振る中 浩次の乗る準急いよは走り去って行く。2-5.jpg
 なお周囲の状況から、上り列車ではなく宇和島方面の下り列車と思われる。 

 四国における旅客列車無煙化は案外早く、C58牽引の客車準急いよ号もこの映画が撮影された後の1960年秋には完全DC化されている。
 後部デッキに大型テールマークを付けたC58牽引の準急いよ号の姿がまさに際どいタイミングで撮影された訳だが、
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カラーで美しい瀬戸内の海をバックに走る姿を今に残す価値ある一作であると思われる。




 PS.準急いよ号の走行シーン撮影時、カメラの正面を通過する際客車に撮影クルーの姿が映り込んでしまっています。 現在のようにその場で確認できず、また山崎氏はこの年じつに年間7本の映画を監督するハードスケジュール故に編集段階で確認できたとしても松山まで撮り直しに行く訳にもいかず公開となったのでしょう。
 1960年一年間に日活は公開映画数 100本という短期製作を強いられていたのです。

 

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 1、ある日わたしは


  1959年9月 東宝 製作 公開  カラー作品     監督 岡本喜八                                       
 記念すべき最初に取り上げる作品として一番好きな、この(ある日わたしは)にします。
 この作品は昭和34年東宝製作で主演が宝田明と上原美佐。 
 主な鉄道シーンは共に岡山県出身の二人が学ぶ東京で知り合い、二度目の上京時20系寝台特急が映ります。
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その後男の実家がある新見へ連れて行く道中 女の実家がある倉敷駅を通るので、停車中家族と会うという場面です。

 先にC59牽引の列車が映り、
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電化前の長閑な倉敷駅に到着する時はD51(?)牽引に変わっている。
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 これは東京から急行で岡山まで来て、岡山始発の伯備線列車で新見へ向かう為変わったものと思われる。
二人が乗る客車のサボは米子行となっています。

 その後東宝の看板女優となる星由里子が妹役でホームから窓越しに話すうち発車の時刻となる。汽笛一声! その時具合が悪く来れないという母親がホームの端に現れる。
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 ゆっくり加速する列車に走り寄る母親。 やっと追いつき手短に話すも走り行く列車・・・

 映画における鉄道シーンとしては代表的な別れの場面ですが、対向の上り列車も遠く映り 未電化時代の山陽本線倉敷駅の様子をカラー映像で残す鉄道シーンの一級品です。
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 この映画は石坂洋次郎原作の爽やかな恋愛映画で全編見た印象もとても素晴らしいので、真っ先に取り上げてみました。

 

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